第112話 努力の成果
「さすがにこれは無理ィ!」
「いや、おやっさん。見返してやるって言ったじゃないっすか!」
「そうですよ。頼りにしてるんですから、なんとかしてください!」
「うるせぇ! 今は逃げろ!」
ゾルド達は、キエフから北東へ歩いて一週間ほどの距離にある丘陵地帯に来ていた。
ヒュドラを探そうと丘に登った時の事。
その丘の上でヒュドラと鉢合わせしてしてしまった。
上手い具合に視線が木の陰で隠れていて、丘を登りきるまで気付かなかった。
不意の遭遇にビビって、ゾルド達は丘を駆け下りている。
「ヤベェ、あいつデケェのに意外と早い!」
大型トレーラーのような長い体をしているのに、丘を駆け下りているゾルド達にジリジリと追い付こうとしている。
「ていうか、なんで兄貴はあいつの後ろ走ってんだ!」
なんでと言われても、ヒュドラは最初に逃げ出したゾルド達を本能的に追いかけた。
置いて行かれたホスエが、やむを得ずヒュドラの背後から追いつこうと走っているだけだ。
安全な位置にいるホスエを恨みがましい目で見ても、何一つ状況は好転しない。
「クソッ、やってやらぁ! お前らは左右に避けろ」
「へいっ!」
「はいっ!」
何も三人揃って同じ方向に逃げる必要などない。
テオドール達はゾルドの言葉に大人しく従い、横に逸れる。
ゾルドはテオドール達が避けたのを確認し、その場に立ち止まり振り返った。
ゾルドが全力を出せば、このくらいの大きさの物を持ち上げる事だってできる。
全力を出してヒュドラを迎え撃つ。
「どっせーい――ぐわぁぁぁ」
「おやっさーーーん」
丘を駆け下りて勢いのついたヒュドラの体に跳ね飛ばされた。
大岩を持ち上げたりはできるが、ゾルドの体は一般的な成人男性の物。
数十トンはありそうなヒュドラの質量を抑えきれなかったのだ。
とはいえ、ヒュドラもただでは済まなかった。
丘を駆け下りている最中に、ゾルドが迎え撃ったせいでバランスを崩してしまった。
高速道路で落下物を踏んでしまった車のように、ヒュドラは激しく横転する。
「なんていうことだ。まだ若くて小さいヒュドラだから、逃げなくても戦えたのに」
ホスエがテオドール達に追い付き、平然と言った。
ゾルドの事は気になるようだが、心配まではしていないようだ。
「マジですかい!? あれで若いって……」
「ソシアの人、こんなところによく住んでますね……」
まさに魔境とも言うべき魔物の住処。
そんな場所を人類の生存圏としようという事を、彼らには理解できなかった。
ラウルはヒュドラに追われていたという恐怖から、喉がカラカラになっている事に気付く。
腰に下げた水筒の水を一口飲み込んだ。
「人が跳ね飛ばされたってのに、なんで一服決め込んでんだよ」
そこへ、痛みが無くなって動けるようになったゾルドが姿を現す。
「おやっさん、無事だったんですね。というより、なんで無事なんですか」
「魔神だからだよ!」
「そういえばそうでした」
普通の人間なら、死ぬどころか肉塊になっていてもおかしくない。
土で汚れている以外は、何も変わりがないのが不思議なくらいだ。
「あのヒュドラはまだ若いヒュドラです。みんなの初戦闘にちょうど良いでしょう」
ゾルドの心配もせず、冷静なホスエ。
その態度にゾルドは少しイラついた。
「なぁ、ホスエ先生よ。たまには口先だけじゃなくて、その力を見せてくれよ。実際にどう戦うのか見せてくれりゃわかりやすいんだがな」
ゾルドは自分が上手く戦えない事の当てつけのように、ホスエに戦って見せろと言った。
あんな化け物、前もって戦い方を教わっても実際に目の当たりにすると足がすくんでしまう。
本当に戦えるというのなら、実際にお前がやってみろとゾルドは思ってしまったのだ。
ホスエはゾルドの言い分にも一理あると考えた。
とはいえ、100%というわけではない。
「確かに見せるのは良い考えかもしれませんが、次も若いヒュドラが見つかるとは限りませんよ?」
もっと大きいヒュドラと戦うハメになるかもしれない。
それよりは、今回ゾルド達が若いヒュドラと戦った方が良い。
その方が安全だからだ。
だが、ゾルドはホスエが戦う事を選んだ。
「良いからやってみせてくれよ。見せてくれた方が良い勉強になる。なぁ、お前らもそう思うだろ?」
ゾルドはテオドール達に同意を求めた。
自分一人の意見で決めた場合、後々問題になった時に一人で責任を取らなくてはいけなくなる。
彼等も巻き込んでおこうという、姑息な考えからだった。
「確かにおやっさんの言うように、戦い方を見た方がわかりやすいかもしれやせんねぇ」
「それに、ホスエの兄貴が戦うところを見てみたいです」
テオドール達も、彼等なりに興味がある事だった。
ホスエが一体どうやってあの化け物と戦うのか。
一度くらいは近くで見てみたい。
そう思ってしまうのも仕方のない事だった。
「それでは戦いましょう。あのサイズなら一人で戦えるので、ここで見ているように」
こうして話している間にも、ヒュドラは丘を登って来ていた。
ゾルドのせいで転げて行ったが、すぐに態勢を立て直して丘を駆け上っている。
怒っているのか、蛇の頭が大口を開けて声を上げている。
その様子を見て、ゾルドは少し気が変わった。
「あれだけ怒り散らしているのはヤバくないか? やっぱり手を貸そうか?」
ホスエにムカついたのは事実だが、死なれても困る。
手助けしても良いのではないかと思い直した。
「大丈夫です。見ててください」
そう言い残して、ホスエは剣を抜いてヒュドラに駆け寄っていく。
その姿に、躊躇いも恐れも無かった。
ヒュドラの前に着くと、ホスエは戦い方の解説を始める。
「ヒュドラは首が多くあります。けれども、その全てが同時に襲い掛かってくるわけではありません。大きいので体のバランスを取るために、襲ってくるのは一本か二本だけです」
解説しながら、襲い掛かってきた首を一本跳ね飛ばす。
ヒュドラは一度大きな悲鳴を上げると、今度は二本の首がホスエに襲い掛かる。
「複数の首が同時に襲って来たら、大きく踏み込む事。二本同時だと、同じ場所に居る方が危険です」
ホスエはそう言うと、襲い掛かって来なかった方の首を切り落とす。
二本同時に噛みつこうとしていたので、体のバランスを取るために動いていない狙いやすい方を狙った。
「ヒュドラの首は半分以下になるとバランスが取れなくなり、動きが大幅に鈍ります。さっさと切り落として楽にしてあげましょう」
ホスエはこともなげに残りの首を切り落とす。
あれだけゾルド達がビビっていたヒュドラも、わずかな時間で倒してしまった。
さすがにゾルドでも、ホスエに対しての不満など消え去ってしまう。
「お前ら、あれ真似できる?」
ゾルドは隣で見ていたテオドール達に聞く。
ゲームならともかく、今の自分には到底真似できそうになかった。
「まさか、無理っすわ」
「あんなの無理ですね」
二人は即座に否定する。
ホスエは一体どれほどの修羅場で場数を踏んできたのか?
一同はその事を考えずにはいられなかった。
戻って来たホスエを、尊敬の眼差しが迎える。
ただ厳しく口先だけの男ではなく、それが実力に裏付けられたものだと見直したのだ。
「このようにしてヒュドラは倒します。最初は複数人で周囲を囲むように戦えばやりやすいですよ」
多くの首があるからこそ、バランスを保つために動きが制限される。
見た目の大きさに惑わされず、落ち着いて戦えば十分に勝機のある相手だとホスエは証明した。
特に、今は神教騎士団の剣がある。
テオドール達が使っても、刃が鱗で弾かれるという事もない。
「なんだよ、あれは! 凄すぎて、よくわかんねぇよ!」
「やっぱ、ホスエの兄貴はスゲェ!」
「凄く恰好良かったです! マルコ達にも教えてやんなきゃ!」
ゾルド達のもとへ戻って来たホスエを、歓声が出迎える。
必死に戦うのではなく、冷静さを保ちながら戦う事の重要性も教えられた。
今までゾルド達が戦って来たやり方との違いを見せつけられたのだ。
その力量は、ただ称賛するしかなかった。
「みんなもこれくらいはできるようになります。頑張りましょう」
ホスエが優しく微笑む。
最初はホスエもゾルド達のような感じだった。
いつかは、みんなもこれくらいはやれるようになると信じていた。
「では、ヒュドラの素材を回収しましょう」
ホスエの提案により、みんなで死体の方へと向かう。
そして、ヒュドラの死体を回収している最中にゾルドは気付いた。
(あっ、見返させるの忘れてた……)
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「本当に一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫だって」
「けど、滅茶苦茶デケェっすよ」
「いけるって」
「おやっさんが魔神だって信じてますんで、大人しくみんなで戦いません?」
「良いから俺にやらせろ」
今狙っているのは、前回の若いヒュドラの数倍はありそうな大きなヒュドラだ。
まだ数百メートルはあるのに、ハッキリと存在を確認できるくらい大きい。
前回は突然の遭遇にビビって逃げ出したが、今回はこちらが先に見つけていた。
そこでゾルドは、みんなを見返してやろうと一人で倒すと言い出したのだ。
「俺には必殺技がある。これできっと一撃さ」
そうは言っても、ゾルドが必殺技のようなものを使ったところを見た事がない。
急に魔法が使えるようになった様子もなかったので、不安に思ってしまうのも当然だ。
「ゾルド兄さん、信じていいんですね?」
「もちろんだ。でも、思ったより効果が無かったら助けてくれよ」
「はい」
ホスエは返事をすると、それ以上止めなかった。
この旅で情けないところも多く見て来たが、ホスエにとってゾルドは頼りになるお兄さんだ。
ここまで言うのならば、止めるのは失礼だと思って行かせる事にした
「一応聞いておきたいんですが、どう戦うんですか?」
戦い方は聞いておかねばならない。
その戦い方に合わせた援護方法などを考えねばならないからだ。
ゾルドはホスエに右手の拳を見せる。
「これさ」
「ゾルド兄さん、それは……」
――また力押しか……。
ホスエはそう思った。
それも仕方ない。
この旅の間、ゾルドは力任せに殴る、蹴るという戦い方を見せて来た。
巨大なヒュドラ相手にも、力押しで戦うというゾルドに、ホスエは露骨に顔をしかめた。
「違う、違う。殴るだけじゃないんだ。魔力を籠めて殴るんだよ」
魔力そのものでは使用効率が悪い。
だから、魔力を魔法で炎や氷という形にして、相手への攻撃手段として使う。
ならば、効率など気にせずとも良いくらいの魔力量を持つ自分なら、魔法にせずに使っても良いのではないか?
ゾルドはそう考えた。
そんなゾルドが導き出した答えは、無駄に豊富な魔力を一度に全力で敵に叩き込むというものだった。
「大丈夫かな……」
ゾルドの考えを聞いて、さすがにホスエは不安になる。
そんな魔力の使い方なんて聞いた事がない。
魔法使いは敵から距離を取って戦う事が基本だ。
直接相手を殴るなんて方法を考えたのは、ゾルドが初めてなのではないかとすら思った。
「とりあえず殴ってくる」
ゾルドはそう言い残してヒュドラに接近していった。
木々に姿を隠し、できるだけ静かに。
幸いにも、ヒュドラはこの周辺では捕食者側。
警戒は緩いようだ。
草を踏む音も、魔神のブーツの消音加工のお陰でわずかな音になっていた。
そのお陰で、ゾルドが本気で飛び掛かれば一歩でいけるような距離まで接近していた。
(よし、ここまで来ればいいだろう)
ゾルドは右手に魔力を集中し始める。
10秒ほどしてから自分の右手を見ると、赤黒いもやのような物が浮かんで見え始める。
ゾルドの魔力だ。
十分に溜まった魔力が、右手の中からあふれ出てきている。
ゾルドは木の陰からヒュドラの方をチラリと見た。
首が八本。
この一撃でニ、三本ちぎれてくれればありがたい。
まだ使った事のない方法に、ゾルドの心臓はドキドキと大きな音を奏でていた。
(いや、いっその事くたばりやがれ!)
ゾルドは木の影から飛び出す。
奇襲は成功のようだ。
まだゾルドに気付いていないヒュドラの首に拳を叩きつけた。
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(……なんだ、耳が痛い)
気が付けば地面とキスをしていた。
酷い耳鳴りもする。
ゾルドは立ち上がろうとするが、平衡感覚を失っているようで体がまともに動かない。
(どうなったんだ?)
朦朧としたままだが、ゾルドは周囲を見回す。
ゾルドの倒れている地面は焼け焦げている。
あれだけ巨大だったヒュドラもどこにもいない。
それどころか、数十メートルの範囲で全てが消え去っていた。
(俺がやったのか?)
ここで耳鳴りが収まって来たゾルドが、ようやく自分のやった事に気付いた。
予想以上にゾルドの魔力があったようだ。
まるで大型爆弾が爆発したかのような威力があったらしい。
その爆発に至近距離で巻き込まれたせいで、自分も瞬間的に気絶していたのだろう。
ゾルドは重い体を起こし、地べたに胡坐をかいて座る。
魔力を使い過ぎたからか。
それとも爆発に巻き込まれたからか。
理由はわからないが、体がダルくて何もする気にはなれなかった。
「ゾルド兄さーん」
声のする方を見ると、ホスエ達が駆け寄って来ていた。
ゾルドはローブが黒いというだけではなく、今は煤に塗れて真っ黒だ。
地面に倒れていた時は、木の残骸などに紛れてわからなかった。
座った事で、ホスエ達がゾルドの居場所に気付いたのだ。
「ゾルド兄さん、大丈夫?」
「いや、イマイチだな」
返事をしてゾルドは気付いた。
口の中にも何かの燃えカスが入っている。
洗浄の魔法で全身を綺麗にし、水筒と取り出して口をすすぐ。
「おやっさん、やっぱパネェっすわ!」
「世界の終わりかと思いましたよ!」
テオドール達はホスエの時よりも興奮している。
やはり、魔法――正確には魔力――による爆発は、見ている者の心を揺さぶる力強さがあった。
それも特大の爆発だ。
数百メートル離れていたホスエ達がいるところまで衝撃波を感じたほどだった。
初めてそんな光景を見たので、その興奮はなかなか冷めない。
「ゾルド兄さん。その力、しかと見せて頂きました。さすが魔神です」
ホスエなど目に涙を薄っすらと浮かべて感動している。
やはり、ゾルドはやればできる人だったのだとわかり、心底喜んでいる。
「あぁ、それは良かった。けど、何度もやりたくはねぇな……」
褒められても、自分は覚えていないので実感が湧かない。
残った物は達成感ではなく、頭痛とめまいだけだ。
天神とのラストバトルや、何か非常事態が起きた時以外は使うまいと決心する。
ゾルドはスッキリとしない気分だったが、皆を見返す事ができて、心の底から嬉しく思っていた。
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