3-9 お説教
「柏原の方が
二人の姿が見えなくなってから、園部さんが呆れたように笑う。言われてみると、あいつがこれまで付き合ってきた彼女にレイヤーはもちろんオタク女子はいなかった気がする。
あいつは自分から告白したことがない。いつだって女の子の方から付き合ってほしいと告白されて、彼氏彼女の関係になっていた。別れる時も同様で、大抵あいつのどうしようもない内面に愛想を尽かした彼女が三行半を突きつけていたのだ。
「ま、藍月先輩がどう思うかは先輩の勝手。あいつ、さりげない気配りができるし、いざって時は頼れるからね。先輩もコロッといっちゃうかもしれないよ? そうしたら困るのは結星くんじゃない?」
挑発するように、悪戯っぽい笑みを浮かべる。不思議の国のアリスの絵本に出てくるチェシャ猫を思い出していた。
「桑名さんは僕にとって推しだよ。だから別に」
「その推しさんがピンチだったのに何もしなかったのが問題なのです。着いてきなさい。そのヘタレ根性、この
県内最大の繁華街二宮は若いカップルも大勢歩いている。今日は休日だから、周りを見渡せばデートに来ている人ばかりだ。
強引に手を引っ張られている僕は、デート中に見えるのだろうか。いや、無理がある。楽しい楽しいデートの最中ならば、彼女がこんな顔をするわけがない。だからか、通り過ぎる人たちは、僕に憐憫のまなざしを送ってくる。これから別れ話なんだな、合掌──心の声が聞こえてくる。
「さてと。秘密の話をするにはうってつけの場所にきました。学生証はある?」
「うん、財布の中にあるよ」
周囲を気にすることなく秘密の話をしたいならば、カラオケという密室は最適だ。両隣の部屋からマイクを通した歌声が突き抜けてくるのを除けば、くつろぐ場所としてもちょうどいい。ドリンクバーもあるしね。静かで音を立てにくいネカフェよりかは、こっちの方がマシだ。
「どうする? せっかくだし、一曲歌っとく?」
あまり広くない部屋に入ってすぐ、園部さんはリモコンを操作して履歴を眺め始めた。僕もカラオケに来たらいつも履歴の確認から始まるので、なんだか他人の気がしない。前に来ていたのはご年配の方だったのだろう。演歌らしき曲名がずらっと並んでいる。
「先に怒られとく」
「おっけ。今日は歌いたい気分だし、なるだけ早く終わらせますか。ほら、とりあえず乾杯くらいはしときましょ」
調子外れのアイドルソングをBGMにして、カチンと景気の良い音が部屋に響く。ビールみたいにオレンジジュースを一気に飲み干した園部さんは、険しい瞳で僕を睨んだ。
「菜雪も何もできなかったし、偉そうなことを言う資格はないと思うよ? でも藍月先輩を守るべきだったのは、
僕はあまりにも不甲斐なさすぎた。なんとでもやりようがあったはずだ。『すみません、先を急いでいます』って言うだけでも、あの人はどいてくれただろう。何も難しいことじゃなかった。
でも僕は、高梨さんを前にして何もできなかった。苦手なタイプだから? それとも、僕がボロを出して桑名さんがオタクだとバレるのを怖がったから?
いいや、違う。原因をいくらあげたところで、それは言い訳でしかない。グラスを持つ手が、悔しさで強くなる。
「先輩とあのギャルがどんな関係か知らないよ。でも、イベントに行ったらもっとヤバいのが来る。初々しい先輩なんていいカモ、出会い目的の連中が放っておかない」
悪質な参加者が目をつけるのは、右も左も分からないで戸惑っている初心者だ。彼らは下心を善意のコスプレで隠して近づいてくる。下卑た毒牙にかかった桑名さんなんて……最悪だ。想像もしたくない。
「おはよう感覚で、局部を送ってくるやべーやつもいるからねぇ」
「ぶっ! 本当に来るの?」
「嘘を言ってどうするの。それも一人じゃないからね。もう慣れたけどさ」
うんざりするように大きくため息をつく。この口ぶりだと、局部が届いたのは一度や二度じゃなさそうだ。中学生相手になにをやっているんだ。いや、ナニを送っているのか。
「結星くんも気をつけなよ? 出会い厨って別に男だけじゃないから」
「へ? そうなの?」
キョトンとした僕を見て、「呆れた」と大きくため息をつく。
「あったり前でしょー! まさか危険なのは先輩だけで、僕は安全ですーとか思っていたわけ? 甘い、甘すぎ。シリアス展開のないイチャコララブコメより甘い」
「例えが下手くそだね」
「うるせー」
と中指を立てられてしまった。しかし女性の出会い厨もいるというのは考えに至らなかったな。出会い厨イコール男性と思い込んでいたので、叙述トリックに引っかかった気分だ。こんなところでも男女平等社会になっていたとは、イベントには油断も隙もないらしい。
「話が逸れたね。学校の違う私や柏原よりも、君の方が先輩と近い場所にいるんだから。推しならちゃんと、身を挺して守ってあげなよ? 変なのはいくらでもいるからね。ローアングラーだって都市伝説じゃないよ。あの手この手で、脚やスカートの中を撮ろうとするの。この前なんて、靴にカメラを仕込んでいた盗撮魔がいたらしいしね」
いくらなんでもそれは冗談だろうと思ったが、園部さんはいたって真面目な顔をしている。とんだ技術の無駄遣いをする人もいるものだ。
「新しくコスプレを始めようとしている人がいるのに、つらい思い出を作っていなくなるなんて悲しいでしょ?」
この人はコスプレが、コスプレイヤーが好きなんだ。だからこそ、甘い考えの僕に厳しい言葉を投げかける。
「分かったよ。桑名さんは僕が守る」
「先輩になんかあったら、この菜雪さんが容赦しないんだからね。しっかりしろよ、
僕の答えに満足したようで、バシッと力強く背中を叩く。ヒリヒリと痛むけれど、彼女のエールは伝わってきた。
「はい、説教はおしまい。うっし、歌うぞー!」
慣れた手つきでリモコンを操作して、人気バスケアニメのOP曲を入れた。
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