俺はこの世界が大好きだ。
紫栞
俺はこの世界が大好きだ。
自分は有名になりたかった。
なにかに秀でたかった。
自分の名前に恥じない人生を歩みたかった。
俺、秀徳(ヒデノリ)はずっと考えていた。
頭がいいわけではない。
運動ができる訳でもない。
芸術にも優れていないし、手先が器用な訳でもない。
平凡極まりない自分を何度も憎んだ。
中学での成績も中の中。
高校は上の下に通い、大学もそれなり。
望んだ会社には入れなくて、日々を淡々とこなす。
どこから間違えたのだろうか。
間違えた訳では無いのだろうか。
部活も一生懸命にした。
けれど県大会がせいぜいだった。
周りにはすごいと褒められた。
地元の地方紙には小さく載っていた。
自分の中のヒーローはこんなんではなかった。
もっと世界を駆け回り、苦しんでいる人を助け、大々的にニュースにも取り上げられていた。
平凡な日々の中で俺は仕事に飽き飽きしていた。
元々やりたかった訳では無い。
それがまかりとおる現状。
何もかもに嫌気がさしていた。
誰だってそんな日はあるだろう。
自分はなんで生きてるのか。
平凡な暮らしにもたまにはイレギュラーが起きる。
目の前で人が倒れた。
それも運悪く駅のホームで。
電車が来る時間が迫る。
その人はホームから落ちて気を失っている。
一刻を争う事態だ。
俺は夢中でホームへ飛び降りていた。
俺は何とか転落したおばあちゃんを助けた。
ホームにいる人の手を借りて。
しかし俺が間に合わなかった。
全身の痛みと共に俺は意識を失った。
自分は死んだと悟った。
はずだった。
目が覚めてしまった。
知らない部屋だった。
まずなにより俺は不死身なんじゃないかと焦った。
目が覚めた時の俺は体が痛いなー程度。
とても電車に轢かれたとは思えないほど元気だった。
ここがどこなのかを知るため外に出た。
そこは全く知らない街だった。
服装もみんなRPGのようだった。
これが異世界転生かと、他人事のように眺めていた。
すると1人の老人が声をかけてきた。
『君が、秀徳かい?』
なぜ名前を知っているのか、この老人は誰なのか、たくさんの疑問が浮かんだ。
そう、ですけど…
老人はそうかそうかと微笑んでこっちに来てくれと手招きをした。
そこには掲示板があった。
『命懸けで女王陛下を守る。秀徳を王とする。』
何の話か分からなかった。
しかしそこに居た観衆は俺を見ると拍手をした。
そのままその老人に連れられ俺は知らない地の女王陛下の家へと向かう。
ありえないほどの豪邸に気後れしながら進む。
たくさんの兵士からお待ちしておりましたの声。
轢かれて俺はおかしくなったのだろうか?
女王陛下の待つ部屋へ通されるとそこには間違いなく助けたおばあさんが立っていた。
「あの日はすまなかったね。あなたのおかげで助かった。何か礼をさせてくれないか?」
「そんな大層なことはしてないですよ。僕はただ自分の目の前で貴方が倒れたから必死になって…」
「人のために必死になれる。あなたは素敵な人だ。」
今までに言われたことの無い言葉をかけられ、困惑しながら、しかし嬉しかった。
女王陛下は俺のために最高の家を用意し、衣食住に困らないよう手配してくれた。
次の日から観衆の見る目は変わり、まるで英雄を見るようだった。
家には兵士も付き添ってきた。
俺は突然貴族になった気分だった。
毎日豪華な食事が出てきて、何をしていても自由だった。
家にはプールやプロジェクター、暖炉、ありとあらゆるものがあった。
楽しい日々だった。
今までの張合いの無い日々が嘘のようだった。
しかしある日、ふと気づく。
自分は戻れるのだろうか?
異世界では英雄かもしれない。
しかし自分の世界ではどうだろう?
もしかしたら轢かれて死んでしまったのかもしれない。
死んでいなくても魂がこちらにあるのだから普通に元気にとはいかないだろう。
親は悲しんでくれているだろうか?
友達は見舞いに来てくれるだろうか?
会社はちゃんと回っているのだろうか?
俺はもうすぐプレゼンを控えていて毎日夜まで残業をしていた。
そんな日々が懐かしくなった。
「俺は、帰れるんですか?」
ついに俺は女王陛下に聞いた。
すると、
「ここでの生活は不満かい?食べるものも着るものも何一つ困らない。周りからは英雄と言われ、崇められる。お金だって心配ない。仕事なんてしなくていい。前の生活に戻れば狭いアパートに1人、生活するためにお金を稼ぎ時間を失う。そんな所よりここの方がどれだけ楽しく時間を使える?」
女王陛下は日々を退屈していた俺の前でわざと落ちたのだ。
それも彼女にとっての異世界で。
つまり彼女はそのままでも死ななかった。
俺は完全に試されていた。
そしてそれにかかったのだ。
たしかに今の生活は優雅で快適だ。
でも今までの友達は一人もいない。
本当の俺を知る人は誰もいない。
親だってうるさいと思ったことは沢山あったけど、それすら感じられない。
毎日が退屈でつまらなかった残業ばかりの日々。
それでもプレゼンに燃えたり、同期と愚痴る日々は楽しかったのだ。
そう考えると俺は猛烈に帰りたくなった、元の世界へ。
「帰る方法はある。しかし、それをすればこの世界にもう来ることは無い。ここでの居場所はなくなる。それでもいいならするといい。この方位磁石で南の果てに行きなさい。何、小さな世界だからすぐに着くさ。そしてそこに小さな家がある。そこは貴方がかつて住んでいた実家と同じ玄関をしている。そこをそっと開けるといい。きっと元のいなければいけない所へ帰れるよ。」
帰り方はそれだけだった。
俺は悩んだ。
確かにここでの地位は捨てがたい。
しかし待っているのだ、自分をよく知る人が。
俺はこの世界と別れを告げた。
観衆たちは悲しそうな目をして別れを惜しんだ。
またぜひ来て欲しいと口々に言った。
1人で方位磁針を頼りに歩き出す。
どのくらい歩いただろう?
夜空を数回見た気がした。
とても綺麗な星空だった。
地球ととても似た星空だった。
もしかしたら実は異世界はとても近くにあるのかもしれない。
そして南の端に辿り着いた。
そこには見なれた玄関がたしかにあった。
そっと開ける。
そこには俺がお腹にいる時の親の姿があった。
立ち尽くしていた。
どんどん月日は流れ、俺は生まれる。
ガラガラを振られて嬉しそうに笑う。
ハイハイができるとビデオを回しながら父は泣いていた。
つかまり立ちをすると拍手が起きる。
そこから歩くとみんなが笑顔になった。
風邪を引けばみんなが心配した。
注射は大泣き、世話のやける子だった。
幼稚園は楽しそうに通うくせに母との別れができなくて毎日泣いていた。
両親が心配していた小学校。
友達と元気に走っていく姿に嬉しいような悲しいような表情の母。
中学生になると部活帰りに塾に寄って帰りが遅くなった。
何時になっても母は夕飯を準備してくれた。
高校に入ると思うようにいかないことが増えて、当たることもあった。
両親はどうしたらいいのかと困惑していた。
時には話し合いながら涙を流していた。
大学受験は、成功とも失敗とも取れない結果だった。
それでも母はいいじゃないと笑顔で迎えてくれた。
第1志望に受からなかった就活。
就職氷河期と言われなかなか決まらず焦るなかいつでも落ち着いてと笑顔でいてくれた。
全然希望した仕事じゃなかったが何とか内定を貰ったとき、実は母の方が嬉しくて泣いていた。
一人暮らしすると出ていった時、両親は寂しそうな顔をしていた。
大人になった、立派になったと話すくせにまだまだ俺は子供なんだな。
俺が轢かれたことが親に伝わる。
泣き崩れる両親。
車をこれでもかと言うほど飛ばして運ばれた病院に向かう。
号泣する母。
それから2人はずっと俺のそばにいたようだった。
時たま職場の同期や幼なじみが見舞いに来た。
俺は幸せそうな顔で眠っている。
『行かなきゃ』
俺は強くそう思った。
目を開けるとそこは病院だった。
体中が痛い。
傷だらけで、頭には包帯だって巻かれてる。
とても喋れる状態ではない。
近くには母がいた。
手を動かしてみる。
思うようには動かなかった。
しかしそれでも母はその僅かな動きに気づいた。
ハッとした表情で見つめる。
「かあさん...」
かすれた声にならない声で発する。
母はまた泣いていた。
俺はこの世界で生まれてよかったと思った。
それからは何度かの手術を乗り越え、治療とリハビリに取り組みながら元の生活へと戻った。
できないことは沢山あった。
でもできるようになったことも沢山あった。
親への感謝の気持ちが今までよりも強くなって、よく連絡をするようになったし、幼馴染や同期とも時間が合えば連絡をして飲みに行ったり遊ぶようになった。
そして今、何も無いこの日々のありがたみに感謝することが出来ている。
俺はこの世界が大好きだ。
Fin
俺はこの世界が大好きだ。 紫栞 @shiori_book
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