玉藻の御膳

 亀に続いて、先に通った垂直の(もはや上下と左右は区別がつかなかったが)廊下を更に上へ泳いでいくと、一つの扉の前で亀は停止した。

「妙だな、竜宮に来てから、およそ疲れを感じていない」

「竜宮ではなりたいものになるのです。わざわざ疲れたいと願うものはおりません」

「またそれか。全く都合の良いことだ」

「さあ、こちらでございます」

と言うが早く、扉が開き、ウラシマは部屋に促された。そこは、茶室のように小ぢんまりとした間取りで、三人分の膳が据えてある。二つは自分と亀の分として、もう一つは誰のものなのだろうか。

「さあ、どうぞ上座をお占めください」

亀に促され、奥の座に就くと、脇のふすまが開き、ひとりの女が入ってきた。朱と白で分けられた装束が巫女を思わせる。しかし、ウラシマが見慣れた着物とは随分と形が異なる。動きやすく絞られた袖や腰回り、腰から下は傘のように大きく広がっている。その格好は、かつて彼の村に流れ着いた南蛮の者どもの装束を思わせた。しかし、身体全体に薄くかかっている半透明の羽衣がこの世ならざる感じを与えている。その顔を見る時、ウラシマは先の謁見のことを思い出し、思わず身を硬直させた。しかし、今度の顔はオトヒメとは全く異なっていた。はっきり「美しく」見えた。

「あなたが、ウラシマ様でございますね。私はナギと申します。貴方様のお相手を言い使っております」

ウラシマは、竜宮へ来てから初めて人間にあったような気がして、少し落ち着いた心地になった。

「おっしゃるとおり、俺がウラシマだ。しかし、あなたのように美しい人を見たのは初めてだ」

ナギは微笑して、

「ありがとうございます。まずは、こちらをお召し上がりくださいませ」

といって膳を勧めた。ウラシマはナギのことが気にかかったが、腹も空いていたので素直に従うことにした。膳は、どれも真っ白な皿や小鉢に盛り付けられていた。一番大きな皿には、魚の姿焼きがあり、小鉢には海藻らしきものが入っている。また、不思議なことに汁物もあった。ただ、飯があるべき椀には、見たことのない食材が入っている。見た目は餅か団子のようにすべすべとして丸みを帯びている。色味も薄く黄色みがかった白色で不味そうには見えない。

「さあ、遠慮なさらずにどうぞ。現し世の方の口にも十分合うと存じます」

亀にも促されてウラシマは素直に食べてみることに決めたが、やはり何が使われているのかは気にかかった。

「もちろんいただこう。ただ、どれも物珍しいものばかりで、気になってしょうがない。どんなものなのか教えてもらえるか」

と問うと、亀ではなくナギが代わって答えた。この魚は何某の浜でとれたものだの、海藻はどこそこの海底に生えているだのといった説明をしていたが、ウラシマは椀に入った見慣れぬモノの説明をじっと待っていた。

「これやこの 名に負う鳴門の渦潮に 玉藻刈るとふ あまおとめども」

ナギは突然、和歌のようなものを口ずさんだ。澄んだ歌声にウラシマはうっとりとしたが、意味はわからなかった。ウラシマがきょとんとしていると、

「これは玉藻と申します」

とナギは、ウラシマがずっと気にかかっていた白いモノを指して言った。

「タマモ?はて、聞いたことがない。都の食い物なのか?」

と問い直すと、

「いいえ、これは現世にはございません。この竜宮でのみ作られるもの。竜宮でのみ食されるものです」

と答えた。

ナギは一通りの説明を終えたと見えたので、ウラシマは箸をとることに決めた。やはり気にかかっていたタマモをつかもうとすると、挟み込んだところに沿ってなめらかに切り離された。随分柔らかいものだなと思い、一欠片を幾分慎重にすくい取って口へ運んだ。味はほの甘く、柔らかな食感をしている。が、特段体に変わったところもない。ウラシマは安心して、料理を食べ進めた。いずれも味が素晴らしく、ウラシマは貴族の食事をしているような心地がした。半ば夢中で頬張っているうちにすっかり平らげてしまった。満足して一息つくと、ナギと亀がいたことを思い出した。見ると、いつの間にか二人も食べ終えている。ウラシマは二人のことをまるで忘れて食事に夢中になっていたことが浅ましくはなかったかと思い、

「こんなに美味いものは初めてだったもので、つい夢中になってしまった。恥ずかしいところを見せてしまい、申し訳ない」

と謝した。しかし、

「いえ、ウラシマ様は私共の大切なお客様。如何程も気になさることはございません」

とナギに返された。ウラシマはむしろ、いらぬ気遣いをするなとたしなめられたような気がしたが、ナギは社交辞令じみたところのない、あまりにも自然な物腰であったので、不安感に至る前に腑に落ちてしまった。

改めて食後の満足感に浸っていると、

「ウラシマ様、はるばる現世よりおいでなすったのですから、さぞお疲れのことでしょう。ウラシマ様の居室をご用意しておりますから、ご案内いたします」

とナギが切り出した。

特に断る理由もないと感じ、

「では、お願いする」

と返した。

 ナギとともに部屋を出ると、ナギが

「こちらでございます」

と一言言って泳ぎだした。ウラシマもそれに続こうとしたが、ふと気がつくと亀がいない。

「亀が見当たらないが、どこへ行ったんだ?」

と独り言とも、ナギへの問いかけともつかない言葉を発すると、

「彼は、他の仕事がありますゆえ、一旦離れました」

とナギが応えて言った。

あれほど丁寧な応対をしていた亀がなんの挨拶もなしに場を離れたことに少しの違和を感じたが、それよりも亀がいないことに対する不安が勝った。現世を離れてから、ずっと行動をともにしてきた亀は、リュウグウで最も信頼が置けるとともに、地上とのつながりの象徴のように感じられる存在であった。しかし、子供じみた我儘のように思われるのも厭だったので、ウラシマは

「そうか。あれで結構忙しいのだな」

とつぶやくのみにとどめた。

ナギは再び泳ぎ始めたので、ウラシマもそれに続いて泳ぎだした。

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