25ー3 賢者の言葉

 ライラヴィラは控室から出た。リリスの姿で大勢の人界人たちの前に出たことはない。何を言われるか分からないが、これはおきなの望みだとすべてを受け入れる覚悟をした。集会所の大広間に足を踏み入れると、賢者が選びしえにしある者たちで埋め尽くされている。

 彼女のリリスの姿を見た参列者たちからは「魔族だ」「まさか魔界の大魔王が」「あの異形はリリスか?」などと、口々に戸惑う声が漏れ聞こえてきた。

 ライラヴィラは人々の声には反応せず、アイリーンとモニカに付き添われて箱を抱えたまま壇上に上がった。モニカが場をいさめる大きな咳払いをすると、ざわめきが収まり、静粛が広がる。

 彼女は用意されていた台に箱を置き、集まった皆の方へ向いた。


「本日はわたくしの育ての親である、原点の賢者フォルゲルのお別れの儀式に御参列いただき、ありがとうございます」


 ライラヴィラは皆に向かって丁寧に礼をした。


「この姿で皆さんの前に上がるのは、翁の遺志ですので、どうかお許しください」


 ライラヴィラは置いた箱を開き、上から一通目の封書を取り出した。


「遺言により、わたくし、深淵の守護者リリスから皆さんへ、賢者からの伝言を代読いたします。お名前を呼ばれましたら前にお越し下さい。読み終えたらお渡しいたします」


 ライラヴィラはそばに控えていたアイリーンからペーパーナイフを借りた。

 表面に書かれた名を読み上げた。

 

「勇者、ディルク」

 

 ライラヴィラが呼ぶと、彼が前に進んだ。

 ペーパーナイフで封を切り、丁寧に中を開く。

 見慣れた翁の直筆で綴られている。

 

「光と闇を紡ぎし者より、賢者の宣言をする。今この時より、そなたは『光の原点の賢者』を継ぎ、その名を名乗るように。皆よ、ここに新たなる賢者の誕生を宣言する。かつての大魔王マスティロックを討伐せし勇者は伝説となる。彼の元で皆、これまで同様に励んでほしい。賢者たる証人はこれを読む、深淵の守護者リリスとする」

 

 ライラヴィラは読み上げた後、封書をディルクに渡した。その場からどよめきが立ったが、ディルクは彼女に深く礼をしたあと口をゆっくり開いた。


「謹んで、お受けします。深淵の守護者リリスよ」


 そしてディルクはライラヴィラの隣に立ち、封書の入った箱を台から持ち上げて抱えた。

 ライラヴィラは彼の落ち着いた様子に、武器を置いたと彼の口から聞いた時から賢者を継ぐための修行が始まっていたのだと、今更ながら知ることになった。

 ディルクは箱の中から封書を一通、ライラヴィラに手渡した。

 その表面の名を彼女が読め上げる。

 

「勇者、シリウス」

 

 いつもは不真面目な態度の彼も今日だけは違った。呼ばれると颯爽さっそうと歩き、ライラヴィラの前に立った。

 

「そなたの選択は、戦いも、愛も、全てが光の元にあった。これからもその光に誇りを持ち、思うがままに進むがいい。誰がなんと言おうとも、そなたが違うと言っても、そなたは真の勇者である。証人はこれを読む、深淵の守護者リリスとする」

 

 ライラヴィラが封書を手渡すと、シリウスは小声で呟いた。


じいさんにしてやられたな、俺も、あんたも」


 ライラはそれを聞いて思わず笑みがこぼれる。シリウスはありがとうと礼を言って列席者の中へ戻った。

 

「勇者、アンジェラ」

 

 ライラヴィラは彼女とはあまり交流がなかったが、レグルスからは彼女の気さくな人柄は聞いていた。

 喪服に身を包んだ彼女の瞳には、すでに泣きはらした跡があった。

 

「そなたと初めて会ったとき、真実を貫く力のある魔導師ソーサラーたると確信した。勇者となりし後もそなたの瞳は曇ることなく、わしと同じライトエルフとしても力になってくれた。そなたは自由であれ。それこそがそなたの光となる。その眼差し曇りし時は、これを読むであろう、ダークエルフだったリリスを頼れば良い」

 

 ライラヴィラが封書を手渡すとアンジェラが気持ちを伝えてきた。


「そっか、あんたも希少種エルフゆえのしんどさを知ってるんだね」

「わたしは爺さまと同じライトエルフが良かったと、何度も泣いては困らせました。今は魔族だけど」

「今度、あんたとみたいな」

「ええ、是非」


 ライラヴィラはアンジェラが着席したのを見届けてから、次を読み上げる。

 

「勇者、ジェイド」

 

 普段は柔らかい笑顔の乳兄妹も、今日は眉を上げて口を結び、ライラヴィラの前に立った。

 

「様々な困難に打ち勝ち、強き光の勇者となりしそなたは、その優しき心をもって人々の支えとなってくれ。そして新たな賢者となるディルクを支えてやってほしい。アイリーンとの結婚を心より祝福する。式に参列できぬことを許してくれ。夫婦で力を合わせて未来の若者たちを育んでほしい。二人の結婚の証人はこれを読む深淵の守護者リリスと、リリスの真紅の絆である魔王レグルスとする」

 

 ジェイドに封書を渡すと、彼も一言だけ伝えてきた。


「式の時は仲人役、頼むよ」

「もちろん」

 

 ライラヴィラは次々と封書を読み上げ、渡していった。

 

「勇者、ケヴィン。

 よくぞここまで信念を曲げることなく耐え抜いた。世界は新たな局面を迎えるが、そなたがこれからの世界の守りを担う一人となるであることを期待する。オスカーとの友情を大切にせよ。人とのつながりがそなたを助けることになろう。勇者たる光の強さはこれを読む深淵の守護者リリスが証人である」

  

「勇者、オスカー。

 そなたがどれほどの悲しみを超えてきたかは想像に難く無い。苦難を光の力と変えし心の強さは、これからの世界に必要になるであろう。悲しみを知るからこそ優しさも秘めていること、隠すでないぞ。村の者たちと交流してくれるとわしは嬉しい。勇者たる光の強さはこれを読む深淵の守護者リリスが証人である」

 

治癒師ヒーラー、ジョルジュ。

 村人たちの命をこれまで支えてきてくれたこと、数多くの治癒師ヒーラーの育成にあたってくれたことに感謝の意を表する。これまで儂は難儀な注文をつけすぎたが、もうそなたは村に縛られることもない。自らの意思で村に残るならば、心は縛るでないぞ。新たな研究をするならば、これを読むリリスを頼ればいい」

 

「鍛冶師、マナリカ。

 そなたに此処ここいて武器鍛治のマスターの称号を与える。伝説の武器である魔剣レーヴァテイン、これを読むであろうリリスの大鎌アダマス・フォンセをはじめ、数多くの業物に関わりし技量はマスターとして相応ふさわしい。今後は後進の育成にも励んでくれると儂は嬉しいが、自らの意思も大切にするように」

 

 マナリカ宛の封書には鍛冶師ギルドからのマスター承認書も入っていたので、それも手渡した。


「まさか爺さん、ここまでしてくれてたなんてさっ」


 彼女も涙があふれて止まらない。泣きながら参列者の席へ戻っていく。

 そしてライラヴィラの一番の親友の番になった。

 

治癒師ヒーラー、アイリーン」

 

 さっき会ったときは落ち着いていた彼女も、既に瞳に涙をめていた。猫耳を立てて、ひとことも聞き逃すまいと真剣な顔を向けてくる。

 

「そなたは多属性魔力が欲しいといつも嘆いていたが、水魔力を究極まで極めし今日ここに、光魔力が秘められていることを、リリスの手によって証明されることになる」

 

 ライラヴィラが読み上げた途端、精霊の儀式魔法が書面から発動した。

 まばゆい魔法陣がアイリーンを取り囲み、光の螺旋が彼女に染み込んでいった。

 それを見た一同は驚きの声を上げたが、ライラヴィラは黙ったまま術式が収まったのを見届ける。再び書面を手にして、続きを読み上げた。

 

「これを以てそなたを最上級治癒師マスターヒーラーとし、独立することを承認する。夢を諦めるな。歌もそなたと共にある。ジェイドと共に未来の若者たちを導いてくれ。これを読むリリスとの友情に儂からも感謝する」

 

 ライラヴィラは封書を閉じてアイリーンに渡した。


「ねえ、わたしにも本当に光魔力があるの?」


 彼女が涙を流しながら小声で聞いてきたので、ライラヴィラは親友の手を取った。


「今ここに、リーンの魂が呼んだ光だよ」


 そしてライラヴィラが手を離すと、光の粒が手のひらから無数に弾けて溶けていった。ライラヴィラはアイリーンに常に感じていた暖かさこそが光魔力だったのだと確信した。

 

 ライラヴィラはそれからも封書を読み上げ続けた。

 

 治癒師ヒーラーノルベルトに、自信を持てと。

 魔術師ソーサラーイルマには、村の者をもっと頼ってもいいと。

 聖騎士テオには、人のためだけではなく自分のためにも動くように。

 剣士のフェリシア姫には、人から想われている気持ちを無下むげにするなと書かれていて、人々の上に立つ王族故に厳しい言葉を彼女には残したのかなと感じた。

 

「トラヴィスタ王国王太子、ニコラス」

 

 普段見ることのない黒いスーツ姿で彼もライラヴィラの前に立った。

 

「これを読むリリスと共に、二つの世界の和平と交流を進めてくれることを願う。光の力を継ぎし王家の子よ、おごる事なかれ。光が善ではない。善良たる心が光を行使するときにこそ、光は始まりの希望となるのを忘れるでない。闇が悪ではないことは、これを読む深淵の守護者リリスがすでに証明した。心せよ、光を継ぐものよ。光と闇の循環の中で、我々は生きるのだ」

 

 ニコラスは封書を受け取るとライラヴィラに深く礼をした。

 それは闇の守護者リリスへの敬意の表明であった。

 

 その後も王族や国家元首、都市の首長、マスターたち、といった重鎮への遺言状がライラヴィラによって読み上げられていった。

 続いて修行者ではない一般の村人たちにも賢者からの遺言状が読まれ、渡されていった。

 

「修行宿の支配人、モニカ」

 

 ジェイドの母である彼女にも、翁から遺言状が残されていた。

 

「勇者の母であり、大魔王の乳母でもあるそなたは、多くの者の心のり所であった。簡単なようで困難な役割を全うしてくれたことに心から礼を言う。世話になった。これからも皆の心の太陽として元気でいてくれることを願う。もしもそなたの孫が生まれたら、儂の墓にも見せに来てくれ」

 

 モニカに封書を渡すと、彼女は小声で笑ってつぶやいた。


「爺さん、あたしの孫を見たいだなんてねぇ、どうするよライラ」

「わ、わたしは当分ないし、ジェイドでしょ……」

「これね、平和になって、あんたが悲しい思いをすることなく子どもを安心して産めるようにって願掛けだよ。もちろんジェイドとリーンのこともだろうけどね」


 モニカが着席すると、残りは二通だとディルクから告げられた。

 ライラヴィラはそのうちの一通を読み上げた。

 

「ソレイルヴァ連合国魔王、レグルス」

 

 翁はまさかの彼にも遺言状を残していた。

 魔王の名に人々からどよめきが広がる。

 レグルスがライラヴィラの前に立ち、一礼をした。

 ライラヴィラはその文面を目で追ったが、翁の強い思いに打たれて、しばらく皆の前で読めなかった。

 場は静まりかえったままで緊張が高まったが、意を決して読み始めた。

 

「そなたは目の前のリリスと共に、千年とも万年とも言われる時を生きる覚悟はあるか。それを今ここで誓え。さすれば光と闇の螺旋らせんがそなたを導くであろう。そなたも真の勇者の一人である。自らの内に秘めた想いのままに、そしてリリスと手を取りて未来を進め。精霊に真紅の絆を誓いしそなたに、儂が育てた子、ライラヴィラの今後を頼む」

 

 レグルスは彼女から遺言状を渡されると、そっと懐にしまった。

 そして列席者の方へと振り向いて口を開く。


「この遺言の通り、俺はリリスであるライラヴィラとの真紅の絆を誓った。賢者との約束は生涯をかけて果たそう」


 彼は左手を胸に当て、そこにはめられた絆の指輪を見せた。

 ライラヴィラの瞳からは雫がこぼれる。

 人界の重鎮や勇者が揃うこの場で、彼は迷いなく宣言したのだから。

 そして彼はその場を離れて列席者の脇へと控えた。

 

 いよいよ箱の底に残った最後の一通が開封された。

 それは最後にふさわしい人物に宛てた遺言だった。

 

「深淵の魔女、ゲルナータ」

 

 彼女がムスタの家で号泣していたことをライラヴィラは思い返した。翁と彼女は大賢者ハニンカムの元で修行した同志なのだ。

 小さな魔女がゆっくりとライラヴィラの前に立った。

 

「どうか先立つことを許して欲しい。儂が時空魔法を完成させた時、そなたは自分が命の時を捧げると言ったが、そなたはまだ若き魔王たちの世話が残っておるだろう。すべてが終わってから、ゆっくりこっちに来ればいい。しぶとく生きる方がナータらしいぞ。どうかリリスとルシファを頼む。必ずルシファも目覚める。希望を持って進めよ」

 

 ライラヴィラは読み終えると小さな魔女に封書を差し出した。

 彼女はそれを手にすると、そっとライラヴィラに微笑みかける。


「大役、お疲れさん。ありがとうね」

 

 ライラは一瞬、ゲルナータの若い頃の姿が見えた気がした。

 もしかすると翁と魔女は単なる同志ではなく、互いを想う仲だったのかもしれないと感じた。

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