無菌室のハッピーエンド

2-1 推しのお誘い

 入学式でぶっ倒れた挙句、一目惚れしたコスプレイヤーさんに誤って告白してしまったら、カンフーで吹き飛ばされた件──。あまりにも濃厚な高校デビューを果たして三週間が経った。スタートダッシュでやらかした僕は、早くも皆から無視されておひとり様生活まっしぐら──ということもなく、それなりにうまくクラスでやっている。


 同好の士も少なからずいたのも僕にとっては幸運だった。休み時間にゲームや漫画の話で盛り上がったり、放課後に繁華街までいってアニメショップをハシゴしたりと、最悪の出だしを考えるとそれなりの青春を謳歌できていた。


 最初は教卓前の特等席だったが、昨日行われたばかりの席替えで人権席とも言える窓際の一番後ろを手に入れることが出来た。これもひとえに、僕の普段の行いの成果だろう。


 数学の授業中、窓から外を見ると2年生の女子がグラウンドでサッカーをしていた。どうして2年生か分かったのかというと、ボールを追いかけている女子の中に桑名さんの姿を見つけたからだ。顔面にボールが飛んでくると危ないので眼鏡を外してはいるものの、特徴的な濡羽色ぬればいろの髪は、他の女子よりも美しいく輝く。


 桑名さんはインドアな趣味をしている割に運動神経はよかった。周りの女子があまりやる気の見えない緩いお遊びプレーをしている中で、真面目に取り組む彼女の動きは一際キレがいい。動けるタイプのオタクなんだろうな。


 ピンク髪の派手な女子のロングパスを受けて、鮮やかなナイスシュート。カンフースターばりの強烈なキックから放たれた鋭いシュートが、見事ゴールへと吸い込まれていった。


 ゴールを決めた桑名さんよりも、パスしたギャル先輩の方が嬉しそうだ。サッカー選手みたいに軽やかなダンスをやってみせる。僕の視線に気づいたのか、ギャル先輩はくるりと回って上を見上げた。表情までは分からないが、多分悪戯っぽく笑っていたんだと思う。ピースを作って、チュッと投げキッスをひとつ。不覚にもドキッとしてしまった。


「ほう西倉、わしの話を聞かんで外見とるとはええ度胸やのう」


 おかげで先生がすぐそばまで来ていることに気が付かなかった。教科書の角で机を叩きつけると、銃声に似た音が教室に響く。


「放課後職員室に来なさい、お説教や」


 あ、これ僕死ぬな。絶対ボコられるやつだ。僕の机の上に菊の花が置かれているんだ。レストインピース、僕。


「あんなぁ、外で女子が体育しとってついつい見ちゃう気持ちはよう分かるで。わしも高校生の頃、学園のマドンナやったサチコちゃんをずっと追いかけとったもんや」


 授業が終わった後も、先生たちは部活動の顧問や明日の準備があるため、職員室の中はガヤガヤと落ち着かない。学校が中から高になっても、コーヒーの匂いで満ちているのは共通のようだ。


「それが今の嫁さんよ。結婚して25年やけど、今でも娘夫婦が羨むくらいにラブラブや」


「はぁ……」


 指を詰められる覚悟もしていたのに、最初にちゃんと授業は聞かんかいと怒られたくらいで、残りは同級生だったサチコちゃんもとい奥さんとの惚気話。同年代の男子女子との恋バナならまだしも、先生の話はどんな顔をして聞くのが正解なのか。


「まぁわしの話はその辺にしといて。意外と外で体育やっとる女子は、教室棟からの視線に気付くもんや。あのクラスはキレイどころも多いしな」


 言われてみると確かにそうかもしれない。桑名さん以外の先輩の名前はわからないが、人を惹きつける容姿の人が多かった。特に投げキッスをしてくれたギャルの先輩は、飛び抜けて目立っていた。


「失礼します。すみません、松村先生おられ……西倉さん?」


「く、桑名さん?」


 説教もとい嫁自慢が終わって帰ろうとしたタイミングで、職員室にプリントを持った桑名さんが入ってきた。


「噂をすると……ってなんやお前ら、知り合いかいな?」


「はい。色々ありまして」


 ひょんなことから、色々ありまして。ごまかすための単語はいくつあっても構わない。そそくさーと職員室を出て玄関へと向かう途中、桑名さんが早足で追いかけてきた。


「久しぶりですね。こうやって話すのは」


「ええ。入学式以来になります。意外とエンカウントしないもんなんですね」


 学校というそこまで広くないコミュニティならば、すぐにどこかで会うだろうと思っていたものの、部活や委員会に入っていないと上級生との交流の機会はほとんどない。連絡先を交換するのも忘れていたので、この三週間で僕を忘れようとしていたんじゃないかと思っていたくらいだ。


「ばいばい藍月あつきー」


「さようなら。また明日」


 並んで歩いていると、すれ違う先輩たちが桑名さんにあいさつをしていく。揃いも揃って、オタクの匂いを感じさせないカタギの人たちだ。隠れキリシタン的生活を強いられるのも仕方がないのかもしれない。


「ちょうど今日、西倉さんの家に行こうとしていたところなんです」


 校門を出て駅へと向かう途中、周りに学校の生徒がいないことを確認してそう言った。


「なんか約束していましたっけ?」


「陽子さんに借りていた『イグニスクロス』をお返ししようと思いまして。ようやく見終わったんです」


 ああ、そうだ。あの人母さんが無理矢理に押し付けたんだっけ。全部見終わったのかな……あれ?


「もしかして、初代からマラソンしたとか?」


 初代から追いかけてみないと失礼だ、とオタクの鑑発言をしていたことも同時に思い出した。


「本当はそうしたかったのですが……さすがにいつまでもお借りしているのも申し訳なくて、とりあえず初代から始まる銀河クロニクルシリーズ、で良いんでしょうか? イグニスフォースまでのテレビシリーズを履修して、その後に別シリーズのイグニスクロスを……」


「いやいやそれでもすごいことですからね」


 銀河クロニクルシリーズは初代から数えて四作テレビアニメが作られている。さらにイグニスクロスも合わせて三週間で見終えたとなると、ほとんど眠れなかったんじゃないかな。


「面白かったので時間は気になりませんでしたよーだ……ふぁーあ……」


 ニヘラと笑ってピースサインをひとつ。そしてあくびもひとつ。


「なので、お借りしたものを家まで取りに戻って、返しに伺おうと思っています」


「それは悪いです。家に来たら母さんに捕まって長話に付き合わされるだけですし。それなら僕が家まで持って帰りますよ」


 むしろ少しでも睡眠時間を取るべきだ。いつかのイベント全力疾走の末に倒れた僕と同じきびすを踏んで欲しくない。


「えっと、それは西倉さんが私の家まで来ると?」


「あー、そうですね。僕が行くのはあまり良くないですよね」


 往復させてしまうことになるが、桑名さんに借りたものを取ってきてもらって、駅で預かるのがベターだろう。そう言おうとしたら、眼鏡を拭きながら、気恥ずかしそうに答えるのだった。「……うちに来ませんか?」と。

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