3-4 ようこそ新世界

 一一〇番は警察、一一七は時報、一一九番は消防と三つの数字を入れるだけでつながる場所がある。では、『いちはやく』の語呂合わせになる一八九だと、どこに繋がるか。正解は児童相談所虐待対応ダイヤル。この番号にかけると管轄の児童相談所に繋がるのだ。


 僕は今、一八九まで入力して、通話ボタンを押すべきか真面目に考えていた。母親と姉、そして高校の先輩に望まぬ女装を強要されているからだ。しかも僕が着替えるまで食事抜きだなんて、虐待といわずしてなんというか。


「やらなきゃダメかなあ」


 ため息の数は一〇より先をカウントしていない。憂鬱な気持ちになるものの、桑名さんが僕を必要としてくれているのは素直に嬉しい。母さんも姉さんも、似合わないとは一言も言っていなかった。むしろ見たがっているくらいだ。


 問題は衣装にある。確かに、背の低い僕ならば難なく着ることができるが、舞織の衣装はゆったりとして、露出は少なめになっている一方で、路恵の衣装はなかなかに際どい。なんせスカートも短く、ヘソ出し脇見せと肌面積が多いのだ。


 恥ずかしがり屋な舞織と対照的に、路恵は自分が世界一キュートな女の子であることに強いこだわりと自信を持っている。強気な性格の路恵らしさに溢れた衣装だ。しかし制作者たるお友達さんは、女装してもらうために作ったわけじゃない。


「ほんと、完成度高いな」


 舞織の隣に並べている路恵フィギュアとお手製の衣装を見比べてみれば、その出来のよさに感動を覚える。コスプレイヤーさんは衣装を自作する際、立体的に作られたフィギュアを参考にする場合もあると聞いた記憶があった。そっくりそのまま落とし込まれて、細部までこだわりにこだわっており、ライブで演者さんが着ていた衣装とほとんど同じだ。これほどまでに路恵に対する愛と情熱がこめられた衣装を、僕に託した意味があるならば。


「今回だけ、ですからね」


 こみ上げる恥ずかしさを押し殺して、覚悟を決める。体質のせいかムダ毛と呼ばれる、腕毛脇毛すね毛が薄めなのはラッキーだった。除毛クリームなりで処理し、イベントが終わって日常に戻った後でも、全身の毛をどうしたんだと周りに怪しまれることはないはずだ。


 女装、コスプレなんかで検索すると、一見して本当に下半身についているのかと思いたくなるような、美麗コスプレがたくさん出てくる。例えば人気格闘ゲーム『プリンセスマッシュ!』に登場する、クレア・コートニー。モデルばりのナイスプロポーションとクールなのにどこか天然でずっこけた性格と、ド派手な剣戟アクションが人気キャラクターだ。このスマホから飛び出てきたような完成度のクレアも、女装レイヤーさんによるコスプレ。初恋をまだ知らない小学生男子に見せれば、一〇人くらいは彼が初恋になるだろう。


 僕も彼らほどとまではいかなくとも、誰かにカワイイといってもらえる路恵になれるのかな。誰かの推しに、なれるのかな。


「あら、まだ着替えてなかったの? ご飯冷めちゃうわよー?」


「後で温めるからいいよ」


 リビングに降りると女性陣が仲良く夕食をとっている。当たり前のように桑名さんも混じっており、空腹を煽る香りの生姜焼きを、丁寧な箸使いで美味しそうに頬張っていた。


「姉さんでも母さんでもいいけど。除毛クリーム貸してくれない?」


 薄いといってもムダ毛がある状態で、大切な衣装を着るのは抵抗がある。この服を着るならば、僕もできる限りかわいくならないといけない。作った人にも、路恵にも失礼だ。


「あっ、そっか。ごめんなさい、私西倉さんと服がピッタリだからってだけで突っ走っちゃって」


「隣に立つ僕がムダ毛処理もしないでいたら、桑名さんの舞織コスまでも悪い印象持たれかねませんから。それと、今回だけですからね」


「はいっ。分かっています。ありがとうございます」


 これが体育祭文化祭の打ち上げの余興なんかなら、『ムダ毛生えているのに女装してウケるー』って笑い話になるかもしれない。しかしコスプレイベントに参戦する以上、ウケ狙いなんかせずに、きれいな身体で臨むべきだ。


「私、生えない体質だから持ってないよ。陽子ちゃんから借りたら?」


「風呂場の引き出しの中にあるから勝手に使っていいわよー」


「おっけ」


 と母さんの除毛クリームを借りて風呂場に入り、チューブから出たクリームをムダ毛箇所に塗る。ややきつい香りがするものの、不快というほどではない。スマホをポチポチして時間を潰して、付属のヘラで拭き取っていく。


「おお、すごいなこれ」


 ヘラでなぞると産毛がごっそり取れていく。毛が濃い人ならば爽快感すら覚えるかもしれない。最後にシャワーで流しておしまいだ。ムダ毛を処理し切った、ツルツルなタマゴ肌。脇を開いてみても、産毛すら見当たらない。これであなたもムダ毛とおさらば。動画サイトに頻繁に出てくるムダ毛処理の広告を不愉快に思っていたけども、そのありがたみを僕は身をもって体感するのだった。


「よしっ」


 覚悟を決めて衣装を着ていく。茶色いサイドテールのウィッグを被り、最後に帽子を乗せて。コスプレと呼ぶには、失礼なのかもしれない。単に着ただけ乗せただけだ。地毛を抑える方法がないので、ウィッグも少し浮いている。それでも、僕は浮かれていた。アリスの服を着たあの頃と、全く違う気分だ。


「……結構、かわいいじゃん?」


 鏡の前でクルリと回ってみせる。今までに経験したことのない、高揚感が湧き上がっていく。僕は新しい扉を開けてしまった。

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