第110話 ロッテルダムからの知らせ
「ついにここまで来たか」
ゾルドは感慨深く呟いた。
ロッテルダムを出発してから早くも三ヵ月。
ついにキエフにまで到着していた。
今はホテルの窓から、ワイン片手にキエフの街を見下ろしている。
「かなり強くなった気もする。最初はこんな旅なんてと思ったけど、本当に来てよかった。今なら愚民共を導いてやろういう気にさえなれる」
「う、うん。そうだね……」
ホスエはそんなゾルドに一言言うべきかどうか迷っていた。
ゾルドの成長はテオドールやラウルに比べて微々たるものだった。
確かに戦闘中に剣を手放したりする事は減ったが、時々ナタを使おうとしたり、剣が当たらないような素早い相手にはムキになって素手で掴みかかる。
残念ながら、戦闘に関してのセンスがまったくなかった。
いや、センス以前の問題だ。
確かに成長した部分もあるような気がするが、技術的な面ではなく、魔物相手に戦いを挑めるという精神的な強さだけだ。
まるでこの世の支配者のように、世界を見下ろせるほど目覚ましい成長はしていない。
むしろ、どうしてそこまで偉そうに見下ろせるのかが、ホスエには不思議だった。
ちなみに、ここは普通のホテルで、ゾルドが持っているのも一般的なワインだ。
「僕も体力が付いたって実感できてます!」
一番成長がわかりやすかったのは、体力の少なかったラウルだ。
今では狩場までの移動で息を切らせたりはしなくなっていた。
体力面での成長は、他者から見ても一目瞭然だった。
「俺もっすね。なんか健康的になったって感じで、良い感じになってまさぁ」
テオドールは三十歳を過ぎている。
まだまだ若いつもりでも、若い頃に比べて少しは衰えを実感し始めていた。
だが魔物と戦い始めてから、体力が戻るどころか全盛期を迎えているかのように感じている。
特に夜の生活で実感していた。
「……ホスエは何もしなかったな」
「見てるだけでしたね……」
「”大丈夫、お前ならやれる!”って応援だけっすもんね……」
ホスエは本当に何もしなかったわけではない。
ちゃんと魔物が倒せるかどうかを見極めていたので、倒せると思って手を貸さなかっただけだ。
他にも、縁の下の力持ちとして活躍していた。
目に見えた活躍ではないので、何もしてないように見えただけだ。
だが、自分の働きを理解されていなくとも、不平不満を言ったりはしない。
「みんなの成長を手助けするのが目的だったからね。でも、キエフの東側に行くと一気に強くなるから、ドニエプル川を越えてからは僕も戦う事になると思うよ」
――ホスエも一緒に戦う事になる。
面倒な事に、彼らはそれはそれで嫌だった。
それはつまり、ホスエが戦わなければいけない相手と戦う事になるという事だ。
確かに魔物を倒す事で成長を実感できる。
しかしそれでも”もうちょっと楽な相手とやれれば良いなぁ”と思わずにはいられなかった。
ホスエはいつも限界ギリギリの戦いをやらせてくる。
――では、ホスエも戦う必要のある化け物とは、いったいどんな化け物なのか?
想像するだけでもウンザリする。
これはゾルドだけではなく、テオドール達も同じ気分のようだった。
この旅の間、ホスエの厳しさに関して愚痴をこぼす事で彼らとの距離も近くなった気がする。
上司の悪口を言う事で、同僚と仲良くなる現象と同じだ。
「ちなみに、どんな相手を想定しているんだ?」
嫌でも聞いておかねばならない。
実際に対面してから相手を知るより、前もって知っておいた方が覚悟ができる。
「さすがに最初からヒュドラやワイバーンを相手にするなんて言わないよ。まずはアンデッド系を狙っていこうと思ってるんだ」
ホスエの言葉に対する反応は二つに分かれた。
「アンデッド……、ゾンビとかか……」
ゾルドはアンデッドと戦う事を心底嫌そうにしている。
誰が好き好んで腐った死体に接触したいと思うというのか。
見た目、匂い、感触……。
その全てで精神的なダメージを受けそうだ。
「”最初から”って事は、いつかはやるんすね……」
「さすがに逃げ回るだけになりそうです」
もう一方のテオドールとラウルは、ヒュドラやワイバーンといった大型の魔物と戦う事に恐怖した。
今までは”弱めで数が多い”という魔物との闘いだった。
しかし、今後は自分達が強くなるために”強くて数が少ない”方向にシフトする。
一撃で致命傷を受ける可能性が非常に高くなるという事だ。
鎧が無事でも、その中身がグチャグチャになってしまって死ぬ可能性だってある。
小型の魔物も、群がれば小型なりの恐怖がある。
だが、大型の魔物は生物として圧倒的強者だ。
多少の戦闘を経験したからといって、戦おうと思える相手ではない。
「実際にやってみれば、こんなものかと思えるようになるよ」
ホスエの意見に納得する声は上がらなかった。
努力の末に才能が開花した者の意見は参考にならない。
まだ努力をしている最中の人間には、付いて行けないのだから。
ゾルド達が溜息を吐いて落ち込んでいる。
そんな時、ドアがノックされた。
「はーい」
こういう時に応対するのはラウルだ。
一番若く下っ端という事は本人も自覚しているので、自発的に動く。
ラウルがドアを開くと、そこには旅装の精悍な青年が立っていた。
青年が部屋の中にいる者を見回すと、なぜかホッとしたような表情をする。
それから、背筋を伸ばして敬礼をした。
「お初にお目にかかります。ゲルハルト閣下より、ゾルド様への手紙をお届けに参りました。ハインツと申します。入室のご許可を願います」
「かまわん。入れ」
「ハッ」
見た事の無い者だが、ゲルハルトの名前を出された以上は追い返す必要は無い。
とりあえず、ドアを開けたまま話すわけにもいかないので、入室を許した。
椅子を勧めると、その対面にゾルドが座る。
「新顔だな。俺達が旅に出てから部下になったのか?」
「はい。ゾルド様から頂いた支度金のお陰で助かりました。家族の生活が安定したのを見届けて、ゾルド様の下へ馳せ参じた次第です。もちろん、ゾルド様の正体を知り、誓約書も書いております」
ゲルハルトが大金をバラまいた甲斐があったようだ。
ビスマルクのような大物に大金を投じたのかと思いきや、ちゃんと他の者にも配っていたらしい。
おそらく、彼も部下になった中で一番若く健康そうだから伝令に選ばれたのだろう。
「こちらが手紙です。それと、こちらはホスエ様へのお手紙です」
ハインツが取り出した手紙は四通。
ゾルド宛にはレジーナ、ゲルハルト、ビスマルク。
そして、ホスエ宛にテレサの手紙があった。
「ご苦労。読んで返事を書くから、しばらく待っていろ。ラウル、飲み物と軽食を用意してやれ」
「はい」
ラウルは返事をすると、ハインツに何を飲むかなどを聞いていた。
ラウルは若いとはいえ、先にゾルドの下で働いている先輩だ。
ハインツは恐縮しながら、要求を伝えていた。
ゾルドはまず、ゲルハルトからの手紙を読む。
一番分厚いので、気合を入れて読まないといけなさそうだったからだ。
手紙を読んでいく内に、ゾルドの顔が険しくなる。
そして――
「あの空港野郎め!」
――怒りでテーブルに拳を叩きつける。
この声に、緊張をほぐしてやろうとハインツに話しかけていたテオドールや、テレサからの手紙をニヤついた顔で呼んでいたホスエが驚く。
「ゾルド兄さん、どうしたの?」
ホスエがゾルドに聞いた。
何か非常事態が起きたのなら、情報を共有しておいた方が良い。
政治だとか謀略の事はわからないが、何か良い意見が思いつくかもしれない。
三人寄れば文殊の知恵というやつだ。
「ナポレオンが権力争いに負けた。今ではシャルル・ド・ゴールとかいう空港みたいな名前の奴が、なんだかんだでガリア皇帝になったんだってよ!」
「えぇっ、あんなにみんなベタ褒めしてたのに」
「どうやら、俺が資金援助した事が遠因らしいと書いてあるな」
権力を手中に収めんと走り続けていたナポレオンだったが、ゾルドからの多額の資金援助を受けて一息ついた。
ナポレオンが足を止めたのでシャルルが追いつき、背後からの一突きで仕留めて走り去って行ったのだ。
他にも敗北の原因があるので、その事をゲルハルトはゾルドのせいだとは責めてはいない。
だが、安易な選択を選んでしまったと、ゾルドは自分を責めた。
「ナポレオンは島流しになったみたいだから、再起不可能だな。ジョゼフはどうやったのか知らないが、パリの衛兵隊長としてシャルルの下で働けているようだ」
ゾルドは深い溜息を吐く。
もう一歩で皇帝と治安大臣を味方に引き入れる事ができていたのだ。
だが、ナポレオンは権力争いに敗れて消え去った。
ジョゼフは首都の治安を預かるとはいえ、治安大臣から一都市の衛兵隊長にまで降格している。
大きな後退だ。
「そのシャルルっていう人に資金援助したらいいんじゃないの?」
ホスエの意見に、ゾルドは力なく首を振る。
「ダメだ。皇帝になる前から援助していたのと、なってから援助するのとでは大きく意味合いが変わる。今援助しても頼りになる仲間ではなく、都合の良い金づる扱いされて終わりさ」
今度はホスエが溜息を吐いた。
権力奪取から、皇帝への即位が早すぎる。
ロッテルダムにいても、対応できたかどうか……。
「ガリアとオストブルクとかの戦争はまだ続いているんだよな?」
ゾルドはハインツに聞いた。
ソシア国内でも情報は入るが、電話やインターネットが無いので伝達速度が遅すぎる。
真っ直ぐこちらに来たハインツの方が、最新情報に明るいはずだ。
「はい。シャルル皇帝になって以来、ガリア軍はミラノ公国方面での攻勢を強めております。ミラノの陥落も間近とも聞いております」
「そうか、戦争は止めないか……」
ゾルドはナポレオンを諦めた。
名前を知っていて、教科書に載っているというだけで本人に会った事もない。
フランスの豊臣秀吉みたいな存在という認識でしかないのだ。
名前も知らない奴よりは、知っているナポレオンに協力しようと考えただけで、他に有力者がいるのならそちらを利用すればいい。
固執する理由がないのなら、ナポレオンに執着するよりも、シャルルを支援して戦争を続けさせればいい。
それはそれで、天神側陣営の国の力を削ぐ事になる。
味方にはならずとも、敵の敵でいてくれればそれでいいと、ゾルドは考えた。
「手紙にも書くが、ゲルハルトにはジョゼフとの接触と支援を続けるように言っておけ。内部から戦争を激化させるように働きかけるんだ。旧ナポレオン派を秘密裏にまとめていつでも使えるようにもしとくようにな」
「ハッ」
今のガリアは短期間で権力者がコロコロと変わっている。
ゾルドにとって都合の良い時に、また権力者を挿げ替えればいいだけだ。
その時が来た時のために、行動の下準備をさせておこうとゾルドは思った。
ゾルドは残る二通の手紙を見る。
レジーナの方は、まぁ普通の手紙だろう。
ビスマルクの方の手紙の封を切った。
(良い話であってくれよ)
ゾルドは、そう願いながら手紙を読み始める。
これで”ソシアの情報は嘘でした”なんて書かれていたら、絶望のあまり娼館に入り浸って現実逃避してしまいかねない。
「えぇぇぇ……」
手紙を読んだゾルドの表情は困惑。
喜んでいいのか、落ち込んだ方がいいのか微妙なところだった。
「ちょっと、おやっさん。そんな顔されると気になるじゃないっすか。なにがあったんすか?」
今度はテオドールがゾルドに聞いた。
怒るでもなく、悲しむわけでもない。
どんな内容が書いてあるのか、気になって仕方が無かったからだ。
「お前も文字の読み書きができるようになってたよな?」
そう言ってゾルドはテオドールに手紙を見せる。
テオドールは”重要そうな手紙を自分が読んでも良いのか?”と思ったが、内容が気になったので読んでみる事にした。
「えぇぇぇ……」
テオドールもゾルドと同じ反応をする。
何とも言えない、微妙な表情だ。
「凄く気になるんだけど、僕にも見せてよ」
ホスエがテオドールから手紙を受け取り、内容を読み進める内に何とも言えない表情へと変わっていった。
「えぇぇぇ……、嘘でしょ……。これ本当?」
ホスエがハインツに手紙の事を聞く。
「ソシアのパーヴェル陛下の事でしたら……。事実だそうです。ビスマルク閣下に付いて行ったヴィルヘルムも確認したそうです」
ハインツの言葉で、その場の空気は落ち込んだ。
ソシアを本当に味方にしてもいいのか不安になったからだ。
「お待たせしました」
そんな空気の中、ラウルが人数分の飲み物とサンドウィッチを持って来た。
部屋に入ると異様な雰囲気だったので戸惑っている。
「えっと……、どうしたんですか?」
テーブルにお盆を置きながら、ラウルはゾルドに聞いた。
ゾルドはビスマルクの手紙をラウルに見せる。
「ソシアの皇帝がとんでもない馬鹿なんだよ……」
「そんなはずないでしょう? だって、皇帝っていえばスラムの住人と違ってちゃんとした教育を――うわぁ……」
スラムの住人ですらドン引きする内容。
それは魔神と協力をしたいという理由だった。
元々パーヴェルは父親のピュートル同様にプローインのファンのようなものだったらしい。
小国でありながら、大国を倒していく強さに憧れていたのだ。
そんなプローインが魔神と手を組んでいたと聞いて”是非、自分も魔神と組んでフリードリヒ2世のように戦ってみたい”と思ったそうだ。
魔物対策だとか、国家間の力関係だとかは一切関係無い。
皇帝個人の趣味による協力の申し出だったのだ。
しかも、イマイチ乗り気では無かった各大臣や官僚まで、ビスマルクが説得して来たという事だ。
何をどうやって説得したのかが、ゾルド達にはサッパリわからない。
こんな馬鹿げた理由で魔神に協力しようと思う方もどうかしているが、真面目に受け取って説得までして来る方もどうかしている。
何よりも、説得される奴がおかしい。
「なんか、必死に考えるのが馬鹿らしくなってくるな」
「そうだね」
皇帝という権力者の気まぐれで簡単に一国が味方になる。
こっちは必死に努力しているのが馬鹿みたいだ。
ドッと疲労感が襲ってくる。
気晴らしに、ゾルドはレジーナからの手紙を読んだ。
内容は予想通り普通の話だった。
お腹が大きくなってきたから少し体が重く感じるだとかの、日常生活の内容だ。
だが、今はそれがありがたい。
気分転換に最適だった。
「みんなに返事を書かないとな。ところで、ハインツ。よくここがわかったな」
ゾルドからは連絡をしていなかった。
ゾルドの居場所などわからなかったはずだった。
「その……。ゾルド様は目立ちますので」
「あぁ、そういう事か……」
ハインツは軍人らしからぬ、口ごもった答え方をする。
魔神ゾルドを名乗る者など目立ってしょうがない。
服装だって悪目立ちする。
怪しい恰好をした者を知らないかと、ゾルドを探していけばいつかは見つかるというわけだ。
特にワルシャワからキエフへ向かうという話はしていたので、その道中をたどっていけば良いだけだ。
”魔神ゾルドを名乗る変な奴見かけなかった?”
ホテルでそう聞いて行けば、いつかは見つかる。
「でも、驚きましたよ。このホテルに他にもゾルドと名乗る者がいたので、最初はそっちに行ってしまいました。人間五人組だったので、違うと気付きましたが」
「ゾルドがいるのかよ!」
てっきりワルシャワあたりで殺されているのかと思っていたが、生きてソシアに来ているゾルドもいるようだ。
いや、みんながみんな西側でゾルドを名乗る者ではない。
もしかすると、ソシアで自然発生したゾルドかもしれない。
「しかも同じホテルに泊まっているとか……。不思議な事が起きるもんだな」
面白いから、レジーナへの返事に是非書いておこうとゾルドは思った。
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