女子3人で古い自分を脱ぎ捨てる旅に出たんだが

 今日は朝から最悪だった。なぜなら、幸せなゆずの顔ふみふみではなくスマホの着信音で目が覚めてしまったから。

 ゆずはおそらく、一階で菜々ちゃんと一緒に夢の中だ。菜々ちゃんが来て、ゆずの遊び相手が増えたのはいいけれど、彼女を独り占めできなくなったのはちょっとだけ寂しいわ。

「んー」

 布団の中に冷たい外気が入らないよう腕だけ出しながら、ベッドサイドランプの辺りにあるはずのスマホを指の感触だけで探す。探し当てたところで、小指に引っかかったリップスティックが落ちた音がした。

「はい、もしもし」

 誰だよ、こんな朝早くに。まだ五時だぞ。ボサボサの髪をかきむしって覇気のない声で応答する。

「玲菜、久しぶり、元気?」

「今何時か分かってる? 朝の五時だよ」

「いいじゃない。話したくなったんだもの。でしょ?」

 嫌だ。低血圧なのに、こんな朝早くからこの人の声聞きたくない。

 高校時代に私の大学進学を妨害したのもそうだし、旦那と結婚するときにも私になんの相談もなく別の男とお見合いの席を設けてめちゃくちゃにするし、就職するときにも女は家庭に入るべき。って、古い価値観を押し付けて私達夫婦の話し合いを有耶無耶にしようとするし。

 何より一番ムカついたのは旦那の葬式で嬉々として新しい縁談を持ってきたことだよ。しかもそれが今日まで続いている。

 親とはいえ、まともに話していると精神が削られる。しかも、話す内容は①実家に帰らないのか。②一人で寂しくはないのか。③何だったらいい人を紹介するからこっちで再婚したらどうか。の三つと、あっちの誰それが結婚した。である。

 要は寂しいのである。三十五の女を未だに世間知らずの優しい生娘かなんかと勘違いしているんじゃないか。世間知らずは朝早くに相手の事情も考えずに平気で土足で踏み込んでくるそっちでしょ?

 なので、電話の返答は断固拒否だ。


「じゃあ、切るね」

 向こうが話し終わるまで三十分かかった。私は電話を切って、スマホをベッドの上にぶん投げた。朝から大分カロリーを使った気がする。

「あームカつく! 一方的に自分の古い価値観を押し付けやがってぇ~!」

 二人が階段を上がって来る音がする。

「れいにゃん、どうしたの?」

「にゃあん?」

 私の怒声で菜々ちゃんとゆずを起こしてしまった。悪いことをしたと素直に謝る。

 親相手にマジギレなんて、少し大人気なかったかもしれない。幸い、今日は仕事が休みだ。

「菜々ちゃん、今日暇?」

 菜々ちゃんとゆずがベッドの上にダイブする。

「空いてるよ!」

 私が二人の頭を撫でると、二人は嬉しそうに伸びた。

「気分転換に旅行でも行こうか!」

「旅行! 行く行く!」

 菜々ちゃんの目が輝いて、何度も頷いている。

「ゆーちゃんも行く?」

「にゃあん!」

「じゃあ決まりね。日帰りの女子旅と洒落込みましょう!」

 私たちはベッドから降りて、それぞれ身支度を始めた。


「菜々ちゃん、ゆずをお願いできる?」

「任しとき!」

 昨日、車検から帰ってきた愛車に乗り込んでエンジンをかけた。

「ゆずって、人間の言葉しゃべんないんだね」

 菜々ちゃんは助手席に座ってゆずを抱っこしている。ゆずは大人しく菜々ちゃんの膝の上に座り、顔を腕で洗っている。癒やされる。

「んー、まあ、ゆずなりの考えがあるんじゃないの? 人間になりたてだし、実質赤ちゃんだしね」

 難しいことは考えない。可愛ければいい。可愛いは正義。

「今日も可愛いねー、ゆず」

「にゃあ」

 菜々ちゃんに撫でられて、ゆずはまんざらでもなさそうだ。

「今日はどこいくの?」

「ふふふ。着いてからのお楽しみ! レッツゴー!」

 私は珍しい晴れ空に、車を発進させた。

 弘前から西、日本海側へ向かって、車を走らせる。

「この車、GT‐Rでしょ?」

 途中、菜々ちゃんが意外にも博識であることが分かった。

「知ってるの? SKYLINE。四駆よんくじゃないと津軽つがるの雪道は厳しいからね」

「パパが車好きでね。よく乗せてもらった」

 菜々ちゃんのお父さんってどんな人なんだろう。そもそも菜々ちゃんはお父さん似だろうか。だとしたらイケメンだな。

「あ、あおられた」

 このあたりは片側一車線で車の通りが少ないはずだが、たまに勘違いをしたやつが危険運転をすることがある。

「危ないね」

 追い越し禁止ゾーンなのに、私たちの真横を一台のプリウスが追い越していく。やれやれ。

「こういうときはね、相手が子どもだと思って譲ってあげるの。そうすればムカつかないでしょ?」

「れいにゃん大人だね」

「ふふん」

 少し先の信号で、さっきのプリウスが巡回中のパトカーに捕まっていた。ざまあみろ。

「そういえば、菜々ちゃんの親御さんってどんな人なの?」

 曲がりくねった道の先で、私は興味本位で聞いてみた。予想では、朝食にはクロワッサンと紅茶が出て、両親ともにキラキラしているイメージだ。

「普通の公務員。教員だからものすごく堅いよ。大学サボって留年してから、喧嘩して、連絡取ってないわ」

 意外だ。頭の中の菜々ちゃん像が霧散する。しかも、自己肯定感も高いし、家族仲がいいイメージだったから余計にそう感じるのかもしれない。でも、親とあんまり仲良く出来ていないってところに何だか親近感が湧くな。

「へー、先生なんだ。菜々ちゃんも先生になるの?」

「なるつもりだった。教育学部だし。でも、今は他の進路も考えてる。教育学部でも、先生にならない人結構多いみたいだし」

「帰ってあげないの?」

「今は、いいかな」

「たまには帰ってあげなよ~」

 菜々ちゃんは窓の外を見て、「まあ、そのうち」と言った。

 そろそろ海に出る。坂を登ると、開けた窓からほのかな潮風の匂いがした。


 車は千畳敷せんじょうじきに着いた。私たちの隣を五能線ごのうせんが走っている。弘前ひろさきから秋田の東能代ひがしのしろを結んでいるローカル線だ。弘前大学の授業の一環で、よく五能線沿線の観光資源をマーケティングの材料として授業を行っている。

「そういえば、さっきの電話何だったの?」

 菜々ちゃんは半笑いでそう聞いた。

「れいにゃんのあんな怒ってるとこ、はじめて見た」

「んー、実家から」

 そういえば、弘前こっちに来て十七年か。最後に帰ったのいつだっけ。私も菜々ちゃんに偉いこといえないな。

「旦那の四十九日も終わったんだし、こっち帰ってきて再婚相手探したら? だってさ。私、もう三十五なのに。いい歳して、母親、私が今だに自分の言うこと素直に聞くと思ってるんだよ? 失礼しちゃう!」

「れいにゃんは帰らないの?」

 私は少し考えた。車は深浦町ふかうらまち役場を通り過ぎた。ふと横目で見ると、“世界遺産と日本遺産W認定の町”の横断幕がかけられている。確か、ここの食堂のマグロステーキ丼が美味しいんだっけ。

「今は、いいかな」

「れいにゃんも人のこと言えないじゃん」

 菜々ちゃんはゆずの頭に顔を押し付けている。ゆずは少し苦しそうに、頭をもたげた。

「自分の人生は自分の手で切り開いたほうがいいぞ、女子大生」

「はいはーい」

 私たちは夕陽公園の前を通った。深浦は夕陽が有名で、これから行くところも夕陽がすごくきれいなんだ。まるで水平線を染める茜色のガラス玉が、海に溶けていくみたいに。

 ちなみに、旦那との初デートはこの辺りの道をずっとドライブした。


「今回の旅のテーマは?」

 感慨に浸っているところで、菜々ちゃんがそう言った。

「古い自分を脱ぎ去る! そして、新しい自分へ変身する。菜々ちゃんの来年の目標は?」

「新しい自分ね……。それじゃあ私、在学中にミスねぶたになりまーす!」

 菜々ちゃんの弾むような声を聞いて、心の底から嬉しくなって笑ってしまった。

「れいにゃん、どうしたの?」

 菜々ちゃんは私に釣られて笑っている。一方、話について行けていないゆずの目は夕陽のようにまんまるだ。

「青森一の美人、ミスねぶたですか~。やるじゃん女子大生。もしなれたら、私の後輩だね」

「え、マジ? れいにゃん、ミスねぶただったんだ? れいにゃんの頃ってどんなことしてたの?」

「ん゛に゛ゃ゛あ゛!」

 菜々ちゃんが驚いて身を乗り出しかける。圧迫されたゆずが苦しそうにうめくので、菜々ちゃんは腕を緩めた。私はそれを見ておかしくなってまた笑った。

「んー? ねぶた祭の宣伝カーに乗って、祭りの間ずっと来訪者に手を振ったり、後はコンパニオン的なことが多かったかなー。地元企業のCMにも出たよ!」

 菜々ちゃんが座席に深く腰掛けて、ため息をつく。

「どうしたの?」

「いやー、そう聞くと何だか自信なくなってきた。なれるかな、ミスねぶた」

「なれるわよ。菜々ちゃん美人さんだもんね」

「いやいや、れいにゃんほどでは」

 菜々ちゃんの顔がにやけている。よほど嬉しいらしい。

「あら、お上手」

 右折の看板が見えた。私は、ハンドルを切って、国道から細道へと入った。眼の前の青く輝く日本海に、太陽の光が反射して輝いている。

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