変わらないと思っていた日常は、実際には少しずつ変わっていたんだが

 キャンプに行った次の日、菜々ちゃんは勇気を出して、二年くらい連絡を取っていなかった札幌の実家に電話をかけた。そうしたら叱責しっせきもなく、とりあえず顔を見せに帰って来いと、お母様から言われたそうだ。

 だから菜々ちゃんは今、札幌に帰省中。向こうとの交渉が長引けば、しばらく帰ってこないかもしれない。

「お姉ちゃんがいなくて寂しいね、ゆーちゃん」

「にゃあ」

 ゆずは私の膝の上で、私に頭を撫でられている。以前にも増して、毛並みがすごくふわふわになったような気がする。

「寂しいから、今度ママと二人でデートに行こうかゆーちゃん。また温泉行く? 今度は大鰐温泉おおわにおんせんでもやし食べてこようか、ね、ゆーちゃん」

「んにゃ」

 ゆずはこちらに向かって抱きついてきた。私のニットに顔を埋めて、しっぽをふりふりしている。

「んにゃ~! ゆーちゃん、可愛いでちゅね~!」

 ゆずは耳と耳の間をマッサージされるのが好きみたいで、私が掻いてあげると、気持ちよさそうに目を細めている。人間の姿になってもゆずには冬毛という概念があるみたいで、猫耳の部分が若干モサモサしてるのと、肩までだった髪が背中くらいまで伸びてボリュームアップしている。匂いを思いっきり吸い込むと、朝の日差しのような柔らかい香りがした。


 私が十分程度もふもふしていると、ゆずは飽きたのか、私の膝の上から降りて歩いていった。

「さて、ゆーちゃんも堪能したし、計画の準備にでも戻りますかな!」

 シェアハウスを作りを手伝ってもらうにあたって、菜々ちゃんが戻ってくるまでにしておくべきことや決めなければいけないことは沢山ある。

 一応、前々から、シェアハウスを自主管理で運営していくと決めていたので、知り合いのシェアハウス経営者に色々と聞いておいてよかった。

 今は十二月の中旬だから、残された期間は二ヶ月くらいか。遅くとも二次試験のある二月までには、入居者を呼び込めるまで固めておかなければならない。持ち家があって、物件探しを省略できる分、大分始めやすいかもしれないがかなりタイトなスケジュールだ。菜々ちゃんに手伝ってもらってギリギリか?

 やっぱりルールとか決めといたほうがいいわよね。家賃とか。女性限定にすれば、同性だから配慮しやすいかしら。この辺りは菜々ちゃんに聞いて、現役大学生の事情とかを盛り込んで住みやすいものにしよう。

 ビラ配りってどうしようか。大学生協の伝手つてを頼って配らせてもらえないか聞いておくのと、手配りの場所だわね。

 毎年合格発表の辺りに校門前でアパートの大家さんが配ってたよね。配っていいんだっけ? 一応大学にも許可取ったり……。

 一番の問題は片付けね。菜々ちゃんと二人でやりきれるかしら。業者さんを呼んだらいくら掛かるっけ?


 私が頭を悩ませている横で、スマホが光っている。相手は菜々ちゃんだった。

「もしも~し!」

「もしもし、れいにゃん!」

 電話の奥で菜々ちゃんの元気そうな声が聞こえる。良かった。少し安心した。

「もう、実家に帰ったの?」

「うん、お母さんたちと話してきた」

 何でもない風にそう言った。菜々ちゃんの声からは結果を判断できない。

「で、どうだった」

「実は……」

 菜々ちゃんは含みをもたせた言い方をする。

 駄目だったか。まあ、しょうがないよねと声をかけようとしたその時。

「しばらく弘前にいて大丈夫だって! 後、お世話になるんだから一度ご挨拶させてくださいって」

 菜々ちゃんの声が一転して明るくなる。私は、思わずスマホを頬と肩に挟んで拍手していた。

「良かったね! 他に何か言われなかった?」

「一応、ちゃんと大学は卒業するのと、お父さんが寂しがるから帰れなくても電話くらいはしなさいって言われた」

「やっぱり、親なんだから心配するわよ」

 良かった。菜々ちゃんのお父さんもお母さんも、ちゃんと菜々ちゃんのこと分かってくれてるんだね。

「うん。空港まで迎えに来てくれてたし、怒られなかったよ」

 菜々ちゃんは、どうやら実家の部屋から電話をかけてきているらしい。電話の奥で、お母さんが菜々ちゃんを呼ぶ声が聞こえた。

「そう、久しぶりの実家なんだから、しばらくゆっくりしてきたら?」

「そうする。ゆずは? 風邪とか引いたりしていない?」

「ゆーちゃんも元気だよ。ゆーちゃん? 来てくれる? 菜々ちゃん!」

 私は、さっきまで家の中を歩いていたゆずを呼んでみるが、返事はなかった。一階のリビングとキッチン、二階の部屋を見てみたが、どこにもいない。

「ごめん、ゆーちゃんどこかに隠れちゃったみたいで、後でかけ直すね。うん」

「あ、これからお世話になるから、お母さんがれいにゃんに挨拶したいって。また今度話すね。うん、それじゃあね」


 電話を切ってから、私は家の中をくまなく探した。

 玄関にあるゆず用のスノトレは靴紐が昨日のまま解(ほど)けていて、表口と勝手口に積もった雪には誰かが踏みしめた足跡もない。

 この世界のどこにもゆずの姿はなくて、私の足音だけが廊下に響いていた。

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