近所の大学で、死にかけの女子大生を拾ったんだが

「おはよう、ゆーちゃん」 

「にゃあ」

 今朝もゆずが私を起こしに顔に乗ってきた。私は胸いっぱい彼女の香りを吸い込む。もはや日課になっているこれは、私の健康寿命を十年は伸ばしてくれていることだろう。んー、たまらん。

 それにしても、ゆずを抱いて寝たからか、パジャマが寝汗でビシャビシャだ。枕の横に置いておいたタオルで汗を拭う。

 熱はなんとか下がってくれたらしい。身体がすごく楽になっている。ありがたい、これで今日やらなきゃいけないことができる。

 昨日、なぜか私の愛猫むすめが可愛い女の子になっていた。

 元がキジトラだったからか、茶髪にところどころ黒のメッシュが入っていて可愛い。耳も尻尾もふさふさで、いつまでも撫でていたくなる魅力があるが、そんなことをしていては一日が終わるので我慢である。

 ゆずは人間にすると小学4年生くらいになるのかな。この頃の女の子は成長が早いからどんどん大人びて、年上の彼氏を作って出て行っちゃったりして! うえ~、ママを置いていかないで~ゆずぅ~!

「に゛ゃ゛あ゛!」

 ゆずに抱きつこうとすると、するりと抜けられた。そして「ママ! ハラ! ヘッタ!」と言っているのか、私の足にしっぽをパタパタと叩きつけている。

 良かった、ゆずは花より団子だ。そのまんまのゆずでいて。

「はいはい、今準備しますからね」

 今日も鶏のささ身を茹でてあげた。ゆずは美味しそうに肉の塊にかぶりついている。

「ゆーちゃん、お口についてる」

「んにゃあ」

 指で、ゆずのほっぺを拭う。

 そういえば、昨日はゆずが人間になっちゃったのに驚いて、あんまりよく見てなかったけど――。何? と、私と目があったゆずは何事かと顔をかしげた。

「んっふふ、ゆーちゃんは美人さんだねぇ」

 元々猫のときでも可愛かったけど、人間になっても可愛いというのは反則ではなかろうか。まあ、私の自慢のゆず(むすめ)だしね。ふふん。

「にゃあ」

 脇を持ってタカイタカイすると、ゆずの身体が少しだけ伸びた。

 人間になっても、どうやら猫っぽさは抜けきれていないらしい。

 たしかに猫耳としっぽが生えているし、ゆずは人間と猫の中間なのかもね。まあ、可愛いからよし。

 朝食の後片付けをすませてから、家事をすることにした。日中は家の掃除と、溜まっていた洗濯ものや書類関係を片付けた。

 途中、ゆずの襲撃にあった。ゆずの相手をしながらだったから、思っていたよりも時間がかかる。やることがあらかた終わった頃には、もう夜ご飯の時間を過ぎていた。

 私は残り物で済ませるとして、冷蔵庫を開けるとゆずのごはんがなかった。外は寒いけど、買い出しが必要だな。

 明日から吹雪くらしいので、せっかくだからスーパーで一週間分まとめて買っておこう。

「それじゃあ、近くのUマート行ってくるからいい子にしていてね」

「にゃあん」

 私の言葉に、ゆずはコタツの中から顔だけだして返事をした。

 歩ける距離にスーパーがあるのはありがたい。中でも、弘前ひろさき大学前のUマートは随分とお世話になっている。

 まだ雪がちらほら降っている程度とはいえ、家がある西弘前にしひろさきからここまで一本道だし、ローカルスーパーながらも学生たちのために品揃えを厚くしてくれているのはほんとありがたい。

 ただ、車検に出した車が返っていたら最高だったけどね。

 歩いて十分もかからずにスーパーに着いた。店内に入ると、大学生らしきカップルが仲睦まじそうに夕飯の買い物をしている。おそらく今夜は鍋だろう。私も、明日は鍋にしようかな。ゆずが待っているのでさっさと食材を買い物かごに入れる。今日は焼き物用のぶりが安かった。照り焼きにしても美味しいかもしれない。


 十分ほどで食材はあらかた買い終えたので帰宅することにした。来たときの道で帰ろうかと思ったが、パトカーで封鎖されていた。どうやら誰かが凍った道路で滑って電柱に車をぶつけたみたいだ。 

 この道は見通し悪いし、速度出し過ぎたら危ないよ。と、今更なことを呟いてみる。

 少し遠回りになるが、気分転換だと思うことにして、私は弘前大学(ひろだい)を通り抜けて家に帰ることにした。

 大学の正門を通り構内に入る。流石に冬季の八時ともなると学生は歩いていない。人文学部棟は照明が消えていて、非常用の灯りだけがポツポツと点いている。しかし、時折大学内の廊下を警備の人が懐中電灯を持って歩いているので、その光にビクッとする。

「なんだ、職員さんか」

 ドキドキする胸を押さえ、過剰にビビっている自分を笑った。

「まあこの季節、寒くて不審者も出ないよね。よく通っているし、何もない、何もない」

 人文学部棟から理工学部棟に向かう横断歩道を渡る。理工棟の三階に明かりが点いている。おそらく学士から博士志望の学生が、研究という名の奴隷労働に従事しているのだろう。私は、煌々こうこうと光る不夜城ふやじょうに向かって、ご苦労さまですと頭を下げる。

「このあたりも少し新しくなったな。理工学部棟の2号館なんか弘前で二番目に高い建物だし、お洒落になっちゃって。あ、私の頃からか」

 一人で心細いときはどうしても独り言が多くなって駄目だな。

 理工学部棟を通り過ぎ、私が学部生の頃通っていた農学生命科学部の校舎に差し掛かろうとした時、建物と建物の通路に黒い物体が転がっているのが目に見えた。

「ん、何あれ」

 何だ、バイクのシートか……?

 無視して足を進めたが、物体が風も吹いていないのに揺れたのが見えた。

 いや、違う。私は思わず引き返した。

「動いて、る? 人だ!」

 私が物体の前にまで行くと、それから手のようなものが生えた。そしてその手には、一升瓶が握られている。

 ちょっとまって、ちょっとまって! ありえない! 何でこんなところに人が寝てるの? しかも酔っぱらい? 死ぬじゃん!

 突然のことに、脳が混乱する。

 そこには、顔を赤くした女子大生が大吟醸の亀吉かめきちを片手に倒れていた。

 津軽の冬に、酔っぱらいが気持ちよくなって外で寝て凍死することはよくあるが、まさか私がそれに遭遇するとは。いや、そんなことはどうでもいい、助けないと!

「な、なんでそったどごろに寝でらの! はえぐ起ぎなさい。死んでまるわよ!」

 私が叫んでも、いくら叩いても返事がない。

「へ、返事がない……こんなときは、じ、人工呼吸!」

 昔、大学の講義で習ったのを思い出せ、私。確か鼻を摘んで、唇を重ねて、息を!

「ふぅ~! ふぅ~!」

 しばらく何度か繰り返すと、女子大生はむせながら、身体を揺すぶり始めた。よかった、何とかなった!

「あ、動いた! 起ぎなさい! はえぐ! 死ぬから!」

 女子大生の身体を起こし、揺さぶる。

「うるへー! 死なせてくれぇい! 私は、私はぁー!」

 女子大生は泣きながらよくわからない事を言っている。しかも、寒さでところどころ、涙の跡が霜になっている。

「津軽の冬をなめてはいけない!」

 そう、弘前で雪の上で寝たら、冗談ではなく、死ぬ。

「死ぬな! 生きるんだーッ!」

 何度揺さぶって生きるよう諭しても女子大生は泣いてばかりで聞き分けがない。ええい、らちが明かない!

「くらえ!」

 私は女子大生に何発か平手を繰り出した。

「うぇぇぇぇん!」

 女子大生が真っ赤に腫れ上がった顔を押さえて悶えている。

 説得? のかいもあって段々と女子大生が落ち着いてきた。彼女は目が合うなり、赤らんだ顔で、まじまじとこちらの様子をうかがってきた。

「何」

 女子大生の睫毛まつげについた細氷がキラリと輝く。

「美人」

 女子大生はそんなことを言った。それが死ぬ瀬戸際だった人が最初に言うことかね。気の抜ける言葉に、今までのやり取りは何だったのか、情けなくなって一気に力が抜けてしまった。

「何馬鹿なごどしゃべっちゅの。ほら、立って」

 私が促すと、先程の強情じょっぱりさもなく、女子大生は素直に立ってくれた。

「もしかして、あなたが私を助けてくれたんですか?」

「そうよ。貴女、家は?」

「同棲していた彼に追い出されました」

 自殺の理由が痴情ちじょうのもつれとは、呆れてものも言えない。が、このままにしておくと本当に死んでしまうからしょうがない。溜息が白く染まる。

「じゃあ、の家さ来なさい」

 私がそう言うと、女子大生はためらいがちに目を伏せて、もう一度こちらを見た。

「いいんですか? 帰る家どころか、お金もないんですよ?」

 ……もう何も言うまい。

「いいから、来なさい」

「でも」

 ええい、こんなところで強情者じょっぱりぶりをださんでよろしい!

「来・な・さ・い」

 私は女子大生の手を握って、家に連れて行った。

 こうして、私は行き倒れの女子大生を拾ってしまった。

 人助けだし、警察に捕まらないよね?

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