第102話 信頼に裏切らなかった男

 約束の三ヵ月を過ぎても、ゲルハルトは戻って来なかった。

 その事について、朝食後食堂で簡単な会議をしていた。


「やっぱり、お金を持ち逃げしたんじゃないの?」


 レジーナが呆れたように言った。


「まぁ、その内戻ってくるだろ」


 そう返すゾルドも、戻って来ないかもしれないと思っていた。

 ゾルドは言われるままに、30億エーロも手渡していた。

 何か信念のある者も、コロリと寝返る金額だ。

 持ち逃げしていてもおかしくない。

 今では信用し過ぎたと後悔しているくらいだ。


「そうなると、相談役が空席になりますねぇ」

「お前がやってみるか?」


 どこか他人事のように呟くテオドールに、ゾルドが聞いてみる。


「とんでもない、無理っす」


 ゾルドの金稼ぎですら、テオドールには思いつかなかったのだ。

 そのゾルドが思いつかない計画を立てるなんてできない。

 しかも、時には叱りつける役割なんてやりたくない。


”いつ逆鱗に触れて殺されるのか”


 そんな恐怖を感じる肩書きなんてお断りだ。

 ゲルハルトのような頭の良いエリートに任せておきたかった。


「足取りを調べてみましょうか? 大金を持っているなら、金遣いが荒くなって目立っている可能性があります」


 困っているゾルド達を見て、ラインハルトが提案する。

 正直なところ、ゲルハルトを送り出す前に言ってくれれば見張りを付ける事ができたのにと思っていた。

 居なくなってから探すのは時間と手間がかかる。

 しかし、ただ困っているだけではなく、行動しなければ何も変わらないからだ。


「いや、もう一週間待ってみよう」


 人を見る目が無かったと信じたくなかった。

 そんなゾルドが出した答えは”答えの先延ばし”だ。

 金を渡したのはミスだったとわかっているが、その事を認めるのに少し時間が欲しい。

 事実を受け入れるのに必要な時間を作りたかった。


「あら、優しいのね」


 レジーナはゾルドの寛容さに驚いた。

 てっきり、怒り狂って殺しに向かうかと思っていたからだ。


「そうだろう」


 ゾルドは斜め45度の角度でレジーナに笑みを向ける。

 失敗を誤魔化すために、とりあえず笑ってふざけてみただけだ。


 しかし、レジーナの反応は――


「うっ……、オロロロロ」


 ――口元を抑えて、朝食をゴミ箱の中に吐き出すというものだった。


「……その反応は傷付くなぁ」


 結婚しようとまで言った女に、ゲロを吐かれるレベルで気持ち悪がられるとは心外だ。

 さすがに、怒鳴るとか殴るとかする気にはなれない。

 それほどまでにショックが大きかった。


「ごめんなさい、急に気分が悪くなって……」


 レジーナの謝罪は、余計にゾルドの心を傷付けた。


「兄さん……、ドンマイ!」

「うるせぇよ! ドンマイじゃねぇよ、気にするに決まってんだろ」


 ホスエのフォローも、今のゾルドにはフォローにならない。

 そこまで気持ち悪い仕草だったかと思うと、やらなきゃよかったと後悔していた。


「おかしいわ、セーロの丸薬を飲んでもまだ気分が悪い」

「なんだ、何か病気か?」


 セーロの丸薬は二日酔いや腹痛を即座に治す。

 しかし、継続的なものの場合は別。

 レジーナを背負って走っていた時のように、揺れている最中に飲んでも一時的に乗り物酔いが治るだけ。

 風邪を引いて気分が悪くなっているのなら、一時的に治ってもすぐにまた吐きそうになる。


 レジーナが吐くタイミングが最悪だっただけで、自分の仕草が原因じゃないとわかって、ゾルドはホッとしていた。

 さすがに”ゲロを吐くレベルでキモイ”というのは辛すぎる。

 病気だった方がまだマシだ。


「お二人の仲も良さそうだし、もしかしてつわりだとか?」

「あっ」


 テレサの発言に、ゾルドは思い当たる事がある。

 ダークエルフとはいえレジーナも人間同様、月に数日はゾルドの相手をできない日があった。

 だが、ここのところはそれが無かったような気がする。

 もしそれが、妊娠だったとしたら納得できる。


「念のために、一度医者に確認してもらうほうが良いと思いますよ」

「そうだな」


 テレサの言葉に、ゾルドは同意する。

 何か別の病気だった場合でも、早めに診断しておいて損はない。


「でも、イブ姉さんが妊娠していたら、一緒にソシアには行けないね。薬を買い込んでおかないと」


 魔法の練習をしてはいたが、ゾルドはまだ回復魔法を使えない。

 なんとか光魔法の光量を調節したり、水魔法で飲み水を出せるくらいだ。

 その飲み水も、指先から水道水を出すイメージでやっているせいか、なぜかカルキの匂いが少し混じっている。

 とはいえ、ホスエに”なんかこの水臭うよ”と言われて、ようやく気付く程度の微かな臭いだ。

 しかし、人間より鼻の良い獣人には気になって飲みにくいので、無いよりはマシ程度でしかない。


「そうだな。イブが行けなかった場合に備えて、必要な物を買い足しておいてくれるか? 俺は医者に連れて行ってくる」

「わかった。任せてよ」


 旅に必要な物ならホスエに任せておけばいい。

 ゾルドは燻製肉と間違えて塩漬け肉を買ってしまうレベルだ。

 道中で何があるのかわからないので、確実性の高い人物に任せる方が良い。


 ソシアに行かないという選択は考えすらしなかった。

 少なくとも、強くなるという事自体は間違いではないと思っていたからだ。



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 医者からの帰り道。

 馬車の中でレジーナは自分のお腹を優しくさする。


「大体二カ月とちょっとかぁ……」


 そう言って横に座るゾルドに寄り掛かった。

 これでレジーナも、ゾルドの子を生む事ができる。

 魔神としての価値が無いからといって、裏切るような女達とは違う。

 ちゃんとゾルドを愛している自分こそが、子供を産むべきだと思っていた。

 その願いが叶った。

 とはいえ、素直に喜べない。


「やっぱり、ソシアに行ってしまうの?」


 せっかく子供ができたのに、ゾルドが遠くへ行ってしまう。

 本当なら、いってらっしゃいと笑顔で送り出すべきだとわかっている。

 でも、傍に居て欲しいという気持ちもあった。

 子供が産まれるまでで良い。


「当然だ。強くならないと意味が無いだろ。天神との闘いに負けたら、子供がどうとか言ってられないんだぞ」

「そうよね……」


 ゾルドは寂しそうに納得するレジーナの肩を抱き寄せる。


「どうせ半年程度だ。産まれる前には戻ってくるさ」


 ゾルドにとって、子供なんてどうでもいい事だ。

 レジーナとの間に産まれた自分の子だから、それなりに大切にするつもりではある。

 だが、一番大切な存在ではない。

 母体が無事なら、流産しても良いとすら思っていた。


 レジーナは大切に思っているが、子供は別。

 どうしようもないクソガキに育つかもしれない。

 そうなれば、愛着など湧きようがない。

 大体、すでに十人以上の子供が産まれている。

 今更一人増えようがどうでもよかった。


「そうね、待ってる。けれど、早めに帰って来てね」

「あぁ、ジョシュアにも早めの予定にするように言っておくよ」


 つわりと馬車の揺れで吐きながらも、レジーナはゾルドと指を絡め合っていた。



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 ゾルド達が屋敷に戻ると、屋敷前に二台の馬車が止まっていた。

 どうやら荷物を屋敷に運び込んでいるようだ。

 手伝っていたラウルがゾルドの帰宅に気付き、こちらへ走り寄ってくる。


「お帰りなさい。どうでした?」

「二カ月くらいだってさ」


 ゾルドの返事に、ラウルは笑みを浮かべた。


「おめでとうございます。ゲルハルトさんも帰って来ましたよ。今は連れて来た人の荷物を運んでいるところです」

「ありがとう。どんな奴を連れて来たか顔を見てみるか。イブは休んでいるか?」

「いいえ、私も顔を見るだけ見ておくわ」


 ゾルド達はしばらく出掛けるが、レジーナはしばらく同じ屋敷で暮らす事になる。

 早めに顔を合わせておいたほうが、後々のためになるだろうとレジーナは考えた。


「四人連れて来てきたようです。三人は荷物を運んでいて、一人は偉い人みたいで食堂で作業が終わるのを待っています」

「ほう、良いご身分だな」


(最初にしっかり教えておかないといけないな)


 確かに将軍だったりして、偉い人物だったのかもしれない。

 だが、今はただの無職だ。

 しかも、まだゾルドが部下にすると決めたわけではない。

 過去の栄光を振りかざして、ゾルド直轄の部下であるラウルをアゴで使う事など許されない。

 最初が肝心だと思い、ビシッと言ってやるつもりだ。


 ゾルドがレジーナを連れて玄関ホールに入ると、ゲルハルトと三人の男達と出会った。

 皆若いが、元軍人だけあって精悍な印象を受ける。


「閣下、遅れて申し訳ありません。大物を引き入れる事ができそうだったので、つい時間をかけてしました」


 ゲルハルトが敬礼をする。

 それに合わせて、他の三名も同時に敬礼した。


 さすがに初対面の者達の前で横柄な言葉使いはしないようだ。

 そんな事をすれば、他の者達にゾルドが軽んじられる。

 ゾルドが軽く見られるという事は、この仕事を紹介したゲルハルトも軽く見られてしまうという事だ。

 これは自分が軽く見られないようにするための態度だった。


「構わない。俺の事はどこまで話した?」

「全てを。他人に漏らさないように誓約書も書かせました」


 ゲルハルトは四枚の紙を取り出してゾルドに渡した。


「俺がアダムス・ヒルターだ。これからよろしく頼む。仕事に関しての事はまた後ほど話す」


 ゾルドが先に名乗ると、ゲルハルトがゾルドの横に移動し、三人を紹介し始める。


「まずはこの者から紹介いたします。彼はマックス。作戦の立案などでは若手士官で一番です」

「マックスです。如何なる作戦も、立案の時点で成功するかどうかが九割以上決まります。閣下に勝ち戦をさせてみせます」


 眼鏡をかけた青年はかなり自信があるようだ。

 やる気もあるのが見てわかる。


「次にヴィルヘルム。彼は兵站専門で、彼がいれば戦場において物資が不足する事はないと思います」

「ヴィルヘルムです。如何なる作戦も、補給が無ければ破綻します。兵站線の確保こそ、勝利への道といえます」

「ん?」


 立派なカイゼル髭を生やした青年も自信があるようだ。

 しかし、先ほどのマックスと言っている事が違うので、そこにゾルドは少し引っ掛かっていた。


「最後にアウグスト。彼は軍政など幅広い活躍を期待できます。ちなみに私の元副官です」

「アウグストです。如何なる作戦も、実行できる部隊がなければ意味がありません。確実に命令を遂行できる組織作りはお任せください」

「お、おう」


 やや細身の体格をしているアウグストもやる気はあるようだ。

 だが、ここでゾルドはゲルハルトをに耳打ちした。


「なんか同じ方向を向いてるようでバラバラな気がするんだが大丈夫か?」


 ゾルドが心配したのは衝突。

 それぞれ自分の得意分野に自信があるせいで、お互いに噛み合わないような気がしている。

 そのせいで新しい組織が空中分解でもされたらかなわない。


「問題ない。同じ考えをする者ばかりが集まる方が危険だ。様々な視点で見る事ができるように、得意分野の違う者を集めてきたんだ。それに、私がまとめあげるから心配無用だ」


 どうやらゲルハルトも自信があるようだ。

 自信が無いよりも良いが、あり過ぎても困る。

 結局、適度にゾルドが手綱を締めてやらないといけないようだ。


「わかった。これからよろしく頼む。今は荷物整理を優先してくれ」

「はっ」


 三人は馬車へと荷物を取りに向かう。

 その後ろ姿を見て、ゾルドは少しガッカリしていた。


(俺の知ってそうな奴は居なかったな。まぁ、無名でもゲルハルトのように使える奴もいるから問題無いっていえば無いんだが……)


 ジョゼフからの手紙では、ゾルドも知っているナポレオンの名前が書いてあった。

 それに比べて、自分の知らない者ばかりの新しい部下にガッカリしてしまったのだ。

 もちろん、モチーフのある人物の方が少ないのだろうとは思っていたが、どうしてもそう思ってしまう。


「それで、呑気に食堂で休んでる奴はどんな奴だ?」


 ゾルドは少し棘のある声色だ。

 しかし、ゲルハルトは意に介さない。


「プローイン王国宰相、オットー・フォン・ビスマルク。この名を聞けば納得して頂けるのでは?」


 彼としては最高の人材をスカウトしてきたつもりだ。

 軍人ばかりではバランスが悪い。

 ソシアに向かうのもゲルハルト自身ではなく、政治家に任せた方が交渉が上手くいくだろうと思って探していた。

 その時、国が滅んで引退していたビスマルクに目を付けた。

 説得は簡単だった。

 引退したものの、本人の政治への熱意は冷めていなかったからだ。


「おぉ、なんか聞いた事がある気がするような……」


 歴史の教科書でなんとなく聞いた覚えのある名前だ。


(なんとか宰相とかだったな……、冷血宰相だっけか)


 間違って思い出した二つ名は恐ろしいイメージをゾルドに植え付けた。

 それだけに期待も大きい。

 今のゾルドの欲する人材にピッタリだ。


「よし、会うぞ」


 ゾルドは足早に食堂へ向かう。

 その後ろをゲルハルトと、せっかく妊娠したという朗報があったのに忘れられているレジーナが付いて行った。

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