1-9 家に帰ると母が推しの等身大パネルを置いています

 駅から歩いて数分程度の良立地にある一軒家が、我ら西倉家の城になる。何年ローンだとか、月々おいくら万円だとかは聞いたことはないが、両親ともに仲良く推し活動にお金をじゃぶじゃぶ使っているのだから、無理のない程度に組んでいるはずだ。


「庭付き一戸建て……自分の部屋があるんですか? 庭でキャッチボールをしたり、夏はビニールプールで遊んだり、休日はバーベキューをしたりするんですか?」


 激務を終えたサラリーマンが、最終電車に揺られながら、ふと一戸建て物件の広告を見たときに抱く憧れみたいな先入観だ。いや、僕も社会人に対してどんな先入観を持っているんだって話だけれども。


「そんな陽の世界の住民みたいな生活を、西倉家に期待しないでください。基本的に家族全員インドア派なので、そういうのはありませんでしたが、自分の部屋はありますよ」


 旅行に行くといっても、アニメやゲームの聖地巡礼目的ばかりだし、姉さんに至っては人見知りが激しすぎて、コンビニに行く時すら挙動不審になってしまうくらいだ。


「羨ましいです。私の家はマンションなんですが、妹と同じ部屋なのであまり広く使えなくて。あの子はアイドルオタクで、部屋の中では二次元と三次元の推しのグッズが混在しているんです」


 二次元のアイドルを推す姉と、三次元のアイドルを推す妹。同じ次元を推すオタク同士でも、時として意見が合わなくてトラブルになりかねないのに、異なる次元を推す姉妹が一緒の部屋で暮らすとなるとなおさらだろう。


「私も妹もお互いの推しは絶対に否定しないと決めていますし、買ったCDを交換することもあるので、姉妹仲は良好だと思いますよ」


 それを聞いてホッとする。互いの推しは馬鹿にしない、尊重する。大事な心掛けだ。僕も気をつけてはいるつもりでも、ふとした拍子に誰かの好きなものを馬鹿にしてしまうかもしれない。そうなった場合、最悪戦争が起きてしまう。


「ふぅ……好きな作者さんに直接感想をいうのは、緊張しますね」


「大丈夫ですよ。今ごろ姉さんも緊張しているでしょうし。感想は栄養です、気楽に伝えてあげてください。好きですって言われて喜ばない創作者はいませんよ」


 もしそんな人がいるならば、それは交通事故にあったようなもの、いちいち気にすることもない。プロでもアマでも、何より嬉しいのは面白かったとか好きだとかの感想。人によっては酷評すらもパクパク食べてしまう。


 なにより怖いのは無関心だ。無視されること、気付かれないことで、簡単に心が折れそうになってしまう。少なくとも、僕の知っている範囲ではみんなそうだ。


 神だと崇められ何万ものフォロワーがいたとしても、反応がもらえなくなる不安を抱き続けて創作を続ける。たった一言「好きです」と言って伝えてあげるだけで、報われる人も救われる人も山ほどいるのだった。


 いつまでも家の前で問答をしているわけにもいかない。緊張で手が震えながらも、深呼吸を何度かした桑名さんは、気合を入れるように頬をパチンと叩いて、「大丈夫です」と微笑んだ。


「ただいまーっと」


「お邪魔しま……!?」


 玄関を開けるなり、桑名さんは言葉を失ってしまった。それもそうだろう。玄関とは家の内と外を繋ぎ、客人を迎え入れるための場所だ。その家の第一印象になるため、綺麗に片付けおもてなしの心を持って、お洒落なインテリアや花瓶なんかを飾るのが一般的だろう。


 しかし西倉家の玄関には、本来あってはならないものが自己主張していた。家を出る前には、こんなものは置かれていなかったのに。間違い探しなら、一瞬でわかるくらいだ。


「あの、西倉さんっ。あんまり詳しくないのですが……この人ってイグニスのキャラクター、なんでしたっけ?」


「はい。『銀河機甲神イグニス』シリーズの… …何作目かは忘れましたが、『イグニスクロノ』の主人公の一人、ユウセイ・アイ・フジバヤシの等身大パネルです」


 日本一有名なロボットアニメは何かと聞かれると、多くの人が『銀河機甲神イグニス』シリーズの名前を挙げるだろう。初代様が始まったのが四〇年も前で、当時のちびっ子たちはみな夢中になったという。


 その後も続編やイグニスの看板を借りた派生作品が多く作られ、中でも二〇〇〇年初期に放送された『イグニスクロノ』は当時人気だった漫画家がキャラクターデザインを手がけ、美男美女と無骨なメカたちが繰り広げるドラマは老若男女問わず多くのファンを生み出したんだとか。


 母さんもその一人で、後に生まれてくる子供に、お気に入りの主人公であるユウセイの名前をそのままつけてしまったくらいだ。言わずもがな、僕のことである。とはいえ、さすがにアニメキャラから名前をとりましたと答えるのは恥ずかしいので、由来を尋ねられたときは、『星と星を結ぶような、宇宙レベルでスケールの大きな子供になってほしい』、とそれっぽい理由をでっち上げている。


 ちなみに僕の姉西倉純にしくらじゅんの名付けの由来も似たようなもので、建前としては『純粋な子に育ってほしい』なんてそれらしい理由があるが、本当は父さんの好きなラブコメ漫画のヒロインの名前から取られている。政治家や病院の院長の子供が親の地盤を受け継ぐように、西倉姉弟は、生まれ落ちたその瞬間から、オタクになる未来が確定していた。


「かっこいいでしょー? 私の大切なコレクションなの!」


 ドアが空いた音に気付いて、たったったっと軽やかな足取りで母さんがやってきた。


「ユウセイはね科学技術の進歩によって遺伝子操作された強靭な肉体と優れた頭脳を持って生まれた始まりの──」


 ペラペラペラと聞いてもいないのに、早口で捲し立てる。母さんは好きなものには饒舌多弁になるオタクだ。小さな頃から子守唄のように聞かされてきた僕はともかくとして、桑名さんは完全に勢いに気圧されている。


「イグニスクロノの一五周年記念イベントで抽選一名様に等身大パネルをプレゼントするって企画があったの! それがこれ! 世界に一つだけのユウセイパネルなの! すごいでしょ! 尊いでしょ!」


 気の毒にも、桑名さんは初めてヒーローインタビューを受ける野球選手のように、「そ、そうですね……」と答えることしかできなかった。雑食オタクだからといって、全てが許容できるわけじゃない。


 人は狂気を前にすると、とことん無力だ。血の繋がった母親だとしても、この人は狂人だと胸を張って言える。


 どうしてもこれが欲しかった母さんは、日本中のご利益があるというお寺というお寺にお参りしに行き、御朱印帳には北海道から沖縄まで、全国各地のお寺の御朱印が押されている。逆にいえば、それくらいの覚悟を持たないと、世界に一つだけのプレミアグッズは手に入らないのだろう。

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