第5話 ちけんのおと
知見ノートというものを作った。
毎日、何かしら知見を得たことを探し出してノートに書き留めておこう、なんて思い付いたからなのだ。
それが去年の年末のことで、本当は一月一日から始めようと思ったんだけど、正月というのは昔から何か始めるには不向きな期間で、結局はゴタゴタで一日が過ぎ去ってしまい、そうなると次はいつがやり始めるのにキリのいい日付かを考えているうちに時が過ぎ去ってしまい、成人の日はいい歳した自分には向かないし、なら節分か? それとも二月四日の新春がいいのか、なんて悩んでたらどっちからも始められなくて、そもそもの節分の意味なんかを日にちが過ぎてから調べたりなんかして、バレンタインデーはなんか違うし、桃の節句も同じくだし、やり始めるのにはやっぱり四月一日が絶対的にいいだろうとは思うのだけど、エイプリルフールに始めるのはウソだろう、なんてバカみたいに今更ながらに気付いて、それに早く思い付いた事を実行したいと言う思いは日に日に強くなるばかりで、なんだか結局、三月二十六日なんてとっても中途半端な日に始めてしまった。
何に書くのがいいのか、とか、何で書くのがベストなのか、そんなことを考えるのにも時間がかかった。
まあでも、何というか、その日に始めてしまったのは、やっぱり桜が咲き始めたからなのかもしれない。
TVでは桜の開花情報が流れるのと同時に桜に関する豆知識なんかも知ることができる。今まで知らなかった桜のあれやこれやを知り得るなんて正にこれこそが知見ではないかと思ったりしたわけで、そうなると早くこれらをメモして永久ファイルにしておこうと、気持ちの高ぶりは高度何万メートルにも達してしまう有り様だった。
都合よくメモ帳や筆記具も手に入ってしまったのも大きかった。仕事帰りに書店に隣接する文房具店に寄った時にフランス製のオレンジ色のおしゃれメモ帳を見つけてしまい、近くには格安だけど最近流行っているという万年筆があって、すぐにこれだと確信してしまったのだ。
そしてまず最初には、最近仕入れたほかほかの知識を書くことにした。桜関連の豆知識で、花いかだのことについてだ。桜の花びらが散って水面に落ちて流れていく様を言う。その知識を知ったすぐに御茶ノ水の駅前の病院の予約日だったから、実際にそれを目撃することにもなった。中央線の車窓から望むお堀には大きな花いかだができていて、風のせいなのかゆらゆら揺れていた。
ちなみに雨で散る桜の花びらは桜流しと言うらしい。
何というか、そんな感じで日付と一緒に豆知識をおしゃれメモ帳に書いていった。だいたいがTVの番組からの情報が多かった。ちょっとそれはどうかと思うけど、こういった豆知識的なものはTVが勝っているように思うから仕方ない。それにいつも何か有益な情報を得て心に留めておこうと思っても、すぐに忘れてしまうからこの知見ノートは役立つかもしれない。
たまに平日が休日の時に見るいい加減おじさんの代名詞のような芸能人がもうおじいちゃんになっていて街をぶらぶら散歩する番組をみていたら、阿佐ヶ谷の善福寺緑道が出ていて、なんか行って見たくなって、そう記入した。何というか、NHKの再放送で、割と年配の芸能人が自転車で視聴者からの手紙に書かれた場所を訪ねるという番組を見ていたら、兵庫県の佐用町という場所には安倍晴明と芦屋道満が対決した場所があるらしいとか、二人組のお笑い芸人が街をぶらぶらする番組を見ていたら、浅草橋で書道の筆の専門店が紹介されていて、母親が書道をしているから教えてあげないと、とか思って書いた。なんだかぶらぶら番組で得た知識が多いような気がする。でもそれだけじゃなくて、NHKの園芸番組でスズランの別名は君影草ということや毒があるのも知った。新聞からは蘇我氏と物部氏のあの戦が最近では違った見方をしているのも知ったし、広角レンズは青かぶりするのも書いた。
でも何というのか、次第に毎日探して書くという重圧に負けるようになってしまって、今日は熱を出して寝込んだとか車が故障したなど書くようになってしまった。
なんかパラパラとメモ帳を捲ってみると最初の頃の情熱がなくなってきているように痛切に感じる。
何というのか、書くのはそうでもないんだけど、書くためのネタを探すのが一苦労になってきた。最初の頃は結構どうでもいいことでも知見として扱っていたのに、やっぱりこれこそは知見ってものを書かないとダメなような気がしてしまった。
これではやっぱりジリ貧になってしまう。やせ細っていってしまう。
せっかく日付を入れて書いているのだから、日々のすべての行動とか考えとかを記入してその中に隠されている知見を炙り出すというのがいいんじゃないのか。一時期流行ったライフログとかいう方法にみたいに。
さっそく昔使っていたバイブル型の革張りのバインダー手帳を探し出してきた。リフィルは無地の新しいものを買ってきた。
さあ、やろう。すべてを書き出してやるから覚悟をしておけよ。
…何というのか、だいたい物事を始める前というのはこれくらいの意気込みを持つのだけれども、もうすぐに頭の中は沈静化してしまう。
一日目は良かった。リフィルの表裏を使って、びっしり書いていった。今日一日何をしたのか、その行動の記録、そしてどう感じたのか感情の記録、その日の行動感情を踏まえた上での考えを表す思考の記録。なかなか良い記録になった。
しかしなんとなく一抹の不安というやつもわいていた。つらつら眺めてもじっくり読み込んでみても、なんか新しい知見というものが見受けられない。
いやあるにはあるのだが、これはここまでの対価を支払ってでも得るに値するものなのだろうか。
それでも二日目はまだ良かった。裏側の半分まで書いたから。三日目は表側だけになり、それが何日かは続いた。
いやこれは続いたとは言えない。言いたくない。
朝六時に起きて朝食をご飯と目玉焼きを食べ仕事にいく用意をして図書館に向かって、それから最初のローテーションはカウンターに入って…、というのが続いた。最後の方になると誰に見せるのでもないのだから細かいことは省いても構わないのではないかと思いだして、朝起きて用意して仕事に行って…、という感じになってしまった。
もう完全に日記じゃん。いや日記より悪い。同じような文面をただただ書き連ねているだけになってしまっていた。
これはぱらぱらと捲ってみても数秒もかからない悲しさで、ほとんどが見るに耐えないものだから見る気もしなかった。
ため息ばかりが出てしまう。
あんな大言壮語した頃の高揚感が懐かしい。
何というか、自分のダメさ加減が完全に露呈しているよね、これは。
そうやって仕事帰りにひねくれて星を睨んだボクだったけど、八王子市とはいえ東京都なので星は少ししか見えなかった。それに月も明るいし…。
などとしばらくジッと月を見ていた。
何というか…、日記だからダメだったんじゃなかろうか。日記というかライフログの中に知見を見つけようとしたのがそもそもの間違いだったんじゃないのか。
行動や感情の発露や思考の軌跡をただ羅列するのでは大きな知見なんて得られないんだよ、たぶん。
何というのか、知見というのはだな、たぶんだけどエピソードの中にこそ紛れてあるんではないだろうか。
小説、というか文学がそうであるように。
行動や感情の発露や思考の軌跡を混ぜ合わせて一本の筋道にしたのがエピソードであり、そのエピソードから醸し出される知的さを感じ取れたら、それこそが本当の大いなる知見というものではないだろうか。
大学時代に文芸部なんて言う毒にも薬にもならなかったサークルに入っていたのは、これが為だったのではなかろうか。
何というか、いいことを思いついてしまって、とっとと家に帰り着きたかった。
早く早く、心が急いて仕方がない。
帰るなり、とるものもとりあえず、とは言っても腹が減っては戦はできないというその故事は守り、寝る前までの準備をしてから、やっと机に向かった。
今度は原稿用紙はないから、取りあえず余っていたルーズリーフを出してきて机に置く。万年筆のキャップを開けて…、さあ、冒険の始まりだ!
…、いや何というか、これはこれで、まったくもって、ぜんぜんダメだな。
何一つ、文字一つでさえ、思いつかなかった。
数レベル上、いや数十レベル上の知的作業だった。
万年筆のキャップを閉めた。凝った首と肩を揉んだ。椅子から立ち上がり大きく伸びをした。欠伸を大きくした。顎関節症だから音が鳴った。
何というか、布団に入って寝ることしかできなかった。
ボクの完璧な敗北だった。
3ヶ月ほどの知的戦争は全面敗走を余儀なくされた。
あーあ、疲れた。おやすみなさい。
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