第55話 レジーナ
レジーナ達はドアの外から呼びかけた。
かなりの声量だったが、中から返事が無い。
普通のドア一枚で、完全に遮断されているようだった。
呼びかけるのを諦めたニーズヘッグが、レジーナに話しかける。
「私は皆に伝えて、歓迎の用意をしておく。千年前も、初めて部屋に入った時はしばらく出て来られなかった。お前はここでゾルド様をお待ちするように。他にも人を寄越す」
「はっ」
レジーナは了承の意を示し、頭を下げる。
そのレジーナの首を、ニーズヘッグが指先で軽く叩く。
「これは隷属の首輪のようだが、一体どうした」
「捜索の任務中に失敗してしまい、奴隷として売られてしまいました。ですが、幸いにもゾルド様に買われ、こうしてお連れする事ができたのです」
レジーナは正直に失敗した事を話した。
つい先ほどまで、ブリタニア諸族連合の頂点に立っていた相手だ。
隠し事をしようとは思わなかった。
それに失敗したとしても、魔神を連れ帰った事を考えれば、失敗したことをチャラにしても余りある功績だろう。
処罰は免れる事は間違いない。
「そうか、報告は後ほど聞く。ゾルド様を連れ帰った事はよくやった」
「ありがとうございます」
ニーズヘッグはレジーナの肩を叩くと、その場を立ち去っていった。
「ふぅ……」
レジーナは扉の横の壁にもたれかかり、そのままずり下がるように座り込む。
ニーズヘッグという前天魔戦争の生き残りは、話しているだけでも神経をすり減らす。
その力はもとより、そこにいるというだけで圧力を感じるからだ。
ゾルドの方が魔神であり、立場はニーズヘッグよりも上だが凄みが無い。
レジーナは久しぶりに、ダークエルフが魔族の下位に属する種族だと実感させられた。
元々、レジーナに直接命令を伝えたのは、ニーズヘッグのようなボス格ではない。
デーモン種の中間管理職だった。
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”魔神が降臨する”
そのような預言を最初に受け取ったのは、ロンドンにいたマーメイドの占い師だった。
当初は頭がおかしいのではないかと思われていたが、同じ日に他の種族の占い師達も預言を受け取った事がわかると、皆が真実だと受け止めた。
神話によると、元々天神と魔神は同一の存在とされている。
善なる心と悪なる心で二つに分かれ、世界をどちらが導くのかを争うらしい。
魔神が降臨するという事は、天神も降臨するということ。
また全種族を巻き込んだ戦争になる事は間違いないだろう。
一刻も早く、魔神と合流して戦争に備える必要があった。
「レジーナ。お前はダークエルフの中では温厚な性格だ。それに前族長の娘で魔力も高い。大陸に渡って、魔神の捜索に参加してくれないか」
「私がですか?」
大陸に渡るというのは、かなり特殊な事態だ。
ダークエルフと気付かれれば殺されるだろう。
「そうだ。ハーピーやガーゴイルといった者達による捜索では限度があるだろう。人間の街に入り込み、人間から噂を聞き出すんだ。少しでも多くの情報が欲しい」
人間に気付かれないように、比較的小型の飛行魔族を選んでいた。
だが、空高く飛べば気付かれるし、低く飛べば捜索範囲は狭まる。
それに人間がいるようなところを避けて、慎重に探さなくてはいけない。
どうしても効率は落ちてしまうのだ。
「サキュバスなどでもよろしいのではないですか? 人間とも上手くやっていけそうですが」
「もちろん、サキュバスも選んだ。だが、彼女達は人間と上手くやり過ぎる。男の様子がおかしくなれば、周囲の女が何かに気付くだろう。その点、エルフ種は安心だ」
エルフは身持ちが固い。
早くに死に別れでもしない限り、結婚すれば何百年も同じパートナーと共に過ごすのだ。
サキュバスのように男と関係を持って、ボロが出る可能性は低い。
「しかし、肌の色はどうします? ただの日焼けというには無理があるかと。私は幻術を使えませんよ」
デーモン種の男は、レジーナの前に輪っかのような物を差し出した。
「このブレスレットを腕に付けろ。そして肌が白くなる事を思い浮かべながら、表面の文字を時計回りに撫でるんだ」
レジーナは言われた通りにする。
すると、肌の色がまたたく間に白くなった。
「凄い! こんな簡単に変化するなんて」
ダークエルフの里には、こんなに便利な魔道具は無かった。
初めておもちゃを与えられた子供のように、無邪気に楽しんでいた。
「反対に撫でればもとに戻るし、顔も多少なら変えられる。天魔戦争時代の遺産だ。数があるとはいえ、もう作れない物だから無くすなよ」
「わかりました。大切にします」
千年前の魔道具。
そんな貴重品を無下に扱う者の方が少ないだろう。
「それと、これが路銀だ。5,000万エーロある。生活や買収には、これを使え。すぐに見つかれば良い。だが、時間がかかるとしても定期的に報告してくれ。……かならず、連れ帰ってくれよ」
「はい!」
レジーナは魔神を探しを、楽しみにしていた。
魔神を探すという重大任務を任せられたという事よりも、大陸に渡れる事が嬉しい。
ブリタニア中部のシャーウッドの森、そこにダークエルフの集落があった。
ロンドンに来ただけでも心が弾むのに、大陸がどんな所かなんて想像もできない。
出発前のレジーナは、旅行気分で心は弾んでいた。
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(私もまだまだ若かったというわけね)
魔神を探し始めて10年。
大陸は思っていたような場所では無かった。
エルフは天神側陣営だったのに、人間や獣人達とは一線を引いている。
その理由はレジーナにもすぐにわかった。
精霊が居ないのだ。
いや、居るには居るらしい。
ソシアよりも北の地に集まって、フェアリーランドという国のようなものを作っているらしい。
人間の生存圏に住んでいる場合、精霊は捕まえられると魔道具に組み込まれ、人間の道具として使い続けられる。
今でも、興味本位で人間の生存圏に迷い込んで来る精霊が捕まえられているらしい。
そのような行為を、エルフ達は許せなかったのだ。
精霊と共に生きて来たエルフ種だからこそ、精霊の側に感情移入していた。
レジーナも同じ思いだった。
10年という時間が過ぎても探し続けたのは、人間を滅ぼさなければいけないという使命感もあったからだ。
そんな彼女の前に、羽を生やした少女の姿をした風の精霊が姿を現した。
「ねぇねぇ。あなた、もしかしてダークエルフじゃない?」
「なっ!?」
いきなり声をかけられた事も驚いたが、正体を見破られた事にも驚いた。
何と言っても、ここは人間の街ワルシャワ。
しかも、市場のど真ん中だ。
この精霊はここまで、一体どうやって人間に見つからずに入り込んできたのか。
普段なら精霊に声をかけられても問題は無かった。
普通の人間や獣人には声が聞こえないからだ。
不幸な事に、この時は買い物に来ていたエルフがすぐ近くにいた。
「ダークエルフ!? あなた、ダークエルフなの?」
「ちっ」
エルフに大声を出されて、レジーナは走り出してしまった。
この時、落ち着いてしらばっくれていたらバレなかったのだ。
10年間も精霊以外には、誰も気付かなかったのだから。
だが逃げ出した事で、自分からダークエルフだと証明してしまったようなもの。
すぐに近くの兵士が集まってきた。
「ごめんねっ、言っちゃダメだなんて知らなくてっ」
「いいから逃げなさい。精霊が捕まったら、殺されるよりも酷い目に合うわよ!」
「ごめんね、本当にごめんねー」
彼女なりに反省しているのだろう。
本当に申し訳なさそうな顔で何度も振り返り、謝りながら精霊は飛び去って行く。
エルフ種だからという以前に、人間達に迫害されている仲間だ。
逃げられる機会があるのなら、精霊だけでも逃がしてやりたい。
(魔道具で変装していると知られたら、潜入してる他の人達に迷惑をかけるわね)
ブレスレットを反時計回りに撫でて変装を解く。
そうしておかないとブレスレットを外された時に、これが変装の魔道具だと気付かれてしまう。
死んだら効果が切れるのかどうかわからない。
それを確かめるために死ぬ気もない。
(ブリタニアじゃあ、ダークエルフは弱い方だった。けれど、人間相手なら100でも200でもやれる。やってみせつ!)
レジーナは路地へと入る。
これは追っ手を撒くためではない。
戦うためだ。
後ろを振り返れば、10人ほどの兵士が追って来ている。
「風よ、集いて爆ぜよ【ウィンドブラスト】」
兵士達の中心で風の爆弾が炸裂する。
この魔法は、大容量の圧縮空気が解放されるようなものだ。
凄まじい爆風が狭い路地の中で荒れ狂う。
壁に叩きつけられて死ぬ者と、風圧で首や手足が吹き飛び死ぬ者。
即死できた者は運が良かった。
風圧で肺が破裂した者は、空気を求めて苦しみながら死んでいった。
(人間なんて、こんなものなのね。なんで天魔戦争では――)
頭部に強い痛みを感じて、レジーナは意識を失った。
正面に気を取られ過ぎて、背後から迫ってきていた兵士に気付かなかったのだ。
人数差は、そのまま戦力差となる。
戦闘経験の少ないレジーナは、それを知らなかった。
それからオークションで売られ、ゾルドに買われる事になった。
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風の精霊と再会したのは、ベルリンの自宅。
レジーナに与えられた部屋だった。
「やっほー、元気だった?」
「そう見える?」
久し振りの再開だが、レジーナは肩をすくめながら首輪を指し示す。
「ごめん……。エルフは見かけるけど、ダークエルフは初めてだったから……」
風の精霊は、ガックリと肩を落とす。
大陸に精霊がいないので、レジーナは忘れていたのだ。
精霊には幻術は通用しない。
物事をありのままに見通す。
精霊から見れば、エルフやダークエルフの違いは丸わかりだった。
ダークエルフを見つけて、純粋に珍しいと思って声をかけてしまったのだ。
「もういいわ。……実は捕まったお陰で、探していた人と出会えたの。私がお礼を言いたいくらいなのよ」
「本当! なら、チャラって事ね」
「えぇ、いいわよ」
そう言って二人は笑う。
精霊は無邪気で素直だ。
レジーナが捕まった時の事も悪気があったわけではない。
その事を知っているレジーナは、精霊を許した。
魔神であるゾルドと出会えたのも、精霊の導きともいえる。
今では感謝の気持ちの方が強いくらいだ。
「私、シルフっていうの。知ってるよね」
「ええ、もちろん。私はレジーナよ」
精霊には個別の名前がない。
風の精霊として、種族の名前を名乗った。
「それで。その人ってどんな人なの?」
「今晩には帰って来るから、その時会えるわよ」
「へぇー、楽しみ。……あっ、そうだ」
そこでシルフが何か思いついたようだ。
「ご飯作って待ってようよ」
「えっ」
言葉を無くしたレジーナを尻目に、シルフはクルクルと空中を回転して踊る。
「さっき、レジーナが食べてたご飯美味しそうだったよ。その人にも作ってあげようよ」
「……そうだ。キッチンにハチミツがあったと思うわ。食べる?」
「食べるー」
レジーナは話題を露骨に逸らした。
だが、それが露骨でも問題無かった。
精霊は甘い物が大好きだ。
ハチミツを食べさせればすぐに忘れてくれるだろうと思い、台所へと誘った。
それが間違いだった。
「ハチミツを舐めてるから、その間に作ってね」
シルフは忘れていなかった。
レジーナは料理を作る事を要求され、追い詰められた。
――レジーナはまともに料理をしたことが無い。
あるにはあったが、肉の串焼きや野菜の串焼き程度だ。
それ以上の物は作った事がない。
キッチンで途方に暮れているレジーナに、シルフは容赦ない言葉を投げかけた。
「もしかして、料理を作れないの?」
「な、なっ、何言ってるの!? そんなわけ……」
「作り方なら知ってるよ」
「えっ」
(なんでこの子が知ってるのよ……)
自分が調理方法を知らないのに、料理と無縁の精霊が知っているとは思わなかった。
族長の娘として、甘やかされて育ったのが災いとなってしまった。
だが、レジーナはシルフに料理の作り方を聞く。
「作り方を教えてくれる?」
「オッケー」
――魔神であるゾルドに料理を作る。
料理と無縁の精霊に教えを乞うくらいには、魅力的な提案だった。
食材があることを確認し、使用人を帰らせた。
他人の手を借りずに作ることが大事だと思ったからだ。
しかし、それは苦難の道のりでもあった。
「なんで野菜の大きさをバラバラに切っちゃうの」
「なんで灰汁を取るのに、そんなにたくさんシチューまで捨てちゃうの」
「なんでお肉に塩を振ろうとするの? 焼く前でいいんだよ」
「なんで――」
「なんで――」
「なんで――」
レジーナが何かをするたびに、シルフから疑問の声が上がる。
それならやる前に言ってくれと思ったが、レジーナが先走ってやってしまうのが悪い。
だが、それでもシチューの味付けだけはなんとか上手く出来た気がする。
後はゾルドが帰って来たら肉を焼くだけ。
その段階までなんとか来れた。
「お疲れー」
「料理って、こんなに疲れるのね」
肉体的な疲労よりも、精神的に疲れた。
しかし、それだけに達成感もある。
仕事をやり遂げた後の水は美味かった。
「お家の前に馬車が止まったみたいだよ」
「ありがとう」
レジーナは教えてくれた礼を言うと、玄関へと向かった。
玄関に着くと、ちょうどドアが開けられる。
「お帰りなさいませ」
「あぁ、今戻った。……使用人はどうした?」
1人は常駐しているはずなのに、レジーナしか出迎えに来ていない。
「使用人は帰らせました」
「なんだと? それじゃ、飯はどうする」
(私が作ったと言えば、どんな反応をされるのだろう)
初めて作った料理を美味しいと言ってくれるだろうか。
それともマズイと吐き捨てられるのだろうか。
レジーナは不安で仕方無かったが、思い切って言った。
「実は今日帰ってくると聞いて、私が作っていました」
「食べられるのか?」
「当然です! 料理くらい作れるんですよ」
(やっぱり、この人は魔神らしく嫌な人だ)
自分の顔が怒りで紅潮するのがわかる。
いくらなんでも酷過ぎると思ったのだ。
「そうか、確かに匂いは悪くなさそうだ。先に飯にしよう。ブリタニアに関する話はそれからだ」
「はいっ」
だが、それもたった一言で変わる。
始めて作った料理に興味を持ってくれたのは、やっぱり嬉しいのだ。
「それでは肉をを焼きますので、しばしお待ちを」
「わかった。任せる」
ゾルドが食卓に着く。
キッチンが見える位置に座ったので、レジーナも気合が入る。
心臓の鼓動が聞こえてくる。
ゾルドにまで聞こえそうなくらい、大きくなっているようだ。
それだけ緊張しているのが、自分でもわかる。
「お肉を焼く前に、塩コショウを忘れずにね」
シルフの言葉にレジーナは頷く。
「お肉を焼く時は、最初は強火で表面を一気に焼いてね」
「強火で、一気に焼くのね」
テンパったレジーナは、言葉の一部だけを聞き取ってしまった。
「目前の肉を焼き払え、【バーニング】」
「おい、待て」
「ダメェ」
――フライパンから火柱が噴きあがる。
「きゃあ!」
「馬鹿野郎! 早く火を消せ」
天井まで噴きあがる持続性の高い火魔法を使ってしまった。
これを消すには、ちょっとした水魔法では無理そうだ。
(ならば、氷を使えば!)
「全てを凍り付かせよ、【フリーズ】」
フライパンの火は消え、多少周囲が焦げた程度で収まった。
「あっ……」
シチューの鍋を生贄に捧げて。
「あぁぁぁぁぁぁ」
(なんで、上手くできてたのに)
レジーナは慌ててこぼれたシチューを、近くにあった大振りなスプーンですくっては鍋に戻そうとする。
そんなものは、もう食べられたものではない。
だが、人に食べて貰おうと、初めてまともな料理に挑戦したのだ。
簡単には諦められなかった。
熱い物が頬を流れているのに、自分では気付いていなかった。
「さっき、お前の声以外が聞こえた気がするが、あれはなんだ? 正直に言え」
レジーナの体がピクリと反応すると、シチューをかき集めていた手が止まる。
説明しようとした時、自分が泣いている事に気付いた。
声が上手く出て来ないのだ。
「じ、実は……。精霊に料理の作り方を聞いていました」
レジーナの言葉を聞き、ゾルドの表情が変わる。
その顔を見て、涙がより一層溢れていく。
「肉を早く焼こうとして、魔法を、でも、でも”ぉ――」
説明しようとするが、涙が止まらない。
何も言葉にできなくなってしまった。
(失望させてしまった……)
そう思うと、何も言えなくなってしまった。
これで自分一人の評価を落としただけならいい。
魔族全体に失望されたら、自分一人では責任が取れない。
ダークエルフは魔族全てを敵に回して、虐殺されるであろうことは想像に難くない。
レジーナが絶望していると、氷を砕く音が聞こえた。
不愉快な事があって、憂さ晴らしに殴りつけているような気配がする。
砕く音、一回一回が自分の死刑宣告へのカウントダウンのように思えて、レジーナは戦々恐々としていた。
次にガリガリという音が聞こえ、カラカラと皿になにかを乗せる音がする。
レジーナの傍らにあったシチュー鍋も、持っていかれた。
「レジーナ、よく見ておけ」
魔神直々の命令で、しかもご主人様だ。
逆らいようもなく、そちらを見る。
「ゴボッ」
ゾルドは床にこぼしたシチューを一気に飲み干した。
「ゴフッ」
炭と化した肉だった物を食べて、むせている。
(なんでそんな事を……)
レジーナには理解できなかった。
自分への当てつけにしても、実際に食べる必要なんてないからだ。
目の前に食材だった物を出して、罵れば良いだけなのだから。
(まさか、そんな事も気づかない馬鹿だったとかじゃないわよね)
まるで考えている事が見透かされているかのように、ゾルドに鋭い視線で睨まれた。
(申し訳ございません。申し訳ございません。申し訳ございません……)
視線を逸らして、心の中で謝り続ける。
魔神を相手に不敬な事を考えてしまったと、愚かな自分をなじった。
「お前はパンだけ食ってろ。片付けておけ」
そう言い残して、ゾルドは部屋を出て行った。
その時、気になったのは足音だ。
不機嫌ならば、ドスドスと強い音を立てるはずだ。
なのに静かに去っていった事を、レジーナは不思議に思った。
「優しい人で良かったね」
「シルフ、あなた……」
レジーナがやらかした後、シルフはどこかへ逃げていた。
一通り終わったと見て、今になって出て来たのだ。
「精霊の声が聞こえるって珍しい人だね」
「えぇ、あの方は……。凄い方ですから」
口の軽い精霊相手に”魔神だ”と伝える事はできない。
凄い人だと言えば、それで納得してくれるのだから、それ以上詳しく話す必要はないと考えた。
(まずは床にこぼしたシチューだけでも、先に片付けておいた方がいいわね)
レジーナは洗浄の魔法で綺麗にすると、食卓に着く。
パンだけでも食べておかないと、夜は空腹で寝れないだろうと思ったからだ。
「そういえば優しい人って、どういう事?」
先ほどシルフが言った事を、パンを食べながら聞いておく。
「だってそうじゃない。ものすっごい優しい人じゃないと、あんなの食べないよ」
「えっ……、そうなの」
「そうだよー。レジーナが一生懸命作ったのがわかったから、きっと頑張って食べてくれたんだね」
パンを食べるレジーナの手が止まる。
(もしかして……、本当は優しいところのある人なのかな)
魔神というよりも、邪悪な人間の小悪党というのがレジーナの印象だった。
その印象が崩れ去り、新たなゾルドの人間像が作られようとしていた。
「息を吐くように嘘を吐くし、容赦なく人を殺すような方だけど……。そう言われると、優しい人に思えてくるわ」
「えぇぇぇ……、やっぱり前言撤回するね」
その後、ゾルドにドン引きしたシルフは、フェアリーランドへ帰ると言い残して去って行った。
レジーナは軽く顔を水で洗い、紅茶を飲みながら落ち着こうとしていた。
泣いてグシャグシャになった顔を、ゾルドに見せるのは恥ずかしかったのだ。
(こうして落ち着く時間も用意してくださっている。けれど、あんなに容赦のない人なのに? ……もしかして、私にだけ?)
そう思うと、何故か顔が火照ってしまった。
落ち着くまでに、もう少し時間がかかりそうだ。
”自分には婚約者もいるのに、なんてはしたない”と思ってはいる。
けれども、顔の火照りが収まらないのだ。
料理に失敗したという動揺も混ざり合い、自分の意思では耐えきれなかった。
ゆっくりパンを食べ、ゆっくり紅茶を飲む。
時間が解決してくれるだろうと思い、ゆったりとした時間を過ごす。
レジーナはゾルドの事を”少しは人間味のある人だ”と見直した。
悪い人間だと認識してしまえば、その相手が何をやっても悪く受け取ってしまう。
先ほどの俊夫の行為がそうだ。
レジーナは、自分への当てつけだと受け止めてしまった。
だが、あれが自分の感情を上手く表現できない、慈愛に満ちた人間の行為だと受け止めればどうか。
”どんなものを作ろうとも、しっかりと食べてやる”
そのような強い意思を感じる行動に思えた。
この日より、レジーナのゾルドを見る目が変わっていく。
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