1-8 ドーナツは裏切らない
電車通学ということで、僕は通学定期を使っている。改札にタッチするたびに、ほんの少しだけ大人になった気分になるのは僕だけじゃないだろう。
意味もなく往復ができる僕とは違って、桑名さんの家は風高から徒歩圏内だという。片道でペットボトル一本程度の交通費くらいは、僕が出すことにした。
「それは悪いです。私の方が年上なのに」
「生まれたのが数ヶ月早いってだけじゃないですか。そもそもはこっちが悪いんですし。僕にも男としての面子があります。ここは甘えてください」
「むぅ、先輩としての面子というものもあるんですよ」
家までの道中でようやく知ったことだが、彼女──
桑名さんが挙げた名前の中には僕が履修していない作品もあったが、楽しそうに話すものだからついつい興味を持ってしまう。ぐいぐい推されるとかえって抵抗してしまうのに、彼女の話し方は程よい塩梅だ。優しく聴き心地のいい声で話すものだから、ストンと僕の心に入ってくる。
ただ、女性のオタク=腐っているという認識を持たれるのには、少なからず抵抗があるらしい。曰く「薔薇よりも百合を愛でたい派なんですよ」とのこと。女の子同士がイチャイチャしているのを見る方が好きだという。
「すみません、私ばっかり語っちゃって。普段隠れキリシタンみたいにコソコソしているので、その反動でつい」
「隠れキリシタンって。そんな大袈裟な」
今の時代、当たり前のようにアニメキャラがコンビニの店内放送をしているし、動画サイトで楽曲を発表していたクリエイターが年末の歌合戦に出たこともある。テレビをつけたらバラエティ番組やドラマに声優さんが出演して、子供のなりたい職業の上位にきていた。サブカルチャーと呼ばれたはみ出し文化も、それなりに市民権を得ている。バレたら迫害されるほどの趣味でもないはずだ。
「少なくとも、私はオタク趣味を隠し通すつもりです」
「そう、ですか」
しかし、彼女には彼女の事情がある様子で、歩みを止めると寂しそうに答える。どこか遠い目をして、これ以上は踏み込んでほしくないと言っているようにも聞こえた。
「だから西倉さんと知り合えて嬉しいんです。私にした仕打ちは骨になっても忘れるつもりはありませんが、一緒にいて楽しいです。私なんかの話を嫌な顔せず聞いてくれますから」
「誰かの好き語りを聞くのは、僕も楽しいですよ。それよりも桑名さん、お人好しだって言われませんか?」
僕の質問に、「よく言われます」と笑って答えた。あんな最悪な出会いだったのに、ほんの数時間後にはこうやって笑い合えている。それほどまでに、桑名さんは自分が自分らしく「好き」を笑顔で話せる場所を望んでいたんだ。
「そうだ。姉さんの心の準備もあるので、なんかお土産でも買って帰ろうと思うのですが……桑名さんって好きなもの、ありますか?」
「好きなものですか? そうですね、主人公を少年と呼ぶタイプのお姉さんですね」
「せめて食べられるものでお願いします」
「私は美味しくいけますよ? 少年と呼ぶタイプのおじさんも好きですよ」
ふざけてなんていませんよ、と言わんばかりに真顔で言ってのけるが、僕も少年と呼ぶタイプのお姉さんもおじさんも好きだ。むしろそんな浪漫の塊を嫌いな人の方が少人数な気もする。
「それについては僕も同意したいところではありますが。胃の中で消化できるもので、なにかないですか?」
「ちょうど向こうにあります。私の好きなお店ですよ」
指さす方向にあるのは、全国各地にあるミスターなドーナツチェーン店だ。軽やかな足取りでお店の中に入っていき、色とりどりのドーナツを選んでいく。
「ええ。毎日朝昼晩ともドーナツだけでも私は生きていけますよ」
「身体中の水分がなくなりませんか、その食生活じゃ」
ドーナツが美味しいという点については、イチャモンのつけようがない。でもドーナツだけの生活を続けると、太ったミイラになってしまうんじゃないかな。
「確かに。そうですね……毎食ドーナツとコーラで生きていけます」
「アメリカ人の食卓じゃないですか。絶対太りますよそれ」
「ぶっぶー。私の信奉するゼロカロリー教の教えによるとドーナツを揚げている時にカロリーが飛ぶのでゼロカロリーなんですー。コーラ分しか太りませんよーだ」
芸人発の無茶苦茶な理論を得意げに語る。真ん中に穴が空いているドーナツは0の形をしているからゼロカロリー、みたいなあれだ。桑名さんの場合、もう少し肉があってもいい気はする。いや、でもそれじゃあ舞織の体型から離れてしまうもんな……。
「というか、コーラはゼロカロリーのを飲まないんですね」
「あっちは味気なくて苦手なんです」
「それすごく分かります」
と、そんな頭の悪い会話をしながらドーナツを選んで会計をする。もちろんこっちも支払いは僕持ちだ。交際費として母さんに請求できるよう、領収書に
「奢ってばっかりでなんだか悪いですよ」
先輩としての面子を気にしている様子だが、元を辿ると悪いのは僕だ。それに彼女は僕以上に手広く推し活動をしているので、金銭的に大変だろうことは容易に想像できる。
「ドーナツを買えたお金があるならば、推しに費やしてあげてください」
永遠に続くものなんて存在しない。特にソーシャルゲームなんて明日がある保証もなく、サービスを開始してからハーフアニバーサリーまで持つゲームがどれだけあるか。
僕らが楽しんでいるドリドリだって、なんらかの理由で急にサービス終了を告げる可能性だってある。終わりが来るのに、丁寧な伏線があるとは限らない。推しは推せる時に推さないと、後々後悔するのは自分だ。
「むー、次は私が払いますからね!」
納得がいっていない顔をしてはいるが、今日のところは先輩として後輩の顔を立ててくれるらしい。次は、か。折角同業者と知り合えたんだ。今日一日だけの付き合いで終わるのは寂しいもんね。
「じゃあその時は、甘えちゃいます。あ、そういやそろそろフェススカウトの時期なのでプリペイドカードを」
「胃の中で消化できるものでお願いしまーす」
悪戯っぽく笑って、両手の人差し指でバッテンマークを作った。
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