第50話 ウィーン再び 2
会議室に入った俊夫を迎えたのは、言葉ではなく熱々のコーヒーだった。
「ギャーーー、アッツ、アツゥゥゥ」
「いいザマね。嘘つきにはお似合いよ」
俊夫に顔にぶっかけたのはマリアだった。
彼女は俊夫に怒り狂っていた。
”嘘つき”
それは以前話した時の事。
マリアは神教庁とやり合う気は無いと伝えていた。
にも関わらず俊夫は、プローイン側で参戦してきた。
オストブルクと反目しないという事に同意したような素振りを見せていたのにだ。
彼女はその事を許せなかったのだ。
とはいえ、さすがにナイフで刺すといった行為は皇后としてできない。
熱いコーヒーをぶっかけるのが精一杯だった。
(このクソババア! もう容赦しねぇぞ!)
元々俊夫に容赦する気は無かった。
だから、これは心を落ち着かせるだけの遠吠えに過ぎない。
メイドが濡れたタオルで拭き、洗浄の魔法を使って汚れを落とす。
皇室に仕えるだけあって、メイドでも魔法を使える者が揃っているのだろう。
コーヒーをかけられてからの対応も、なかなか早かった。
「陛下……、さすがにこの出迎えは酷いのではありませんか?」
「なら、説明して頂戴! なんでプローイン側に味方したの!?」
「マリア、そんなに怒鳴っていたら何も言えないよ。少し落ち着いて」
一人の男がマリアの肩を抱き、落ち着かせるように抱き寄せる。
こんな事ができるのは、一人しかいない。
(こいつがフランツか。なんでミラノの奴と名前被ってんだよ。紛らわしいんだよモブ野郎)
助け舟を出してくれた相手でも、NPC相手と思っているから遠慮がない。
フリードの話では、このフランツは入り婿。
オストブルク家に男児がいないから、マリアと結婚したフランツが皇帝になったそうだ。
実権はマリアが握っているとはいえ、フランツはマリアの精神的支えとして無視できない存在らしい。
決して軽んじる事はできないだろう。
いや、この場にいる者で誰一人軽く見てに良い者はいない。
皇帝夫妻は元より、皇弟カール。
誰だか知らないが彼らと同じテーブルに座り、書類を前にしている者達。
少なくとも、和平交渉にでてくる程度には政治面での重要人物だ。
「初対面の方がおられるようなので、まずはご挨拶を。プローインの方から来たゾルドと申します。この度、休戦交渉の場を設けていただき、心より感謝申し上げます」
まずは挨拶から入る。
俊夫が普段通りの対応を取る事で、マリア達にも自重を促す狙いだ。
マリアが感情的になっているのは俊夫には好都合だが、感情的になられるにも限度がある。
精神的に動揺しておいてもらわないと困るとはいえ、それは話が通じるレベルでの事だ。
話を聞こうともせずに、感情的になって俊夫の意見だからと言って全てを否定しかねない。
「マリアとカールは知っているね。私はフランツだ。そちらは宰相のヴェンツェルに外務大臣のレオポルトだ」
「よろしくお願いします」
彼らは俊夫の挨拶に鷹揚に頷く。
どことなく疲れの色が見える。
もしかすると、夜通し会議でもしていたのかもしれない。
俊夫は席を勧められたので、フランツの正面に座る。
会議室の中央座ったフランツの左右にマリア達が座り、対面には俊夫一人という恰好になっていた。
「早く答えなさい。なんでプローインに味方したの?」
短気なのだろうか、マリアが俊夫に早く答えるように求めている。
その手には、いつの間にか湯気の立つコーヒーカップが握られていた。
(どんだけ短気なんだよ。更年期障害か? まったく……)
「私が旅を始めた時の事です。愚者の実という物を食べてしまい、倒れていたところをフリードリヒ2世陛下に助けて頂きました。その時の恩義でプローインに味方致しました」
オストブルクに見切りをつけて、プローインを味方に付けるためだったとは言えない。
もっともらしい理由を適当に見繕って答えた。
「本当に? 神教庁がオストブルクの弱体化を図っているのではないの?」
神教庁という言葉が出たのに、周囲の者は誰も驚いていない。
すでに俊夫の事を話していたのだろう。
「神教庁は関係ありません。その事は断言できます」
神教庁に属してないのだから、本当に関係ない。
俊夫は自信満々で断言した。
強いて言うならば、命を狙う者と狙われる者という関係くらいだろうか。
「個人的な理由での参陣なので、強力な魔法を使ったりしてオストブルク軍を攻撃はしておりません」
「そうなの?」
「確かに丸太を振り回したり、兵を投げ飛ばしたりするくらいでした。おそらく、魔法による肉体強化をしているくらいでしょう」
マリアの問いかけに、カールが答えた。
「それにオストブルク側に申し訳ないという気持ちもあります。ですので、褒美の代わりにカール殿下の身柄を受け取り、お返しすることにしたのです」
俊夫の言葉に、オストブルク側の者達は顔を見合わせる。
”とりあえず今のところは俊夫の言葉に嘘は無さそうだ”という判断を確認し合ったのだ。
カールの身柄は非常に重要だ。
皇族の捕虜を無償で返す理由で、他に思いつくものがない。
俊夫は、オストブルク側の一同がひとまずは納得したのを見て言葉を続ける。
「そして、今回私がプローインの方から来たのは人間同士。つまりは天神側陣営での戦争行為を仲裁するためです。激しい戦闘が行われると、魔神側に付け入る隙を与える事になってしまいます。国家間の出来事に首を突っ込みたくはありませんが、全ては神のためなのです」
これは神教庁の人間だと誤解されている事を利用した理由付けだ。
全ては自分自身のため。
だから”天神”のためとは言わずに”神”のためと言った。
俊夫自身が”魔神”で”神”だからだ。
嘘は言っていない。
本当の事を言っていないだけだ。
「まずは条件を聞かねば和平もあるまい。聞かせてくれ」
外務大臣のレオポルトが俊夫に問う。
和平をするなら、その話を最終的に詰めるのは彼だ。
条件が気になるのだろう。
「以前の戦争では、オストブルクはプローインにシュレジエンを賠償として支払いました。今回は3,000億エーロをプローインに支払って頂きたい」
「シュレジエン泥棒に金を支払えっていうの!?」
マリアが吠える。
またコーヒーがかけられそうなので、俊夫は手で制して続ける。
「どうか、最後までお聞きください。オストブルクが3,000億エーロを支払った場合、来年からプローインは2,000億エーロを10年間支払います。プローイン側がこれを反故にした場合、今度はオストブルク側で戦争に参加する事をお約束します」
今は3,000億失うが、計2兆エーロを手に入る事になる。
なぜ、そのような事をするのか。
最初に気が付いたのは宰相のヴェンツェルだった。
「そうか、そういう事か」
「どういう事かわかったのか?」
フランツの問いかけに、ヴェンツェルは自信を漲らせた顔をして答えた。
「3,000億エーロを求めるのは、急いで軍を再編成したプローインの今現在の財政を助けるため。そして来年から10年もの間、2,000億エーロも払い続けるのは安全保障のためです。戦争をして人や物資の浪費をするよりも、金を支払った方が国家の力が削がれずに済みます。そしてオストブルクの動きを抑制している間に、シュレジエンの支配を確固たる物にするのでしょう」
ヴェンツェルは俊夫をギロリと睨む。
「彼はプローイン側に有利な条件で、和平を結ばせようとしています」
その言葉で、オストブルク側の人間は俊夫を睨む。
だが、俊夫はそんな視線を受け流す。
全て想定の範囲内の出来事だからだ。
「いえいえ、それはあくまでも”プローイン側が和平を結びたい”という事を前提を元に考えられております。実際のプローイン側は、勝利の余勢を駆ってベーメンへ侵攻しようとしているのです」
俊夫はそこで言葉を切り、申し訳なさそうな顔をする。
「……申し訳ございません。言い忘れましたが、交渉の期限は10日しかありません。昨日1日は移動に使い、帰りの時間を考えると1週間ほどでお答えを頂くことになります」
「なぜ、そんなに短いのだ?」
「この期間は怪我人の治療、死体の処理などを行うため、軍を進ませられないという理由もあります。ですが、平和を愛する私が、これ以上戦争を拡大させないために仲裁を申し出て、交渉の時間として10日間頂いたのです。その間に進展が無いようならば、ベーメン地方に侵攻するそうですよ」
プローイン側が”まだ戦争をやる気なのではないか”というのは皆がわかっていた。
カールから聞いた話では、プローイン側の被害は微少。
オストブルク側が新しく軍を編成して、プローイン軍に対応するまでに時間はかかる。
さらなる戦果を求めて進軍してくるかもしれないと、会議で予想はされていた。
しかし、それを考慮しても和平を受け入れる気にはなれなかった。
「ベーメンに侵攻するならすればいいわ。一時的に占領されても、また追い返すだけよ」
「占領しませんよ」
一度はベーメン地方から追い返した。
なら、また追い返せばいい。
そう勢い込むマリアに、俊夫は冷や水を浴びせる。
「フリードリヒ2世陛下も前回から学んでいます。ベーメンに侵攻し、略奪に放火。それに畑に塩を撒いたりする予定だそうです。それから撤退するそうですよ」
「なんでそんな事を!」
「あり得ない、それは統治者のする事ではないぞ!」
俊夫の言葉に驚きの声が上がる。
「私もそう思います。ですが、プローインは一時的な占領者に過ぎません。支配できないのならば、破壊すればいいと考えているようです。統治者であるオストブルクは国民を見捨てる訳にはいかないでしょう? ベーメン地方の住民が生活を立て直すまでに必要な時間と予算は膨大なものとなるでしょう。オストブルクに負担を強いて時間を稼ぐ気のようです。それを考えて頂ければ、和平も選択肢に入るのではありませんか? その方が民衆に負担はかかりません」
実際にそのような事をするとは思えない。
だが、希望的観測で行動して、もしも実行されてしまったら?
ベーメンの住民も当初はプローインを恨むだろう。
しかし、いずれは守れなかったオストブルク側にも恨みは向かう。
国土の広いオストブルクにとって、地方の住民感情というのは無視できないものだった。
各地でオストブルクの傘下から離脱しようと、独立運動でも起こされたらやっかいだ。
「プローイン王の統治は寛容だと聞く。本当にそんな事をするかな?」
レオポルトの疑問も当然だ。
だが、それは誰もが思い、口に出さなかった内容だと気付かなかった。
「敵国の寛容さを信じ、それに頼って国民を無防備差し出すのは問題だろう」
カールがため息混じりに言葉を吐き出す。
彼は敗戦の将だ。
積極的に発言はしたくなかったが、今の発言は見過ごせなかった。
レオポルトは己の軽率さを恥じて、顔を真っ赤にして下を向く。
「一つ聞いておきたいのだけれど、プローインに毎年2,000億エーロものお金を支払えるの?」
もっともな質問がマリアから出た。
支払える裏付けも無しに約束されては意味がない。
約束を反故にされても、本当に目の前の男がオストブルク側に助力してくれるとは限らないのだ。
「支払えます。それに関してはオストブルクの商人にも確認してください」
「なぜ我が国の商人に?」
「フリードリヒ2世陛下は、諸国を旅していた時に様々な人脈を築き上げました。それは商人にもです。プローインに投資する商人が多く、金銭的な問題は解決しております」
これは事実と嘘が半々だ。
フリードは諸国を旅している時に多くの交友関係を作ったが、無条件で投資をしてもらえるほどではない。
プローインが領土を攻め取り、国土が拡大しているからこそ投資されているのだ。
将来の利権に食い込むための先行投資と、純粋に商売がやりやすくなっていくので支店を出したりするための投資だ。
小国が乱立するよりも、大国が出来た方が良い。
国境の通行税を何度も払いたくないのだ。
大国ならば、都市の通行税だけで済む。
国境線が安定している時代に、線を新たに引き直そうとしてくれる国はありがたいのだ。
それに戦争が起これば、物資の消費量も増える。
消費量が増えるという事は、商品が売れるという事だ。
周辺国の商人ならば、プローインに商品を持ち込むだろう。
そして経済が活発になれば、そこに投資しようとする者が現れる。
オストブルクの商人も、大なり小なり投資しているはずだ。
それがプローインであっても、利益になるならば気にはしないだろう。
商人にとって、忠誠を誓うのは国家ではなく金銭なのだから。
「そうだ、言い忘れた事が一つありました」
俊夫の言葉に、一同の視線が厳しくなる。
休戦交渉ならば、必要な事は全て紙に書いてまとめて持ってこいと言いたいくらいだ。
「私は戦争の終了までという内容で、傭兵として契約しました。ですので、今回の条約が結ばれないとベーメン侵攻にも付いていく事になりますね」
オストブルク一同の顔が歪む。
特にカールの絶望に満ちた表情に、俊夫は笑い出しそうになっていた。
このカードは、まだ有効に使えると教えてくれているのだから。
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