第四章 雌伏の時

第56話 心境の変化

 どれくらい泣き続けたのだろうか。

 窓から見える日本の風景では、日が高く昇っていた。


(本当に異世界に来たんだったら、俺は今までどれだけ無駄な事をしてきたんだ……)


 今思えば、俊夫の行動は無駄だらけだった。


”とりあえず、現実に戻るまでの時間を潰せればいい”


 という思いが根底にあったからだ。

 今まで出会った有力者も、必死に味方に付けようと行動できたはずだ。

 ここが最初から異世界だと知っていれば、未来に続く信頼関係を築けてきた。

 なのに、何もして来なかった。

 それどころか、空白の10年間まである。


(ゲームじゃないなら、天神側陣営の切り崩しは厳しいだろう。誰だって勝ち組に付きたい。10年間、外交工作が出来たか、出来なかったかの差は絶望的だ)


 自分の味方は魔族だけ。

 なんとか味方に引き込めそうなのは、プローインだけだ。

 そんな絶望的な状況で、やる気は湧き出てこない。

 俊夫は諦め気味になっていた。


 本格的な政治や外交に自信なんてない。

 政治なんてやった事が無いし、やろうと思った事もない。

 巻き返すなんて、出来そうになかった。


(ここが異世界だっていうのなら、スタート時点から命の危機だったんだな)


 いきなり食中毒になり、死にかけていた。

 もし、あの時フリードが通りかからなかったら……。 

 ゲームで言えば、毒でHPが減少し続けて死ぬようなものだ。

 自分の浅はかな行動を思い出し、背筋が寒くなる。


 今はもう、VRマシンの復旧を期待していた時とは違う。

 自分で天神を倒さないと、日本には戻れないと直感した。

 それも、いつ終わるかわからない戦いだ。

 終わるまで自分の気力が持つだろうか。


 それよりも、目の前にある問題が気になってしょうがなかった。


(部屋の片付けがメンドクセェな……)


 重要な問題が山積みになっている。

 部屋の片付けなど気になどならないレベルでだ。

 それでも部屋の惨状を気にするのは、今の現実から目を逸らそうとしているだけ。

 試験前に部屋を掃除したくなる現象の、スケールが大きくなったようなものだ。


 いきなり、異世界への旅に放り出された。

 しかも、自分の命や人生を強制的に賭けさせられた状態で。


 今すぐに受け入れるには、重すぎる内容だった。

 それを受け入れるには時間がかかる。

 少しくらいは現実逃避してもおかしくないだろう。


(レジーナを呼ぶか)


 こういう時には奴隷を使うのが一番良い。

 部屋の片付けなんて、奴隷に相応しい仕事NO1だ。

 俊夫はブーツを履き、部屋の外に出た。


「ゾルド様」


 部屋の外では、レジーナと10人ほどの様々な姿の男女が跪いて待っていた。

 一番多いのは悪魔のような容姿をした者だ。

 先ほどのニーズヘッグの反応を思い出し、なんとなく後ろ手でドアを閉める。

 自分の部屋を馬鹿にするような目で見られるのは、たまらなく嫌だったからだ。


「誰だ?」


 俊夫が声をかけると、一人の悪魔が代表して答えた。


「ニーズヘッグ様が”ゾルド様が出て来られた時のために、待っておくように”と命じられました。歓迎の食事会も、準備を急いでおります」

「そうか、ご苦労だな。もうしばらく待っておけ」


 この悪魔達にも部屋の掃除をさせようと思ったが、6畳間に入れるには数が多い。

 俊夫は当初の考え通りに、レジーナだけを部屋に入れようと思った。


「レジーナ。来い」

「来いとは……、部屋の中にですか?」


 レジーナの驚きはかなりのものだ。

 ニーズヘッグですら、部屋の中を知らない様子だった。

 自分が中に入れるとは思いもしなかったのだ。


「そうだ」


 俊夫はドアに向き直ると、ドアを開けた。


(あれ?)


 そこには予想外の光景が広がっていた。


 部屋が片付いているのだ。

 最初に入った時とまったく同じく、綺麗に整っていた。

 俊夫は一瞬戸惑ったが、まずは中に入る。

 ドアを開きっぱなしでは、悪魔達に中を覗かれ続けるからだ。

 俊夫の後に続き、レジーナが部屋に入りドアを閉める。


(なんだよ、外に出たらリセットされるタイプの部屋か。こういうのがあるせいで、ゲーム内だと勘違いしちまうんだ)


 俊夫の考えは正しかった。

 この部屋は中に人が居なければ、ドアを開けるたびに最新の状態がコピーされる。

 だからゲームを始めた時から10年も経っているのに、両親の書いた大学ノートが置かれていたのだ。


 まずは窓のところまで歩く。

 片付けを頼もうとしていたが、その必要が無くなってしまった。

 窓の外を眺めるフリをして、何か用事はないかと考えるつもりだ。


 今回は俊夫もレジーナも、靴を脱いでいない。

 部屋の状態がリセットされるなら、多少汚れても気にならないからだ。


 レジーナは物珍しそうに部屋の中を見回す。


「ゾルド様。私に何の用なのでしょうか?」


 そう言いつつも、レジーナの目はベッドに釘付けになった。

 他にもデーモン種などが居たのに、わざわざ自分が呼ばれた理由は一つしか思い浮かばなかった。

 しかし、俊夫から返事は無かった。


「あ、あぁ……」


 俊夫は窓ガラスに顔を押し付けへばりつく。


 レジーナは俊夫の横に並び立つと、窓から外を見てみる。

 世界を歩き回った彼女でも、見た事のない建築様式の家が立ち並ぶ。

 そしてレジーナは、横に立つ俊夫の視線を追ってみた。

 その視線の先には中年の夫婦がいた。


「親父、お袋。二人とも老けたなぁ……」


 俊夫は思わず呟く。

 買い物帰りなのだろう。

 白髪の増えた両親が、レジ袋を提げて道を歩いていた。

 苦労したのか、顔のしわも増えたような気がする。

 10年という時間を、俊夫は嫌でも思い知らされた。

 涙を流し尽くしたはずなのに、また両目からあふれ出て来る。


「ゾルド様のご両親ですか!?」


 俊夫の呟きを聞き逃せなかったレジーナが思わず聞いてしまった。

 魔神に両親がいるとは思わなかったのだ。


 だが、すぐにレジーナは失敗したと思った。

 自分が重大な秘密を知ってしまったのではないか。

 そう思うと、知らない方が良かったのではないかと後悔した。


 一度は落ち着いたとはいえ、両親の姿を直接見たことで俊夫は感極まり、泣き言を漏らし始めた。


「俺は……、魔神じゃない」

「ええ!」


 後悔したばかりなのに、もっと凄い事を聞いてしまった。

 それ以上、何も言わないで欲しいと思ったが、俊夫は先を続ける。


「俺は人間だ。ただの人間、しがない営業マンの佐藤俊夫だ……」


 俊夫の体は震えている。

 耐えきれないのだ、この状況に。

 だから、隣にいたレジーナに自分の事を話してしまう。


「ほんのお遊びだ。ゲームだと思ったのに……、本当に魔神になるなんて思わなかった」


 俊夫はレジーナを強く抱きしめる。

 人の温もりが欲しかった。

 それがゲームキャラだと思って、軽んじていた相手でもだ。


「ゾルド様……」


 レジーナは優しく俊夫を抱きしめる。


「なんで……、なんで俺なんだよ!」


 俊夫はベッドにレジーナを押し倒し、荒々しいキスをする。

 そして俊夫は、そのまま現実逃避を行った。



 ----------



「ゾルド様、先ほど言っていた事は本当ですか?」


 レジーナは優しい言葉で聞いた。

 行為が終わり、俊夫が落ち着いたようだったからだ。


「みっともない姿を見せたな」


 そこで俊夫は考える。

 レジーナにどこまで話すべきかと。


(いや、悩む必要なんてないか。こいつは奴隷だ。首輪をしている限り話す心配はない)


「全部本当で、俺は人間だ。ただし、この世界の人間じゃない。別の世界の人間だ」

「それはなんとなく、わかる気がします」


 窓の外に見える景色。

 動いていないとはいえ、部屋の中にある道具類。

 何もかもが異質な存在だ。

 この部屋の中にいると、レジーナは自分が別の世界に居るような感覚に襲われる。

 その感覚を信じるなら、俊夫が別の世界の人間だというのは信じられた。


「では、千年前の魔神も?」


 レジーナの疑問に、俊夫は首を振る。


「それはわからない。もしかしたら、本物の魔神だったかもな。そして、他の世界の人間を自分の代わりに呼び出すように仕組んだのかもしれないな」


 俊夫はレジーナを抱き寄せる。

 そして耳元でささやいた。


「レジーナ、ここで見聞きした事は誰にも話すな。これは命令だ」

「……はい」


 レジーナは少し悲しくなった。


 確かに、俊夫が異世界の人間だという事は漏れると大事になる。

 口止めをするのは正しい行為だと思う。

 そうは思っても、首輪の効力で黙らされた事が悲しいのだ。

 命じられるのではなく、頼みだったとしてもレジーナは誰にも話すつもりはなかった。


(このお方が、人を信じられる日は来るのだろうか)


 差し出されたティッシュで体の汚れを拭きながら、レジーナは俊夫の事を心配する。

 俊夫に料理を作った日から、少しずつ俊夫を見る目が変わってきたのだ。

 ドーバーで子供に優しく接する姿を見て、それは確信へと変わった。


(それにしても、この紙柔らかい。使い捨てにするのがもったいないくらい。シーツはスベスベでベッドも柔らかいし、異世界の人間といっても魔神になるお方は持ち物も凄いのね)


 レジーナは、俊夫の部屋に興味を持った。

 彼女も人並みの好奇心を持っている。

 そもそも、異世界の文化というものに、興味を持たない者はいないだろう。

 チラリチラリと、レジーナは部屋の中を見る。


 俊夫の話は、内容が重たすぎた。

 事実を受け止めるため、別の事を考えて心にクッションを作るのだ。

 異世界の人間が魔神だという事を受け入れるのには、少し時間が必要だった。

 奇しくも、レジーナは俊夫と同じような状態になったのだ。


「今晩にでも、ロンドンにいる各種族の代表を集めて歓迎会を開きたいそうです。軽く打ち合わせがしたいとニーズヘッグ様が言っておられました」

「そうか……、なら一度出ないといけないな」


 少し気怠さを感じるが、行かねばならない。

 自室に籠っていても、何も進まないのだから。

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