2-3 拗らせオタクに天使が舞い降りた

「私がこうなっちゃったのって、元々は日曜日朝のマジピュアがきっかけなんです。えっと、伝わりますよね?」


「安心してください。我が家の日曜日は、マジピュアと特撮から始まりますので」


「私と同じですね」


 僕がオタクじゃなければ、ドリドリの存在を知らないで一生を終えたかもしれない。でもマジピュアの名前は、意識せずとも知っていたはずだ。日曜日の朝に放送している女児と大きなお友達向けのヒロインアニメマジピュアは、アニメを見ない人でも知っているくらい知名度がある。


「私、ピュアアイリス……中宮マオリちゃんが大好きだったんです。アニメが終わった後も、マオリちゃんロスがつらくて、毎日エカキブでイラストとか漫画を漁っていました」


 エカキブはその名のとおり、イラストや漫画といったお絵描きを中心としたSNSだ。小説の投稿なんかも出来て、僕もドリドリのショートストーリーを数作投稿しているが、姉と比べると知名度も実績も月とスッポンだ。


「ある日、いつもと同じく中宮マオリで検索していて、イラストを漁っていたらピュアアイリスのコスプレをした女の子の絵を見つけたんです」


「もしかしてそれが、舞織との出会いだったんですか」


「はい。なんだかその子は、私に似ている気がして。目元の泣きぼくろを見て、そう思ったんでしょうね。他にも泣きぼくろのキャラクターなんてたくさんいるのに、不思議と私はその子……渚舞織ちゃんに惹かれていました」


 そう言って泣きぼくろを撫でる。その姿が、とても色っぽくて、僕は直視できず目をそらした。


「渚舞織という女の子が気になった私は、タグから飛んでいきました。その時でした。たまたま目に入った、舞織ちゃんのイラストに……私も、恋をしたんだと思います」


 恥ずかしそうに笑って、スマホの画面を見せてくれた。


「あっ、それ!」


 煌めく夏の海中で、物憂げな表情を浮かべながら、こちらに手を伸ばす舞織のイラスト。知らないわけがない。だってこの絵は──。


「姉さんのイラスト、だ」


「はい。私が舞織ちゃんに完全に落ちたのは、アリト先生のおかげなんです」


 桑名さんにとって、姉さんは推しの二文字で言い表せる存在じゃなかった。舞織が伸ばした手をとった彼女は、新しい世界に飛び込んだ。桑名さんと舞織が繋がったきっかけが姉さんだったなんて、知れば五歳くらい若返るだろうな。


「すぐにゲームも始めて、この子を応援しようと決めたんです。最初は軽い気持ちだったんですが、すっかりハマって、コスプレまでして即売会に参加しちゃうなんて。西倉さんよりも、よっぽどお笑いですよ」


 二次創作からコンテンツに入る人は珍しい話じゃないし、それが良いか悪いかは人による。『口から入るのか、肛門から入るのかくらい違う』なんて下品な毒舌を吐く人もいるが、僕としては二次創作を気に入ったのならば、原作に手を出してほしい。だって、もったいないじゃないか。


「でも、マネージャーとしてはまだまだです。絵心も文章力もないですし、この前のイベントだって上位報酬舞織ちゃんがもらえるギリギリラインでしたし……西倉さんは何位でしたか?」


「四六位でした」


「ちょっと何を言っているのか分からないです」


「ストレートにドン引きされると、凹みます」


 命を削って得たトロフィーを褒めてくれるのは、自分しかいない。悲しい話だ。


「いえ! すごいと思っていますよ! 五〇位以内なんて、愛があってこそじゃないです

か」


 慌ててフォローしてくれるものの、実際のところは舞織への愛だけがモチベーションではなかった。むしろ不純な動機の方が強かったのだが、それは口にしないでおく。正直は美徳だとしても、黙っておく方がいいことだってあるのだ。


「私はみなさんのイラストや小説を見て、いいなって思うことしかできません。アリト先生ほど……って言うと贅沢ですけど、せめてその二割くらいの絵心があったならば、もっともっと舞織ちゃんを応援できたのに。不甲斐ないです」


 桑名さんの無力感は、僕にも十分理解できる。僕が本来持って生まれるはずだった画力は、先に生まれた姉さんが根こそぎ持っていった。姉さんみたいに絵が上手くなれたら、と小さい頃は無邪気にお絵描きをしていたが、自分には才能がないと気付くまで、さほど時間がかからなかった。中学に上がった僕は、舞織に対して抱いてしまった衝動を発散させる場所を探していた。小説という媒体を選んだのは、クラスのオタク仲間が別作品の二次創作小説を書いていることを知り、これなら僕でもできるんじゃないかと思ったからだ。


 絵が描けなくとも、文字なら書けた。国語の成績も良かったし、ここでなら舞織を応援できる――なんて、今思うと甘い考えにも程がある。絵師と違って、文字書きは誰でもできた。日本の識字率は九十九パーセント。国語が得意なくらいじゃ、誰にも届けることはできない。そうしてこじらせていくうちに、今のめんどくさい僕が生まれたんだ。


「桑名さんには、コスプレがあるじゃないですか。あなたの舞織コスは、完璧でした。桑名さんの好きは、ちゃんと伝えられるんです」


「私は……そんな、大層なものじゃありません」


 背格好と髪型以外のシルエットは、舞織そのものだ。ナチュラルボーン舞織といっても差し支えがない。きっと、他の衣装だって似合うはずだ。何も卑下することはないのに、どうしてか浮かない顔をしている。前は嬉しそうにしていたのに、なにかあったのかな。


「……少し、待ってもらえますか」


 トタトタと自分の部屋に入って一時間程。その間、僕はステラと遊んでいた。捨て猫だった過去の反動なのか、人懐っこい性格のようで、来訪者である僕にもすぐに甘えてくる。手を伸ばせば、人差し指をあむあむと甘噛みしてきてこそばゆい。


「お待たせしました」


 僕と遊んでいたステラは、声の振る方へと駆け寄る。つられて顔を向けると、窓から差す夕日にミルクティー色のふんわり髪が照らされ、眼鏡に閉じ込められた夜空色の瞳が僕を見据えていた。


「すみません。メイクに時間がかかっちゃって。少しって時間じゃなかったですよね」


 メイクなんてする必要のない、生まれつきの舞織と思っていた。でも、それは違った。控えめながらも蕩けるような甘いリップ、白磁にも似たきめ細やかな肌が、目元の泣きぼくろを蠱惑的に演出する。メイクは魔法だ。


 一番可愛い姿でいることができる、アイドルとしての渚舞織──青と白のマリンルック衣装を着た、僕が恋に落ちた2.5次元がそこにいた。

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