3-3 三面楚歌
「オタクに二言はありませんって言ったじゃないですかぁ!」
「言いましたねぇ! でもまさか僕にコスプレさせるつもりだったなんて思ってもいませんでしたよ!」
珍しく大声をあげてしまう。それほどまでに、桑名さんから必死で逃げようとしていた。部屋を出ようとするも、軽やかな身のこなしでドアの前に立たれてしまう。体育の授業を見ていればわかることだが、桑名さんの運動神経はかなり高い。動けるオタクとはこういう人を指すのだろう。飢えた肉食獣と、怯える草食獣の構図だ。クルクルと回りながら距離を取るも、徐々に桑名さんが近づいてくる。
「西倉さんはあの子と体格が近いんです! この衣装も似合うはずです!」
「僕は男ですよ!?」
「それがいいって人もいます!」
「僕はよくありません!」
話は最後まで聞くべきだったのだ。てっきり僕は、一緒にコスプレイベントに来てほしいと言われるだけと思っていた。それなりに大きなイベントとなると、多種多様な人が集まる。参加者のみんながアニメやゲーム、コスプレを心から好きな人ならば心配はいらない。
でも決してそうとも限らず、中には厄介なコスプレイヤーやカメラマンもいる。出会い厨に、ローアングラーといった悪質カメラマン、解釈違いの相手を攻撃する強火なコスプレイヤー。調べれば調べるほど、修羅の界隈だ。
それでも、なりたい自分になれるこの世界に憧れる人たちは多い。結局は暗黙の了解を理解し、自衛ができるかに尽きる。同人界隈でも同じことだ。入り口に立つ前に自分で調べて最低限の常識とマナーを身につけた人だけが、この世界に足を踏み入れることを許される。後からお人好しな誰かが教えてくれるだろう、なんて甘い考えは通用しない。
桑名さんに何かあった時、身を挺して守る
しかし実際は、僕も参加者側として付き合ってほしいというお誘い。しかもヘソだしルックのアイドルキャラクターの女装コスで。想像の斜め上だ。
「私には西倉さんしかいないんです!」
「この状況じゃなければものすごく嬉しいセリフをありがとうございます!」
僕しかいないだなんて。本当に、この状況じゃなければ最高のセリフなのに。あと身長が五センチくらい高ければ、桑名さんも乱心せずに済んだのに。今日ほど、自分が男らしくないことを恨む日はないだろう。
「どうしたのー? ドタドタ騒がしいよー?」
部屋の中で行われたカバディもどきを聞き付けて、夕食の準備中の母さんと、部屋で作業中だった姉さんがやってきた。
「助けて母さん姉さん! 桑名さんが壊れた!」
「違うんです! 私はただ、西倉さんにこれを着てほしいだけです! 決して変なことはしていません!」
気が触れたとしか思えない、眼鏡がずれてもお構いなしで、必死の形相でコスプレ衣装を持つ女子高生を見て、僕の血縁者二人がしたことはというと。
「任せて藍月ちゃん! 観念なさい!」
「ナイスです! 陽子さん!」
「母さん?」
「結星、観念しなさい」
「姉さん?」
身動きが取れないように、息子を羽交い締めにする母と、ドアの前で腕を組み通せんぼをする姉。身内すら僕に味方してくれない。天は僕を見放した。
「実の息子が女装させられるんだよ! 止めるでしょ普通!」
「大丈夫よゆうちゃん、恥ずかしいのは最初だけ。お父さんもそうだったから」
「いきなり我が家の闇を出すのやめてくれない?」
カミングアウトが衝撃的すぎたせいで、かえって冷静になってしまった。父さんは髭も生えにくく中性的な顔つきをしており、昔女装した経験がありますと言われても納得できてしまった。出張から帰ってきた時、どんな顔をするのが正解なんだろう。
「……でも、これはどういう状況? どうして結星が、コスプレを?」
カクカクシカジカと二人に事情を説明する。ゴールデンウィークに行われるコスプレイベントに桑名さんが舞織コスで参加すること、なぜか僕が相棒の路恵コスを強要されていること。誇張する必要もなく、とんでもない話だ。息子が女装させられそうになっていたら全力で止める、それが普通の家族だというのに。
「藍月ちゃん。不甲斐ない息子ですが、よろしくお願いね」
「母さん」
「私も、結星のコスプレは見たかった。桑名さん、グッジョブ」
「姉さん」
我が家は普通じゃなかった。三対一──民意とやらは僕に女装をさせたいんだって。わぁい。
「だいたい、小学校の学芸会でアリス役やった実績があるのだから、今更じゃない」
「そうなんですか! 陽子さん、その話くわしく教えてください!」
面白い話を聞いたと言わんばかりに、目をキラキラさせている。小学校三年生の時、学芸会で僕たちのクラスは不思議の国のアリスをすることになった。しかし当時の担任が『普通にやるのはつまらないから、男女逆転アリスをやろう』と提案した。ルイス・キャロルに対して、これ以上なく失礼な発言だ。で、民意による多数決の結果、なぜか僕がアリス役になってしまった。だから女装は生まれて初めてというわけでもなかった。
でもそれとこれとは別問題。あの時はメイクなんてせず、衣装とカツラを被っただけでもよかった。学芸会では許されても、コスプレイベントでは許されない。なにより僕が路恵コスをするのは無理がある。
他に頼める相手はいないだろうか。姉さんは写真を撮られると魂が奪われる、と明治時代的な考えの持ち主だからNG、郡山だと身長が足りない上に、お願いしようものなら確実に罵倒される。中学の時のオタク友達の女子に聞いたとしても、首を縦に振るとは思わなかった。
「そうだ母さんが」
「いくら私でもピチピチのJKの隣でアイドルコスをする勇気はないわよ!? 気分は永遠の一七歳でも熟している自覚はあるからね!?」
「ですよね」
僕と背丈も変わらないし、身内贔屓を抜きにしても四〇代とは思えないくらいに肌艶がいい。初雪のような肌とは母さんのことを指すのだろう。いまだに二〇代に間違えられて、姉さんと並べば姉妹にも見える。ノリのいい刹那主義者だしいけるかなと淡い期待はあったが、さすがに羞恥心が勝ったようだ。
「陽子ちゃんは、『パコパコ催眠支配トップ愛奴隷〜アイドルグループ四八人全員を○ませてみた〜』のママドル、島崎ユリノのコスがいいと思う」
「えー? ちょっと露出多すぎない?」
アイドル育成コンテンツのコスプレをするかどうかの話をしている最中に、業の深いアダルトゲームのタイトルを出さないでほしい。母さんも割とノリ気だし、桑名さんも困惑しているし。
「アリト先生、陽子さんのことちゃん付けで呼ぶんですね」
そこですか。
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