1-5 膝枕と土下座と告白

「……ここは?」


 目を覚ました僕の視界に広がったのは、ひじき模様の天井ではなく赤焼けた空。吹奏楽部の合奏練習に混じって、どこか遠くから寂しげな曲が聞こえてくる。夕方五時くらいになると流れる曲だ。曲名はなんだっけ。


 意識がはっきりしていくにつれて、頭の下で柔らかな感触があることに気付いた。明らかにコンクリートではない。まるで頭の下に枕を挟んでくれたような……。同時に、甘い香りが鼻をくすぐる。


「すぅ……」


 空を見上げていると、視界に大きく顔が入ってきた。濡羽色の髪、ピンクの眼鏡と泣きぼくろ。コクリコクリとゆったり船を漕いでおり、かすかな寝息が頬に触れてこそばゆい。至近距離にある彼女の顔と、柔らかな感触。それが意味することは一つ。


「ふぁ、目が覚めましたか?」


 うたた寝をしながら、ガクリと身体を痙攣させる。確かジャーキングと呼ばれる現象だ。自分の意思とは関係なく、脳が間違って筋肉を収縮させる信号を送ってしまうことで発生するんだとか。授業中、僕も何度かやらかした思い出がある。その都度、周りの視線を集めて恥ずかしさが込み上げたものだ。彼女もそれで目が覚めたらしい。


「ええ。それは僕も同じセリフを言いたいのですが。なぜ今僕はひざ枕をされているのでしょうか」


「さすがにコンクリートの上で西倉さんを寝かせるのも悪いと思いまして。乗せ心地が悪かったでしょうか?」


「いえ、最高です。自信を持ってください」


 心からの言葉だ。彼女のひざは家の枕よりも柔らかく温かい。人肌の感触って、こうなっているんだなぁと勉強になる。ここで耳掃除なんかもしてもらえると最高だ。


「ありがとうございます? ですが、いつまでこうしていたらよいでしょうか? 決して楽な体勢ではないですし、その、やはり恥ずかしいので……」


 周りに誰かがいるわけでもないのに、コソコソと小声で話す。僕が至福のひざを味わっている一方で、桑名さんはコンクリートの上で正座して僕の頭を乗せているんだ。人の頭は体重の一〇パーセント程だと聞いた記憶がある。となると、今彼女のひざの上には五キログラム前後の重しが乗っているわけで、江戸時代の石抱き拷問となんらかわらない。


「すみません。でも内臓がですね、それはもうグチャグチャのガチャガチャなのでもう少しでっえ!」


 テーブルクロスを引くようにひざを引くと、僕の頭は重力に逆らえずコンクリートに落ちてしまう。鈍い音が響くと同時に、新しい痛みが僕を襲った。


「ごめんなさい。でもこのままだと、世界が終わるその時まで、西倉さんにひざ枕をするだけの存在にさせられそうだったので」


「失礼な。いくらあなたのおひざが魅力的とは言っても、世界の終わる瞬間くらいはもっと別のことをしていますよ……いたたた」


 たんこぶができていないかと頭を撫でつつ抗議を入れる。


「あれ? さっきから西倉さんって言っていますが……名乗りましたっけ?」


 自己紹介をしていないのに、どうしてか彼女は僕の名前を知っていた。風高ではネクタイの色によって学年が分かれているようで、僕たち新入生は青色だ。彼女のネクタイは緑色ときた。二年生か三年生か、どちらだろうか。同じ中学校の先輩だったのかなと考えてはみたものの、帰宅部員の僕に先輩後輩と知り合う機会はほとんどない。


「私、保健委員なんです。今日は当番だったので学校に来ていたのですが、藤王先生が『西倉を! 結星ゆうせいを! よろしく頼むうう!』ってお姫様抱っこで連れてきて。入学式で倒れたんですよね?」


「待ってください。僕、藤王先生にお姫様抱っこされていたんですか……?」


 コクリと頷いた。さあ、想像してみよう。入学式の最中に倒れた僕、ワンアウト。駆け寄るクマのような巨体。新入生たちが好奇の視線を送る中、藤王先生にお姫様抱っこをされて、体育館から連れ去られる僕。ツーアウト。そして、先輩相手に殴ってくださいとお願いする僕。スリーアウト。


「明日から引きこもろうかな」


「まあまあ。逆に考えましょう。出だしでこれからの学園生活で起きる全ての厄を受け止めたんだと」


「そこまで前向きな人間じゃないですね」


 入学式で倒れるだけでもアウトなのに、そんな目立つ形で保健室まで運ばれたなんて、最悪のK点をビュンと通り越してしまった。新入生の間で、僕はもう話題になっているはずだ。もちろん、悪い意味でだ。穴があったら埋まってしまいたい。


「それで。このメモを書いたのは桑名さん……ですか?」


「そうです! その話をしたかったんですよ! どれだけ待たされたと思っているんですか! おまけにいきなり殴ってくださいって言われて、怖かったんですからね!」


「す、すみません?」


 本題に入ろうとする矢先、思いっきり桑名さんに怒られてしまう。また拳が飛んできやしないか、思わず身構えてしまった。


「そもそもですよ? 初対面の人に、いきなり好きですって言われてびっくりしたんですから」


「あー、やっぱりあれは夢じゃなかったんですね……」


 思い返して途端に恥ずかしくなる。寝不足で頭がボーッとしていた僕は、ドリデンで出会った彼女の面影を持つ桑名さんに告白してしまった。あれは夢だと思っていたのに、紛れもなく現実だった。


「言うだけ言ってすぐに寝てしまったから、メモ書きをしたんです。まさか三時間も待たされるとは思っていませんでしたが……それでですね。正直まだどうすべきか、私も分かっていないので、まずはお友達から……ってなんですか!?」


「本っ当にごめんなさい!」


 入学して早々、女の子の前で土下座の実績を解除してしまった。コンクリートに額をつけた僕は、ひたすらにごめんなさいと謝罪の言葉を繰り返す。顔をチラリと上げると、夕日が沈みつつある水平線が淡く輝いていた。


「いきなり土下座なんて、一体」


「違うんです。あれは夢だと思ったんです。桑名さんがその、一目惚れした人に似て……あれ?」


 さっきの桑名さんの発言が再生される。


『……私にはどうしても許容できないものが二つあるんです。一つ、人がスカウトで爆死しているのに、私は引けましたとマウントを取ってくる人。二つ、声優と声優のやりとりに割り込むオタク……』


『……訂正します、三つでした。限定フィギュアを買い占めて……俺たちは流通の一部だとか詭弁を抜かして市場よりも高い価格で転売する転売ヤー……連中のせいで私の舞織ちゃんが……舞織ちゃんが……』


 怒りに身を任せた彼女の言葉は、明らかにカタギじゃなく、僕の同業者だ。そして、脳裏に浮かぶのは、あの日の渚舞織。彼女と推しが重なった瞬間、立ち上がり手を取っていた。


「好きです」


「はい?」


「ドリデンで一目見た時から、好きなんです! あなたの舞織コスに、ビビッと来たんです!」


「っ!?」


 自分でもこんなに情熱的な人間だとは思わなかった。でもあふれる気持ちが止まらない。だって目の前に、咳き込みながら困惑しきる渚舞織がいたのだから。

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