第109話 修行の旅 5
「結局、森の中で一週間か」
ゾルドは街の中を見渡しながら言った。
どこからともなく漂う、文明の匂いがかぐわしい。
「タレのかかった肉が食べたくなります」
どうやら、文明の匂いではなく料理の匂いだったらしい。
ラウルが今にもヨダレを垂らしそうな表情をしている。
食べた時の事を想像しただけで、口元が綻ぶくらいだ。
「デザートも食いたいっすね」
「ゆっくり休めるのもいいね」
さすがに森の中では塩コショウを使った味付けの料理がメインだった。
たまに香草を使うくらいで、手の込んだ料理は食べていない。
それに、魔物忌避装置を使っているとはいえ、万が一効果がない魔物に襲われたりしたら大変だ。
ホスエも寝ている事は寝ていたが、周囲が気になっていて少し眠りが浅かった。
街中で気を抜いて休めるというのはありがたい。
一行が街で何をしようかと話し合っているうちにギルドへ到着した。
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ゾルド達が冒険者ギルドに入ると、周囲の視線が変わる。
ゾルドの恰好を見て嫌な思いをしたというものや、敵意のある視線ではない。
驚きの視線だった。
その視線が気になったゾルドは、近くを歩いていた冒険者に声をかけた。
「何を驚いているんだ?」
聞かれた方の反応は困惑。
ゾルドのような恰好をした者に声をかけられたからか。
それとも、どのように答えようと迷っているからかはわからない。
「お前みたいな恰好をしている奴が、最初の狩りから無事に帰ってくるのが珍しいのさ」
「ふーん。そっか、サンキュー」
魔神ゴッコをするような者が、現実を思い知って冒険者を諦めるか、死ぬかしていたのだろう。
だから、無事に戻って来た自分達を珍しいと思って皆が見ている。
そう思ったゾルドは、買取カウンターの方へ歩き始めた。
しかし、その足は途中で止まる。
「どうしたの? ゾルド兄さん」
「さっき、あいつが言った事。普通ならそのまま受け取れるが、キャンプ初日に会った奴等の事を考えると……、な」
「他の冒険者に襲われて、とっくに死んでいるものだと思われてたって事?」
ホスエの言葉にテオドールとラウルは驚き、思わず周囲を見回す。
自分達を見ていた視線が”既に死んでいるはずの者”ではなく”既に殺されていたはずの者”への視線。
そう思うと、周囲の者全員が敵に思えてくる。
「年二回も他のゾルドがいるんだぞ。なのに、他に怪しい恰好している奴がいない。つまり……、そういう事だろう」
誰のものかわからないが、唾を飲み込む音が聞こえる。
――この街では魔神を名乗る冒険者を殺す。
その事が、暗黙のルールだったのかもしれない。
だから、無事に戻って来たゾルド達を見て驚いていたのかもしれない。
あの冒険者達が、反撃を受けて負けるとは思われていなかったのだろう。
「とはいえ、これは憶測に過ぎない。軽はずみな行動は取るなよ。口実を与えてしまう」
ゾルドの注意に、ホスエ達は了承の返事を返す。
誰もいない森の中での行動と、人目のある街中での行動の違いくらいは理解している。
元々、相手から仕掛けて来ない限り、自分達から何かをするつもりはない。
ゾルド達は驚きの視線を向けられ、すぐに逸らされるという事を繰り返しながら買取カウンターまで進む。
「どのような品を買取希望でしょうか?」
落ち着いた物腰の男性がゾルド達の対応をする。
「ジャイアントスパイダーの……、なんかネバネバしたやつだ」
そういえば、素材の名前を聞いていなかった。
ゾルドは内ポケットから袋を大量に取り出す。
「わぉ……」
ギルド職員は思わず感嘆の声を漏らす。
この一週間で狩った数は200匹以上。
その素材となれば、かなりの量だ。
現地でキャンプしたお陰で、かなりのハイペースで狩る事ができた。
森の奥深くという、ある程度限定された範囲にも関わらず、蜘蛛は探せば探すほど湧いて出て来た。
そのせいで、ゾルドは夢の中でまで蜘蛛に群がられるハメになった。
蜘蛛との戦いには慣れたが、その容姿に慣れる事は最後までできなかった。
「かなりの量ですので、お時間を頂きます。こちらの番号札を持ってお待ちください」
「わかった、酒場の方にいる」
ゾルドは番号札を受け取ると、ホスエ達を連れて併設の酒場の方に向かう。
テーブルに着くと、ウェイトレスに注文をする。
「とりあえず、ビールで良いか? あと枝豆をくれ」
「フライドチキンとフライドポテトも食べたいです」
「俺ぁ、ザワークラウトを」
「新鮮な野菜が食べたいから、季節のサラダをください」
「じゃあ、とりあえずそれ全部四人分頼む」
四人とも街での食事に飢えている。
大雑把な注文だが、多めに頼んでおけば食べたい奴が食べるはずだ。
「真っ昼間から酒場で飲んでる奴を見て、昔はどうしようもない奴等だと思っていたが……。こうして自分が同じ立場になると気持ちがわからなくもない」
一仕事終わってまともな食事ができると思うと、ギルド併設の酒場で一杯やろうと思うのも仕方がないとゾルドは思った。
ラウルが注文したように、フライドチキンなどのような脂っこい物も食べたくなるし、新鮮な野菜も食べたい。
「森の中じゃあ無い物ばかりだからね。どうする? 今度はビヤ樽でも持っていく?」
ホスエは冗談半分でからかうように言った。
だが、ゾルドはそれを良い提案だと受け取る。
「さすがにビヤ樽は飲み切れないだろうし、ワイン瓶くらいなら持っていくのもありか。寝付けの一杯くらいには良さそうだ」
「おやっさんは一杯じゃ済まないでしょ」
ラウルのツッコミに笑いが起きる。
一仕事終えた解放感は、場を和やかな雰囲気にしていた。
そこへ、ビールが到着する。
「それじゃ、最初の魔物狩りが無事に終了した事を祝って、乾杯!」
「乾杯!」
ゾルドの乾杯に合わせてホスエ達も唱和した。
喉を通るビールが、ようやく街に帰って来たという事を教えてくれる。
テオドールとラウルの二人は、ゾルド以上の幸せを感じている。
ゾルドは戦い慣れていないとはいえ、魔神として無駄に生命力が高いから命の危険はない。
だが、彼らは普通の獣人だ。
古龍の鱗を使った鎧とはいえ、不意の一撃で死ぬ可能性がある。
初めての魔物狩りから生きて帰れたと喜んでいるのだ。
「いきなり、あんな大量の蜘蛛を相手にさせるとは……。さすがホスエの兄貴、容赦ないっすね」
「本当ですよ。てっきり、一匹の魔物と皆で戦うのかと思っていたら、あんな絶望に叩き落とされるなんて思ってませんでした」
生きて帰れたからこそ、愚痴がこぼれる。
始めての魔物狩りなんだから、もう少し気を使って欲しかったと思ってしまうのだ。
「でも、無事に帰って来れたじゃないか。ちゃんと、皆の腕前と魔物の強さと数は計算してるよ。ギリギリの範囲でね」
「ギリギリかよ……」
ゾルドは思わず呟く。
ほんの少し計算違いがあれば死ぬ危険もある。
ホスエの無茶なやり方に、思わず溜息が出てしまう。
「楽しそうじゃねぇか」
「ん?」
冒険者風の男が一人、ゾルドの背後に立っていた。
その男がゾルドの胸倉を掴み、ゾルドを立ち上がらせる。
「おい! ポールはどうした!」
「どのポールだよ……」
ゾルドは答えながら、ビールを一口飲む。
相手からすると舐めた態度だが、ゾルドはわかってやっていた。
どのポールかは大体見当が付いている。
「森の中で会ったはずだ! てめぇらが殺したのか!」
「何の事かわからないな。何か勘違いしてるんじゃねぇのか?」
人違いを主張したが、目の前の男がゾルドを掴み上げる手の力を緩める事は無かった。
「それとも何か? そいつらは俺達を殺しに行くとでも言ってたのか?」
「それは……」
今度は少し力が緩まった。
例え言っていたとしても、それを口にする事はできない。
言えば”殺しに行って返り討ちに会っただけのマヌケ”になってしまう。
「いいか、あいつらは俺の古い友人なんだ。何かあったら、お前らただでは済まさんぞ!」
「殺すとでもいうのか?」
「そうだ!」
目の前の男は殺意を明確にした。
よほど腕に自信があるのだろう。
”市民権を持たない冒険者同士の争いは殺され損”
しかし、人を殺すような者は、ギルドから仕事を回されにくくなるというデメリットがある。
それが冒険者たちの暴力沙汰に歯止めをかけている。
”ムカついて殺した”なんて奴に仕事を回して、仕事先で問題を起こせばギルドの責任にもなるからだ。
だが、全てを理解し、覚悟を決めて殺そうとする場合は抑止力にならない。
「森で居なくなったんなら、蜘蛛にでも食われたんじゃないのか? むしろ、その可能性の方が高いはずだ。俺に突っかかって来る前にそれくらい考えようぜ」
「あぁ、そうだな。その可能性はある。誰かに殺された後でな」
あの冒険者達はソシアで活動できる程度の実力を持っていた。
ワルシャワ付近の森で死ぬような者達ではない。
その事を知っているので、目の前の男がゾルドの言い分で納得する事はない。
彼等にとって不幸なのは、ホスエが居た事だ。
人間相手の戦いならば、この世界で上位に入る腕前を持っている。
主に魔物を相手にして戦う冒険者では相手をする事が困難だった。
「”市民権を持たない冒険者同士の争いは殺され損”って以前聞いたんだがな」
呆れたように良い放つゾルドに、目の前の男は鼻を鳴らす。
「フン、それがどうした。仇討ちされないとでも思っていたのか?」
「落ち着けよ」
ゾルドはビールを男の頭にぶちまける。
「てめぇ、ぶっ殺してやる!」
「まぁ、待て!」
腰のナイフを抜こうとする男を、ゾルドは平静な声で止めた。
「あくまでも”市民権を持たない冒険者同士の争い”に関してだろ? じゃあ、市民権を持った冒険者を殺した場合、どうなるかわかってんだろうな?」
その言葉で男の動きが止まる。
市民権を持つ冒険者を殺したらどうなるのか?
ゾルドは知らない事だが、目の前の男は知っているようだ。
不敵な笑みを浮かべるゾルドが市民権を持っていると勘違いし、ナイフから手を離した。
「あくまでも反撃しただけってのか?」
男は何が何でもゾルド達が殺した事にしたいらしい。
他に連絡不通になる理由もないので、仕方がないのかもしれない。
激昂しているせいで、ゾルドが”わかっているのか”と聞いただけで”市民権を持っている”と言っていない事に気付いてすらいない。
「さぁ? ポールなんて奴は知らないんでな。俺に言われても困る」
これは本当の事だ。
盗賊のような冒険者は殺したが、ポールなんて奴は知らないからだ。
ここでようやく男はゾルドの胸元から手を放す。
「今は諦めよう。だが、あいつらの死体を見つけたら覚えておけよ。俺はポールだ、忘れるな!」
諦めると言いながら諦める気配のない男に、ゾルドは肩をすくめる。
「あぁ、死体が
既に洗浄の魔法で消しているので見つかりようがない。
証拠といえば、消す前に回収しておいた財布の中身くらいだ。
それも、今後の旅費として消える予定だった。
立ち去っていく男の背中に、ゾルドは溜息しか出てこなかった。
(面倒臭そうな奴に絡まれたな)
ウンザリとしたゾルドがテーブルの方に向き直ると、テーブルには料理が並べられていた。
そして、ホスエ達が料理を口に運んでいる。
ラウルが熱々のフライドチキンを頬張っているのが美味しそうに見えた。
「なんでお前ら、俺を助けようともせずに食ってんの?」
ゾルドの言葉には、黙って先に食べ始めていた事への抗議も半分混じっている。
その時、ちょうど口の中の物をビールで流し込んだテオドールが代表して答える。
「いやー、おやっさんがあいつの頭をかち割る前に食っとかねぇと。飯が不味くなるんでね」
そう言って、テオドールが笑う。
他の二人も同じだ。
うなずいて、食事の手を休めない。
「俺をなんだと思っているんだよ……」
まるで狂犬のような扱いに、ゾルドは抗議の声を上げる。
「でも、やるんすよね?」
「そりゃやるけどさ」
テオドールの答えにゾルドも笑った。
魔神という肩書きならば、それくらい普通にやってもおかしくない。
むしろ、積極的にやるべきだろう。
ゾルドはビールを注文し直すと、テーブルの料理に手を出した。
その時には、絡んできたポールの事など忘れていた。
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食後、ゾルド達はホテルへ向かった。
そこで今回の収入の分配をする。
「全部で120万エーロか。一週間で稼いだと思うと悪くはないが……」
ポルトでの野犬の討伐などに比べれば非常に高額だ。
それでも、後二桁くらいは多くないとゾルドの心は動かない。
これくらいなら”小銭稼ぎだ”と諦めた霊感商法辺りでもやってるほうが実入りが良い。
「とりあえず、半分はホテル代や食料、消耗品の金としてキープしておく。残りを山分けでいいか?」
ゾルドは皆に意見を聞く。
稼いだ金の分配は重要だ。
金の分配が原因なのに”音楽性の違い”と言って解散したバンドも数多くあると聞く。
人に意見を聞いて、納得の行く方法を取るのが一番だ。
最初に意見を口にしたのはホスエだった。
「僕はそれでいいと思うよ。けど、良いの? ゾルド兄さんが一番多くても良いと思うけど」
ホスエの言葉を受けて、テオドールとラウルに視線をやると二人とも頷いている。
どうやら、ゾルドが多く受け取るのに文句はないようだ。
だが、ゾルドにしては珍しく、金に執着しなかった。
「そうは言われてもなぁ……」
テーブルの上に硬貨を置く。
ゾルドの前に30万エーロ、他の三人の前に10万エーロずつ。
「独りだけ大儲けっていうのは嫌いじゃない。でも、これが大儲けか?」
ゾルドの言葉に、誰も返事を返せなかった。
ホスエは妻と子供ができたので月に1,500万エーロ。
テオドールとラウルは、パリで稼いでいた時の給料に合わせて月に500万エーロを支払っている。
そのせいで、スラム出身者なら大喜びで飛びつくような金額にも、少し鈍くなってしまっている。
30万エーロを大儲けと呼べなくなってしまっているのだ。
ゾルドもそうだ。
みんなより20万エーロ多くても、小銭程度にしか思えない。
小銭を集めて喜ぶような気分にはなれなかった。
ゾルドは5万エーロをそれぞれの前に置く。
これで全員15万エーロだ。
「まぁ、この旅の間くらいは山分けでいいんじゃねぇの? 遊ぶ金も必要だしな」
ゾルドだけではなく、他の三人も今まで貯めた金を自由に使ってはいけない事になっている。
そうしないと、必死に戦わなくなるという理由からだ。
だが、気分転換に酒や女を買う金は必要だ。
それくらいは渡しておいてやろうと、ゾルドは考えていた。
「遊ぶのもいいけど……。今日と明日は休んで、明後日には他の街に行くからね。疲れを残さないようにね」
ホスエがしっかりと釘を刺す。
この一週間で、テオドールとラウルは十分に戦える事がわかっていた。
三日くらいで切り上げても良かったのだが、ゾルドを鍛えるために残っていただけだ。
まだゾルドの戦闘能力には不安があった。
だが、そう簡単に死なないゾルドなら、多少強い虫系以外の魔物と戦わせても良い。
そう判断したホスエが先に進む事を考えていた。
「よし、それじゃ自由行動だな。解散」
ゾルドが解散を宣言する。
森の中での一週間は辛かった。
街に戻って来た今日は、酒を飲んで寝るなり自由にすればいい。
むしろ、自分が自由になりたかった。
そこへ、ラウルがゾルドに声をかける。
「あの、おやっさん。魔物の……。いえ、やっぱりいいです」
若く元気なラウルは、この一週間を悶々とした思いで過ごしていたようだ。
ゾルドが話した魔物の女の事を忘れられなかったらしい。
その事に気付いたゾルドは、いやらしい笑みを浮かべる。
「なんだなんだ。お前も魔物の女に興味が出て来たのか? 一人で行くのが恥ずかしいなら、連れて行ってやるよ」
「本当ですか!」
獣人の女も悪く無かったが、人間の女と基本的な部分は同じだ。
一度味わえばそれで十分だった。
”次に行くのは魔物を取り扱う娼館だな”と思っていたゾルドには、別に連れて行ってやるくらいはどうってことは無かった。
むしろ、個性的な魔物の女の話ができる相手が増えて嬉しいくらいだ。
「あー、ラウル。若ぇうちから偏った性癖を持つと大変だと思うぞ」
年長者として、テオドールがラウルに忠告する。
魔物は倒すものとしてしか見られないテオドールにとって、魔物とヤるのは考えられない事だ。
それに、これからも魔物狩りを続ける。
情が湧いて、ラウルが戦えなくなっても困ると思っていた。
「大丈夫、大丈夫。俺が天神に勝ったら、それが普通の性癖って事にするから」
テオドールの心配を無に帰すようなゾルドのイカれた発言に、テオドールは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「なんて世界になるんだ。おぉ、神よ……」
テオドールは子供の頃から祈り続けた神に祈りを捧げる。
自分の信じていた価値観が、こうもあっさり崩されるとなると、何か大きな存在に頼りたくなった。
「えっ、呼んだ?」
少なくとも、今まで祈り続けた神は目の前の神ではない。
だが、ホスエから聞いた天神もロクな神では無さそうだ。
(もっと凄い神様。この世界に何か恨みでもあるんですかい? もう少しまともな神様をください)
残念ながら、テオドールの祈りに答える神など存在しなかった。
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