1-10 推しと推し

 ダイレクトマーケティングという言葉がある。本来は、「企業が消費者と直接コミュニケーションを取って、商品やサービスを宣伝、販売する商法」だが、オタクが口々にする略語のダイマは、少々意味合いが違う。


 好きな作品やキャラクターの魅力を伝えて、同好の士を増やすために、SNSやオタクの集まる集いで熱心にアピールする。ドリドリのマネージャーもダイマは大好きで、特に年に一度ある総選挙という名目の人気投票では、俺たちの担当が一番だと各マネージャーたちによって引き起こされるダイマ合戦も、一種の名物であった。


 どれだけこの作品が面白いのか、どれだけこの子が素敵なのか。熱く語るのはオタクの性だけど、やりすぎると逆効果だ。例を挙げると、今目の前で、推し作品へのほとばしる愛を、桑名さんにぶつけている母さん。語っていくうちに気分が良くなってきたのだろう、桑名さんが困りきっていることにも気付いていない。


「母さん、どう見ても桑名さんドン引きしているからね」


「あっ、ごめんなさい……私昔からこんな感じで。ビックリさせようと思って玄関に置いたんだけど、エンジン掛かっちゃってつい早口になっちゃった」


 舌をぺろりと出して頭をコツンと叩く。ついでひき逃げをしないでほしい。母さんの洗礼を受けた桑名さんは、半ば無理矢理な笑顔を浮かべて三歩ほど後ろに下がっている。


「桑名さん、気持ちはわかりますがせめて姉さんに感想を伝えましょう」


「そ、そうですね……お母様のお話が通じなかった私が悪いんですし……帰ったら初代から配信サイトで見てみます」


「それだと一ヶ月あっても辿り着かないです。クロスだけ見たら母さんの話は理解できますよ」


「でもシリーズものなら、初代から追いかけないと……積み重ねてきた歴史に対する敬意やオマージュを作中に込めたとして、それが理解できないと失礼だと思いますし」


 イグニスに対してなんとなく程度の知識しかない桑名さん相手に、早口のオタクMCバトルを持ちかけた母さんの方が悪いに決まっている。なのに自分の知識不足が悪いんですと、しかも初代から履修しようとするとは、なんと真面目な人なんだろう。


「姉さんは大丈夫そう?」


「さっきまでビクビクしていたわよ。でも、さすがにそろそろ覚悟決めたんじゃない?」


 ケラケラと笑いながら答えて、すれ違いざまにサムズアップ。もしかしたら、長々と推しトークを繰り広げていたのは、十三階段を登りゆく死刑囚の気分で待っている姉さんの、心の準備ができるまでの時間稼ぎだったのかも……いや、単純に語りたかっただけだよな、あの人の場合。いつまでも待たせるのも悪いので、ドーナツ箱を片手に姉さんの部屋へと向かった。


「姉さーん、入るよー?」


 トントン、トントン。ノックをして呼びかける。返事はない。


「そろそろ観念しなよー? 別にとって食おうってわけじゃないんだしさー」


 部屋の中でガサゴソと物音が聞こえるので、寝ているというわけではなさそうだ。


「アリト先生、大丈夫でしょうか?」


「あはは……どうでしょう……」


 対人コミュニケーションを苦手とする姉さんだが、昔はそんなことはなかった。少なくとも、僕が小学校に入るくらいまでは明るく人当たりのいい性格をしていたし、友達も家に遊びに来ていた。


 でもある日を境に、姉は今の性格になってしまう。学校の怖い話にありがちな、鏡の中に住む正反対の自分と入れ替わってしまったみたいで、当時の僕は鏡を見るのが怖かった。なにがあったのかは、未だに話してはくれない。


 それでも。対人関係が怖いなりに頑張って学校に通って、好きを仕事に繋げイラストレーターとして活躍している。今や四万人近くのフォロワーを率いる、人気絵師だ。例に挙げるとセレブが集まることで有名なモナコ公国の人口が、三万九千人ほど。小さな国の住民全員が姉さんを応援しているようなものだ。


 しかし当の本人はあまり喜んでおらず、『フォロワーの数は向けられた銃口の数だよ』と物騒な考えを持っていた。国民全員から銃口向けられるなんて、どれだけの暴君なんだか。そこはせめて差し出された花束の数と考えなよ。


 もう一度ノックをするも、姉さんは扉を開ける様子はない。日本神話の天岩戸伝説よろしく、扉の前で宴を始めると開けてくれるのかな。寂しがり屋な人だし。なんて思っていると、桑名さんは意を決したように扉の向こうへと言葉を紡ぐ。


「壁越しですみません。本当は面と向かって伝えたかったのですが……私、桑名藍月くわなあつきって言います。西倉さんからお話を聞いて、感想を伝えたくて来ました。新刊本当に素敵でした」


 ゆっくりと、早口にならないように。ひとつひとつの言葉を丁寧に。


「無邪気じゃいられない、子供と大人の間を生きているアイドルの苦しみが、喜びが……アリト先生の優しいタッチの絵から痛いくらいに伝わってきました。ページを捲る手が止まることもありました。でも、ドリドリという物語が積み重ねてきたかけがえのない記憶と物語が、新しい世界へと後押ししてくれて。最後の千穂ちゃんと冬美ちゃんの笑顔に、救われました。ドリドリが好きでよかったって、アリト先生のファンでよかったって思えたんです。もし私に神絵師なんて呼ばれる画力があったとしても……この物語は描けません。月並みですが、素敵でした。好きです、とても」


 「尊い」、「エモい」、「神」。お手軽に感想を伝えることのできる、ポケットティッシュのような単語も便利だろう。漫画のセリフを改変した画像を貼って、感想を送ったつもりになる人もいる。それでも本当は、みんな他の作者には送ることのできない言葉を望んでいるんだ。その証拠に、鍵が開いてゆっくりと扉が開く。


 こちらを伺うようにして、前髪に隠れて怯える瞳が、上から下まで桑名さんを眺める。いつものジャージじゃなくて、イベントに行く時用のお洒落な服を着ているのは、母さんに着させられたのかな。ゆっくりと品定めをしているようで、桑名さんは少々固くなってしまった。


「どう、ぞ。入って、くだ……さい……」


 僕相手だと遠慮も容赦もないのに、借りてきた猫のようにおとなしくオドオドしている。弟くらいの年齢なのだから、もっと堂々とすればいいのに。


「お、お邪魔します」


 姉さんの部屋に入って真っ先に目につくのは、壁に飾られている推しコンテンツのタペストリーやポスター。ドリドリのアイドルたちはもちろん、銃火器を擬人化した男子や、水滸伝をモチーフにした乙女ゲームのイケメンたち、その隣には体操服を着た小学生女子と、雑食オタクによる美術館の様相を呈している。


「ごめんなさい。ごちゃごちゃした部屋で」


「そんなことないです! グッズがたくさんあるのに、部屋の中が綺麗に片付いていて尊敬します。私たちの部屋とは大違い……」


 ごちゃごちゃしているのは姉さんの雑多な趣味の話で、部屋が片付いていないとかではない。むしろ毎月給料のほとんどをグッズやらに費やしているのに、きちんと整理整頓されている清潔な部屋だ。対人コミュニケーションが苦手だからといって、生活力がないわけじゃない。家事も一通りできるし、これで結構嫁力が高いのだ。


「えっと、その……あなたのコス、プレ……えっと、尊い……いや、そうじゃなくて、舞織そのもので……ごめんなさい、うまく、伝えられなくて……」


 絵を書くたびに、姉さんはいくつも感想をもらってきた。だけどその逆に、感想を伝えることには慣れていない。伝える側と、伝えられる側が逆転した部屋の中、僕は姉さんの手を取る。


結星ゆうせい?」


「大丈夫、姉さんの声はちゃんと届くから。ゆっくりで、いいんだよ」


「……うん」


 姉さんの手は僕よりも小さい。でもいつだって、自分の衝動をこの手に込めてきた。色紙とペンを手にとった姉さんは、得意げに笑ってみせた。

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