第106話 修行の旅 2

 周囲への警戒。

 しかし、まったく魔物の姿が見えない。

 藪をかき分ける音や、落ち葉を踏む音すらしない。

 

「本当に来ているのか?」


 なので、ゾルドは呑気に突っ立っている。

 ホスエ以外の三人で背中合わせに立っているので、横や背後からの来た場合は一声あるはずだ。

 ゾルドは自分の正面だけに集中していた。


「うわっ!」

「ひぇっ!」


 テオドールとラウルが本能的に飛び退く。

 彼等の本能がそうさせたのだ。


 平和な日本で育ったゾルドは、そういった本能が磨かれていなかった。

 異変に気付いたのは、自分の視界が真っ暗になってからだ。

 真っ暗といっても、空を厚い雲が覆って太陽を遮ったどころではない。

 完全に真っ暗だ。

 しかも、生臭い。


「痛てててて」


 首に何かが噛みついている。

 ゾルドも戦闘モードになっているので、噛み千切られたりはしないが、まるで首を吊られているような感覚に襲われる。

 地面を求めて足をばたつかせるが、足が地面に着いていない。

 本当に空中に浮いているようだ。


「おやっさん!」


 そう叫んだのは、テオドールとラウルのどちらだろうか。

 声がくぐもって聞こえる。


「ぬがぁぁぁ」


 おそらく頭上から噛みついているであろう、何かに向かって剣を振り回した。

 剣には確かに手応えがある。

 しかし、首に噛みつく力が一層強くなっていく。

 首に食い込む牙が、神教騎士団の持っていたような剣ほど切れ味が無い事が救いだった。


 振り回していた一発が、ゾルドに噛みついている何かに致命傷を与える。

 一度ビクンと震えると、少し噛みつく力が弱まる。


(やったか!)


 勝利を確信した時、落下する独特の浮遊感がゾルドを襲う。

 そして、着地と同時に尻に衝撃が走る。


「ぐぅっ」


 戦闘状態を意識していて体が丈夫になっていても、この落下する感覚や尻の衝撃は気持ちいい物ではない。


「大丈夫ですか、ゾルド兄さん」


 いまだに魔物らしき何かの口内にあるゾルドの頭を、ホスエが引っ張り出す。


「うぇ、なんかベトベトする……」

「おやっさん。魔物に食われて、その言葉が最初に出て来るのはどうかと思いますぜ」


 そうは言われても、痛みなどは無い。

 あったとしても、すでに治っている。

 残り続ける不快感の方が気になってしまうのだ。

 洗浄の魔法で頭をサッパリさせながら、ゾルドは自分を襲った魔物を見る。


「ゲェッ、なんだこれは」

「ジャイアントスパイダーです」


 そこには人を丸呑みできそうなくらい、大きな蜘蛛の死体があった。

 体には多くの切り傷が刻まれている。

 頭部付近に多くあるので、おそらくゾルドが付けた傷だ。


「頭上から降りて来た蜘蛛に、おやっさんの頭が食べられたと思ったら、蜘蛛がそのまま上に登っていって……。助けようとしたんですが、助けられませんでした。すいません」

「すんません」


 ラウルが先ほどの状況を説明し、ゾルドに謝罪する。

 それに続いて、テオドールも謝った。

 彼等は一応ゾルドの護衛という立場だ。

 護衛対象を見捨てて、自分達だけ襲撃を躱した事を申し訳なく思っていた。


「あぁ、許す。お前達はな。ホスエ、お前はなんで見捨てたんだ?」


 テオドールとラウルはゾルドと同じく練習のために来ている。

 最初から完璧にしろとは、さすがに言えない。

 だが、ホスエは別だ。

 戦闘経験もあり、支援に回ると言いながらゾルドを助けなかった。

 さすがに相手がホスエでも、ゾルドは憤りを隠せない。


「ゾルド兄さんなら、あの程度の魔物に殺されないと知っていたからです。体をバラバラにされても死ななかったんですから、あの程度大丈夫なはずです。良い経験になったでしょう?」

「お前……」


 普段のホスエなら、こんな事は絶対に言わない。

 教官として、どこまでやれるか限界を見極めた上で突き放している。

 それもこれも全部”魔物との闘いを経験させる”という目的のためだ。


 剣の指導中、ゾルドに対しては比較的緩い指導だったから、ここまで厳しいとは思わなかった。

 ホスエの意外な一面を見せつけられて、ゾルドは衝撃を受ける。


「さぁ、まだまだ来ます。テオとラウルも今の装備なら一撃で死ぬような事は無いので、安心して戦ってください」

「えぇっ!?」


 三人は頭上を見上げる。

 食事の匂いに誘われて集まったのか、それとも仲間を殺されて復讐に集まってきたのか……。

 わかる範囲だけでも十匹を越える巨大な蜘蛛の集団に、ゾルド達は顔を引きつらせていた。



 ----------



「ラウル、そっちに――。あぁ、もう。そこら中蜘蛛だらけだから殺せ」

「やってもやってもドンドン出て来る……」


 テオドールとラウルの二人は、襲い掛かってくるジャイアントスパイダーを上手くさばいていた。

 動きは素早いが、飛び掛かってくる時の軌道を呼み、空中にいる一瞬を狙い上手く胴体や足を切り捨てている。


「まったく。スゲェ剣だとは思っていたが、ここまでハンパねぇ剣だったとは思わなかったぜ」


 初戦闘で上手く戦えているのは装備のお陰だ。

 軽くて頑丈な古龍の鎧も優れているが、剣もかなりの業物だ。

 お陰で一撃で仕留められている。


 それもそのはず、この剣はゾルドがポート・ガ・ルーでアラン達から回収した、神教騎士団の騎士が持つ剣だからだ。

 そのままだと剣の装飾でバレバレなので、刀身だけを再利用した。

 剣としては切れ味抜群、高耐久性、聖属性が付与されているなど非常に優れている。

 魔物狩りの準備をしていたゾルドがこの剣の事を思い出したので、三人分作り直させていた。


 物としては鎧の方が凄いのだが、テオドールが驚いたのは剣の方だ

 目に見えて凄さがわかりやすい。

 硬そうな表皮も、たった一振りで布でも切るかのように簡単に切れる。


 だが、鎧は凄さがわかりにくい。

 確かに蜘蛛の牙や足を防いでいるが、普通のちょっと良い程度の鎧でも怪我を防げたのではないかと思ってしまう。

 凄いからこそ、防具の凄さがわからないというのも皮肉なものだ。


 装備のお陰とはいえ、テオドールとラウルは上手く戦っている。

 その姿を見て、ホスエは満足そうだ。


「うぉぉぉ」


 しかし、一方のゾルドは無残だった。

 何と言っても、相手は巨大な蜘蛛だ。

 生理的な嫌悪感が先に立った。


 ゾルドは大の虫嫌いというわけではない。

 家の中で虫を見つけたら殺虫スプレーを吹きかけてやろうと近づける、ちょっと苦手程度の虫嫌いだ。

 おそらく人並みだろう。


 他の三人はこの世界で生まれ育ったので、普通の蜘蛛やゴキブリなんてよく見かける程度でしかない。

 屋敷に居た時、ゾルドが虫よけの魔道具を家に設置したのを不思議に思っていたくらいだった。


 ゲーム内だったならば、蜘蛛型モンスターなどただの雑魚だ。

 だが、ここが異世界で、本物の巨大な蜘蛛という事がゾルドを弱気にさせた。

 その差が今回の戦闘でも明暗を分けた。


「来るな、来るなぁーーー」


 テオドール達のようにタイミングを合わせて戦う事なんてできない。

 気持ち悪さが先に立って、ホスエから習った戦い方もできていない。

 無様に剣を振り回しているだけだった。


 だが、蜘蛛を遠ざけようと剣を振り回すが、皮肉な事にそれが返って蜘蛛を引き付けてしまっている。

 他の二人より組し易いと蜘蛛に思われてしまったのだ。


 とはいえ、それは悪い事ではなかった。

 ゾルドが多くの蜘蛛を引き付けているから、テオドールとラウルは余裕を持って戦えている。

 嫌な思いをしているのはゾルドだけだ。

 今のところは、それ以外に問題は何も無い。


「うわっ」


 足に蜘蛛の糸が絡まり、ゾルドは地面に倒れてしまった。

 倒れた拍子に剣も手放してしまう。

 その隙を見逃さず、蜘蛛達は一斉にゾルドへ襲い掛かる。


「やめろーーー」


 頭と手足に五匹の蜘蛛が噛みつき、食い千切ろうと引っ張っている。

 その光景だけ見れば、もう死んでいてもおかしくないが、腐っても魔神。

 無様な姿を晒しているだけだ。


「やめろっつってんだろうがぁ!」


 蜘蛛にやりたい放題されていたゾルドがキレる。

 蜘蛛が気持ち悪いとか、攻撃が当たらないという事など、もうどうでもいい。

 ただ、殺してやりたいという気持ちで心が塗りつぶされた。

 まずゾルドは、噛みついている蜘蛛を力任せに振りほどく。


「調子に乗ってんじゃねぇよ、虫けら風情が!」


 まずは一匹、頭部を拳で叩いて砕く。


「おら、来いよ」


 ゾルドが左腕を近くの蜘蛛に差し出す。

 案の定、蜘蛛はその腕に噛みついた。

 ゾルドは口の内部を掴み、逃がさないようにして右手で頭を潰す。

 指ぬきグローブのせいで指先に不快な感触を感じるが、今のゾルドはその程度では動じない。


 ゾルドは自分の腕や体をエサに噛みつかせ、動きが止まった蜘蛛を殴るという事を繰り返していった。



 ----------



 戦闘自体は十分もかかっていない。

 しかし、戦っていた当人は数時間戦い続けたような疲労感を感じていた。

 蜘蛛の死体に腰掛け、戦いが終わった事で気が抜けていた。

 周囲には二十以上の死体が転がっている。


「テオとラウルは、初戦闘とは思えないほどよく闘いました。今でも魔物狩りを生業とする冒険者としてもやっていけそうですね。ただ、目前の敵に集中するだけではなく、もう少し周囲にも注意を向けましょう。こればっかりは経験を積むしかないですね」


 ホスエは素直に高評価を与える。

 相手の動きを良く見て、すぐに相手の動きに合わせて有効な戦い方を出来ていた。

 少数対多数の戦い方は経験を積んでいくしかない。

 今のところは将来有望と判断していた。


「そしてゾルド兄さんは――」


 ホスエはゾルドを見る。

 全身蜘蛛の体液塗れだ。

 その原因を考えると頭が痛い。

 ホスエは眉間を指でつまむ。


「ゾルド兄さんは……、私から何を学んでいたのかな?」


 ――蜘蛛に剣を使わず、自分の体を餌におびき寄せて殴り殺す。


 そんな肉体の強さ頼りの、原始的な戦い方をホスエは教えていない。

 怪我を負う危険を最低限に、相手に最大限の傷を負わせる。

 そういう戦い方を教えていた。

 もちろん、武器を使っての戦い方だ。


「いや、まぁ、その……。カッとなってついな」


 ホスエは深い溜息を吐く。

 溜息は時として、罵倒の言葉よりも心を傷つける。


「ゾルド兄さん。まずは一つ、一つで良いから忘れないでください。いつでも”武器を使う事”を忘れないで。毒を持っている魔物だっているんだから、素手で殴るなんてもっての外です」


 ホスエは真剣な面持ちで、馬鹿みたいだと思えるくらい基本的な事を教えた。

 今回はただの大きな蜘蛛だからまだ良かった。

 だが、魔物には振れただけで致命的な影響を与える毒の体毛や体液を持つ物もいる。

”カッとなってやった”なんて言い訳は聞きたくない。


「悪かったよ、次からは気を付ける」


 ゾルドは犯罪者ではあったが、暴力的なタイプではない。

 殴り合いの喧嘩くらいならともかく、武器を使って相手を攻撃するなんてことには慣れていない。

 だから、我を忘れた時には、拳で殴るという事を優先してしまった。


「次は剣を使って戦う事を忘れない事を意識してください。それと、今回は奇襲を受けて驚いたのでしょうが、今後はもう少し冷静に行動を心掛けるように」

「オーケー、わかった。気を付けよう」


 ホスエがゾルドに注意したことは全て基本的な事だ。

 それに対して、テオドールとラウルはちゃんと戦えている。

 よくやったと褒められてすらいる。


 なのに、自分はホスエを失望させただけ。

 その事実が、ゾルドを焦らせる。


(ゲームじゃないってだけで、ここまで体が上手く動かないとは思わなかったな……)


 ポルト近くの森の中では野犬の集団だった。

 だから、物怖じする事なく戦う事ができた。

 今回戦ったのが、人より大きな狼や猪だったら、ホスエから教わった事を忘れずに堂々と戦えただろう。


 だが、今回は巨大な蜘蛛だ。

 虫に対する嫌悪感が、ゾルドの冷静さを失わせてしまったのだ。


 初めての魔物狩りは、ゾルドに苦い思い出が残ってしまう結果となってしまった。

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