第7話 よびな

「おじさん、今朝はちゃんと飲めたじゃん」

「失礼な、いつもちゃんと飲んでるよ、姪っ子ちゃん」

「昨日まではぐずぐずしてたよね。なんかあった?」

「昨日までとは違うのだよ。昨日までとは。姪よ。今日からは、いやこの瞬間からは、にゅう……」

「そんなのはいいから」

「つれないね、姪っ子ちゃんは……。渾身の中二病の演技なのに」

「もう、それ、中二病にもなってないよ」

「ほんと、誰に似たんだか、姪よ、お前は冷たい。朝から言葉で戯れるのだけが楽しみなのに」

「おじさん……。不思議なんだけど、なんで私のこと姪って呼ぶの?」

「姪だから」

「えー、それ答えになってない。フツーは名前で呼ぶよね。おばあちゃんだっておじいちゃんだって呼んでるよ」

「人それぞれでいいんだよ」

「えー、よくないんじゃない。変だよソレ。なんか名前で呼ばれないと、なんかおかしいというか」

「えーと、どなた様でしたっけ?」

「そうやってすぐに茶化す……。はなだよ。華に奈って書くんだよ。知ってるくせに」

「まあね、読みは古風だけど漢字は凝っているな」

「あんまり好きじゃないけど」

「どうしてさ? と聞くけど、まあだいたいわかるよ。小さい時はからかわれたんだろ?」

「そう鼻って言われたし、はななとか呼ばれた」

「じゃあ、姪っ子ちゃんでいいじゃん」

「なんかそれだと、距離があるっていうか、他人行儀みたいな感じというか」

「そうかなあ? ちゃんとちゃん付けしているからなあ。ああ、韻を踏んだ」

「おじさんは、わたしを名前で呼びたくないの?」

「ほら、それだよ」

「どれ?」

「うーん、姪っ子ちゃんはボクのことをおじさんと呼ぶ。名前じゃなくね。不公平な感じがしない?」

「不公平って……。おじさんはおじさん以外になんて呼べばいいの。すごく年上でパパより上で。パパはパパとしか呼んでないよ」

「そうだよね。家族内では年齢が下の者は上の者を関係性で呼ぶよね。ただ単に下に生まれただけなのにね。じゃあ、年上の者が下のものを関係性で呼んじゃダメなのかなあ。弟よ、妹よ、甥っ子よ、姪っ子よ、我が子よ、我が孫よ」

「みちたかさん」

「う……、やめてください。心臓が止まりそうになった……」

「反対もありだよね、みちたか」

「それもやめて」

「なあに、バカなこと言ってないで! 早く行かないと遅刻するよ!」

「おばあちゃん、やっとおじさんに勝ったよ」

「そうかい。まったく。このバカ息子はね、昔っから恥ずかしがり屋なんだよ、相当の。赤ちゃんの頃に一度会っただけのはなに、バカみたいに未だに照れてるんだよ」

「そ、そ、そんなこと、ないよーだ! 恥ずかしくなんてないよ! 行ってくるよ、ばあか、ばあか」

「子供か!」



「……おつかれさん」

「おつかれさまです」

「今日はこれであがり?」

「はい、これ引き継ぎです」

「了解。あとはボクがやっておくよ」

「はい、そうですね……」

「うん?」

「いや、あのですね、前から聞こうと思ってたんですけど、先パイってボクって言いますよね」

「ああ、言う人でありますね」

「それってなにかの拘りがあるんですか?」

「ええ、なんかおかしい?」

「いえ、なんか無理してやっているというか。似合わないですよね」

「そうかなあ。そんなに意識してないけど」

「そうですか。失礼なことを言いました」

「まあ、こんな歳して言う一人称ではないのはわかっているよ」

「いえいえ、そんなつもりで言ったわけでは……」

「無理して使っているわけではないし、言い換えて使っているわけでもないんだけど。使おうとして使ってはいるよ」

「はあ、やっぱりそうですか? こだわり派の先パイならなんか意味があると思ってましたけど」

「ちょっとちょっと、こだわり派なんかじゃないよ。誤解だなあ」

「誤解してませんよ」

「こだわっているわけじゃないんだよ。ただ自分はたぶんまだまだわたしとかって使えるレベルに到達してないんだよ」

「レベルですか?」

「そうだよ。ボクの尊敬する小説家の人がね、言ったんだ。いい大人の書き手が小説の一人称でボクを使うのは、もうやめましょうって。わたしでいいじゃないかって」

「じゃあ、わたしでいいんじゃないですか?」

「いやあ、たぶんボクはいい大人なんてものじゃないんだよ、まだ。わたしを使えるような身分じゃない」

「身分の問題ですか?」

「いや身分というか、自分の置かれている立場では使えないというか」

「わたしのほうが似合っていると思いますけど」

「そうかなあ?」

「身分とか立場ではなくて、印象だと思いますけど」

「印象……ねえ……」

「はい、そうですよ。似合ってるか、どうか」

「それって暗におじさんだと言っているよね」

「そうですね。無理して若ぶらないで素直におじさんしてた方が存在感があって、たぶんモテますよ」

「……別にモテなくてもいいんだが、モテるつもりもないんだが……」

「またまた」

「……若ぶってるから使ってるわけじゃ」

「まあまあ、先パイ、それじゃお疲れさま」

「はいよ、後はわたくしに任せたまえ」



「……じゃあ、お母さんの分はいらないんだね。うん、うん、わかった」

「電話なんだって?」

「おばあちゃん、夕飯いらないって」

「せっかく三人分買ってきたのに、あまっちゃうね」

「まあ、明日の朝、お父さんが食べるでしょ」

「おじいちゃんも今日は飲みに行ってるの?」

「まあ、毎週のことだから。お父さんもお母さんもやることがいっぱいあって忙しいんだな」

「……おじさん、あのね」

「ああ、なに?」

「おじさんはおばあちゃんやおじいちゃんのことをお母さん、お父さんって呼んでるよね」

「るよね」

「どうして?」

「どうして、と言われましても」

「パパはおやじとかお袋とか言ってるよね」

「まあ、アイツはね」

「おじさんは、どうして? なんか他人行儀みたいに見えるけど」

「いや、それはね、関係性というヤツを重要視しているからであってだな」

「それはもういいから」

「いいって言っても……」

「それはまたおじさんのこだわりなの?」

「また言われた。こだわっているって……。そんなに何事にもこだわっているような粘着質に見えるのかねえ」

「そんなんじゃないよ。なんか理由があるのかなって思ったんだ」

「ふーん、そうか、まあ、そうね、姪っ子ちゃんはアイツのことをなんて呼ぶ?」

「姪っ子ちゃんじゃなくて、はなだよ。えーとね、パパ……」

「なんで?」

「……なんでって小さい頃から呼んでいたし……」

「それだよ、それ」

「それって……?」

「だから小さい時から呼んでいて、なんか変えるタイミングを逸したというか……」

「変えられなかった?」

「そうなんだよね。だいたい男ってものは反抗期ぐらいに変えるんだよ」

「おじさんは反抗期がなかったの?」

「あったよ。酷いのが。高校辞めたり、バイクで走りだしたり、盗んではいなかったけど」

「それでも変えなかった……」

「タイミングがなかった……、というか変えた瞬間を自分で想像して恥ずかしい感じがして、そう思っていたらどんどん時が過ぎて」

「パパはなんで変えたのかな」

「アイツは大学に入って一人暮らしを始めた頃に変わった、と思う。その辺りは本人じゃないからわからんけど、もしかしたら電話とかでお母さんと話している時にはもう変わっていたのかもしれない」

「ふーん……」

「まあ、そのなんだね、今ではお父さんお母さんと呼んでいる方が普通に流されていなくて反抗していた証に思えるけどね。見栄っ張りなんだ」

「いまさら変えられないか……」

「姪ちゃんは変えてもいんだよ」

「トトロじゃない。でもおじさんの言うことはわかる。やっぱりなんか恥ずかしいかも」

「いいじゃん、アイツにおやじって呼んでさ、アイツが呆然として椅子からずり落ちるんだよ」

「女子なんだからおやじはないでしょ、みいくん」

「……、それは誰から、聞いたんだ?」

「みちたかだから、みいくんか。いいね」

「よくねーよ。あ、言葉が荒くなってしまった。ダメだ、ダメだ。お願いだからそれは止めてください」

「どうしようかな……。姪っ子ちゃんっていうのを止めてくれたら考えてもいいけど」

「それは……、譲れないな。ボクの楽しみなんだから、それだけはダメだ」

「なあに、その楽しみって。名前を呼んで!」

「いや、だからね、なんというかね、ちょっとね、恥ずかしいんだよ」

「じゃあ、みいくんで決まり。それともみちたか?」

「……わかったよ。わかった。はな……ちゃん」

「呼び捨てでもいいのに」

「そこまでは、ちょっと……」

「じゃあ、みいくんおじさん」

「わかったよぉ。……はな」

「なあに?」

「……疲れたからご飯を食べよう」

「うん、食べよう。おじさん」

「完全にからかわれているな」

「何か言った?」

「なんでもない」

「勝ったね、ぶい」

「ちぇっ!」

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