竜宮の宴

さま……ウラシマ様……」

ウラシマはかすかに聞こえる声に目を覚ました。目を開けてみると、ナギが先程と同じ格好で立っていた。

「お休みのところ申し訳ございません。宴の準備が整いましたのでお呼びに上がりました」

ナギが細く、美しい声色で言った。

 ウラシマはゆっくりとした動作で寝床から泳ぎ出た。

「俺はどのくらい眠っていたのだ?」

と問いかけると、

「ウラシマ様は一晩お眠りになられておりました」

と応えた。

「一晩…!そんなにも眠っていたのか」

ウラシマにはまるで一瞬のように感じられたが、非常に快い目覚めだった。これほどよく眠ったのは数ヶ月ぶりだったかもしれない。


「ウラシマ様、こちらへ」

ナギに促され、ウラシマは部屋を出て廊下を泳ぎだした。ナギは、なめらかにくうを切るように泳いでゆく。ナギの羽衣が揺らめいたあとにうすく白泡ができては消えていく。ウラシマはそれを眺めながら進んでいった。

 すると、はじめにウラシマが竜宮に入ってきたときの入り口にたどり着いた。そこから、上ではなく奥の方の廊下へといざなわれた。そこから5分ほど泳いでいくと、ひときわ大きな両開きの扉に突き当たった。扉にはウミユリのレリーフが両の扉にあしらわれている。

「ここで宴を催しますゆえ、どうぞ中に」

ナギがそう言うと扉は勝手に開いた。


 中にはの魚が泳ぎ回っていた。ざっと挙げるだけでも、マグロサバカツオヒラメカレイ瘡魚カサゴタイ鮟鱇アンコウ河豚フグシイラその他ウラシマが見たことのないものなど含めればゆうに百をくだらない数が一つの空間に集まっていた。宴の間は50畳はあろうかという大空間であったが、あまりの魚の多さで手狭に感じられるほどであった。

 そして、ウラシマの居室にあったものと同じように空間の中央には1m四方ほどの立方体があり、その上に様々な料理が並んでいた。その中には、あの玉藻もあった。その手前に椅子のようにもう一つ直方体があった。ウラシマはナギに促されるままにその直方体の真中に座を占めた。


 そこから、前方に目を向けると四角い枠で囲まれた舞台が見えた。ナギはその枠の側へ泳いでゆき、魚たちに向かい声をかけた。

「ウラシマ様のお鳴りでございます。宴を始めましょうぞ」

すると、泳いでいた魚のうちの何匹かが例のに包まれ、姿が見えなくなった。そしてゆらめきが収まるとそこにはナギと同じような女が現れているのであった。座は急に色めきを得てにぎやかな雰囲気になった。


 女達は舞台の上へ泳いでゆき一列に並んだ。すると、四方から妙なる音楽が流れ出し、それに従って舞を始めた。ナギはいつのまにかウラシマの隣に戻ってきており、ウラシマの右隣に座を占めた。また、左隣にも一人の女が座り、シケと名乗った。シケはナギと同様な格好をしていたが、ナギが赤と白の装束をしているのに対し、青と白の装束をしていた。顔もナギ同様美しかったが、シケのほうが切れ長な目をしており、凛とした印象を与えた。

「「さぁ、ウラシマ様、ご存分にお楽しみくださいませ」」

ナギとシケが声を揃えて言った。


ウラシマは舞台上の舞を眺めつつ、ナギやシケが注いでくれる酒を飲み、豪勢な料理の数々に舌鼓を打った。

「なんと、なのだろう。まさかこれほど幸福なことがあろうとは」

そして、その幸福さにより、逆に現実世界での辛かった日々が思い起こされてきた。

「思えば、一体あのような状況でよくぞ耐え抜いてきたものだ」

ウラシマはひとりごち、かつての状況に思いを馳せた。


 ウラシマは一つの小さな漁村の出身だ。生まれたときから、各地で戦国大名による戦乱が巻き起こっていることは聞き及んでいたが、実際に自ら経験することになったのは、1575年の秋頃だった。ウラシマの漁村は戦乱を巻き起こす大名同士の境にあり、それに父とともに駆り出された。そして、父は二度と戻らなかった。

 ウラシマは漁民として毎日漁に出ていたが、釣果はうまく上がらなかった。陸の戦乱に呼応するかのように魚たちまでもが近海から逃げ出してしまったように感じられた。それ以降、彼は母とともに飢えを耐えしのぐ日々を送っていたのだった。

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