第113話 世界の果て

 ゾルド達はキエフの東北部にある丘陵地帯からドニエプル川に沿って南下。

 道中多くの魔物と戦い、経験を積んだ。

 ある程度魔力を扱えるようになったからか、なんとなくゾルドにも魔力が増えているのがわかるようになっていた。


 そして彼らは、ソシア唯一の保養地であるオデッサに到着していた。

 すでにロッテルダムを立って四カ月以上が経っている。

 ロッテルダムまで帰る事を考えれば、そろそろ切り上げる頃だ。

 ならば、帰る前に少し観光をしようというゾルドの提案を受けて、オデッサまで来たのだった。


「これでお前も肩の荷が降りたな。お疲れさん」


 ビーチパラソルの下。

 水着を来たゾルドとホスエが座っている。

 ゾルドはホスエを労った。

 命懸けの旅で引率をしていたのだから、このくらいは言ってやってもいい。


「お疲れ様。けど、一番苦労したのはゾルド兄さんになんだけどね」


 ホスエの言葉にゾルドは苦笑する。

 散々戦い方について指導され続けていたからだ。

 ゾルドは実戦になると教わった事を忘れ、本能的な戦い方をしてしまう。

 非常に覚えの悪い生徒だったという事は自覚している。


「今では必殺技みたいなのも使えるようになったし、苦労した分成果はあったさ」


 ――ゾルドの必殺技。


 威力を抑えて使ったのを近くで見たが、爆発に自分も巻き込まれて吹っ飛んでいた。

 無駄に生命力のあるゾルドだからこそできる”死なば諸共”という無茶な戦い方だ。


”自分の被害を最小限に、相手には最大限の被害を与える”


 全ての武術の根底にあるものに、真っ向から喧嘩を売る戦い方だった。

 あまりの無茶っぷりにホスエも苦笑いをしてしまう。


「せっかくオデッサに来てるのに、なんでしけった面してんすか」


 保養地に来ておきながら二人揃って苦笑いをしているゾルド達に、暗い顔したテオドールが話しかける。


「お前が言えた事かよ。その様子じゃあ、全滅か」


 ゾルドの言葉に、テオドールは天を向く事で答えた。

 ナンパは完全に失敗したようだ。


「どうやら、ここの女はお上品な男の方が好みみたいでさぁ」


 冒険者みたいに荒っぽい人間は相手にされない。

 テオドールは、そう愚痴った。


 車で気楽に旅行の出来ない世界で旅行ができるのは、ある程度裕福な家庭だけ。

 下々の者という雰囲気のテオドールは相手にされなかった。

 旅先で開放的な気分になっている、なんていう事はなかったようだ。


「お前もラウルのように泳いで気分転換でもしたらどうだ? ロッテルダムに帰っても、泳げなくなるだろうし」


 テオドールはゾルドに首を傾げる。


「そりゃねぇっすよ。歩いて行ける距離に海があるんすから」


 ロッテルダムなど、誰でも知っているような大きな港町だ。

 泳ごうと思えば、どこででも泳げる。

 泳げない理由など思いつかなかった。


「そうか。そんな元気があるならいいけどな」


 ゾルドはホスエの方をチラリと見る。

 その視線が語る物にテオドールは気付き、ビクリとする。


「兄貴、もしかして……」

「もちろん、屋敷に帰ったら鍛錬の続きだよ。せっかく強くなったんだから、このまま技を鍛えていかないとね」


 ホスエは無駄に良い笑顔で答えた。

 強くなるという事は修行の毎日が続くという事だ。

 より強くなるためにはもちろん必要だが、強さを維持するだけでいいと思っても、鍛錬を休むという選択肢は無い。


”強くなったし、もう鍛錬しなくてもいいや”


 なんていう事はない。

 それでは腕が鈍ってしまう。

 テオドールは、鍛え続けなければならないという運命に囚われてしまっていた。


「……気分転換に泳いできやす」


 ホスエの指導の後で、海へ泳ぎに行こうと思えるほど体力が残るとは思えない。

”最後の休日を味わう”というような少し暗い面持ちで、テオドールは海へと向かう。

 

「まぁ今回の旅で体力が増えてるから、余裕はあると思うけどね」


 ホスエが笑いながら言った。


「なら、それを本人に言ってやれよ」

「人に言われるよりも、自分で体力が増えたって実感できた方が嬉しいんだよ」


 ホスエも存外意地が悪いようだ。

 二人は笑った。

 今度は明るい笑いだ。

 こんな話ができる余裕ができたのも、旅が上手くいったお陰だ。


「俺から見ても、旅に出る前より体力に余裕ができてるようだからな」

「ラウルが著しい成長を見せたから、自分は少しだけって思ってるのかもね」


 これがゾルドやホスエなら、テオドールも”才能の差か”と思っていたのだろうが、同じスラムの住人であるラウルが体力的に目覚ましい成長を遂げていった。

 だから、自分の成長を些細な物だと卑下してしまっている。

 周囲から見れば、テオドールだって十分に成長しているのだ。


「そういや試してないけど、どれくらい強くなったんだろうな? あいつも包丁くらいなら刺さらなくなったのか?」

「へっ?」


 ホスエが”何を言っているんだ?”というような視線をゾルドに投げかける。


「強くなったんだから、それくらいできるだろ? 木の枝が刺さらない程度なのか?」

「ゾルド兄さん、本気で言ってる? ……魔神の常識なのかもしれないけど、そんな事ないよ」

「えっ?」


 強くなったという事はレベルアップをしているはずだ。

 それならば、攻撃力や防御力も高くなっているはず。

 だが、ホスエの様子では、その考えは間違っているようだ。


「いい? 魔物を倒して身に付くのは体力と魔力。体が刃物を跳ね返すほど丈夫になったりするわけじゃないんだよ」

「なんだって……、あっ」


 ゾルドには思い当たるところがあった。

 ポルトで魔神探索の尖兵であるアランと戦った時の事だ。

 ゾルドが石を投げて攻撃をすると、皮の鎧を貫いて足にめり込んでいた。


 仮にも神教騎士団の騎士なのだ。

 ある程度は強かったはず。

 なのに、その体は普通の人間のようだった気がする。


「じゃ、じゃあもしかして……。強い魔物を倒しても、疲れなくなったり、魔力が増えるだけなのか?」

「そうだよ」


 ホスエの答えに、ゾルドはめまいがする思いだった。


(それじゃあ、この四カ月無駄だったんじゃ……)


 ゾルドはスタミナと魔力に関しては困るような事が無い。

 最初に取ったスキルセットのお陰で、どちらも余裕がある。

 魔物と戦う必要が無かったと知り、今までの疲れがドッと出てくる気がした。


 そんなゾルドの様子を見て、何を考えているのかホスエは気付いていた。

 この四カ月、まとめ役としてゾルドの面倒を見て来たのだ。

 ゾルドが何を考えているのか、大体は予想が付くようになってしまっている。


「ゾルド兄さん。魔物と戦う事で命のやり取りを覚えたし、必殺技だって使えるようになった。この旅は無駄なんかじゃなかったよ」

「そうだな。まぁ、生活費は現地で稼ぐっていう縛りは必要無かったと思うけどな」


 ゾルドは主にホテルの面で不満があった。

 食費や薬代を考えると、金銭面での余裕が無い時もあった。

 四人部屋の固いベッドで寝るなんていう時すらあったのだ。

 野宿をするのだから、街でくらい良いホテルに泊まりたいとずっと思っていた。


 特に不満だったのは食事だ。

 ボルシチなどはまだ良かったが、やけに酸っぱい黒いパンがゾルドには合わなかった。

 庶民的な食堂では、どこもその黒いパンが出てくるのでウンザリしていた。


「だってそれは、ゾルド兄さんのために決めた事なんだよ。働く理由が無いと、絶対魔物狩りをサボろうとするからってね」

「そういや、レジーナ達と相談して決めたって言ってたな……」 

「むしろ、ゾルド兄さんに付き合わされたこっちが文句を言いたいくらいだよ」


 ホスエは少しムッとした表情をした。

 テオドールとラウルの二人は、鍛えるために魔物狩りをしようと言えば、サボろうとせずにちゃんとやってくれる。

 ゾルド抜きの旅なら、現地で稼いだ金で生活するという制約など必要無かったのだ。

 ギリギリの生活を付き合わされたので、ホスエはゾルドに”もう少し自制心を持って欲しい”と不満を持っていた。


「すまん、すまん。だが、どんなに頑丈な鉄も、圧力を加え続ければいつかは折れる。時には休む事も必要だぞ」


 良い事を言ったと、ゾルドはドヤ顔を決める。

 しかし、ホスエの返答は溜息だった。


「ハァ、その休む割合が多いから問題なんでしょ。休む必要性は否定しないよ」

「そ、そうだよな」


 ゾルドはハハハと乾いた笑い声が出た。

 休み過ぎる事は自覚している。

 だが、こうして面と向かって言われると辛いところだ。

 この話しの流れはマズイと、話を逸らす事にした。


「そういえば、お土産は買ったか? マルコやミランダもきっと何か期待しているぞ?」


 ゾルドは子供達を話題に使って話を逸らした。

 ホスエは血の繋がりのない子供達にも愛情を持って接している。

 かなり子煩悩な方だった。


”このネタならホスエも乗ってくる”


 ゾルドの狙いは当たっていた。

 ホスエが迷っている事を知っていたから当然の結果とも言える。


「そうなんだよねぇ……。お土産を何にしようか迷ってるんだ。レジーナ姉さんには何を買って帰るの?」


 お土産の参考になる情報が欲しい。

 そう思ったホスエはゾルドに聞いた。


「マトリョーシカ人形に派手なスカーフ、モサモサしてる帽子かな。ちょうどオデッサにいるから、キャビアも買って帰ろうと思っている。ゲルハルト達男連中はウォッカでいいだろう」

「形に残る物かぁ」


 ホスエもゲルハルト達の扱いに関しては何も言わなかった。

 自分がお土産を貰う側なら、お酒や食べ物を貰ってお帰りパーティで一緒に楽しむ方が好きだ。

 扱いに困る物よりもよっぽど良い。


 だが、テレサや子供達は別。

 何か形に残る物を持ち帰ってやりたい。


「マルコの分は悩まなくても良いんじゃないか? お前が倒したヒュドラの鱗で鎧を、骨で剣っぽいの作ってやれば子供には十分だろう」 

「確かにマルコは男の子だから、それでも良さそうだね。でも、女の子には何を買って帰ればいいのか……」


 真剣に悩むホスエに、ゾルドも付き合ってやる。

 レジーナへの土産は”これでいいだろう”と適当に選んだ物だ。

 無難過ぎて面白味が無い。

 夫婦での温泉旅行から帰って来た親から、ペナントをお土産に渡されるような感覚に近いかもしれない。

 そう思うと、何か他に良い物は無いかと考えてしまう。


「ロ――ソシアは鉱物資源が豊富っていうし、宝石でも買って帰るか?」


 思わずロシアと言いそうになったが、基本的に同じような国ならば資源も同じはず。

 ならば、宝石関係も良い物が売っているだろうとゾルドは考えた。


「宝石かぁ……。良い物が欲しいけど、お金が足りるかな」


 ホスエには高額の給料を払っている。

 だが、家族ができたので自分一人の財布では無くなった。

 生活に困らないとはいえ、子供の将来に備えて貯めておきたいと考えているホスエには、あまり無駄使いしようとは思えない。


「お前はよくやったから、宝石くらい買ってやる。細かい事は気にせずに、土産で買って帰りたい物を持って帰ってやれよ」

「ゾルド兄さん……、ありがとう」


 ホスエはゾルドの配慮に感謝する。

 ゾルドからすれば、一千万しようが二千万しようがホスエの忠誠心を買えるなら安い物。

 この旅でホスエの実力を見たので、なおさらだ。


「けど、中途半端にソシアっていうのが土産に困るよな。トルコならキリムとかモザイクキャンドルとか色々あるのに」


 ゾルドは黒海を挟んでオデッサの反対側にあるトルコに思いを馳せる。

 ヨーロッパに住んでいる者からすれば、ああいった中東系の土産物の方が目新しさがある。

 とはいえ、さすがに土産物を買うだけで遠回りするつもりはない。

 もしかすると、オデッサにも輸入雑貨屋があるかもしれない。

 適当にブラついてみようかとゾルドは考えた。


「トルコってなに?」

「えっ」


 しかし、ホスエによって、その考えは否定される。


「あぁ、説明が悪かったか。そこの海の反対側に国があるだろ? イスタンブールがある国だよ」


 ゾルドは”トルコ”という名前が悪かったのかとすぐに考え直した。 

 この世界でも同じ国名とは限らない。

 街の名前を教えたが、ホスエの反応は芳しくない。


「イスタンブールはグレースの東側にある港町でしょ?」

「うーん、そうだ」


 ゾルドは地面に大雑把な絵を描いた。


「ここがイスタンブールで、その向かいに土地があるだろ? そこがトルコだ。こっちの世界じゃなんていう国かわからないけどな」


 ゾルドが絵を描いて教えても、ホスエは首を傾げるばかりだった。


「ゾルド兄さんの世界だとどうなっているのか知りませんが、そこは海でしょう」

「へっ?」


 ホスエがゾルドの書いた絵の横に世界地図を描いていく。

 その絵は、ヨーロッパと北アフリカ周辺だけで、中東やウラル以東のソシアの大地は書かれていなかった。


「これが世界の全てだそうですよ」

「そんな馬鹿な。アメリカは遠いからともかく、トルコくらいは近いしわかるだろう? わかっていないところは、魔物が多くて人が行けないのか?」

「いいえ。隙間もなく調べたわけではないのでしょうが、ソシアの東側には見えない壁があって通れないそうですよ」

「なんだって! それじゃ、海はどうなってる!?」


 ゾルドは思わずホスエの腕を掴む。

 少し力が入っていて痛いが、ただならぬゾルドの様子に、ホスエは説明を優先させた。


「海の端っこは滝になっていて落ちるそうですよ。落ちた先がどうなっているのかはまだわかっていません」


 ゾルドの手から力が抜ける。

 掴まれている時は痛くて話して欲しかったが、力が抜けるとそれはそれで心配だ。

 ホスエは心配そうにゾルドの顔を見る。


「ゾルド兄さん、大丈夫?」


 ゾルドは顔面蒼白になっていた。

 それだけ衝撃的な事だったのだ。


(ゲームのような異世界だと思っていたが、異世界のようなゲームなのか? 一体どうなってやがる)


 すでに、ここは異世界だと思って心に折り合いをつけていた。

 にもかかわらず、こんなところでそれを否定される事実が、ゾルドを動揺させた。


「大丈夫……、ではないな。だが、これは俺が自分でなんとかしなきゃいけない事だ」

「わかったよ。何か役に立てそうな事があったら言ってね」

「あぁ、ありがとう」


 ホスエからすれば”トルコ”という国が無い事や、海が滝のようになっている事は常識だ。

 その常識を知って、ゾルドがなぜここまで動揺するのかがわからなかった。


「それって大事な事なの?」

「俺にとってはな。この世界に関して考え方を変えないといけないかもしれない」


 ゾルドの言葉に、ホスエまで深刻な問題だと受け取ってしまう。

 まさか地図を描いて見せただけで、世界の事を考えるまでに問題が大きくなるとは思ってもみなかった。

 ホスエは自分が何かしでかしてしまったのではないかと、心配になってしまう。


「お前には関係ねぇよ。俺だ、俺自身にだけ大問題ってだけだ」

「そう、なら良いんだけれど」


 口ではそう言ったが、ホスエはまだ心配そうだ。

 ゾルドは普段からつまらない事で悩みこむ。

 しかし、今回は違うようだ。

 本当に深刻そうにしている。

 この問題がどれほどの物なのか、ホスエにはサッパリわからなかった。


 だが、ゾルドにとっては大問題だ。

 ゲームっぽい異世界ならば、天神を倒す事で元の世界に戻る力が手に入るかもしれない。


 では、もしも異世界っぽく感じるゲームだったらどうか?

 天神を倒しても、ゲームが終了するとは限らない。

 目標としていた”打倒、天神”が無駄な行為でしかないのかもしれない。


(クソッ、こんなところでまた悩むハメになるとは)


 世界の範囲が限定されるのは、ゲームではよくある事だ。

 ヨーロッパ大陸をモチーフにした異世界とはあったが、ここまでサッパリ切り捨てられているとは思いもしなかった。

 お陰で本当はゲームで、異世界だと錯覚させるような何かがあるのではないかと勘違いしてしまうのだ。


(この世界を作った神だか、ゲーム制作者かはわからない。紛らわしいもん作りやがって。どちらにせよ、いつかかならずぶっ飛ばしてやるからな!)


 ゾルドは何者かに怒りをぶつける事で、心の動揺を抑えようとした。

 できもしない事だと知りもしないで。 

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