第4話 おくすり
どうしても手が止まる。
仕事前だというのに困ったもんだ。
こう、朝ご飯食べた流れでするっと飲んでしまえば滞らないこともあるんだけど、一呼吸置いたりなんかしてしまうと、嫌気が出てしまって、改めて手を伸ばそうという気を起こすのに時間がかかる。
特にブリスターパックから出した錠剤を並べて見ていると逃げ出したくなる。
「子供か!」
どこかのお猿に似た漫才コンビの片割れのような突っ込みが入る。
的確でなによりだ。ボクはいつまでも子供の心を忘れないようにしているんだ。
「ゴタクを並べてないで早く飲みなよ。遅刻しちゃうよ」
「ゴタクって漢字で書ける?」
「おじさんは書けるの?」
「……少し考えたら出てくるかもしれない」
ちょうどリビングの座卓の対面に座る女の子はボクの無駄口に眉をひそめた。顔立ちはまだまだ子供だけどそんな表情の時だけは大人の階段を上っている、と見えなくもない。
「早く飲みなよ。毎回見てるといらいらする」
「いや、なんというかさ、こうあれだよ。俺様の闇の力の発動をこれで押さえているんだ。この秘薬の力が途切れると俺様の中にいる爆炎竜の黒い……」
「そんなのはいいからさ」
こう苦しみながら必死にひねり出した台詞をばっさりと切って捨てられてしまった。ちょっと今のは即興にはしては上手かったような気がするけど。
格好は子猫ちゃんの着ぐるみみたいなスエットというかパジャマなのかな、そういったカワイイ格好をしておきながらなかなか手厳しい。
「いやあ、ちょうどね、年齢に合わせてるんだけど」
「中学二年生が全員中二病にかかっているわけじゃないし」
まあ、そうなんだけどね。でも中二病の原点って、大人にマセた口をきくことが病の発端であるような気がするから、ほぼ全員が罹患しているようなものじゃないかな。当の本人だってこうやって三十も離れた人間に大人ぶっているわけだし、アニメとかもよく見ているようだから内心でどう感じているかなんてわからない。ボクが中学二年の時は……。
……そうかそうか、こう、よくよく考えてみたら中二ということは十四歳ということじゃないか。かのファーストチルドレンと同い年か……。いやセカンドともサードとも、ひかりちゃんとも……。
「まーた、なんかオタク的なギャグでも考えているんでしょ?」
さっきボクが淹れてやったコーヒーに母親が持ってきた温めた牛乳をドバドバ入れている。そこはまだおこちゃまだと言いたいが、ブラックで飲んでいるのはボクだけで、七十を過ぎた母親でさえコーヒーに牛乳を入れて澄ました顔して朝ドラを見ているから好みの問題であるのはわかる。でもそう言ってみたい。よくライトノベルとかマンガで言ってるの目にするからな。なんか中学生に混ぜっ返したくなる気持ちが出てくるなんてオッサンもいいところだな。
なんでアイツは、こう、上手く話せないのかね。娘なんていいじゃないか……。
「はやく飲まないの、薬……」
「飲むよ、飲みますよ。でもなんでそんなに気にするんだ?」
それこそ親でもないただの親戚のおじさんのことを気にかけてくれるほど今時の中学生が優しいとも思えないけど。
「おばあちゃんに頼まれたから」
「お前、また死ぬ一歩手前までいきたいのかい?」
さっきまで朝ドラを真剣な眼差しで見ていたようなフリして、ちゃっかり聞いていた母親がこれは本当にきつく言う。
確かにわかっていることだ。自分でも承知している。死にかけた、なんていうのは大げさだけど、ヤバイ状態になったことは事実だ。そのセイでこんな薬を飲むことになったんだから、もう観念しないといけないってことぐらいはわかっているんだけど。
「それにおじちゃんが倒れたりしたら、私ウチに帰らないといけなくなる」
そこだけ本心が透けているというか、下唇を噛んだ苦い表情は真剣だ。
まあ、こう、ボクも高校を辞めたりしてあまりいい具合に学校生活を送れなかったから、不登校になった姪っ子の気持ちくらいは弟に代弁してやれる。
ボクにしてやれることなんてそんなことしかない。
ああ、あとはアニメの話をしてやることぐらいか。
「そんなに見てないよ。ただ古いけど面白いなって」
「温故知新だよな」
「そんな大人ぶって」
「おっさんぶってるだけだよ」
わざと禿げてきた頭をぽんと叩いた。
しょうがない。大人ぶったことを言ったんだ。責任はとらないと。
こう、色味の薄い三色の錠剤を一気に口に含んで飲み干す。喉に引っかかりそうになっても、水を余計に含んで強制的に流し込む。口の端から溢れた水が一筋顎に流れて、髭を剃った後の皮膚を刺激する。
「ミスタープロスペクター系の味がする」
「今度はなーに? 競馬?」
「そう、メディシアン……」
まあ、本当はメディチ家の人って意味の方だけど、メディシンの語原だからいいか……。
「ねえ、そんなに飲むのに苦いなら、こう言うので飲んでみれば?」
TVのチャンネルはモーニングなんちゃらに変えられていて、民放だからCMをしていた。薬を飲みやすくするゼリーをやっていた。
「錠剤だからね、苦くはないよ」
「じゃあ、強い薬だからふらふらするとか? そのグラなんとか、とか、なんだっけ? メトグなんとか」
「なんだ、よく覚えているね」
「うん、なんかカッコ良さげな名前だし」
そうなんだよ。名前としてはカッコイイ感じがするものではあるんだけどな。こう秘薬の名前っぽい。マミのヤツが飲んでいたものなんてもっとそれ系っぽい。ジプレキサとかシクレストとか。
「そうなんだよ、だから言いたくなるだろう。うう、この薬が切れると俺の中に眠っている……」
「だから似合わないって。早く仕事に行かないと遅れるよ」
また渾身の名演技を軽くいなされてしまった。まあ、こう、これだけ会話してくれたから、いいか。少しは元気になってきた、ような……?
苦くもない、効き目だって飲んでいても実感しない。数値もなんだかぱっとしない。体にそう負担があるわけじゃない。
薬のせいじゃなく、病気そのもののせいなのかもしれないけど……。
どうもこの薬を飲んでから、何事に関しても元気というか活力が出てこない。なんだか枯れた人、いやそれはなんか良い風な言い方になってしまうから、枯れ木のような人間になってしまったように感じてしまう。まだそんな歳でもないのに、そんなのはダメだと思うのだけど、そんなのどうでもいいと思ったりする。
父親や母親の方が七十を過ぎていてもアクティブに生活している。それを見ても羨ましいとも思わず、なんか縁側でお茶飲んでいたいと感じる。
もう底力がしゅうしゅう抜けていってしまったように感じる。薬のせいばかりではないはず、なのに。
でもこの薬を飲む行為が、そのしゅうしゅうに拍車をかけているように、頭では違うと否定しているのに体がそう思ってしまっている。拒絶反応ってやつが出てきてしまう。
まあ、いいや。こう、活力が有り余ってるのにモテない村の住人でいるよりはマシ、なのかもね。
「おじさん……、おじさんはパパよりもフツーに優しいし、なんとなくね、話がしやすいんだよ。なんかね……、安心するんだよ。だからさ、そんなふうにおじいちゃんみたいに歩かないで……」
「いやいや、まあ、もう歳だからのう、わしゃあ」
安心感か……。そうか、中学生に言われるくらいだから、図書館でもそう思われているのかなあ。ああ、だから若い時よりもなんかみんなが気安く話しかけてくれるのか……。大学生もそうだし、他のスタッフもお客さんも、小さい子だってそうなのか。怪我の功名ってヤツかもな。
こう、安心感ね……。
うーん、悩むとこだね……。
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