3-10 拗らせオタクVSコスメショップ

「ふー、歌った歌った……」


 時間いっぱいまで全力で歌ったものだから、園部さんの可愛らしい声は少し枯れている。僕があまり歌うタイプでもないので、二時間ほとんど彼女が歌いっぱなしだった。一人アニサマと言わんばかりに、小さなハコの中でテンションのアガるアニソンばかりを歌い盛り上がっていた。


 若い男女がカラオケという密室に二人っきりなのに、いやらしい空気には一切ならなかった。僕も園部さんも、ディスっていた出会い厨の一員になるつもりはなかったのだ。


「カラオケが嫌いなら、先に言ってくれたらよかったのに。一曲しか歌っていないのに払わせるのは悪いよ」


 カラオケは嫌いではない。みんなが歌っているのを聞くのは好きだ。でも、自分がマイクを持つのが苦手なのだ。飛び抜けた音痴でならば笑いに昇華できるが、中途半端に下手だから面白くもない。母さんと姉さんは上手いのに、僕に歌うまのDNAは引き継がれなかったらしい。姉さんとキーウィさんとカラオケに行っても、タンバリンを叩くかマラカスを振るか、曲に合わせて踊るかしかなかった。


「いつもこんな感じだよ。園部さんみたいに上手くないし、人前で歌うの恥ずかしいし」


「卑下する歌声でもなかったのに。あと園部さんっての禁止! 菜雪なゆきって呼んでよ」


 ビシッと指を刺して不満気に注文をする。二次元のキャラクターならこうはならないが、三次元の女性相手に下の名前で呼ぶのは恥ずかしさがある。そう彼女に伝えると、「ヘタレかよ」と呆れたように返ってきた。


「さて。お店が閉まっちゃう前に行きましすか。菜雪先生がコスメの選び方、教えてあげる」


「よろしくお願いします、先生」


 カラオケを出た僕たちは、二宮駅を挟んだ向こう側にある巨大アーケード、二宮センター街へと向かっていた。ここには携帯ショップや本屋はもちろん、古美術の並んだアンティークショップに一八歳未満お断りのアダルトなお店までなんでもある。


「ここが私の行きつけのお店よ……ってどうしたのよ。そんな苦い顔をして」


「いやだって。オタクが本来入るべきお店じゃないと言いますか」


「ヘタレかよ」


 アニメショップには行き慣れているが、コスメショップは生まれて初めての経験だ。良い香りが漂ってきて、オタクが集まる場所特有の臭みはない。客層もキラキラしていて、郡山や姉さんを放り込むと消滅してしまいそうだ。


 お客さんはみんな女性だ。園部さんに連れてこられたとはいえ、入るのはなかなか勇気がいる。良さげなコスメを教えてもらってネット通販で買う、というのはダメなのかな。


「別にお店に行かなくても、通販で買えるでしょ」


「甘い甘い。ネットじゃうちに来るまで分からないでしょ。店頭だとテスターが使えたり、店員さんの声が聞けたりでミスマッチを防げるの」


 テスターとやらは、試供品のことを指しているのだろう。確かにネット通販だと届いたのを使うまでは、自分に合うものかどうか分からないもんな。


「店員さんも良い人だし、私みたいなのもよく来るから緊張することはないって。ほら行きましょ」


「わっ、ちょ」


 引っ張られるようにしてお店の中に連れ込まれる。店員さんと目が合うと、邪気を一切感じさせないスマイルをくれた。営業の二文字をつけるにはふさわしくない、最高の笑顔だ。


「それにしても。最初に見た時から思っていたんだけどさ、羨ましいくらいに綺麗な肌をしているよね。オイリーとドライのいいとこ取りで、潤いとハリが両立している」


「オイリー? ドライ? なんのこと?」


 僕の顔をペタペタと触って、感心した様子をみせる。ひとりだけ納得してみせても、僕にはなんのことかさっぱりだ。


「肌にも種類があるの。皮脂の分泌が多めでベタつきやすいのがオイリースキン、逆に乾燥してかさつきやすいのがドライスキン。君の場合、ノーマルスキンって呼ばれるバランスのいい肌質ね。本当に今までスキンケアしてこなかったの? 反則じゃん、なんか腹立ってきた」


「怒らないでよ。そもそもスキンケアなんて、必要なかったし」


 肌質なんて、今の今まで気にした覚えはなかった。ベテランコスプレっ娘に理不尽に怒られるくらいだから、自信を持って良いのかな。


「じゃ、まずは化粧水とか乳液を見に行きますか」


「待って。化粧水と乳液って、何が違うの?」


「それ、本気で言っている?」


 信じられないようなものを見る目をこちらに向ける。ゲテモノ料理を目の前にしたお笑い芸人ですら、こんな表情はしないだろう。


結星ゆうせいくん、アメフトとラグビーが同じだと思っているタイプでしょ」


「そこまで馬鹿じゃないよ」


 さすがにそれぐらいの違いはわかる。今ここで目の前に二つのボールを出されても、どっちがラグビーボールかアメフトボールか間違えたりはしない。


「化粧水は肌に水分を与えて、乳液は油分を与えて水分を蒸発するのを防ぐ役割があるの。どちらも保湿の役割はあるけれど、ちゃんと下地を作るなら、化粧水だけだと不十分なのです」


「へぇ……」


 園部さんの説明でなんとなく理解できた。化粧水の成分の大部分は水分だ。肌を潤す役割を果たすが、それだけだとすぐに水分が蒸発してしまう。化粧水だけつけたら良いと思っていた僕は、知識不足だったようだ。


 そこで水分と油分が含まれている乳液の出番だ。バリアーを作ることで、肌の潤いを保ってくれる。スキンケアの仕上げのために、必要なのだ。


「結星くんの場合、肌質が理想的だからどの化粧品でもいいかも。でも今ならサッパリ系で……これとかどうかな?」


 と丸いケースに入ったジェルを持ってきた。オールインワンジェルと呼ばれるそれを使えば、化粧水や乳液を使う手間を省けるんだとか。値段はそれなりにするが、それぞれを単品で買い揃えるのに比べると安いのかな。


「とりあえずそれはカゴに入れときましょ。で、お次は……」


「まだあるの?」


「当たり前じゃない。徹底的にメイクのイロハを叩き込んであげるんだから。お覚悟を」


 結局コスメショップでも園部さんの独壇場だった。何も知らない僕は彼女に任せるしかなく、知恵熱が出そうなくらいにコスメ知識を叩き込まれた。基本的なものから、そばにいた店員さんも感心するくらいにマニアックなものまで。今日一日でコスメ知識四級くらいにはなれたはずだ。園部さんに良いようにされていたとしても、これも今後の創作のための取材だと思えば有意義な時間だった。

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