3-5 2人はミッシェルシーサイド

「どうでしょうか? 僕的には良い感じかなと思うのですが」


 夕食を終えて今季のアニメの話で盛り上がっているオタク三姉妹の元に、軽やかなステップで飛び出した。言葉をなくした三人の前で、桑名さんみたいに右に左と回転してみせる。


「やー、こうやってみるとやっぱりあの人に似ているわねぇ」


「……」


 感慨深げに意味深なことを呟く母さんと、カニを食べるかのように無言無表情でスマホのカメラで撮りまくる姉さん。そして、全ての元凶である桑名さんはというと。時間停止能力者の攻撃を受けたみたいに、カチンと止まっている。


「あ、あのー? 桑名さん? おーい?」


「はっ、すみません。思っていた以上に、エロくて」


「エモくての聞き間違いですよね?」


「いや、エロです。エロいです」


「エロかぁ」


 そこは聞き間違いであってほしかった。何を言っているんだこの先輩は。どストレートな表現だけども、実際この衣装には健康的なエロスがある。よくよく考えればこの服を中学の頃のお友達さんは着たんだよね。勇気があるというか、なんというか。


「いや、その違うんです。その、エロいというのは、男の子が着ているという事実がですね、エロく感じると言いますか。あの子が着た時はソーキュートだったのに、西倉さんが着るとエロくなるんです! 西倉さん、エロいんですか!?」


「もう少しエロと発言することに恥じらいを持ってくれませんか?」


「ハッ! 違うんです! 私は、エロくないですからね!?」


 残念ながら、僕の中で桑名さんはむっつりスケベ属性が付いてしまった。一分以内に何回エロと言うつもりなんだろう。聞いている僕の方が恥ずかしくなってきたぞ。


「ちょっと待ってください! 私も着替えてきます! 洗面所借りますね!」


 突然興奮した桑名さんが浴室に閉じこもって一時間。少しでも心と身体を千葉路恵ちばみちえに近付けるべく、女装をしたまま夕食を済ませて、ゲームのデイリーミッションを消化していると、「お待たせしました!」とマリンルック衣装の舞織になって戻ってきた。


「すごい……結星とは大違い……。し、資料にするだけだ、から。撮っても、いい?」


 尊敬するアリト先生の頼みを断るわけがない。姉さんはパシャパシャと舞織コスの桑名さんを撮っている。


「一緒にしないでよ。僕はついさっき、着たばっかりなんだから。胸とお尻だってそのままだし」


 とりあえず衣装を着ただけの僕とは対照的に、時間をかけてメイクをして作り上げた桑名さんの舞織は、芸術品とも表現してもよかった。最初からそうだったかのような錯覚すら覚える。メイクは身近な魔法──そんなありきたりなキャッチコピーに、偽りはない。


「大丈夫です、西倉さん。メイクなら私が教えます。衣装作りは友達の仕事でしたが、メイクは主に私がやっていましたので」


 ふふーんと得意げに胸を張る。当然僕はメイクなんて生まれてこの方したことがないので、彼女に任せるしかない。


「では始めましょうかっ」


「へ? 今からするんですか?」


 張り切る彼女を静止して時計を見るともう遅い時間だ。流石にそろそろ帰らないと、桑名さんのご家族も心配するだろう。


「当然ですよ。思い立ったら吉日、それ以降は凶日なんですからね」


 ごもっともなセリフだ。『推しは推せる時に推せ』と言われるように、今その瞬間のモチベーションを見逃さないことこそが大事だ。僕も否定はしない。でも今日はもう遅い。


「いやでも、家に帰る時間が何時になるか」


「ああ、それなら。今日はお友達の家に泊まると連絡しましたので! 安心してください!」


「なんですって?」


 どうやら僕のいない夕食の間に決まったらしい。姉さんの部屋に泊まるみたいで、憧れのアリト先生の部屋を満喫できると上機嫌だ。


「……桑名さんは私のファンだし、いい子だから大丈夫、だと思う。私も、もっと仲良くなりたいし」


 部屋に泊めて大丈夫かと不安になるが、姉さんも姉さんなりに前向きに頑張ろうとしている。桑名さんの親御さんさえいいのであれば、僕はなにも言わない。


「分かりました。煮るなり焼くなりお好きにメイクしてください」


「任せてくださいね!」


 卓上ミラーを机の上に置いて椅子に座ると、なんとなくメイク待ちの芸能人の気分になる。これから僕はどうなってしまうのか。不安がほとんどの中で、わずかばかりの期待が顔を覗かせていた。


「女性がメイクをする時の基本は足し算なんですが、女装の場合はその逆で引き算なんです。男らしい部分を削っていくことから始まります」


 男性と女性の顔つきにはいくつもの差異がある。女性的な顔つきをしていても肌質は根本的に異なり、骨格までは誤魔化すことができないので輪郭も直線的かつ立体感が生まれてしまう。そのためのメイクだ。男らしさをいかに消して平べったくしていくかが、女装のコツなんだとか。


 肌に触れるこそばゆさはあるものの、友達のメイクをしていたというだけあって桑名さんの手つきは慣れている。化粧なんて滅多にしない姉さんや母さんも、興味津々で僕が女の子の顔になっていくのを見ていた。


「やけに手慣れているけど、クラスの男の子にでも女装メイクをしたことがあるの?」


 僕が気になり始めていたことを、母さんが代弁してくれた。動きに迷いがないというべきか、どうすればいいのか最初からわかっているみたいだ。テンポよく小顔メイクが施されていく。


「お兄ちゃんを実験台にして、練習したことがあるんです。それで女装メイクもある程度は分かっているんですよ」


 かわいい妹の頼みを断れなかったのだろうな。それからしばらくして、「どうですか?」と満足げに問いかける。鏡よ鏡、今映っているのはだぁれ。


「これがメイクの魔法です」


 着ただけのコスプレに満足していた自分が途端に恥ずかしくなる。僕なのに僕でない。そんな矛盾した感覚に戸惑いを覚える。


「これで西倉さんも、立派なコスプレイヤーですねっ」


「そ、そうですか」


 口を開くと相変わらずの声が出てくる。よかった、僕のままだとホッと一安心。


「ほら。折角だから写真撮ってあげるわ。昔デートでお父さんにカメラ教えてもらったから、結構自信あるのよ。なにかポーズとって」


 母さんに促されて、僕と桑名さんは目配せする。言われなくても、どうすべきか僕も彼女もわかっていたんだ。


「安くない手に触っちゃいましたね」


「今だけは特別です」


 背中合わせで手を繋いだ、CDジャケットイラストのポーズ。推しは陰から推すものであって、隣に立つものじゃない。だけどそれを彼女が望んでいるならば。一緒に光を浴びたっていいよね。

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