竜宮の門

 初めこそぼんやりとした光に包まれていた海も、あっという間に闇が取って代わった。ウラシマは非常な恐怖に襲われたが、不思議と息は苦しくなく、水の冷たさも感じない。どのくらい時が経ったか判然としないが、亀の甲と柔らかな水の感触とを確かめているうちに、明るみを帯びた一帯が見えてきた。近づいてゆくと、街のようにいくつかの建物が密集しているのが分かった。その中にひときわ大きく荘厳な佇まいの屋敷が見える。あれこそ竜宮かと思案していると、亀はその屋敷から少し離れた場所に降りてウラシマに告げた。

「あれが竜宮でございます。乙姫様は幸いお目覚めとのことですから、お目通り頂きますようお願いいたします」

一体いつの間に来訪を告げたのかとウラシマは訝ったが、きっと霊力のなせる仕業に相違ないと考えて納得した。

「全く不思議なこともあるものだ。しかし、俺は現し世でもかように高貴な屋敷は見たこともないし、ましてそこに住まう方にどのように挨拶したものかまるで分からぬ。会えと言われるなら会うが、どう振る舞ったものかな」

亀は微笑をたたえて(ウラシマは亀の口のがすこし歪んだのをそう解釈した)答えた。

「そのようなことは気になさらずとも構いません。常世には貴賤の差など本来ないのです。たとい現し世で最も下賤な行為を働いたものでも、最も高貴な身分であっても一緒です。ただ、いうなれば名残というか、暇潰しのように身分を与えて振る舞っているに過ぎません。ここで過ごすうちに自ずと、なりたいと思し召すところの振る舞いをするようになるのです。ウラシマ殿は私めをお助けになったという一つの美点を持って十分に歓迎されるでしょう。そのことをはっきりと仰っしゃればそれで構いません」

竜宮の門が近づくに連れ、ウラシマは、初め亀を打ち殺そうとしていたことを思い出し、段々と心配な心持ちになった。もし、乙姫とやらがこちらの心中や過去の行いを見通す力を持っていれば、自分は慈悲深い善良な漁師から、常世の住民を食おうとした罪人に転落してしまうかもしれない。いや、この亀も本当のところをとっくに知っていて、自分を処罰せんがために常世へつれてきたのかもしれぬ。あそこは竜宮などではなく、待っているのは閻魔えんまかもしれない。今更になり、ウラシマは軽率に竜宮まで来てしまった自らの行いを悔いた。

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