第151話 堕落した神

「あぁ、暇だ」


 ゾルドは戦争中とは思えない呑気さを見せていた。

 今、ゾルド達はスモレンスクの西にあるミンスクという街で待機している。

 ちょうどモスクワからワルシャワへ向かう中間地点の街だ。

 スモレンスクは戦闘で血まみれになったので、戦闘の行われなかったミンスクのホテルで過ごしていた。


 シャルルの死体効果があったのか、それともビスマルク効果があったのかわからないが、オストブルクやポール・ランドは撤退。

 今はダウガヴァ川南岸に広く展開していたガリア軍十万を追撃している最中だった。

 新兵混じりとはいえ、ダウガヴァ川北岸にいたソシア兵、三十万以上も渡河を開始。

 モスクワ方面からも、十万が側面からガリア軍の退路を断つように動いていた。


 後はもう消化試合だ。

 よけいな事をしでかさないように、ゾルドは三万ほどの兵と共に、ミンスクでパーヴェルのお守りをしていた。

 とはいえ、パーヴェルは書類の決裁もある。

 他に何もする事が無いゾルドは、娯楽に飢えていた。


(ネット環境って偉大だったんだな)


 簡単に動画を見たり、小説を読めるというだけでも十分だ。

 娯楽がチェスやトランプくらいしかないこの世界は、ゾルドにとって苦痛でしかない。

 一刻も早く日本に戻りたいとゾルドは願っていた。


「そうだ、ラインハルト。お前が精査する前の情報見せてくれよ」


 ゾルドが読む報告書は、ラインハルトが数多くの情報を様々な角度から検証し、情報精度の高い物だけが書かれていた。

 それはそれでありがたいが、今は暇潰しをしたい。


 レジーナはレスと一緒にお昼寝中で、テオドールとラウルは剣の模擬線中。

 パーヴェルも取り戻した領土の後始末で、書類仕事をやっている。

 他の者達は自分の仕事で忙しそうなので、話し相手をさせるのも悪い気がする。

 ホテルに用意されている本は大体読んだ。

 なので、ローマから届けられた情報を読んで暇を潰そうと考えていた。

 しかし、ラインハルトは嫌そうな顔をする。


「いい加減な噂話や、情報提供者の願望で歪んだ情報を教えるわけには……。誤った情報を知る事で、正しい情報を正しく受け取れなくなる場合もあります。ゾルド様は知らない方が良いと思いますよ」


 どうやら情報を扱う者として、ゾルドには正しい情報を知って欲しいと思っているようだ。

 だが、今回はその心配は無用だった。

 真偽が定かではない微妙なラインの物を欲しているわけではないからだ。


「お前が心配しているのはわかる。だから、今回は明らかに嘘とわかるようなのをくれ。笑えるのがあったらそれがいいな」

「笑えるのですか……。ゾルド様の笑いのツボがわからないので、こちらの物をご自由にどうぞ。確度の低い情報や役に立ちそうにない情報が書かれています。捨てる予定ですので、好きにしてくださって結構です」


 ラインハルトは山積みになった書類の中から端っこの山を指し示す。


「おう、サンキュー」


 ホテルなので、ラインハルト達専用の作業部屋はない。

 ゾルドもいる、ワンフロア丸ごとぶち抜きの部屋で作業していた。

 同じ部屋で一緒に居るので、気楽に書類の山から半分ほどソファーに持っていく。

 もし、何かの理由で必要だと言われてもすぐに返す事ができる。


(さて、何が書いているかな)


 まずは一番上に置かれた紙を読む。


(カルラとシーラにお土産を買って帰る。※服などは喧嘩になるので、食べ物のように無くなる物が好ましいと思われる……)


 ゾルドは何も言わず、そっとラインハルトの机に戻してやった。

 ゾルドの様子を見て、何かおかしいと思ったのだろう。

 置かれた紙に書かれた内容を読んで、挙動不審になり始めた。


「あのっ――」

「上手くやれよ」


 ゾルドはビシッと親指を立てる。

 ラインハルトもお年頃だ。

 女の子へのプレゼントをどうしようか、考えをまとめるためにメモ帳として使ったのだろう。

 そのまま捨てるはずだった物をゾルドが目を通してしまったのは、彼にとって不幸な事だった。

 見なかった事にして書類の山に戻せばいいものを、わざわざラインハルトに返すあたり意地が悪い。

 これも全て暇なのが悪いのだ。


 ゾルドは気を取り直して、次の書類を手に取る。

 しかし、面白そうな事は書いていなかった。


(でも、それでいい)


 大切なのは暇つぶしになるかどうかだ。

 この中に面白そうな内容があればラッキ―程度の気持ちで読んでいる。

”日付しか合っていない”と言われる新聞を読むようなものだ。

 

(んっ、これは)


 ゾルドの目に留まったのは、シューガの噂話だった。


(自分の娘を性的な目で見ている? そんな馬鹿な……。……無いよな?)


 ゾルドは子供で大きなのはジャックだけだ。

 女の子も生まれているが、まだ幼児。

 幼過ぎて、性的な目で見るほどではない。

 もしも、ジャックくらいの年齢で、母親似の美少女が生まれていた場合、自分ならどういう目で見るかを考える。


(シューガは子供を産ませて俺と戦わせる事を考えている。そう考えりゃあ、まぁ……。無くはないか)


 自分の子供は神の血を半分引いている。

 それでも十分な力を持って生まれて来ている事は、ジャックを見れば明らかだ。

 では、娘を孕ませて神の血が3/4の子供が生まれればどうだろうか?

 神の血が多くなった分、単純に強くなると考えていてもおかしくない。

 少なくとも自分なら、そう考える。


 しかも、シューガには必死さが足りない。

 その事から、まだここがゲームの世界だと勘違いしたままの可能性だってある。

 親の姿と見比べて”このまま成長するなら、娘相手でも有りだな”と、エロゲーのノリで考えるのもわからなくもない。

 もう一人の自分だからこそ、何を考えているのかが大体わかる。


(そうなると、他のシューガに関する情報も……)


 ゾルドは書類の山から、シューガに関係する物を抜き出した。


”「シャンパンはシャンパーニュ地方の物だけが本物。俺は偽物のスパークリングワインなど飲まない」と言って教皇の頭に酒をぶっかける。なお、それはシャンパーニュ産のシャンパンだった”

”各国首脳陣の血を引く若い娘を献上させようとした。美女揃いだったのに、なぜか国元へ送り返す”

”シューガは贅沢を好むが、ときおり米を炊かせて塩をまぶしただけの物を食べる”


 確かにくだらない情報だ。

 だが、ゾルドが見れば別。


 ――自分が天神として、好き勝手ができる甘やかされた生活を過ごしていたらどうなるか?


 そう考えれば、シューガがもう一人の自分だという事を再認識させられた。

 今は何も思いつかないが、自分とシューガの違いを活かす事ができれば、最終局面で大きく有利に立てるのではないか?

 ゾルドは、そのように考えた。

 軽く目の前の情報に目を通し、気になる内容が無い事を確認してから、ラインハルトのもとにある残りの半分に目を通し始めた。


 ラインハルトにしてみれば”これはありえない”と思うような内容だが、ゾルドだからこそ信じられる内容も混ざっている。

 彼に頼り過ぎて”自分でも軽く目を通してみる”という基本的な事を忘れてしまっていた。

 その事を反省しながら、シューガに関する情報が無いか探す。




 ゾルドが”暇だと”思う事なく何時間か経った頃、ホスエとレックスが帰って来た。

 ホスエの鎧が一部ひび割れているのが気になった。


「ただいま」

「ただいま戻りました」

「おう、お帰り。どうだった?」


 ゾルドは返事をしながら、自分の正面に座るよう手招きする。

 ソファーに座りながら、まずはレックスが答えた。


「およそ千名の神教騎士団を奇襲により全員殺害しました。こちらは接近戦を仕掛けた者が八名死亡、二十七名が負傷しただけです。負傷者はすでに回復魔法により、戦線復帰を果たしております。神教騎士団の武器はご命令通り確保しております」


 予想よりも被害が少ない。

 魔族の数は五百。

 奇襲を仕掛けたにしても、数が半数だったのでもう少し被害が出るかと思っていた。

 レックスの報告を聞き、ゾルドは満足そうしていた。


「神教騎士団相手にどれだけやれるのか不安だったが、魔族もなかなかやるじゃないか」

「千年前は戦闘経験豊富な者が多かったそうですが、今の実戦経験の少ない奴らには負けたりしません。奴らを倒すのは我らにお任せください」


 レックスは嬉しそうな表情を浮かべながら胸を張る。

 魔族には長寿な者が多い。

 当時を生きていた者達が、後進の者達に身をもって得た経験を伝えていた。


 それに対し、人類側は寿命が短い。

 唯一寿命が長いエルフは、他の種族と一線を引いている。

 魔族との闘いに関する内容の物は、書物がが残されている。

 だが、何十世代もの間続いた平和な時代が、過去の貴重な教訓を風化させてしまっていた。


「帰って来たばかりで悪いが、誰か元気そうな奴にこの手紙をニーズヘッグに届けさせてくれ」


 ゾルドは一通の封筒を取り出し、レックスに差し出す。


「では、遂に!?」


 この時期に手紙を出す意味を、レックスは即座に察した。


「あぁ、そろそろ魔族に侵攻を初めて欲しい」


 ソシア国内のガリア軍残党を狩りながら、ポール・ランド国境付近まで向かうのに二ヵ月から三ヵ月。

 ポール・ランドやオストブルクは軍が少ない。

 ソシア軍の領内通行を邪魔できないはずなので、無事に通過できれば、ロマリア教国の国境までさらに三ヵ月。

 

 そして、魔族がガリアを占領し、ロマリア教国国境まで向かうのに最速で半年はかかる計算だ。

 こちらと歩調を合わせるのなら、そろそろ動いてもらう必要がある。

 今、手紙を送ればちょうど良い頃合いになるはずだった。


「この知らせ、私が行かせて頂きます! では、失礼します!」


 レックスはゾルドから手紙を奪い取るように受け取ると、すぐに部屋を出て行こうとする。


「お前はソシアに居る魔族のまとめ役だから、行っちゃダメだぞー」


 慌てて声を掛けるが、レックスの耳には届いていないようだった。


「まったく、しょうがねぇ奴だな」


 だが、ゾルドは怒っていない。

 千年間も虐げられてきたのだ。

 反撃の時に、心が弾むのは仕方が無い。

 少しくらいは大目に見てやるつもりだった。


 それに、今はレックスだけに構っているつもりはない。

 ホスエとゆっくり話すために、先にレックスとの話を片付けたのだから。


「危なかったようだな」


 ゾルドはホスエの鎧を見る。

 肩当てが割れ、胸の辺りにもひびが入っている。

 しかも、鎧に傷付けられている時点で、相手はホスエに攻撃を当てられる技量を持っていたという事だ。


”ひょっとしたら、ホスエを失っていたかもしれない”


 そう思うと、ゾルドは肝が冷えるような気分になった。


「うん、そうだね。僕の教官だった人で、騎士としての決闘とかだったら負けてたと思うよ」


 ホスエは鎧の傷を撫でる。

 古龍の鱗を使った鎧だったからこそ、怪我をせずに済んだ。

 グスタフと同じ神教騎士団の鎧だったならば、片腕を切り落とされていただろう。

 装備の差と戦場での経験の差で勝てたが、純粋な技量での勝負では、まだまだ勝てるとは思えなかった。


「鎧を直してやるから脱げよ。多分そのくらいならすぐに直るだろうしな」


 ゾルドは魔神のローブを取りに向かう。

 その間に、ホスエは鎧を脱いでいた。


 グスタフを殺した事を、まだホスエは清算しきれていない。

 ゾルドがその事を根掘り葉掘り聞いて来ない事に、ホスエは少しホッとしていた。

 もっとも、それは”誰を殺そうがどうでもいい”と、ゾルドが思っていただけ。

 その事に無関心なだけだった。

 そうとは知らず、ホスエはゾルドの配慮に感謝する。


 ゾルドがローブを着て戻って来ると鎧を受け取る。

 傷付いた胴体部分だけを着た。

 何もせずとも、装備が修復されるのは便利なものだ。

 魔神装備の中で、洗浄のペンダントの次に役立っている。


「ゾルド兄さん……。これ、なに?」


 ゾルドがローブを取りに行っている間、テーブルの上にあった書類にホスエも目を通していた。


「あぁ、それはラインハルトが”くだらない”とか”信憑性が低い”とかで捨てようとしていた情報だ。だが”俺がシューガの立場だったら”と考えると、ありえる内容だと感じるものもある」

「ありえるんだ……」


 今、ホスエが手に持っているのは”シューガが自分の娘を性的な目で見ている”というものだった。

 つまり、ゾルドも自分の娘を性的な目で見る可能性もあるという事だ。


「僕はなんのために……」


 これがありえるというのなら、シューガもクズだが、ゾルドもかなりのもの。

 信じて付いてきた自分が間違いなのかもしれないと、泣きそうになっていた。

 グスタフを殺してセンチメンタルな気分になっているので、なおさらそのように思い込んでしまう。


「待て待て。シューガの立場だったらであって、俺がそうとは言っていないだろ」


 ホスエの態度を見て、何かマズイ事を言ってしまったとゾルドは気付いた。


「シューガは周囲に”神の言う事は全て正しい”と受け取る奴ばかりなんだろうと思う。そんな状態でいつも好きな事をやりたい放題だったなら、きっと堕落する。俺がそういう状況になったらっていうだけで、今の俺が堕落しているわけじゃないんだよ」


 やや早口になって否定した。

 ゾルドの言葉に思うところもあったのか、ホスエは納得する。


「確かにゾルド兄さんは堕落しやすいもんね。気を付けないと」


 レジーナがいても、隙あらば娼館通いをしようとするゾルドだ。

 シューガもゾルドと同じドスケベならば、快楽を追い求めてもおかしくない。

 ゾルドがシューガのように堕落しないよう、ホスエも注意しておこうと思った。


「俺は大丈夫だ。周囲の奴らが注意してくるからな」


 その中でも、ニーズヘッグ達は強烈だった。

 そのお陰で今は息抜きはするが、過度に遊び惚ける事が無くなったくらいだ。

 シューガと違い、ゾルドは注意してくる者に困らなかった。


「神がみんなをどう導くかじゃなくて、みんなで神をどう導くかみたいな勝負になってるね」


 そう言ってホスエは笑う。

 シューガは甘やかされてダメになってしまった。

 それに対し、ゾルドは突き放された事を糧に、前へ進み続けている。

 神の周囲にいる者の影響で、二人の道は大きく変わってしまっていた。

 少なくとも、シューガではなく、ゾルドに付いて来た事は間違いではなかった。


「天神に勝つまでは、ゾルド兄さんに厳しく注意しないとね」

「そりゃ酷いんじゃないのか?」


 ゾルドも笑った。

 最近はゾルドも女遊びをしていないので、厳しくされるいわれがない。

 ホスエが冗談混じりに言っているとわかっているからだ。


 少なくとも、ゾルドには冗談を言い合える相手がいる。

 何かをやらかせば非難してくれる者もいる。

 全てを許容し、言われるがままに動く者しかいないシューガとは違うのだ。

 ゾルドは仲間のありがたみに気付いていたが、それを口にする事は無かった。

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