第105話 修行の旅 1

「本当に行くのか?」


 スタミナに余裕があろうが、娼館で一晩中徹夜で楽しんだ後の朝は気怠さがある。

”やっぱり、今日は調子が悪い”と言って、魔物狩りに出かけるのを延期したかった。


「ダメだよ! そんな事言っていると、レジーナ姉さんに言っちゃうよ」


 サボろうとするゾルドをホスエが注意する。


「なんだよ、お前も昨日は楽しんでただろ」


 ゾルドは怒るホスエの気を逸らそうと、ニヤついた笑みを浮かべて昨夜の事を持ち出した。

 なんだかんだ言って、ホスエも朝まで楽しんでいた事をゾルドは知っている。


「それは勉強のためだよ。……まぁ、楽しくなかったとは言わないけどさ」


 ホスエの言葉は、後半部分で少しトーンダウンしていた。


”このまま丸め込める! そして、もうちょっとレジーナ以外の女を楽しもう”


 そう思ったゾルドだったが、テオドールがあっさり裏切った。


「おやっさん。確かにダルイですが、魔物を狩りに行きましょうや。今日からは金を稼がなきゃいけないですし」

「くっ、痛いところを……」


 ゾルドだって魔物狩りの重要性は理解している。

 だが、本能の部分が”休みたい。遊びたい”と強く要求してくるのだ。

 ゾルドは何不自由しない生活に慣れ過ぎていた。

 そのため、いざ行動に起こそうとすると腰が重くなってしまう。


「働かないとホテルどころか、食事代も無くなっちゃいますよ。ホスエの兄貴、結構厳しいところもあるんで、怒らない内に大人しく行きましょうよ」


 あくびを噛み殺しながら、ラウルもテオドールに賛同する。


「でもさぁ、こんな状態で行くのは危ないんじゃないか?」

「テオとラウルは、その程度で不覚を取るようなやわな鍛え方はしていないよ。ゾルド兄さんも強いし大丈夫さ。それに、いつも万全の状態で戦えるわけじゃない。良い練習になるよ」

「そうか……、それじゃ仕方ないな」


 娼館に行くのと魔物狩りに出かけるのとでは、事の重要さが違う。

 今回ばかりはホスエも譲ろうとしない。

 その意思の強さを感じ取り、ゾルドも折れた。


 ゾルドだって、強くなる事の重要性は理解している。

 ただ”明日から頑張ろう”という気持ちが、人よりも強いだけなのだ。 



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「まだ歩くのか……」


 早朝に出かけて、昼になっても森の中を歩き続けている。

 ゾルドがウンザリしているくらい歩いているのだ。

 休憩を挟んでいても、一番若いラウルが肩で息をするくらいには疲れている。


「仮にもワルシャワはポール・ランドの首都。近くの森の外縁部や、街道付近の魔物は徹底的に掃討されています。魔物もその事を理解しているので、森の奥深く人間の居ない場所に潜んでいるんです」


 仕事モードになっているホスエが説明する。

 だが、それはそれで疑問が湧かなくもない。


「だったら、もっと東の方の街で活動すればいいんじゃないか? 移動時間の分、もったいないだろ」


 ゾルドの疑問も、もっともなものだ。

 しかし、ホスエは首を振って否定した。


「最初から無理はできません。私が鍛えられるのは対人戦闘のみ。魔物との闘いは実戦を繰り返さないと覚えられないからです」

「なるほどな。それなら仕方ないか……」


 ゾルドだって、せっかくの仲間を無駄死にさせたくはない。

 特にホスエは替えのきかない存在だ。

 無理をしたゾルド達を守ろうとして死なれたりしたら、非常に困る事になる。


(ゲームでも弱い敵から戦っていくもんな。どこかゲーム的な世界だ。その方が良いんだろう)


 ゾルドが納得したので、ホスエは周囲を見回す。


「あそこまで進んだら昼食にしましょう」


 ホスエが指差したのは、100メートルほど先の倒木だった。

 100メートルといっても、森の中の100メートルは非常に遠く感じてしまう。

 歩き慣れない足場の中、一行はそこまで進む。

 そして、到着した時。

 まずはラウルが崩れ落ちた。


「もう……、無理……」


 ラウルは息も絶え絶えだ。

 獣人という肉体的に恵まれた種族でも、慣れない森を歩くのはかなり疲れる。


「ホスエの兄貴はともかく、おやっさんが息も切らしてないってのは、さすが魔神ってとこですかね」


 テオドールはラウルよりも体力はあったが、肩で息をする程度には疲れている。

 人一倍、不平不満をこぼしながら歩いていたゾルドが平然としているのは、魔神という事を差し引いてもどこか納得がいかない。


「このまま魔物と出くわしたら戦えなさそうなので、大休止とします。ゾルド兄さん、お昼ご飯にするからお鍋を出してよ」

「……お前のその気持ちの切り替え、いまだに慣れないなぁ」


 仕事中と休憩をハッキリと区切るタイプなのだろう。

 ホスエは昼休憩になると、普段通りの話し方に変わった。

 その切り替えの早さに、ゾルドはまだ慣れていない。

 普段通りのイメージが強いだけに、仕事モードのホスエに違和感があるからだ。


 ゾルドは内ポケットのアイテムボックスから、鍋と魔道コンロを取り出す。

 わざわざ現地で石を積み上げ、かまどを作るなど面倒だと用意しておいたものだ。

 魔道コンロのお陰で、薪拾いをする手間も省けて大助かりだ。


「本当におやっさんのそれ便利っすね。助かりまさぁ」


 このパーティに荷物持ちなどの雑用係がいないのは、全てゾルドのお陰だ。

 マジックポーチなどもあるので、魔神のローブが無くても快適な旅路だったに違いない。


「俺もこのアイテム収容機能には助けられているしな。飯は何にする?」


 テオドールはまだマシだが、ラウルの様子を見る限り”油でギトギトのフライドチキン”なんて食べられないだろう。

 もちろん、こんな森の中で作る気はないし、嫌がらせをする理由もない。


「簡単にできるよう、麦粥に野菜や肉を入れて煮た物で良いんじゃない」

「まぁ、そんなもんだよな」


 この中で一番料理の経験があるラウルが使い物にならない。

 ならば、自分達でできる簡単な物が選ばれるのは必然であった。

 乾パンにチーズで済ませても良いのだが、作る余裕があるのなら作っても良い。

 さほどの手間はかからない。


「【ボトルウォーター】」


 ゾルドオリジナルの魔法を使い、鍋に水を注ぐ。

 通常の飲み水を出す魔法は、なぜか水道水で固定されてしまった。

 そこで何とかしようと思ったゾルドは、鍛錬の末ペットボトルで売られている天然水を出す魔法を使えるようになったのだ。


 この成功で”これで炭酸ジュースなんかも飲み放題だ!”とゾルドは思ったが、そちらは成功する様子がない。

 ただの水と、他の物が混じっている物では成功させやすさが違うようだ。

 この事は、ゾルドを落胆させた。

 だが、今でもなんとかできないか試す程度には諦めきれていない。


「食材もよろしく」

「おう」


 ゾルドはまな板と包丁を取り出し、まな板の上に食材を置く。

 それをホスエが大きさを切り揃えていき、鍋に放り込んでいった。

 味付けは塩のみ。

 シンプルだが、こんな森の中で手の込んだ料理など作れない。


 この間、テオドールとラウルはへたり込んでいるだけではない。

 一応、警戒として周囲を座りながら見渡している。

 さすがに、ゾルド達に雑用をやらせて知らんぷりはできない。

 彼等もやれる範囲の事をやろうとしていた。


「できたよー」


 ホスエの言葉と共に、いくらか雰囲気が和らいだ。

 周囲の警戒は、かなり気を使う。

 食事時くらいは気を抜いて食べたい。

 ホスエはゾルドから食器を受け取り、鍋の中身を入れて皆に配る。


「おいしい」


 ラウルがポロリとこぼす。

 塩味が効いただけのスープリゾットもどきだが、疲れた体にはその塩味がありがたい。

 最初はゆっくりと、そして少しずつ食べる速度を速めていく。


「確かに材料の割りには悪くはないな」

「塩加減がちょうど良いんすよね」


 馬のように直接岩塩を舐めたりはしないが、塩分を摂取する事を体が求めているのだろう。

 普段であれば、少し塩辛いと思うような味付けのスープまで、ゴクゴクと飲み干している。

 鍋の中身はすぐに無くなってしまった。


 まだ少し物足りないラウルは、腰に下げた食料袋から乾パンを取り出して齧っている。

 森で迷った時のための非常食だったが、アイテムボックスのあるゾルドもいるので、食料に関しては心配していない。

 ゾルドに水筒の水を補充してもらいながら、ラウルは素直に関心した。


「魔法を使えると本当に便利ですね。獣人は魔力は少ないんで、羨ましいです」


 鍋や食器を洗浄の魔法で綺麗にして収納でき、新鮮な飲み水にも困らない。

 レジーナが妊娠して来れなくなったので不安だったが、今のところはゾルドがその穴埋めをできている。


「水が出せるようになっただけでもかなり楽になった。飲み水を気にせず行動できると行動範囲が広がるからな」


 アイテムボックスに水樽でも入れておけばいいのだろうが、そんな大きな物を出し入れするのは面倒くさい。

 魔法を唱えるだけで出て来る水があるのなら、そちらを活用する方がずっと良い。

 ゾルドの魔力は無駄に豊富だ。

 枯渇するような事も無い。


「まぁ、魔法を使えるようになったお陰で雑用係みたいになったけどな」


 そう言って笑うゾルドに合わせて、他の者達も合わせて笑う。

 とはいえ、それは愛想笑いだった。


”俺に雑用をさせやがって”という意味を含んで言っているのかどうか。

 ゾルドは言葉に別の意味を含んで話す事もあるので、非常にわかりにくい。

 心の底から笑えるのは、ゾルドを信じ切っているホスエくらいだ。

 テオドールとラウルは、こういう笑って良いのか微妙なネタを笑う時、心の中で冷や汗をかいている。


「でも、ゾルド兄さんには、もっと雑用を極めてもらわないと困るよ。生活に使える魔法だけじゃなくて、攻撃魔法に回復魔法も使えるようになってもらわないとね」

「魔法使いが雑用係とは始めて知った」


 呆れたように言ったゾルドに、ホスエは軽く笑う。


「ゾルド兄さんだからだよ。ダークエルフのレジーナ姉さんでも、一人しか魔法使いが居ないのなら戦闘に備えて魔法は極力使わせないよ」

「無尽蔵の魔力を持ってるからか……」


 生活魔法に魔力を使っても問題ないレベルで魔力を所持している。

 使える物は使っておこうという、合理的な判断にゾルドは呆れた。


「ゴマの油は絞れば絞るほど出るものって言いますよね」

「俺はゴマか!」


 ラウルの言葉に、ゾルドはツッコミを入れる。

 どうやら、自然の中で食べた食事のお陰で、リラックスしているようだ。

 疲れていたはずなのに、軽口を叩く余裕が生まれている。

 そこで、良い頃合いだとみて、ゾルドが切り出した。


「それじゃ、帰るか」

「そう――、じゃないよ! ハイキングに来たわけじゃないんだからね!」


 ここまで来て帰ろうとするゾルドに、ホスエもつい声が大きくなってしまう。


「冗談だよ、冗談。いくら俺でも、さすがにここまで来て、本当に帰ろうとするはずがないだろう」


 そう言って肩をすくめるゾルドを見て、ホスエはレジーナの気苦労がわかった気がした。

 女性問題で普段から気が休まらないレジーナに、何か疲れに効きそうな良い土産を買って帰ろうと決意する。


「そうだね。それに、ちょうど来てくれたみたいだ」

「えっ」


 ホスエの言葉で、テオドールとラウルも気づいたようだ。

 ゾルドは周囲を見回すが、藪や微妙な起伏があり敵らしき姿が見えない。

 獣人の敏感な気配察知のお陰で、他の者達は気配に気づいた。

 ゾルドが鈍いという事も、差が出た要因の一つだ。


「私は支援に回る。さぁ、三人ともまずは好きに戦って、魔物というものを経験してください」


 仕事モードに入ったホスエが、三人から数歩離れた場所に位置取る。

 テオドールとラウルは兜を被り、剣を抜いた。

 ゾルドは背中に下げていた剣を抜き、襲撃に備える。

 鍛錬により、背中の剣を鞘から抜けるようになっていたのだ。


(さぁ、来い。やってやるよ)


 初めての戦闘を経験した時とは違う。

 短期間とはいえ、ホスエから真面目に剣を学んでいた。

 その努力を発揮する機会を、ゾルドはワクワクした気分で迎えていた。

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