最近、菜々ちゃんの様子がおかしいんだが

 最近、菜々ちゃんの様子がおかしい。

 毎晩おかわりしていたごはんも一杯だけになったし、授業がない日はいつの間にか家から出ていくし、授業がある日も、前より帰ってくる時間が遅くなった。

「何やってるの」って聞いても、「ちょっと用事」としか教えてくれない。

 今まで大学の愚痴とか話してくれてたのに、あまり話してくれなくなった。というか、最近やけによそよそしい気がする。

 何か隠し事? 朝夕は二人で栄養のあるもの食べてるし、菜々ちゃんはしっかりものだから、健康管理はちゃんとしているはず。病気ではないと思いたい。

 手元を見ていなかったから、放置していたIHが高温を察知して警告音を出す。気がつくと、鍋のお湯が吹きこぼれかけていた。危ない危ない。もう少しでゆずにあげる鶏のささ身が茹ですぎるところだった。竹串を刺して肉にしっかり火が通ったことを確認し、お湯を切って少し冷ましてお皿に移す。ゆずがご飯の気配を嗅ぎつけて、二階から全速力で降りてきた。

 ……やっぱり、こんなおばさんと一緒に暮らすのが嫌で、不満が溜まっているのかも。最近私、おばさんくさいことばかりしてなかったかしら。

 スマホのインカメラ機能で髪型と肌をチェックする。大学生には敵わないけど、毎日お手入れしてるし大丈夫だと信じたい。続けて、スマホに保存されたアルバムを流し見する。ウチに来たばかりの菜々ちゃんの写真を二、三枚見てから、スワイプの手が止まった。

 いや、待てよ? 最近、菜々ちゃん可愛くなってないか? 昨日も何か髪型変えてたし、めっちゃいい香りの香水もつけてたぞ。

 女の子が可愛くなるということはどういうことか。三十五年の経験をして、それに気づかないほど愚鈍な私ではない。そうか。分かってしまった。

 ささ身をきれいに平らげてから、ゆずは満足そうに、けぷ。とゲップをする。

 菜々ちゃん、新しい男ができたんだ。

 そうよね。年頃の女の子だもの。男と別れたからって、菜々ちゃんほどの美人さんならすぐに相手なんて見つかるよ。それに、いつまでも私のところにいるわけじゃないもんね。

「い゛や゛ぁ゛~、ショックだわぁ」

 私の気持ちを察したのか、私のお腹にゆずが頭をこすりつけてきた。

「ねえ、ゆーちゃん。お家の中さ、菜々ちゃんが来てから明るくなったよね」

「にゃー」

 私は、ゆずを抱きかかえてソファに座った。そして、ゆずの頭に顔を埋める。ゆずの香りは、心に優しいおひさまの香りだ。ゆずはくすぐったそうに顔を横に振っている。

「みんながいてくれて嬉しいんだよ、ゆーちゃん。私、みんなに感謝してるの」

「にゃあ?」

 ゆずの幼い身体を抱きしめていると、何だか安心する。まるで小さいときにぬいぐるみを抱いて寝ていたときみたいに。

「あの人が亡くなってから一人で心細くて、ゆーちゃんや菜々ちゃんと出会ってやっと私の世界も少しだけ優しくなったような気がするんだ」

「にゃあ」

 ゆずは、私の愚痴も厭な顔ひとつせず聞いてくれて、おまけにちゃんと返事までしてくれる。本当に可愛いなあ。

「ねー、ゆーちゃんもそう思うでしょ?」

 小さな頭を撫でる。ゆずは「私も」と、顔を近づけてキスしてきた。

「きゃー、ゆーちゃんいい子だね! ママのこと好きなんだ! ママもゆーちゃんのこと大好きだよ!」

「にゃあ!」

 しばらくの間、ゆずと戯れていると、服に結構な量の糸くずがついていることに気づいた。

 そういえばゆずの着ている服、いっぱい動くからか、擦り切れて解(ほつ)れてるなあ。

 糸くずを取りながら、私は少し考える。

 そうだ、今日はゆずと着せ替えっこして遊ぼう!

 ゆずも女の子だし、いつもお魚のTシャツとハーフパンツじゃ嫌だもんね!

「よっこいしょ」

 私はゆずを持って、二階の階段を上がった。


 二階の収納部屋、久しぶりに開けるけど、大学のときから年に数回開けるか開けないかだったから少し埃っぽい。部屋に入るなり、ゆずもくしゃみしてるし。

 そもそも、このスペースはあの人にも内緒だからね。私がゆずを立たせると、こちらを見て何事かという顔をしている。

「いらっしゃいませ、お客様。今日はどういった服をお探しですか?」

 大学時代、アパレルで働いていたこともあり、服飾関係にはそれなりの知識がある。卒業直前に研究の辛さからコスチューム制作趣味に目覚め、旦那に内緒でコスプレ衣装の受注生産を行うまでになった。そう、このクローゼットに隙間なく詰まったすべてが、私の集大成だ。

「可愛らしいお客様には、こちらがお似合いだと思いますぅ♪」

 私は、ハンガーに掛けられた衣装の中から一つ選んで、全身鏡の前でゆずに服を当ててサイズ感を確かめる。

「うん、似合う!よし、ゆーちゃん。まずはゴスロリでいこうか!」

「にゃあ?」

 抵抗されるかと思ったが、意外にもゆずはすんなり私に衣装を着せられてくれた。

「ここをこうして、袖を通して、と。うわー、似合う! ゆーちゃん可愛いね!」

 いかがでしょうか、お客様。いやー、奥さん、攻めますね。いえいえ、おほほ、なんのなんの。うわー、脳内会話が止まらない!

「続いてスク水はいかがでしょうか! うん、これも似合う。元気な小学生だ、犯罪臭がする!」

 ゆずの育ちきっていない肉体は、吸い付くように私の選んだ服にフィットした。私は嬉しくなって、次から次へと衣装をとっかえひっかえした。

「これはどうだ、天使さん!」

 天使の輪っかと白いローブ、おまけにちょこんと羽が生えている。あどけない顔がたまらない。

「チアコス!」

 両手にポンポンを持って、ハツラツとしたゆずにはぴったりだ。彼女に応援されれば、誰だって明日も一日頑張れそう。

「看護師!」

 清潔なナース服に白いタイツを履かせるとは、私のセンスは最強なんじゃないかと思った。

「うん、やっぱりゆーちゃんには真っ白なドレスが似合うわ~」

 最後に選んだ服は、ウエディングドレスだった。この娘、誰に嫁ぐんだろう、いやいや、あげませんからネ! うふふ、着せ替えって楽しい♪


「ただいま!」

 一階から聞こえる元気な声に、私の身体は硬直する。

「うおっとと、菜々ちゃんが帰ってきた! おかえり!」

 昼前に始めたのに、気づいたら夕飯の時間になっている。やばい。

 急いで片付けて夕飯の準備しなきゃ!

 二階から一階のリビングに降りると、菜々ちゃんが満面の笑みで立っていた。

「どうしたの?」

 菜々ちゃんは中々家の中に上がることなく、手を後ろにやって何だかもじもじしている。そして、少しためらった後、意を決したように力いっぱい叫んだ。

「れいにゃん! いつもありがとう!」

 菜々ちゃんは、後ろに隠していたものを私に差し出した。腕には色とりどりのお花が入った、大きな花束が抱えられていた。

「これ、私からの感謝のプレゼント」

 え。え?

 言葉が出ない。しばらく、お花と菜々ちゃんの顔を何度か見直した。

「え、何で」

「えへへ、驚いた?」

 驚いた。だって、菜々ちゃんそんな素振(そぶ)りまったくなかったじゃない。

 私は何度も頷く。それを見て、菜々ちゃんは満足そうだ。

「えへへ、頑張って良かった!」

 私は菜々ちゃんの様子を見て、最近彼女の様子がおかしかったことが腑に落ちた気がした。

「じゃあ、最近帰りが遅くなったりしていたのは」 

 私は、震える声でそう聞いた。

「ごめん、れいにゃんを驚かせたくて、内緒でバイトしてた」

 何も言えなくなった。涙が出そうになったけど、ぐっとこらえて笑顔を作って菜々ちゃんの目を見る。

「ありがとう、とっても嬉しい!」

 何年ぶりだろう。人に、花束なんてもらったの。というか、感謝されたことなんて、大人になってから何回あったっけ?

「あと、これ家賃! 結局、温泉のお金とか全部出してもらってたから足りないかもだけど」

「もう、そんなの気にしなくていいのにー!」

 何度かバイト代の入ったポチ袋を返したけど、それでももらって欲しいと菜々ちゃんが言うから、ありがたくいただくことにした。

 そんな私たちを見て、ゆずが音を立てて二階から降りてくる。

「あれ、ゆず何その格好、可愛い! お姫様みたい。れいにゃん、こんなのどこにあったの? 買ったの?」

 菜々ちゃんがゆずを持ち上げる。ゆずは菜々ちゃんに「おかえりー」と言っているような気がした。

「いやいや、あはは」

 菜々ちゃんは、ゆずを抱っこして頬ずりしている。ゆずはまんざらでもなさそうな顔で喉を鳴らしている。

 何だ。彼氏ができて出ていっちゃうなんて一人で考えて、馬鹿みたい。

 菜々ちゃん、私のために頑張ってくれてたんじゃない。

「感謝したいのはこっちなのに……」

「れいにゃん?」

 あ、つい独り言を。

「ん、いや、何でもない」

 何でだろう。何だか涙が出てきちゃった。

「そういえば、今日のメニューは? バイト忙しくてさ、お腹空いちゃった!」

 そうだった! 菜々ちゃんお腹すかせてるだろうし、早く作らなきゃ! 冷蔵庫に何かあったかなあ? 今からスーパーに買い出し?

「あ、ごめん、作ってない! 食材、買いに行かなきゃなんないかも!」

 私がそう言うと、ちょうどよかったと、菜々ちゃんが笑った。

「じゃあ、私におごらせて! バイト帰りに良さそうな店、見つけたんだ!」

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