2-5 推しにバッドエンドは似合わない

 渚舞織には、小さな頃からずっと一緒にいる幼馴染がいた。


 彼女の名前は、千葉路恵。舞織と一緒に、作中内で『ミッシェルシーサイド』と名付けられたユニットを組んでいる。引っ込み思案で大人しい舞織に対して、路恵は強気な性格で、自分こそは世界一のかわいい女の子だと信じており、性格が正反対なカップリングは、二次創作界隈でも人気があった。


「私には、幼馴染がいました。私がマジピュアにハマったのも、その子の影響です。逆に私が推したことで、彼女はドリドリを始めてくれました。他にも、お互いの好きな作品を交換し合って、いつも一緒にいたんです」


 幼馴染さんのことを話す彼女は、普段よりも早口になっている気がした。推しとは一線を画した、親愛の感情が少しだけ柔らかな表情を作り出す。


「中学に進級したばかりの頃、たまたま一緒に見ていたテレビ番組で、コスプレイヤーさんが特集されていました。その時、私が舞織ちゃんで、その子は千葉路恵ちばみちえちゃんのコスプレをしてみようって話になって。これも彼女が作ってくれたんです」


 衣装をアピールするように、くるりと回ってみせる。右に左に一回転。白と青で彩られたスカートと、水兵帽を乗せたふわふわのボブヘアーが小さく揺れる。


 その姿は、ライブで新しい衣装を着た演者さんさながらだ。衣装の作り込みはしっかりなされており、作り上げた人の強いこだわりと愛を感じさせる。


 桑名さんとお友達さんは舞織と路恵に自分たちを重ねたんだ。財源が限られている中学生ながら、細部までこだわった、愛を感じさせる本格的な衣装を作り上げたことに、万雷の拍手を送りたい。


「といっても、二人だけで着替えて写真を撮ったり踊ってみたりしたくらいでした。私はそれで満足でした。でもその子は、私とイベントに出たかったんです」


 コスプレは誰かに見せるためだけのものじゃない。自分1人だけが楽しむのも、立派なコスプレだ。でもいつの日か、それだけで満足しなくなる時がやって来たら、多くのカメラの前に飛び込む第一歩だ。


「コスプレの方向性の違いっていうと変ですが、それで喧嘩してしまって。彼女だけがイベントに参加しました。もしその時、私がいたら……今でも後悔しています」


 表情から、声から。語らなくとも、友達の身に『なにか』があったことは十分に察することができた。


「その、お友達さんは」


「転校して、今は連絡を取っていません。多分もう、コスプレをすることはないと思います。舞織ちゃんの衣装と一緒に、路恵ちゃんの衣装も私の元に送ってきたんです。藍月はコスプレをやめないでね、ってメッセージをくれましたが……まだ返事はできていません」


「そう、だったんですね」


 僕は懺悔室の神父ではない。桑名さんの後悔を知ったとしても、それを正しい方向に導く手立てが思いつかなかった。あまりにも歯痒く、自己嫌悪に陥りそうになる。こんなとき、ゲーム世界の敏腕マネージャーならば、桑名さんの苦悩をときほぐしてくれたのに。ただただ、無力だった。


「しばらくの間、私は舞織ちゃんのコスプレができませんでした。私一人だけが、楽しい思いをしてしまうみたいで、罪悪感があったんです。それからも色々あって、パンク一歩手前だったときに、近くで即売会があることを思い出しました」


 それがドリデンだった。葛藤の末、破裂しそうだった彼女は、同好の士が集まる場所に救いを求めた。


「イベントに行けば、私の気持ちも少しは楽になると思ったんです。学校の子に見つからないため、と自分に言い訳をして、私は久しぶりに舞織の衣装を着ました。せめて、あの子の作った衣装だけでも、みんなに見てもらえたらなって気持ちもあったんです」


 そこで、僕と姉さんは桑名さんに出会った。彼女としては、自分が主役になるつもりはなく、幼馴染さんが作ってくれた舞織の衣装を着ているマネキンのつもりでいたのだろう。二人だけの世界でコスプレをしていた彼女は、自分が理想の舞織コスプレイヤーだということに気付いていなかった。


「でもまさか、新入生に看破されるとは思ってもいませんでした」


「あはは……」


 そこから先は、僕も知っている話だ。入学式の日に、僕は桑名さんに再会して、推し作家の姉に引き合わせた。彼女にとって、あの日は人生最高の一日だったはずなのに、どうして浮かない顔をしているのだろう。


「……西倉さんの家にお邪魔した日の夜、あの子が夢に出てきました。ボロボロになった路恵の衣装を着た彼女が、私を責めるんです。──あなただけ、ずるいって。アリト先生から色紙をもらえて、浮かれていたんでしょうね。あの子は、私のことを恨んでいるはずなのに」


「恨んでいるなんて、そんな」


「路恵の衣装も渡したのが、その証拠。いつまでも忘れるなって、言いたいんです」


 後ろめたさが産んだ悪夢は、彼女の足を引っ張り、現実に引き戻す。だから、彼女は笑えなかった。どんなに凄腕のカメラマンさんがいたとしても、今の彼女から、いベストショットは引き出せない。


 でも、そんなの。悲しいじゃないか。


「……違うと、思います」


「どうして、そう言えるんですか?」


 さっき飲んだコーラのせいか、口の中が乾いてくる。だけど僕は、言葉を紡がなくちゃいけない。たとえ喉から血が出たとしても、僕は違うと言ってやる。それが推しにできる、たった一つの応援だから。


「だって桑名さんを恨んでいるなら……思い出と愛の詰まった大切な衣装を託したりしませんよ」


 コスプレ衣装だって、立派な創作だ。そこに愛があるかどうかを裁く裁判官がいるならば、きっと無罪判決を下す。それを呪詛の道具にするわけがない。


「これは僕の想像に過ぎませんが、お友達さんは自分には無理でも、桑名さんが信じられる誰かにその衣装を着てほしい。そう、考えたのではないでしょうか」


「それは……」


「創作者の勘、です。これでも小説を書いていますので。妄想には自信があるんです」


 そう、僕だって創作者だ。推しに無菌室を求めるオタクが書く物語は、いつだって都合のいいハッピーエンドなのだから。


「なんですか、それ」


 呆れたように笑う。真相は藪の中だ。それでも、僕は二人の友情まで壊れていないと信じたかった。


「……西倉さん。もう少しだけ、ここにいてくれませんか? 情けない顔を見せるかもしれませんが……私一人だと、やっぱり怖いので」


「分かりました。なんなら手を握りましょうか」


「こーらっ。私の手はそんなに、安くありませんよーだ」


 あっかんべーが続きそうな、おどけた口調だった。ふぅ、とひとつ息を吐いて意を決したようにスマホを手に取る。


「もしもし、久しぶり、だね。うん、私は元気だよ」


 ゆっくりと、涙声になりながらも。怯えて向き合ってこなかった過去に、向き合おうとしていた。机に置かれた震える手に、僕は手を重ねようとして……やめた。この手はそんなに安くないし、僕の力なんてなくても、二人ならまた友達になれるはずだから。


「ほら、ステラ。僕と遊ぼうにゃ」


 ふにゃあ、と気の抜けた鳴き声で答えてくれた。


「すみません、こんな時間まで付き合ってもらって」


「仲直り出来て何よりです」


 少しだけここにいてと言われて、気が付けば二〇時を過ぎていた。桑名さんとお友達さんがどうなったのか、尋ねる必要もない。最初のうちは涙声でごめんなさいを繰り返していたのに、いつの間にやら近況報告になって、あのキャラがどうとかこのアニメがどうとかとオタクトークになっていた。僕の存在は早々に忘れてしまったらしいが、表情がコロコロ変わる桑名さんを見ていたので、退屈はしなかった。ステラも構ってくれたしね。


「西倉さんがいなかったら、私はずっとこのままあの子から逃げていたと思います。本当にありがとうございました」


「そんな。僕はなにもしていません。桑名さんが勇気を出した、それだけのことです」


 このままじゃよくないって、心の中でずっと燻っていたんだ。だから僕がいなくても、なんらかのきっかけでお友達さんと和解していただろう。感謝されるようなものでもない。


 でも、ほんの少しだけ。勇気を奮い立たせる後押しができていたならば。そう考えてしまうのは、贅沢なのかな。


「ねえ、西倉さん。もう一度、撮ってもらえますか? 今ならきっと、いい写真が撮れると思います」


 もう、彼女は誰に遠慮することなく好きを貫ける。シャッター音を待っている彼女に、「舞織っぽいポーズ、お願いします」とリクエストをした。


「抽象的なことを言いますね」


 『っぽい』だなんて、アバウトなリクエストだ。マネージャーが一〇〇人いるならば、一〇〇通りの渚舞織観がある。でも桑名さんなら、僕の口にしていない期待に応えてくれる。そう、信頼していた。


 恥ずかしそうにしながら片足を上げて、脇を見せるように伸ばした左腕と、泣きぼくろに添えるような横ピース。初期衣装舞織の、特訓後のイラストのポーズだった。緊張しいな彼女がアイドルとして最初に見せた、大胆にして新しい自分になってみせると誓った宣戦布告だ。


「ナイスですね」


「ふふっ、真っ裸はNGですよーだ」


「伝わりましたか」


 最初はぎこちなかったが、シャッター音が重なるたびに二人とも余裕が出てきて軽口を交わせるようになってきた。彼女の心持ちが変わっても、僕の撮影技術は変わらないので、撮った写真はやはり手ブレがひどかったものの、ようやく僕は笑顔の推しを撮ることができた。

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