2-4 死神と撮影会

 男の子ならば、好きな要素をモンタージュ写真のように重ねて、理想の女の子を思い描いた記憶があるだろう。僕にとってのそれは、まんま渚舞織になる。五歳の時に舞織と出会わなくとも、僕の好みと理想の女性像が重なり合った彼女とは、いずれどこかで出会って好きになっていたはずだ。


 でも、そんな頭の中で作り上げたフィクションの存在が、ノンフィクションの世界にいるわけがない。歩いて呼吸しているわけがない。2.5次元の舞台ならまだしも、日常生活の中でもし現れたならば。気を付けたってもう遅い。それは人生最期の瞬間に素敵な思い出をプレゼントしようとした、死神による粋な計らいなのだから。


「……」


「あ、あのですね。やっぱりコスプレしたからには、感想がほしいと言いますか」


「……」


「に、西倉さーん?」


「……アジャラカモクレン、ナギサマオリ、テケレッツのパー」


「私は死神じゃありませんよ!?」


「おお、伝わりましたか」


 死神を追い払う呪文を唱えてみるも、煙になって消えるどころかツッコミを入れる有様。それを聞いて一瞬で落語の「死神」に出てくる呪文だと理解するあたり、桑名さんのカバー範囲は本当に広いんだな。


「落語も有名どころならとりあえずは……ってそうじゃなくてですね! 変なこと言うならもう着替えますからね!?」


「待ってください。その、前も言いましたが」


 ああ、まただ。結局言葉をなくしてしまった。ポケットティッシュを配る感覚で使われる『尊い』みたいな言葉で表したくないのに、出てきたのは「すごく、いいです」。小学生の読書感想文だって、もっと多彩な言葉を使うだろう。これでも一応二次創作小説を書いているのに、引き出しの中身は空っぽ。魔王を倒す旅の途中の勇者様が、中に入っていた語彙力を小さなメダルと一緒に持ち去っていったらしい。恥ずかしくなって、頬をかく。


「ありがとう、ございます……」


 桑名さんだって、姉さんに送ったような感想を僕に求めていただろうに。言葉が紡げず、ダンマリを決め込んでしまった。


「……撮ります、か?」


 しばしの沈黙が続いて、僕は首を縦に振る。しかしコスプレイヤーさんを撮影するのに、スマホを構えるのは少々抵抗があった。違う学校に通う友達の1人に、カメラマン活動をしているやつがいる。彼が言うには周りが一眼レフを持っている中、自分だけスマホというのは気がひけるんだとか。もちろん被写体たるコスプレイヤーさん自身がどう思うかが大事で、スマホでもなんなら使い捨てカメラでもいいですよーって人もいるはずだ。


 とはいえ、イベントに参加する際にちゃんとした撮影機材を持ち歩くのは、最低限のマナーになるだろう。社会人や就活生が時間を確認するのにスマホじゃなくて、腕時計を使うべきだというのに似た感覚なのかな。


「すみません。一眼レフなら家にあるのですが」


「わざわざ取りに帰らなくても! この前スマホで写真撮られちゃいましたし、今更って感じです。いつまでもこの格好でいると恥ずかしくなってくるので、撮るなら早く撮ってくださいっ」


 パシャパシャパシャパシャパシャパシャ。スマホを構えた僕は無心で連写する。シャッター音にびっくりしたステラが別の部屋へと逃げていった。


「と、撮りすぎです!」


「僕にどうしろと言うんですか」


「……私も撮られるのは不慣れなのです。どうしたらいいんでしょう? とりあえず無言でパシャパシャ撮られると怖いので、そこは気をつけてくださいね?」


 やや気まずい空気が部屋に満ちていく。素人カメラマンとコスプレ初心者による、2人っきりの撮影会がスムーズにいくわけもない。様々な角度から撮ってはみたものの、桑名さんは直立不動で表情も固い。グダグダなまま時計の針が進んでいく。イベントのコスプレブースではどういうやりとりがなされているんだろう。こんな展開になるならば、食わず嫌いせずにコスプレブースを覗いておくべきだったな。


「すみません、ブレていますね」


 その上、撮った写真は手ブレが酷くて、とても見られたものじゃなかった。これはそういう現代芸術なんです、巨匠ウィリアム・クラインをリスペクトしたんですなんて言い訳をすれば……通用するわけがないか。被写体にもクラインにも失礼がすぎる。


 桑名さんの表情も能面みたいで、被写体の良さをこれっぽっちも引き出せていない。


「こんなにもカメラマンの才能がないとは思いませんでした」


 何もスマホがダメだとは僕も思っていない。進化し続けて画質もどんどん綺麗になっていっているし、加工アプリもたくさんある。すぐに撮ってすぐにシェアできるのも利点だろう。


 コスプレにさほど興味がなかった頃は、一眼レフじゃないとダメだと熱弁する友達の気持ちにピンと来なかった。ISOがどうとかF値がどうとか言われてもちんぷんかんぷんだった。


 しかしこうもピントがあっていないと、あいつの言葉の正しさの証明になる。良いものはちゃんと残したい。どうしたものかと考えていると、そんな彼女にピッタリなイベントがあったことを思い出した。


「そうだ。ゴールデンウィークの最終日に、ハーバーシティでコスプレイベントがあります。それに参加してみませんか?」


 ハーバーシティは海辺に面した大型商業施設で、年に何回かコスプレイベントを開催していた。そこならばコスプレイヤーやカメラマンが大勢集まるだろうし、桑名さんだって趣味の合うコスプレ仲間が増えて悪い話じゃない。しかし桑名さんは着替える前と同じく、ほろ苦そうに眉をひそめた。


「別に私はコスプレイヤーになったつもりはないですし……この衣装も、自分たちだけで楽しむために作ったと言いますか」


「でも大したものですよ。手作りでこんなにしっかりした衣装とウィッグを……うん?」


 眼鏡を拭く桑名さんの言葉に、引っ掛かりを覚える。仲間がいたかのような口ぶりだ。


「自分たちって。コスプレ仲間がいたんですか?」


 意地の悪い質問だ。聞かない方がいいとも思った。でも僕は、彼女がメイクの下に隠しているなにかを知りたかったんだ。観念したように深いため息をついた桑名さんは、一度自分の部屋に戻って、もう一着同じ衣装を持ってきた。いや、正確にはこっちのほうが露出が多めだ。僕はこの衣装が、誰のものかすぐに分かった。


千葉路恵ちばみちえ、ですね」


 うつむきがちに、小さく首を縦に振る。やっと見せてくれた舞織としての笑顔は、なにかを諦めたかのような、空っぽで寂しげなものだった。

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