第154話 オストブルクとの交渉
オストブルクはゾルド達と会談を行う事を受け入れた。
ソシア軍だけでも追い返す事は難しいというのに、魔族も同行していては太刀打ちできるはずがない。
本来ならば大国として堂々と迎え撃ちたいところだったが、その余裕もない。
頼みの綱である神教騎士団は、現在ローマの北にあるフィレンツェで魔族と睨み合っている。
援軍が期待できないので、今は戦闘を避ける必要があった。
実は普通の兵士でも、魔族相手に多少は対抗できる。
ドラゴンの相手は無理でも、サキュバスなどのように人間と体の丈夫さが変わらない魔族相手なら殺す事も可能だ。
問題は被害を気にせずに戦えるほど兵士がいない事だった。
世界各国に呼び掛けて連合軍を作ろうにも、神教庁は動きが鈍く、人類を先導する者がいなかった。
本来ならシューガがその役割を果たすべきだったのだが、そういった動きを見せる事は無かった。
大国だったオストブルクが呼び掛けようにも、ここ数年で凋落しているので求心力がない。
そもそも、魔族の侵攻速度が予想以上に早く、兵の動員が終わっていない国も多い。
世界各国が戦う準備を整える前に勝負を決めるという、ゾルド達の考えが上手く行っていた。
ただ、物事が順調に進んでいたゾルドは、オストブルクとの間にあった事を忘れてしまった。
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ゾルドの正面には、実質的に権力を握っている皇后マリアがいた。
以前出会った時と変わらずブサイクである。
しかも、今は顔を歪ませてゾルドを強く睨んでいるので、素顔の時よりももっと酷い。
今にも掴みかからんばかりに、ゾルドを強く睨み付けていた。
(まったく、魔神っていうだけでそこまで睨まなくても良いじゃないか)
以前会った時は、表向き冒険者、裏の顔は神教騎士団員で魔神捜索中という設定だった。
それが魔神というだけで、ティーカップの中に入っている紅茶をぶち撒けられかねない態度を取られてしまう。
ゾルドは肩書きというものの重要さを再認識していた。
「ゾルド様は平和裏に交渉で解決しようとされている。なのに、その視線はなんだ? 自分達の立場をわかっておらぬのか?」
ニーズヘッグが静かだが、威圧感のある声で抗議する。
ゾルドが何も言わないからといって、オストブルクの人間に調子付かせるわけにはいかないからだ。
だが、当然その視線には理由がある。
「確かに私達は文句を言える立場ではないかもしれない。けれどね、娘を無残に殺さした相手に媚びへつらって、ヘラヘラと笑っていられるほどプライドを捨ててないわ。前に会った時に身分を偽っていた事を見過ごすとしても、これは許せないわ。あなたがパリにいたという噂だって聞いているのよ」
マリアの反論に、夫のフランツがあたふたとした。
毅然とした態度を取れるのは立派だが、時と場合による。
今回は魔族の中でも上位者が揃っている。
戦う力を持たない王族など、魔法を使うまでもなく軽く皆殺しにできるだろう。
気持ちはわかるが、正直なところやめて欲しいと思っていた。
「フハハハハ、そうだ。俺がやった。泣き喚き、死んでいく様は滑稽だったぞ。ハハハハハ」
ゾルドは高笑いをする。
マリアの言う娘とは、ガリアに輿入れしたマリーの事だ。
ゾルドはマリーがギロチンで首を刎ねられるところを見ていた。
最後の姿を思い出すと、今でも笑いがこみ上げてくる。
その笑い声が、我慢しようとしていたフランツや皇弟カールといった者達の神経までも逆撫でしていた。
彼らが抗議をしようと思った時、笑っていたゾルドが突如真顔に戻る。
「まぁ、俺がやったっていうのは嘘だけどな。パリにはいたが、俺は何もしていない」
「嘘よ!」
怒りのあまり立ち上がったマリアに、落ち着いた声でゾルドは言った。
「俺は本当に何もやっていない。殺したのはガリア人だ」
ゾルドは少し悲しそうな顔をする。
残念な事に、ガリアの革命は自分の関係のないところで起こった。
自分が革命を起こしたと言えれば恰好良いのだが、本当に関係ない。
今になって見栄を張った事を恥ずかしく思い始めた。
お陰でゾルドの心は、冷え込んだように落ち着ついてしまっている。
「そのガリア人を扇動したのは、あなたではないの?」
「なんとなく、それっぽい事言えば恰好良いかなと思っただけ。革命騒ぎはガリア人が勝手に始めた事だ。なぁ、テオドール」
「うえぇぇぇ」
いきなり話を振られたテオドールが嫌そうな声を上げた。
それもそのはず、彼は皇族の前での話し方など覚えていない。
黙って立っていれば良いと思っていただけに、急に話を振られた事に驚いていた。
「普段通りで良いから。ガリア人として、革命騒ぎの原因っぽいのを教えてやれ」
ゾルドにそう言われても、周囲の視線が自分に集まっているので”下手な口のきき方はできない”と戦々恐々としていた。
特にテオドールは、ロンドン行きの際に同行していない。
ジャックやニーズヘッグとベルリンであったばかり。
マリア達相手でも緊張するのに、魔族もいるところで注目を浴びるのは勘弁願いたかった。
だが、ゾルドのご指名を受けた以上はそういうわけにもいかない。
口元が引き攣りながらも、テオドールは話し出した。
「俺の……。私の知っている限りでは、食い物が高くなって……。えっと”王様なんとかしろ。王妃様も贅沢ばっかりして税金無駄遣いするな”って思っていたところに、王妃様が”パンが無いならお菓子を食べれば良いのに”って言ったと噂が広がったみたいです。”小麦粉自体が高くなってるのに、ふざけんな!”って主婦の怒りに火が付いたのが始まりみたいっすね。大事に育て過ぎて、わがままになったんじゃないっすか」
テオドールがなんとも微妙な言葉遣いで説明する。
これにはマリア達もあまりも良い顔をしなかったが、敬語を使おうと頑張っているのはわかるので注意はしなかった。
(あれっ)
テオドールの言葉の中に引っ掛かる部分があった。
”王妃のマリーが、パンが無いならお菓子を食べれば良いのにと言っていた”
これはパリでレジーナとパティスリーで一服していた時に、周囲の者に聞こえるように言っていた事だ。
ちょっと評判を下げてやろうと嫌がらせで言った事が効果があったのだと知り、ゾルドは少し動揺する。
(適当に言っただけなのに、まさか本当に効果があったなんて……。これって俺のせいになるのかな?)
まったく関係無いと思っていたからこそ、冗談にする事ができた。
にもかかわらず、実は自分のせいでしたなんて気付いたら笑えない。
胸を張って自分はやっていないと言ったばかりだ。
いくらゾルドであっても、正直なところ気まずい。
誰かに気付かれはしないかと心配になって、キョロキョロと周囲を見回す。
「だから、もう少し躾を厳しくしようって言ったんだ」
フランツがボソッと呟く。
「そんな事を今言わないでもいいでしょう!」
マリアが言い返した。
彼女だってわかっている。
自分がマリーを可愛がり過ぎていたのはわかっている。
だが、可愛かったのだから仕方がないではないか。
マリアはフランツと睨み合う。
この空気を変えようと、カールが口を開いた。
「マリーの事は違ったとしても……。ゾルド様はプローインとの戦争の時に和平の使者だといって、1,500億エーロ騙し取りましたよね。あの時の事も忘れてはいませんよ」
――騙し取った。
その言葉で、再度ゾルドに視線が集まる。
今度はオストブルクの出席者だけではなく、ゾルドが連れて来た者達も見つめている。
「あー、あの時の事か。別に騙していないぞ。プローインの
ゾルドは右手を拝むように上げて謝意を示す。
ただ、この仕草は彼らに通じなかった。
神の世界における何かだろうとは思ったが、その仕草が謝罪だとは思わなかった。
ゾルドのぞんざいな謝り方が、謝罪だとは思わせなかったからだ。
「よくもぬけぬけと……」
マリア達も睨み合いをやめて、代わりにゾルドを睨む。
ゾルドにはマリーを馬鹿にされ、身分を誤魔化され、挙句の果てには金を騙し取られた。
これだけコケにされた国はオストブルクだけである。
対照的に、ゾルドは非常に落ち着いていた。
今は地位も力もある。
問題が起きれば、魔族の力を使って叩き潰すだけだ。
続けて何かを言おうとしたマリアの機先を制し、ゾルドが話を始める。
「まぁ、落ち着け。悪かったと思っているから、こうして交渉の機会を与えてやってるんだ。俺と手を組んだソシアに攻め込んだんだから、一気に叩き潰してソシア領にしても良かったんだぞ」
ゾルドは自分が圧倒的有利な立場で、オストブルクが滅亡直前の不利な立場だという事を思い出させる。
マリーの事やオストブルクを騙した時の事が出てきた今がその機会だ。
正直なところ、周囲の”今まで何をやって来たんだ、こいつは?”という視線が辛い。
オストブルクを騙した事など、ゾルド本人はすでに忘れていた。
また何か忘れている事が出てきて、後で周囲の者に問い詰められるのは辛い。
力技で今の流れを押し流そうとした。
「お前達は今、俺の温情によって生かされているだけだ。過去に少しばかり関わった事があるからといって、その前提を忘れて貰っては困るな」
マリアは悔しそうな顔をして下を向く。
怒りで我を忘れていたが、この国は絶望的な状況に置かれている。
今までゾルドに文句を言えたのが不思議なくらいだ。
本来なら、ゾルドが”眉をひそめた””眉間にしわができた”という、一つ一つの行動にビクつき、機嫌を取らねばならない立場だ。
それを忘れてしまうほど、マリーの事が大切だった。
だが、マリーを殺したのがガリア人で、ゾルドではないとわかった。
そうなると、残るのは恨みではなく、皇后としての立場だった。
「確かにその通りね。ごめんなさい、和平の条件を教えてくれるかしら?」
金を騙し取られた事も腹立たしいが、あの出来事があったからこそ、こうして交渉の場を設けてくれているらしい。
ならば、戦争で負けて賠償金を払ったようなものだと思えば、まだ耐えられる。
「領内の通行許可と物資の提供、天魔戦争が終わるまで戦争に参加しないという事だけだ。安い物だろう?」
ゾルドの言った内容は本当に安い物だ。
他国の軍が国内を通過するのは国家の威信に係わるが、ソシア軍を止めようのない今の状況を考えれば、実質的に意味の無い事だった。
安全のために、念のために許可を得ようというのだろう。
そして、物資の提供も問題無い。
略奪された街の復興費用や、殺されて失うであろう労働力を考えた場合、オストブルク政府が物資を買い集めてソシア軍に渡した方が安くなる。
戦争に参加しないという内容もさほど意味が無い。
これからゾルド達がローマに進軍する事は明らかだ。
おそらく、その途中で決戦が行われるに違いない。
どういう結果になるにせよ、オストブルクは勝った側に付くだけで良い。
かなりの好条件だった。
「また騙そうとしているわけじゃないわよね」
だが、それだけに警戒する。
ゾルドが持ち掛けたうまい話に乗って、騙された経験があるからだ。
「あの時と違って騙す理由が無い。心配なら、ビスマルクやソシアの連中と和平を勧めれば良いだろ」
シュレジエンの戦いの後は、思いついた事をやってみたいとテンションに任せて行動してしまった。
まだゲームだと思っていた頃の事なので仕方ない。
若気の至りというやつだ。
今は現実の世界だと気付き、金も余裕もある。
敗戦国から利益をむさぼる必要が無かった。
「……そうさせてもらうわ」
マリアとしても、ゾルドよりもビスマルク達と和平の文章作成を行う方が安心できる。
”プローインの方から来た”などと屁理屈をこねる相手よりも、一般常識を持った文官との作業の方がずっと良い。
「後は任せたぞ」
ゾルドはビスマルク達に全て任せた。
そこからは、ああだこうだと話が始まり、文章の作成が始まった。
ゾルドはオストブルク側に気を使ったように見せかけて退席しようとした。
こんな事に時間を割くよりも、最近は行軍が続いていたので、たまにはゆっくり休みたいからだ。
だが、代表者が重要な交渉の途中で退席する事は許されない。
退屈そうに成り行きを見守る事しかできなかった。
「後で人をやりましょう。きっと気に入って頂けるはずです」
そんなゾルドの様子を見てか、宰相のヴェンツェルが意味ありげな笑みを浮かべて言った。
ゾルドは、貢ぎ物でも持って来させるのだろうと思っていた。
それが間違いだったと、ゾルドに用意された客室に戻ってから気付く事になる。
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