1-7 感想ジャンキー
「えっとですね。先程の西倉さんのお話なのですが、お姉さんがアリト先生というのは……本当なんですか? アリト先生の呟きには弟さんの話も度々出ていましたが……めんどくさい舞織ちゃん推しマネージャーの」
「ええ。僕がめんどくさい舞織推しの弟です。サークルブースに姉さんと一緒にいたのですが、憶えていませんか?」
「すみません。あの時はその、同じ学校の人に見つかるのが怖くてアタフタしていたもので……私、クラスでは非オタクで通しているんです」
なるほど、そういう事情があったのか。確かにパッと見、ソシャゲのガチャ爆死や転売ヤーに怒りを覚えるタイプの人には見えない。両親、姉と生まれつきオタクに囲まれてきたせいか、同族の匂いには敏感だ。お風呂に入っていないから臭い、というわけじゃなくて、うまく隠したところでこの人は同類だろう、ってのはなんとなく察せる。桑名さんは一般の方への擬態が上手だ。意図的にオタクらしさを消して、日常を過ごしている。
「話が逸れましたが、今日私は西倉さんに散々振り回されたわけなんですよ。謝ったって許してあげません」
わけのわからない告白をされ、挙句の果てに殴ってくれときた。こうやって普通に会話してくれるだけ、有情というしかない。
入学式失神事件を起こしておいて、その数時間後に清楚で美人な先輩相手に無礼を働いたとなると、僕の居場所はなくなってしまう。先立つ不幸をお許しくださいと、屋上から飛び降りる以外の選択肢はなかった。
「でも、ひとつだけ。私のお願いを聞いてくれたら、今日の出来事を忘れてあげます」
「親が泣かなきゃ、なんでも聞きます」
それで許してもらえるならば安い話だ。この
「息子が女の子に殴ってくれと頼んでいたと聞くと、親御さんは確実に泣くのでは?」
「ああ、それなら。母さんも父さんも腹を抱えて笑うと思います」
「大丈夫ですか? 虐待されていません?」
虐待だなんてとんでもない。お盆時期と年末には、家族全員で有明に旅行に行くくらいには仲が良い。
「お姉さん……アリトさんに伝えてほしいんです。新刊、素敵でしたと。
千穂と冬美もドリドリに登場するアイドルだ。小動物系で感情表現が苦手な千穂と、眩しいくらいに明るいギャル系アイドルの冬美の組み合わせは人気がある。時々千穂が冬美のことを好きすぎて、ヤンデレ気味になってしまう二次創作もあるが、好き嫌いは別としてそれだって立派な解釈のひとつだ。「なんとなく流行っているからヤンデレにしました」とかぬかすならば、舌打ちしちゃうけれど。
当日は完売して渡せなかったけれども、あの後委託販売分を購入してくれたらしい。渡せなくて申し訳なさそうにしていた姉さんも喜ぶだろう。
オタクは感想を口にすると早口になりがちだ。僕も気をつけてはいるものの、その傾向があった。頭に浮かんだ言葉が歯止めもきかずに流れてくるので、一方通行な超特急になってしまう。
桑名さんは、アナウンサーが大切なニュースを伝えるみたいに、出来る限りゆっくりと噛み締めるようにして、感想を紡いでいるように見えた。でもそれを届けるべき相手は、僕じゃない。
「待ってください。僕を伝書鳩にするよりも、うちに来て直接姉さんに伝えませんか? その方が喜ぶと思います」
「え、ええ? アリトさんにですか!? そんな、おそれ多いです! 私なんて、いちファンにすぎないんですよ!?」
予想外の提案だったらしく、アタフタしだす。僕だって好きな漫画の作者やキャラクターの声優さんに直接会えますよと言われたら、同じようにうろたえるはずだ。
もっとも、そんな機会はそうそうない。推し作家の弟と知り合えた彼女は、宝くじに当選したようなものかもしれない。
「もったいないじゃないですか。推しがすぐ近くにいるんですよ? わざわざ委託で買ってくれて、丁寧な感想まで持っているんですし。うちの姉はエゴサ大好きの感想ジャンキーです、安心してください」
ドリデンが終わってから結構経っているにも関わらず、姉さんは未だに感想を探している。それほどまでに飢えているのだから、褒められて嫌がるわけがない。過剰摂取でオーバードーズするくらいが、創作者にはちょうどいいのだ。
「舞織そっくりなかわいい女の子からの感想なら、喜ぶに決まっていますよ」
「かわいいって! あまりからかわないでくださいよ……でもそこまで言うなら、アリト先生に感想を伝えようと思います」
それくらいしないと、僕は許されちゃいけない気がした。問題は人付き合いを苦手とする姉さんが、桑名さんの感想を聞いてくれるかどうかだ。
「ただ一つ、お願いがありまして。桑名さん、決してやましいことには使いませんから、写真を撮っていいですか」
「どうしてですか? アリト先生に会うには写真審査を突破する必要があるのですか?」
うん、そうなるよね、当然の反応だ。この人は何を言っているんだと言わんばかりに、不審者を見るような目つきで僕を見ている。
「違うんです。うちの姉はネットでは饒舌ですが、他人と会話するのが大の苦手なのです。いきなり桑名さんを連れて行くと、怯えて部屋にこもってしまうかもしれません。あの人、メンタルがクソ雑魚なので、下手したらビックリして心臓が止まってしまう可能性もゼロじゃないです」
なので、心の準備期間を作る必要があった。本当なら、数日くらいあけたほうが姉さんのメンタル的には優しいのだけど、いつまでも「人見知りだから」をいいわけにして欲しくない。
桑名さんと引き合わせることで、人見知りを治すきっかけになるといいし、なにより姉さんも彼女の舞織コスのファン、推しなんだ。姉さんにも伝えたい言葉があるかもしれない。
「うーん、イマイチ釈然としませんが……アリトさんのメンタルが弱いのは、フォロワーならば周知の事実ですから。この前も、推しキャラが死んでしまって喪に服していましたし」
「良くご存知で」
それでいて、好きになったキャラほど死んでしまうタイプのオタクで、死神の花嫁を自称している。リアルで人を好きになった時はどうなるのか、知りたいような知りたくないような。
「推し死にたもうことなかれって名言を残しましたもんね」
「うーん、割とみんな使っているワードな気もしますよそれ」
姉さんのファンであり、性格も知っている桑名さんは、無茶な要求を納得してくれたらしい。写真を撮るべくスマホを向けると、気恥ずかしそうにピースサインを作ってくれた。
「変なことには使わないでくださいね? 送ったらすぐに消してくださいね?」
「わかっていますよ。んじゃ、送信っと」
桑名さんが例のコスプレイヤーで、姉さんのファンだということを説明し、撮った写真も送ると既読がすぐについた。
『大丈夫だ、問題ない』
数分後、姉さんからではなく、母さんから返事が届いた。今なお擦られ続けてはいるものの、一〇年も前のゲームのPVのセリフが、僕たち世代に通じるかは微妙なところだ。
『心の準備がいるからできるだけゆっくり来て』
母さんからのメッセージを追いかけるようにして、姉からも返事が届く。仕方ない、行く途中でなんか買って帰るとしますか。
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