もうすぐアラフォーの私は、助けた女子大生にれいにゃんと呼ばれるんだが

「あー! 寒かったぁ! 早く温まらないとだわ!」

 家に帰って早々、女子大生は玄関に倒れ込んだ。明らかに呑みすぎだ。日本酒を半升も飲んだらそりゃあこうなるわ。華の女子大生の欠片もない。顔も真っ赤だし、こいつはもはやタコだ。タコチュウ。

「で、なんで雪の中で寝てたの」

「一緒に住んでた彼氏に捨てられて、家を追い出された! アッハッハ」

 女子大生を起こして立たせると、自嘲気味の笑いとともにそう吐き捨てた。ああ、もう、しっかり立ちなさいって、ゆずも何事かって顔でこっち来たし。不審者に警戒してしっぽが太くなってる。

「あなた名前は? 親御さんの連絡先ある?」

 雪まみれのファーコートを脱がせてバスタオルをかけると、女子大生は両手を伸ばして大声で笑った。

「私は高橋菜々たかはしななです。私にはぁ、帰る家が、ないのだぁ」

 帰る家がないとはどういうことかと思ったが、これ以上酔っぱらいの相手をしててもしょうがないので、酔いが冷めてから色々聞くことにする。

「菜々ちゃんね。帰る家がないのね? 分かった。じゃあ、しばらくいていいから」

 そう言うと、菜々ちゃんはこちらを向いてペットショップの子犬チワワみたいな目で私を見つめた。

「何?」

「お姉さん、優しいね! ママって呼んでいい?」

 菜々ちゃんは突然ぶりっ子(古いか)でそう言った。

「何バカなこと言ってんの」

「じゃあ、なんてお呼びすればよろしいでしょうか。お姉さま」

 私が一笑に付すと、菜々ちゃんはかしこまって玄関マットの上に正座した。やれやれ。

「私は石戸谷玲菜いしどやれいなっていいます。石戸谷さんでも玲菜さんでも好きに呼んだらいいわよ」

 そう言うと、菜々ちゃんは少しだけ考えて、次のようにのたまった。

「じゃあ、れいにゃん」

「れいにゃん!?」

 頭に隕石が当たったような衝撃だった。思わず鼻水が出た私を指差して菜々ちゃんが笑う。れいにゃんかぁ……。私、もうすぐアラフォーなんですけどぉ。

「れいにゃん、れーいにゃん! うひひっ!」

 色々思うところはあったが、私はオッケーを出した。まあ、いいか。菜々ちゃんも嬉しそうだし? 女子大生は私にすがりついて、頭を擦り付けている。それを見たゆずがなんとも言えない顔で私から女子大生を引き剥がせないかと腐心していた。

「まだ酔ってる?」

 私に顔を埋めて動かなくなった菜々ちゃんに尋ねる。

「酔ってないよぉ~」

 大概の酔っ払いはそう言う。まあいいか、ソファまで運ぼう。

「よっこいしょ」

 抱きかかえてみたけど、大学生の割には結構軽い。林檎五ケース分くらいか。

「わーい、お姫様だっこだぁ」

 暴れるな。ちょっと、酔っぱらいはじっとしてなさい。菜々ちゃんのアルコール臭い吐息が顔にかかる。

「そういえば、さっき私にちゅ~したときになまっていたのに、今は全然だね」

 起きていたのか。この酔っぱらい大学生。菜々ちゃんはキスをせがんでくる。抱っこしている状態で顔だけ逃げていると、首をりそうになる。こいつは厄介だ。

「あー、県外から来た人が相手だと標準語で話すようにしているの。なまっていたら聞き返されちゃうから」

「ん? 私が県外から来たってなんで分かるの?」

 私がソファに菜々ちゃんを寝転がすと、菜々ちゃんはちょっとだけ駄々をこねて、私の身体から離れてくれた。

「菜々ちゃんが弘前大学こっちに来た経緯、当ててあげようか。当てたら、今日のところは観念して静かに寝なさいね」

「うん」

「菜々ちゃんはね……、最初は地元の北海道大学ほくだいを目指してきたけど、残念ながら力及ばず、落ちて弘前に来た。どう?」

 私はホームズよろしく、リビングの中を歩きながら、丁寧に推理してみせた。酔っ払い相手には、これくらいの手品が丁度いいのだ。

「当たってる! 凄い! れいにゃん占い師?」

 ふっふっふ。私は占い師ではない、菜々ちゃんの北海道訛(なま)りと、弘前大学(ひろだい)は北海道大学の滑り止めで受けた道民が約三割在籍するというデータから導き出される完璧な推理だよワトソンくん。

 菜々ちゃんは大吟醸亀吉を胸に抱いたまま両手で賛辞を送ってきた。

「と、いうことで、これは没収です」

「あー、何するの、私のお酒!」

 菜々ちゃんは必死で手を伸ばしているが、あっけなく一升瓶を取り上げられてしまった。

「明日も学校でしょ? ほら、これ飲んで寝なさい」

 私はお酒の代わりにお椀に入ったお味噌汁とペットボトルの水を渡す。

「しじみ汁だ!」

「そう、十三湖のしじみ汁! 呑みすぎたときには肝臓にいいわよぉ~」

 お椀を受け取ってすぐ、菜々ちゃんはぐいぐいしじみ汁を飲み干す。いい飲みっぷり。

「あ゛~生゛き゛返゛る゛ぅ゛~。残ったお酒はどうするの? れいにゃんが飲むの?」

「私はあまりお酒飲まないのよ。ま、このお酒、私が美味しくしといてあげるから。明日の夜を楽しみにしていてね」

 菜々ちゃんは不思議そうな顔をした。


 翌朝、二日酔いで起きた菜々ちゃんは、私の家にしばらく居候することや、昨日、私に粗相をしたことなんかを恐縮してきた。しかし、私も一人暮らしで人手が足りないし、空き部屋もいくつかあるし、お互い様だしということで、家事及びその他雑務を手伝うことを条件に、菜々ちゃんは私と一緒に住むことになった。

 後はゆずのことを話したが、特にわずらわしがることもなく、可愛い妹が出来たと喜んでくれた。ゆずも菜々ちゃんがこの家に住むと分かると、新しい家族が出来たことに内心喜んでいるのか、窓の外を見ながらしっぽを振っていた。良かった。

 今日は菜々ちゃんが授業のある日で、日中は車検に出した車を取りに行った。

「ただいま!」

 五時になると、菜々ちゃんが大学から帰ってきた。菜々ちゃんが帰ってきたと分かると、ゆずはしっぽを振りながら全速力で玄関にダッシュする。

「ゆず、ただいま! うひゃあ!」

 いつもの癖で、ゆずは菜々ちゃんの顔にダイブする。菜々ちゃんは尻餅をついて、痛みで尻を押さえている。

 扉を開けると、夕飯の匂いが玄関まで香ってきたからか、菜々ちゃんは鼻をひくひくさせている。

「いい匂い! まさか、私の亀吉おさけ?」

「うん、菜々ちゃんのお酒、美酒鍋びしょなべにしておいたわよ。スープが全部お酒なの」

 美酒鍋は広島の郷土料理。にんにくをオリーブオイルで炒めて、そこに鶏肉、白菜、人参、しいたけ、こんにゃく、油揚げ、笹掻ささがきゴボウ、里芋なんかを入れて少し混ぜた後に出汁代わりの日本酒を入れてよく煮立ったら完成する。ちなみにここに蜜柑みかんの皮を入れると柑橘系の香りがついて、大変上品になるのだ。

 別名酒飲みの鍋。もちろんこの鍋も日本酒に合う。めちゃくちゃ美味い。

「へぇ、面白い! で、びしょなべ? びしゅなべじゃなくて」

「そう、面白いよね。何故かなまっているんだ」

 テーブルに着いた菜々ちゃんにお椀によそった美酒鍋を渡す。菜々ちゃんは手を合わせた後に、少しずつ冷ましながら美酒鍋を口に運んだ

「温かい!」

 菜々ちゃんは美味しいものを食べると本当に幸せそうな顔をする。

「そうでしょ、外から帰ってきたばかりだから、冷え切った身体に染みるでしょうよ」

「まるでれいにゃんみたいだね」

「そう? ふふっ。なーに、手、冷たいよ」

 菜々ちゃんは私の手を握った。外から帰ってきた手は、まだ冷たかった。

 まったく、嬉しいこと言ってくれちゃって。ちょっと照れくさいけど。

「ハグしてもいい?」

「えー」

 そう言いつつも、私は両手を広げる。

「れ゛い゛に゛ゃ゛ん゛!」

「よしよし」

 菜々ちゃんの髪からは大人のシャンプーの匂いがした。

 私の胸に顔を擦り付けて甘えきっている。すっかり懐かれちゃってまあ、ホームシックかしら。しょうがないわよね、昨日家を追い出されて、実家を離れて一人で弘前にいるんだし。

「れいにゃんって巨乳だね」

 いつの間にか、菜々ちゃんは私の胸を鷲掴んでいた。

「い゛っ゛た゛ーい゛!」

 私が軽くチョップすると、菜々ちゃんは大げさに騒いでみせる。

「れいにゃんを美女鍋(びじょなべ)にして食べたいでゲスなぁ、げっへっへ」

 私がツッコミを入れても、菜々ちゃんは凝りもせず、そんな事を言う。

「おじさんくさいわよ」

「大丈夫、女子大学生は、実質おじさんだから」

「分かる」

 私たちは寝るまで、お馬鹿な話で笑っていた。

 菜々ちゃんを見ていると、私が弘前大学の学部生だった頃を思い出す。あの頃も、友達と鍋パしてたなと感慨深くなる。

 そして久しぶりに、鍋の湯気を挟んで誰かと鍋をつつけるって幸せなんだなと思った。

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