休みの日の朝、妹とホットケーキを作るだけ。

マイアズマ

休みの日の朝、妹とホットケーキを作るだけ。

「『あったか ふわふわ ほっとけーき できあがり!』――……あれ」


 ふと絵本から隣で一緒にベッドで横になっている妹へと視線を移すと、妹の目はぴたりと閉じられていた。


さくら、まだ起きてる……?」


 もし寝ていたらと思い、念のため起こさないようささやくような声で確認してみた。けれど妹から返事はない。ぐっすりと寝ついているようだった。

 もうすっかり読み慣れてしまった絵本を閉じて、サイドテーブルにそっと置く。そうして妹のさらさらした黒い髪を丁寧に撫でた。


「……よしよし。桜、おやすみなさい」


 そう、私は妹に向けて語りかけるように独り言ちる。

 幸い桜は目を覚ますことなく、すやすやと眠り続けていた。


 この家に妹の桜がやって来たのは、ちょうど一年前のことだった。

 というのも、桜と私は血がつながっていない。義理の姉妹というやつで、桜は、新しい母の連れ子としてこの家にやって来た。高校生になったばかりの日だった。

 初めて新しい家族同士で顔を合わせた日のことは、今でも覚えている。今の今まで一人っ子で、きょうだいというものに憧れていた節があった私は、純粋に妹ができたことを喜んでいた。けれど桜のほうはといえば、それはもう不安でいっぱいというような顔をしていたのだ。

 今思えば、そりゃあそうだよなと納得がいく。桜はまだ小学生になったばかりで、何かと多感な時期だ。そんなときに母親が再婚して、急に父親と姉ができた――それもかなり年の離れた――だなんて、そりゃあ不安でいっぱいにもなるだろう。

 二人が姉妹になってすぐの頃は、それはもう大変だった。『お姉ちゃん』と呼んではくれるけど、目を合わせてくれないしほとんど喋ってくれないし、ひどく距離を感じたものだった。それが今となってはこうして一緒のベッドで寝るくらいにの仲だ。努力とは馬鹿にならない。

 ――そう、桜のことを知っていくうちに気づいたのだが、桜は心を許した相手にはとても甘えたがる。人見知り気味で知らない人はすごく苦手だけど、それでもまだまだ甘えたい盛りの年頃なのだろう。今こうして桜と私が一緒のベッドで寝ることにしているのも、実は桜のほうから言い出してきたのがきっかけだったりする。


 閑話休題。隣で眠りこける桜を他所に、私は一人悶々とする。

 というのも、


「お腹空いたな……」


 夜というのは、なかなかどうして小腹が空いてしまう。特に今日は桜を寝かしつけるために読んだ絵本のチョイスがいけなかった。

 くまの親子がホットケーキを焼くお話なのだが、その本の中に出てくるホットケーキが、まあ美味しそうで。

 特にホットケーキを丁寧に焼いている場面、あれはいけない。ついうっかりお腹を鳴らしてしまうところだった。桜に聞かれてしまえば最後、私は恥ずかしさで死ぬ自信がある。

 しかしこんな夜更けに誘惑に負けてしまえば最後、女の子として致命的な事態に発展することは想像に難くない。一回くらいなら平気? いや、その油断が積み重なって取り返しのつかない一大事を招くのだ。一度本気で失敗したことがある私が言うんだから間違いない。


(うん、寝よう。こういう時に起きてても、お腹が空いて仕方ないだけだし……)


 桜の隣で体を横にして、目を閉じる。意識が薄れゆく最中、私はそっと心に決めた。

 そうだ、明日の朝ごはんはパンケーキにしよう。



 ○


 そんなわけで翌日。学校は休みだけど、私はいつもより十分だけ早く起きて、それからすぐコンビニにホットケーキミックスを買いに行った。パジャマから着替えるのも面倒だったから、ロングコートを来て誤魔化しながら――あまりよくないことだけど。

 初めはぱぱっとホットケーキミックスだけ買って帰るつもりだったけれど、スイーツの棚につい惹かれてしまったり、新商品とかあるかななんて見て回ったりしてしまったせいで、結局長引いてしまった。反省。

 さて、コンビニから帰ってきて玄関のドアを開けると、もこもこのパジャマ姿で寝ぼけ眼を擦る桜と鉢合わせた。


「……んぅ? おねぇ、ちゃん……?」


 ちなみにではあるけれど、桜は、朝が弱い。


「桜、おはよう。大丈夫? 一人で洗面所まで行ける?」

「んん……」


 まだ半分夢の中のような状態でふらふらと廊下に出る桜を見送って、私はコートを脱ぎ、早々にキッチンへと向かう。

 卵と牛乳と、それから買ってきたホットケーキミックス。順番にボウルに入れて、泡立て器でかき混ぜる。

 そうして手早くフライパンを温めると、さっとバターを溶かす。


「……そういえばパンケーキを作るのなんて、何年ぶりだろ」


 なんとなく子どもっぽいイメージもあったし、何より作るより買ったほうが色々なトッピングが乗っていたりして美味しい。だから粉から作るのなんて、本当に久しぶりな気がする。幸い作り方は単純だから、そう手間取ることもなかったけれど。

 そんなこんなですっかりバターが溶けきったフライパンに、クリーム色の生地を半分流し入れる。すると、たちまち甘い匂いが鼻腔を刺激してきた。

 途端、ぐーっ、とお腹が鳴る音が聞こえてくる。うわあ、私だ。そりゃあこんな近くで甘い匂いを嗅いじゃったら、そりゃあお腹も空くって。誰にも聞かれてないのが幸いだけど。

 そうこうしているうちに、いい感じに膨らんできた。あとはひっくり返すタイミングで、フライ返しをパンケーキの下に通す。


「……ほっ!」


 勢いづけてフライパンを振って、パンケーキを半回転。ぺしゃりとほんのり水っぽい音がして、ちょっぴり焼きムラのあるきつね色がこんにちは。


「よし、完璧っと」


 まあちょっと焦げちゃった部分はあるけど、これはこれで逆にいいアクセントになっていると思う。我ながらなかなか上出来じゃないだろうか。少し得意げな気持ちのまま、もう片面も焼く。

 そうしてもうすぐ焼ける――となったところで。


「……おねえちゃん、おはよ……」


 後ろから声をかけられた。振り返ると、そこには顔を洗ってすっきり目覚めた――というにはまだ少し眠気が勝っていそうな桜の姿があった。

 こちらも合わせておはよう、と返す。それからすぐに桜は、


「おねえちゃん、なにしてるの?」


 と、首を傾げながらそう問うてきた。


「え? 見ての通り、朝ごはん作ってるけど」

「あさごはん?」

「絵本読んでたら、食べたくなっちゃって。パンケーキ焼いてる」

「ぱんけーき……?」

「待ってて、今焼けるから……ほい」


 ひっくり返して、パンケーキが焼けたことを確認したら、そのまま皿に移して桜の前に差し出す。

 きつね色の薄い円盤が目の前に現れると、途端に桜は目を輝かせた。


「ほっとけーき……!」


 目をきらきらさせて、桜は私の焼いたパンケーキを見つめる。


「あれ、でも、ぱんけーき……でも、ほっとけーき……?」

「あー、うん、ごめん。一緒だよ。ホットケーキ」


 そういえば、ホットケーキとパンケーキの違いってなんだろう。詳しくは知らない。なんとなくパンケーキのほうが薄いみたいなイメージはあるけど……。


「ま、いいか」


 そこで私は思考を打ち切る。細かいことは気にしすぎないのが人生を楽しむコツなのだ。多分。きっと。


「さて、桜。このホットケーキ、テーブルに運んでくれる?」

「うん……えっと、おねえちゃんと、はんぶんこ……?」

「あー、いやいや。もう一枚焼くからちょっと待っててね」


 桜にパンケーキを渡して、テーブルに向かうのを見送ってから、私は先ほどと同じようにバターを落とす。じゅわりという音とともに香ばしい匂いが立ち込めてきて、私は素早くもう半分の生地を流し込んだ。

 再び漂う甘い香り。ああもう、お腹空いたーっ。


「『ぷつぷつ ふつふつ やけたかな』」


 絵本の一節をそらんじながら、焼き上げる。……あの絵本、魔性だなあ。あんなに美味しそうなホットケーキを見せられちゃえば、食べたくならないわけがない。


「『まあだ』……じゃないね。焼けてるね」


 少しだけ違う展開になってしまったけど、気にせずひっくり返す。


「『くるくる ぺったん』」

「『しうしう ふくふく』」

「「『ほかほか ふわふわ やけたかな』」」


 テーブルから戻って来た桜も一緒になって、二人で合唱。しっかり裏面が焼き固まったのを見計らって、もう一枚のお皿に移す。


「「『あったか ふわふわ ほっとけーき できあがり!』」」


 最後の一文を桜と一緒に口にしたところで、同時に顔を合わせて笑った。

 出来上がった二枚目のパンケーキは自分で持っていって、桜と一緒に食卓を囲む。それから両方のパンケーキにバターと、コンビニで合わせて買っていたシロップをさっと掛ける。自分のは少し多め。

 そして二人一緒にいただきますと言ってフォークを手に取ると、桜はすぐにパンケーキにナイフを入れた。

 口に運ぶと、途端に桜は表情を明るくさせる。


「おねえちゃん、おいしい……!」

「そっか。よかった」

「おねえちゃん、くまのおかあさんみたい」

「ほんと? 嬉しいなあ」


 絵本の中の、優しいくまのおかあさんに例えられて、ついつい顔が綻んでしまう。すると廊下のほうに人影がぬっと出てきたかと思うと、


「うぁ~……おはよ、桜、翡翠ひすいちゃん。何かいい匂いするねえ」


 私の、新しいお母さん――桃子さんが、半分寝ているような様子で、私たちのいるダイニングを覗き込んでいた。


「おはよう、桃子さん。……お父さんは?」

「んー? ああ、まだ寝てるよ。起こさないでやってね、昨日も夜遅かったらしいし」

「まま、ままっ。おねえちゃんが、ホットケーキつくってくれたの」


 桜は桃子さんを見てぱあっと笑顔を浮かべると、手に持っていたパンケーキを見せびらかすように掲げた。桜はあんまり感情を表に出さない子だけど、今日に限ってはどうもテンションが上がっているらしい。……うーむ。実に可愛い光景である。

 桃子さんはといえば、無意識にだろうか、パンケーキに鼻を近づけてすんすんと匂いを嗅いでいた。目はとろんとしていて――なんというか、親子だなあ。寝ぼけっぷりというか、朝に弱い所が。


「んー、ん~。美味しそうだねえ。桜、お姉ちゃんにお礼は?」

「あ……いってない……。えと、ありがと、おねえちゃん……」

「いやいや、私が食べたかっただけだし。でも、どういたしまして」


 桜の言葉に応えて、私は笑いかける。


「ところでこれは、あたしの分はあるのかな?」

「……あ」


 つと桃子さんが言ったその言葉に、桜の顔がみるみるうちに残念そうになる。焼いたのは、私と桜の分の二枚だけ。ママに食べさせるんだったら、自分の分をあげないといけない……。

 多分、そう思ってるんだろう。桃子さんも何かを察したのか、答えを聞かずふらりとキッチンに向かう。


「ないなら、いーや。パンでも焼こっと」


 途端に桜は、助けを求めるように私を見上げる。けれど私は大丈夫だよというふうに微笑みを返した。


「粉なら確かまだ一袋余ってますから、もう一枚焼きますよ。桜、手伝ってくれる?」

「あ……うん、うんっ。いっしょにホットケーキ、つくるっ」


 言うが早いか、桜はお皿の上にナイフとフォークを置いて、一足先にキッチンに駆けだしていった。私もゆっくりとその後を追って、二人でキッチンに並んだ。

 途中、すれ違った桃子さんがぽそりと、


「んん。うんうん。二人とも仲良しになってくれて、よかったよかった~」


 なんて呟いていたのを、私はこっそり自分の胸の中にしまった。




「おねえちゃん、ぜんぶまざった……」

「ありがと、桜。ここからは火を使って危ないから、私がやるね」

「……おねえちゃんのこと、なにかおてつだいできない?」

「んー、そうだなー。桜が応援してくれたら、お姉ちゃん頑張れそうだなー」

「えと、えっと……じゃあ、くまちゃんみたいにうたう……」

「そっか、それじゃあ一緒に」


 ぷつぷつ ふつふつ

 やけたかな まあだだよ


 ふつふつ ふくふく

 やけたかな もういいよ


 くるくる ぺったん

 しうしう ふくふく

 ほかほか ふわふわ やけたかな


「桜、お皿持っててね。落とさないように気をつけて」

「うんっ」

「はい、いっちょあがりっと」


「「『あったか ふわふわ ほっとけーき できあがり!』」」

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