第155話 ローゼマリーの変わり果てた姿
以前、ゾルドが和平の使者を騙った時は王宮内には泊まらなかった。
だが、今回は違う。
”オストブルクは魔神の軍門に降った”と周囲に知らしめるために、あえて王宮内に泊まっている。
ウィーンに滞在していた神教騎士団も、神教庁に教えるために無事に返してやったくらいだ。
細かい事であっても積み上げる事によって事実のように見せかけるつもりだった。
和平条約なんていう、紙切れに書かれただけの内容を信用なんてできるはずがなかった。
とはいえ、特別な事はしない。
本当に泊まるだけだ。
今の天神を取り巻く状況は悪い。
和平のためとはいえ、ゾルドが王宮に泊まっているだけでも、猜疑心にさいなまれてオストブルクの裏切りを疑うはずだ。
こういう時、相手の気持ちがわかるというのは便利である。
雑事はビスマルク達に任せ、ゾルドは用意された部屋に戻って来た。
代表者としてパーヴェルを残し、ジャックも一緒に来ていた。
護衛として、ホスエ達や魔族数名も付いて来ている。
「お帰りなさい。どうだった?」
レジーナがゾルドに声を掛けた。
ソファーに座ってレスを抱いているようだが、相変わらず精霊のせいで姿がほとんど隠れている。
とはいえ、前よりはマシだ。
サイラ達、ソシアで合流したエルフが、精霊と話をしたり遊んだりして分散してくれているからだ。
お陰で、精霊達の隙間からレジーナを確認できる程度の密度になっていた。
「上手く行った。今はニーズヘッグやビスマルクが必要な物資を要求しているところだ」
ゾルドは精霊を払い除けながらレジーナの隣に座る。
払い除けられた精霊は文句を言うが、お互い今では慣れたものだ。
ゾルドは文句を言われても気にしない。
精霊も文句は言うが、突然恐竜が現れるアトラクションのような気分で楽しんでいた。
その楽しそうな雰囲気を感じ取ってか、レスがレジーナのもとからゾルドのもとへ這い寄ってくる。
最近はどこかに捕まって歩けるようにもなっているが、まだ這う事の方が多い。
「どうした。遊んで欲しいのか?」
ゾルドはレスを抱き上げ、高い高いをしてやる。
レジーナも持ち上げられるが、ゾルドのような力強さがない。
安定して高く持ち上げられるゾルドの方が、レスも楽しめるようだ。
キャッキャッと喜んでいる。
その姿を羨ましそうにジャックが見ていた。
「なんだ、お前もやって欲しいのか?」
ジャックの視線に気付いたゾルドが、やってやろうかと聞いてやる。
「えっ……。いいよ、恥ずかしいし」
「まぁ、いいからいいから」
わざわざ相手をしてやるのも面倒だとは思っていたが、この”子供に優しい父親像”が、後々の布石になる。
ゾルドはレスをレジーナに渡し、ジャックの脇に両手を入れて高く持ち上げてやる。
「ほら、高い高~い」
「ちょっと、パパ。僕はもう一人前なんだよ。みんなもいるし恥ずかしいよ」
当然ながらジャックは恥ずかしがった。
彼も大体十四歳くらいになっている。
高い高いをされて喜ぶ年ではない。
それでも父との交流は嬉しいのか、ジャックの頬が緩んでいる。
「それもそうか。それに自分で飛んだ方が高く飛べるもんな」
ゾルドはジャックを降ろしてやる。
「微妙な年頃だもんな。酒を飲んで語り会うには若過ぎるし……」
「普通に話してるだけでもいいよ。パパの事何も知らないからさ」
ゾルドがジャックの扱いに困っていると、ジャックが気を使ってくれた。
「それじゃあ、たまにはゆっくり話すか」
今度はレジーナの向かいのソファーに座ると、ジャックに自分の隣に座れとソファーを叩く。
ジャックと話をすると、母親に虐待されていた時代の話をされるかもしれない。
暗い話を聞きたくないので、今までは話をする事を避けていた。
今も話しを聞きたくないが、シューガの子供対策にはジャックとの交流が必要だった。
仕方なく、ゾルドはジャックと話し始める。
初めての親子の対話。
その姿をホスエは優し気な眼差しで見つめていた。
家族の団欒は良い物だ。
レジーナとレスは精霊を使う時に備えて付いてきているが、テレサ達はサンクトペテルブルクで留守番をしている。
戦争を終わらせて、早く会いたいと思っていた。
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しばらく話をしていると、誰かがドアをノックした。
「会議が終わったのかな?」
ゾルドとの会話を邪魔されたジャックが不満気に言う。
近くにいた者がドアを開けると、そこにはオストブルクの文官らしき者が立っていた。
「お休みのところ失礼致します。宰相閣下より、この者をゾルド様へお届けするようにと承りました」
文官は一歩下がり、代わりに醜い一人の女をドアのところへ移動させた。
「お久しぶりです、ゾルド様。お変わりないようで何よりです。ローゼマリーです」
ローゼマリーはそう言ってお辞儀をする。
だが、ゾルドの頭の中は疑問符で一杯だった。
見た事のある気もする。
だが、ここまで酷い姿の女に知り合いはいないはず。
しかし、ここがウィーンであるという事から、一人の少女を思い出した。
「あっ。もしかして、昔ホテルで会った」
「はい」
昔、ウィーンのホテルで紹介された少女。
当時の可憐さを失った無残んな姿にゾルドはそっと目を背ける。
(これは酷過ぎるだろ……)
ローゼマリーがここでどう扱われていたか一目瞭然だ。
ゾルドは彼女の姿を視界に入れる事ができない。
「なんで、お前がここにいるんだ?」
ある程度は予想が付いたが、それでも聞かずにはいられなかった。
ゾルドの問いに、ローゼマリーを連れて来た文官が答える。
「以前、ゾルド様がウィーンを訪れた際に彼女の事を気に入っておられたようですので。縁があった時に備えて、王宮で保護しておりました」
「保護……、ね」
(虐待じゃないのか?)
そう思うほど、ローゼマリーの姿は変わり果てていた。
わずか数年の間に、人はここまで変われるのかと思うほどに。
「驚かれるのはわかります。私もお城のご飯が美味しくて、ちょっと食べすぎちゃったなと後悔していますから」
ローゼマリーは頬を染めて、少し顔を背ける。
頬を染めたその顔は、まさに豚の面構えに見えた。
「ちょっと……、ね」
ゾルドはそれ以上の言葉が出なかった。
妊娠、出産すると太りやすくなるというが、レジーナは頑張って昔のままの体型を大体維持している。
それに対して、出産をしていないローゼマリーがブクブクと太った豚と化しているのは、努力が足りないとしか言いようがない。
バスト、ウェスト、ヒップ。
その全てが二倍になっているのではないかという変わりようだ。
この現実を、ゾルドはなかなか受け入れられなかった。
(そういや、外国人は年を取ったら一気に太る事があるとかいう話を聞いた覚えが……)
まだ十代後半のようなローゼマリーが、それに当てはまるかどうかはわからない。
だが、そうとでも思わなければ、目の前の現実を受け入れられない。
ゾルドが頭を抱えている内に、ローゼマリーがゾルドの隣に座り、ゾルドの腕に手を回した。
「また、こうしてお会いできるとは思ってませんでした」
「あぁ……。こんな形になるとは思わなかったがな」
――主に体型の面で。
二人の姿を見て、レジーナの視線が厳しいものになる。
「あら、あなた。こういうふとましい女性が好みだったの?」
レジーナがチクリと嫌味を言う。
彼女は出産後、体を壊さないように気を付けながら、美しさを保つためにダイエットをしていた。
それなのに、ダイエットとは無縁の女と親しい様子を見せられては、努力が無駄だったと言われているようで腹が立つ。
黙って様子を見て居られなかった。
一方のローゼマリーも、ふとましいと言われてカチンと来ていた。
「いや、彼女は――」
「あのオバサン、どなたですか?」
レジーナが子供を抱いているのを見て、ローゼマリーはつい”オバサン”と口にしてしまった。
ゾルドが家庭を持つようなタイプではない事は、なんとなくわかっている。
だから、レジーナがゾルドの妻だとは思ってもみなかった。
「オ、オバサン!?」
確かに人間よりは長生きをしているので年は取っている。
だが、エルフ種としてはまだまだ若い。
オバサンと言われた事によって、レジーナから殺気が放たれる。
レスはその気配で泣き、精霊達はレジーナから距離を置く。
「落ち着け、レジーナ」
さすがに部屋の中で魔法でも使われたら大惨事になる。
ローゼマリーの隣に座るゾルドも、ただでは済まないだろう。
必死になって止めようとする。
「ローゼマリー。レジーナは俺の妻で子供もいる。お前とは楽しい時間を過ごしたが、それだけだ。もう出ていけ」
このままローゼマリーに居られると、また何かよけいな事を口にしてしまうかもしれない。
ゾルドは早めに追い出そうとした。
「そんなっ。私はゾルド様のために、ずっと待っていたんですよ」
「別れ際に言ったはずだ。お前はお前の人生を歩めと。俺にとらわれ過ぎるなとな」
「いえ、そういう類の事は聞いた覚えがありません」
それっぽい事を言って追い払おうとしたが、ローゼマリーはゾルドとどんな事を話したかしっかりと覚えていた。
だが、ゾルドとしてはそんな事どうでも良かった。
美しさを失ったローゼマリーに価値は無い。
さっさと出て行って欲しかった。
「そうだったかな。けど、そんな事はどうでもいい。お前とは一時の関係でしかない。レジーナに言った事を謝って出て行ってくれ」
「そうです。ここは謝るべきです」
ローゼマリーはゾルドに突き放され、泣きそうになっていた。
そこに、オストブルクの文官が謝罪をするよう、ローゼマリーに催促する。
自分に味方をしてくれる者がいないと悟り、涙声でレジーナに謝った。
「ごめん……、なさい……」
ローゼマリーは謝ると、逃げるように部屋を出て言った。
次に文官が謝罪し始める。
「奥様、申し訳ございませんでした」
「わかればいいのよ」
レジーナの殺気は消えさった。
むしろ、自分がゾルドに庇われたという優越感から、微かに笑みすら浮かべている。
「おい、ヴェンツェルに言っておけ。いくらなんでも、女房持ちの男に過去の女を連れて来るのは無いだろう」
(それも大幅に劣化した女をだ!)
ゾルドは本音を心の中で抑え込んだ。
口にしてしまえば”可愛いままなら受け入れたのか”とレジーナに責められるところだった。
それにブサイク相手でも、面と向かって”お前ブスなんだよ”と言えば、自分が悪者になってしまう。
シューガの子供達の対策には、イメージが大切になる。
ジャックの心証を悪くしたくなかった。
「もっ、申し訳ございませんでした。ゾルド様は大変な女性好きと――」
「いいから、下がれ」
「はっ」
(チッ、よけいな事を……)
ゾルドはオストブルクの文官が”女性好き”だと言おうとした事に腹を立てた。
だが、ジャックも子供であるが、ただの子供ではない。
魔族の王なのだ。
ゾルドが女にだらしない事など、ニーズヘッグから聞いてすでに知っている。
”あんな風になるな”と反面教師として使われていたのだ。
本性を隠すのは、もう手遅れだったという事に気付いていない。
「ねぇ、あなたが一人で旅をしていた時に知り合ったんでしょうけど……。他には居ないわよね?」
レジーナが嫌そうに聞く。
ゾルドの下半身の節操の無さは知っているが、こうして見知らぬ土地で他の女と再会するのは不愉快だ。
またゾルドが抱いた女が現れるかもしれないと考えると、どうにかなってしまいそうだった。
「もちろん……、大丈夫だ」
ゾルドは少し考えながら答えた。
さすがにこの近辺では出会う事が無いはずだ。
心配があるとすれば、魔物を取り扱う娼館がこちらの方に移転してきていないかどうかくらいだが、わざわざ魔物を連れて遠くの国に移動する理由もないだろう。
「パパは女の人が好きなの?」
ジャックがストレートに聞いて来た。
ストレート過ぎて、なんとも答えにくい。
「男なら女に興味を持つもんだ。お前ももう少ししたらわかるさ」
ジャックの頭に手を乗せて、少し強く撫でて誤魔化す。
(あー、どうすっかなー)
ゾルドは”ジャックに女好きだと知られてしまった”と思った。
これでシューガの子供達への対抗策の成功率が七割から、四割程度に下がる。
純粋そうな性格なので、ジャックに演技ができるかどうか不安だ。
邪魔しないように言い包めて、ジャックを利用しないシナリオを考え直すしかない。
(最悪の場合は、ガチの戦争か……。それは避けたいな)
ニーズヘッグから聞いた話では、ジャックが二人いれば四天王クラスに勝てるかもしれないそうだ。
魔神四天王以外にも強い者達はいるが、シューガの子供達は数が多い。
大損害を受けて、ローマにたどり着けないなんていう事は避けたかった。
まさかローゼマリー一人が登場しただけで、ここまで悩まされる事になるとはゾルドは思っても見なかった。
「それと、私はまだ百二十歳でオバサンじゃないですからね」
ゾルドが悩んでいると知らず、レジーナがしっかりと年齢をアピールしている。
オバサン呼ばわりをされた事を、ちょっと根に持っているようだった。
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