第6話 げんふうけい

休日とは休むものであって、本来的には休むことをしたことによって休日といえるのであって、休まないということは休日とは言えないんじゃないだろうか……。

「いつまでも寝てると目が腐るよ」

 昼まで寝ていてもいいんだけど……。本当に昼まで寝ていてもぜんぜん困らないんだけど……。

「早くかたしたいから朝ご飯食べな」

 もう、勝てない。いや、初めからか……。もう、問答無用だ。

 頭が起きてないように感じるけど、とりあえず居間まで降りてきて、ご飯を食べなくてはいけなくなった。もう、休日でも薬は飲まないといけないから食べないといけないんだけどね。本当はどうなのか知らないけれど、ご飯を食べないで薬を飲むと胃がやられるらしい。それを聞いてからはできるだけご飯を食べてから薬を飲むようになった。胃が痛むのはイヤだから。いやいやながら。

 普通に出勤するよりは一時間は遅いけれど、でも出勤する前に見ている番組がやっていた。平日が休日だから仕方ない。でもなんか悲しい。

 TVでは自転車に乗って、もうおじいさんと呼べるくらいの俳優さんが田舎道を走っている。視聴者が手紙で思い出の風景を綴り、その場所を訪ねるという番組だ。母親も父親も、もちろんボクも好きな番組。

 なんか数年前に母親の実家の近く、そうボクも小学生の頃はしょっちゅう行っていた祖父母の家の近くを走ったことがあって、見ていたらなんか涙なんかがこぼれてしまった。

 もう、おじいちゃんが亡くなって葬式に行ったきりボクは行くことがなくなっていて、もう十年以上はたつのか……。小学生の頃は毎年行っていたのに。

 もう、なんというかね、TVで幼少時代を思い出させていただくとか、至れり尽くせりというかね。

 そんなことがあってから誰かの思い出の場所に朝から付き合っている。ただし平日の出勤前だけのことだけど……、いやこうやって休日のコーヒーをいただきながら見ているんだから、マニアだね。コーヒーくらい母親は自分で淹れればいいのに。

 ぶつぶつ聞こえないように口の中の端の端でごにょごにょ言いながら見ている。

 今日の手紙はお年寄りからで、幼少期の頃に短い間だけ住んでいた地域のことを書いていた。

 大きくなり、大人になり、働いて結婚して子供を育て、歳を取り、高齢と呼ばれる歳になっても、一時しか住んでいなかったその町を思いだし、心の中で遊ぶのだそうだ。

 もう、なんというか、そういう、もの、なのかな。

 それはなんなんだろうな……。

 心に焼き付いた景色、幼少のみぎりに体験した空気、匂い、色、手触り、忘れないもの、いや忘れられないもの。それが全部混じり合い織りあがった何か。

 もう、なんというのかね、そういうの……。

 もう、あれだよ。よくいうあれだよ。

 なんだっけか、ふるさと、だったか。違うんだけど、えーと、なんだったけ……、思い出せない……。

 もう、しょうがない。いいや。しょうがない。また後で思い出すこともあるだろう。あんまり焦ってもしょうがない。

 そんなことをしている内に、通常営業のはずの居候がやっとこリビングに降りてきた。弟の娘、だから姪っ子になるのか。畏れ多いことに中学生、あの、あの十四歳なのだ。

 ま、しょうがないから新しくコーヒーを今度は特別にペーパードリップで淹れてやるとするか。ボクも母親(彼女からすればおばあちゃんか)もフレンチプレスじゃないと飲んだ気がしない人間なのだが、試しにこの女子中学生に飲ませたら額に皺を寄せたので、将来の美容のために濃いのを飲ませるのは止めにした。

「おはよう、今日はずいぶん遅いじゃないか」

「おはようっす。昨日の晩はドスト祭りだったっす」

 なにぃ? そ、それは、あの、あの……。マジで、リアルな台詞なのか? マジにあのドストエフスキー?

「え? なにそれ? 本当にドストエフスキー読んでたのか?」

「ううん(否定)、おじさんへのサービス。りーちゃんぽかった?」

「ああ、もうマジにもう死んでいて二次元の世界にでも入り込んだのかと思ったよ」

 なんだ……。ハードディスクの中にため込んでいたアニメを見ていたのか。なんだ、なんだ。

 よくわからないけれどホッと息をついた。

 それを勘違いしたのか、ちょっと唇を尖らせ気味にするサービス精神旺盛な姪っ子だった。

「アニメを見ていて遅かったんじゃありませんよ。本を読んでいたんですよ」

「へぇー……」

「興味なさそうだな」

「いや、そんなことはない。ただ、まあ、もう新しいライトノベルを夢中で追いかける歳でもないしなあ、とか思ってね」

「昨日のは、ライトノベルじゃないよ」

「ほう……」

「面白かったけど、よくわからない世界だった。海外の人が書いていたものだからかな」

 この子は食べるのが遅い。ゆっくり食べている。朝ご飯だろうが関係なしに、ゆっくりだ。ボクと父親はめちゃくちゃ早いから、話は食事があらかた終わってからになるのだけど、この子とだと食べながらになってしまう。ウチはご飯派だけどこの子だけはトーストを食べている。それもまあ新鮮なものだ。

「なんかね、故郷に帰りたいんだけど、もう帰れなくて、一本の道を見て思っているの。この道は故郷に通じている道だって」

「ふーん、故郷ねぇ。故郷か……。無いねぇ、ボクには。お母さんやお父さんにはあるけどね」

「ああ、山形とか栃木ね。でもおじさんやパパはここが故郷なんでしょ?」

 そうなのかな……。もう、なんというか、ちょっと考え込んでしまう。確かにここに長く住んでいるんだけど、ただの一回もここを故郷だと思ったことはないんだけどなあ。いや、もう、そういうふうには感じられないというか。懐かしさ、という感じがしないというか。

 いやいや、これはボクが実家暮らしをしているからに違いないな。ボクと違って六歳違いのできた弟殿にはこの街の景色を懐かしむのかもしれない。アイツにとっては紛れもなく故郷なんだろう。

 ボクにとって、それに近いものって何だろうな。

 そうか、たぶん、もう、そうだよな。

 小さい頃のことを思い出した時に、心に浮かぶのはこの街のことではないな……。

 思い出すのは毎年夏に行っていた母親の実家がある山形の景色だ、な。確実に。

 夏の青い空に入道雲、蝉の音に、熱い空気、木陰のさわやかさに首筋を流れる汗の感じ。

 どこまでも続く田圃の真ん中の道を飼い犬だったミミーを連れて散歩する。

 小学生、それとたぶん中学生の頃までは毎年夏に体験した思い出だ……。

 でもね……、もう、なんというかね。それはもう、幼少期の思い出ってだけなんだって思う。そんな気がしてならないんだな。

「夏休みの間だけの景色しか知らないんだ」

「季節限定ってこと?」

「そうだね、それはそれで貴重かもしれないけど」

「また、頭でっかちのこと言って、食べ終わったもの早く持ってきて!」

 聞いているのか聞いていないのか、割り込んできた母親の声で中断した。子猫の着ぐるみのようなパジャマなのか部屋着なのかを着た中学生女子は、おばあちゃんの言うことはよく聞くのか、食べたお皿を台所に持っていった。

 父親や母親の小さい頃の話を聞くと、春夏秋冬の色々な場面があり、生活の実感というのかそんなものが伝わってくるような気がする。

 それに比べてボクのその田舎の風景は、パッケージングされた絵のような感覚で、実感というものが少ないように思う。なんというのか、もう、それはたぶんあらゆるメディアで流されてきた夏の思い出というのがボクの記憶を補正して、美化された思い出に作り上げたような気分と言えばいいのか。

「……それは故郷とは言えないよなあ」

「じゃあ、やっぱりここが故郷なんだよ」

「続けるねぇ。ただの独り言だったのに。こんな話詰まらんじゃないか?」

「なんかいいの。パパやママはこんな話さっぱりしないし。あの友達だった人たちはこんな話なんてぜったいするような人たちじゃなかったし……」

 その友人だった人の話は出さなくてもいいのに……。微妙な話は自分からしなくたっていいんだよ。涙が滲んでるのを見ると、おじさんになって涙腺が弱くなったボクは泣いちゃうんだよ。

 母親のほうがもっとこういう湿っぽくなるのはイヤなので強引に話を変えた。

「あんた、この街が故郷に思えないって当然だよ」

「なんでよ?」

「あんた、生まれてから三歳まではここじゃなくて江戸川区にいたんだから」

「へえ……」

 もう、ねえ。ああ、忘れていたよ。ぜんぜん記憶にないから、もう、その部分はどうでもいいと思っていたんだけどな。

 あれ? でも、ちょっと、ちがうよね。

「生まれたのは山形だろ?」

「そうだけど、そこには一ヶ月かそこらしかいなかったよ」

 ああ、そう。なんか自分の話なのに自分のことではないような気がする。前にも、小さい頃にもそんな話は聞いたことあったように思うんだけど、大人になってから、いやこんなオッサンになってから拘泥するようなものでもないしなあ。

「そういえば三歳まで住んでいたところが故郷だっていう話があるんだって」

「博識だねぇ、誰に聞いたんだい?」

「おじいちゃん」

「ああ、ねえ、おじいちゃんの話は話半分に聞いといいたほうがいいんだよ」

 いやいや、その元ネタはボクだよ、確か。

 そうか、いや、もう、そうなると、やっぱりねって感じだ。

「やっぱり、ボクには故郷がないね」

「そう? 江戸川区じゃないの?」

「いや、いや、もうね、四十年以上帰ってないから。帰るっていうか行っていない。四十年なんて長いよ。景色なんて一変してるし」

「じゃあ、ここ?」

「それもなあ、どうだろう?」

「ん?」

「三歳までいたところが故郷ねぇ。だからこの街に違和感があったんだろうね。ぜんぜん幼少の頃の思い出がないんだよ。夏の大きなお祭りや花火大会にこの歳まで行ったことがない」

「へえ……」

 なんか感心したような、触れてはいけない黒歴史を覗いてしまったかのような微妙な顔になった。

 まあ、それは我が家に日の浅い姪っ子ちゃんだからで、母親はお得意の混ぜっ返しを放った。

「お前、それはお前がずーっと家で遊ぶのが好きな子だったからでしょ」

「えー、連れていってくれなかったからじゃない?」

「そんなの好きな子だったら勝手に一人で行ってるよ」

 まあ、そうかもね。こういう人間は街ではなく、この家の中だけが故郷であるのかもしれない。いや家ではなくて、もしかしたら自分の部屋だけが?

「……おじさん、それ寂しくない?」

「……、そうだね。もう少し考えます……」

 宿題になった。誰に提出するわけでもない、もちろん姪っ子ちゃんや母親、父親に出すわけでもない。

 ボクがボクの心に、そうだよ、って納得できるものを導かねばならない。のかなあ?


 でも答えはその日の内に頭に飛来した。

 お昼になって、お昼ご飯を食べた後だった。

 母親は昼時間帯の帯ドラマを毎日かかさず見ているのだという。あらすじはよくわからなかったけど、やっぱりコーヒーを飲みながらなんとなく見ていた。

 老人ホームを舞台に安らんでなんかいられないと言わんばかりに老人たちが大活躍しているような話だった。本当のところは全部見ているわけではないからわからないけど……。

 その中で、役で脚本家をやっているご老人が熱心に拘泥していたのが、原風景だった。

 そうだ。朝、ボクが答えを出せずにいたのがこの単語だった。

 原風景。

 ふるさとではなくとも、ボクの心に染み着いて離れない風景……。

 そうだよ。ふるさとがないように感じるボクであっても、原風景くらいは、たぶんある。ような気がする。

 確かに少年時代のあの夏の景色は原風景であるのかもしれない。確かに……。

 一個人という存在を形成する時のおおもとになったものが原風景というならば、確かにあの景色は幼少期のボクを形成したといっても過言ではない。

 でも四十年以上生きてきた今のボクにとって、あの原風景だけがおおもとである、ようには思えない。

 もっと、今の、このようなボクを形成するに至った原風景があるはずだ。なにかもっと違って大いなるものがある、ような気がする。

 原風景の解釈をもう少し別角度から見てみるといいのかもしれない。人格が形成されたようなアーキタイプ的なものではなくて、なんだろうなあ……。

 うーんなんだろうな、なんだろうな、なんだろうな……。

 いやあ……、うん……、そうか、もしかしたら、これかなあ。これかもしれない。うーん、そうかあ。

 やっぱり、これかもね。

 死ぬ間際に見る景色。

 いや、違うか。死の間際に見たい景色かな。

 人が死ぬ時、その間際に走馬燈のようになにか映像が映るという……。

 その映像が、ふるさとだったり、それとも違う場所であったり、するのかもしれないけど、それこそが自分の本当に大事な場所なのかもしれない。

 自分を育んでくれた場所。大切な誰かと行った場所。数あまたある思い出の中で、どうしてももう一度、心の中ででも行きたい、その場所。

 それが、原風景かね……。

 でも死んだことなんてないから確証は得られないんだけど……。

 そんなことを、もう、やっぱり暇人なんだろうね、休日の終わりの寝る間際までつらつら考えてしまった。

 そして眠りに落ちる、その寸前だった。

 それは死にゆく時のようだと勘違いしてしまう瞬間だった。

 なんとなく思い、腑に落ちることとなった。

 ああ、そうか……。

 ボクにとっての原風景って……、

 県立北高校の木造の文化系部室棟、通称旧館の三階の一部屋なのかもしれない。腕章を付けた女の子が仁王立ちしている……。

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