第49話 ウィーン再び 1
フリードと話をした翌日、早朝からシュレジエンのプローイン陣地からウィーンへと走り出した。
ワルシャワから、ケーニヒスベルクまでの道のりは平坦だった。
日が沈みそうな頃には、ウィーンの街門までたどり着いた。
(よし、到着できた。今日はホテルで休んで、明日から交渉開始だな)
そう思って足を止めた俊夫の背後から何度目かの音が聞こえる。
「オエェェ、オロロロロ――」
カールの嘔吐する声だ。
(またこのパターンか。人のフードをなんだと思ってやがる)
今回はレジーナの時とは違い、丘や山を越えるコースだった。
ワルシャワ―ケーニヒスベルク間よりも激しい道のりに、カールは耐えられなかった。
彼も俊夫の頭にゲロをぶっかける気にはなれなかったので、目の前にあるちょうど良いフードをエチケット袋にしていたのだ。
だが、これは俊夫も悪い。
移動速度を優先して、背負っている相手の乗り心地を考慮していなかった。
一応は金蔓なのだから、VIP待遇で運んでやる事に少しでも気を使ってやってもよかったのだ。
俊夫はカールを降ろすと、水筒とセーロの丸薬を手渡した。
カールは震える手で受け取ると、急いで飲み干す。
非常に激しい酔い症状から救われるには、セーロの丸薬は最適だからだ。
そんな状態でも、地面に座り込んだりしないのは王族としての見栄だろう。
平民に情けない姿を見られるわけにはいかないのだ。
俊夫は人心地ついたカールをそのままに、フードを洗浄してから門番に声をかけた。
「よぉ、あそこにいるのはカール殿下だ。城まで行って馬車を持ってくるように伝えてくれないか」
カールはシュレジエン奪還の軍を率いているはずだ。
供を連れずに、こんなところにいるはずがない。
きっと偽物だろう。
そんな奴のために城から馬車を持ってくる必要があるのか?
門番の兵士が、そう思ってカール殿下と呼ばれた男を見る。
「カ、カール殿下!?」
「そうだ。よく一目で私と気付いたな」
「それはもう……、当然であります」
挙動不審の怪しい人物がいないかなど、門番は人の顔を見る仕事だ。
その中でも、門番として要人の顔を覚えるのは基本中の基本だった。
皇弟であるカールの顔を覚えるのは、優先順位が高い。
「直ちに馬車をご用意致します!」
兵士の一人が慌てて城へと走り出す。
皇族を乗せるのなら、それ相応の馬車を用意しなくてはならない。
その辺を走っている平民用の馬車ではいけないのだ。
「それでは私はホテルに向かいます。陛下に事情を話したら、明日にでも連絡をください」
もう日が暮れそうだ。
こんな時間から交渉を開始するよりも、今日はカールに敗北した事などを説明しておいてもらった方が良い。
それに敗北の知らせを聞いたマリア達の怒声をダイレクトに受けるつもりはない。
一晩経って、少し落ち着いてから会う方が良いと思っていた。
「城には来ぬのか? 使者を泊める部屋くらいはある」
「私のような者を、城内に泊めたいのですか?」
「それは……、嫌だな。何が起こるかわからぬ」
これは俊夫の恰好が怪しいからという理由ではない。
人間とは思えない異常な膂力を持つ男を、皇族の住む城に泊められない。
戦ったばかりの相手なのだ。
暗殺の危険を考えれば、ホテルに泊まってもらった方が面倒がない。
「それではインペリアルホテルという場所に泊まろうかと思っています。遅くても明日の昼くらいまでに、交渉がどうなるのか、ひとまず使者を送って頂けますか?」
「わかった。覚えておこう」
俊夫は、プローインの方から来た休戦交渉の使者という事になっている。
そしてカールは俊夫が褒美として受け取った。
オストブルクに、交渉の席に着いてもらうための手土産だ。
少なくともカールには、そう伝えた。
だから、カールには先に城へ戻っておいてもらうのだ。
敗北の情報と、交渉の使者が来ていると伝えるために。
さすがに”使者が来たから、すぐに交渉”なんていう事になるとは思っていない。
相手に焦っていると思われるのは癪だった。
”是非とも交渉してください”とお願いするのではなく、相手から交渉したいと思わせる方が精神的優位に立てる。
俊夫も営業をしている時は、初日から契約してくれとがっついたりしない。
契約を取れても、すぐに契約できる程度の金額でしかない。
まずは儲けられるという話をして、相手を段々とその気にさせる。
そして、それ以降会った時に少しずつ信頼させていく。
”100万単位の金を預けても良い”
”もっと詳しく話を聞きたい”
相手にそう思わせるのだ。
自発的に金を払いたいと思わせる事ができれば、より多く稼げる。
今回もそうだ。
”オストブルク軍を崩壊に導いた男”
”総大将のカールを捕虜にした男”
――そして、神教騎士団の秘密任務に携わっていると思われる男。
そんな男が、捕虜にしたカールを連れて休戦交渉に来たのだ。
普通の休戦交渉のはずがない。
オストブルク上層部は、すぐにでもどんな話をしに来たのか聞きたくなるだろう。
そう思って相手を焦れてくれると、俊夫も交渉がしやすくなる。
冷静に交渉されるよりは、なんらかの心理的動揺があった方がやりやすい。
一つ一つは小さくても、積み重ねれば無視できない程度には効果が発揮する。
案外、馬鹿には出来ないものだ。
今日は早めに休んで、明日を体調万全で迎えたい。
そう思った俊夫は、兵士にカールを任せるとホテルへと向かった。
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ホテルのロビーに入ると、ベルマンが俊夫の剣を受け取りに来る。
フロントで宿泊拒否されるような事も無かった。
「今回はちゃんと泊めてくれるんだな」
「先日は心ならずもご無礼を働きましたこと、誠に申し訳ございませんでした。接客というものを学び直す機会を与えてくださって、スタッフ一同感謝しております」
「うむ」
対応しているのは、以前俊夫を追い返したスタッフだった。
彼の言葉に皮肉や卑屈さは感じられない。
根が真面目だったのだろう。
以前、言われた事を真摯に受け止めているようだ。
「お部屋は空いております。すぐにでもお泊り頂けますが」
「いや、今回は仕事で来たんだ。シングルの部屋で良い」
「はっ、はい。かしこまりました」
以前の豪遊がまだ記憶に新しいのだろう。
普通の部屋に泊まるという事に驚いているようだ。
(そうそう無駄使いばっかりしてらんねぇよ)
金持ちごっこは終わりだ。
普通の部屋に泊まり、女遊びをする時はそういう店に行く。
その方が節約できて、色んな女と楽しめる。
それならば他のホテルでも良かった。
だが、どうせなら一番良いホテルに泊まっておきたいと思ったのだ。
城から迎えが来るにしても、一番良いホテルに泊まっている方が恰好が付く。
それが安い部屋だったとしてもだ。
「明日にでも城から迎えが来ると思うから、来たら部屋に通してくれていい」
「またですか! あ、いえ。失礼致しました。以前お泊りになられた時、騎士様からゾルド様の事を聞かれましたので。さすが、立派な人脈をお持ちで」
「偶然、知り合うきっかけがあったからね」
俊夫は鍵を受け取り、話を切り上げる。
フロントスタッフと話をしに来たわけではないのだ。
ベルマンに案内を任せ、部屋へ向かおうとした時にコンシェルジュが話しかけて来る。
エミールよりも若い、30前後の男だ。
「ゾルド様。ローゼマリーが”ゾルド様がまた来るような事があれば知らせて欲しい”と言い残しております。お呼びしてもよろしいでしょうか?」
「まだこのホテルに来ているのか?」
「ゾルド様のお陰で、今は家事手伝いをしているそうです」
「そうか。今回は仕事で来ているから、知らせなくていい」
「かしこまりました」
ローゼマリーは父親が投資に失敗して作った借金を、全て俊夫に払ってもらっていた。
そのお陰で今は家事手伝い――花嫁修業――をしていられるようだ。
今回は女にうつつを抜かしている暇はないので、呼ぶのはやめてもらった。
今は女よりも、新しい試みの方に心を奪われている。
成功への道を考えている方が楽しいのだ。
俊夫は部屋に着くと、ルームサービスを頼んだ。
夕食とワインを一本。
ワイン一本くらいなら、早めに寝れば朝には抜けているだろう。
酒でも飲まないと、今日は興奮で寝付けそうにない。
(ゲームとはいえ、やっぱりこういうのはワクワクするもんだな。いや、ゲームだからこそか)
ゲームだと思っているからこそ楽しめる。
ここが現実と知れば楽しみにするよりも、失敗を恐れているだろう。
食事を済ませたら、俊夫は明日に備えて早めの就寝をした。
俊夫と一緒に食事をしたいとは思わないだろうから朝食後、遅くとも昼食後には迎えが来るだろう。
それまではグッスリ休むつもりだった。
眠くて交渉をミスったなんて恥ずかしい真似はできないのだから。
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「ゾルド様、起きてください。ゾルド様」
誰かに揺さぶられて起こされる。
俊夫が目を開けると、ホテルのスタッフのようだった。
「なんだ……」
「城から迎えが来ております。すぐに来て欲しいと」
「ええっ――」
(やっちまったか! くそう、寝過ごすとかありえねぇだろ。何やってんだ、俺は!)
慌てて時計を見ると、時間は6時を指していた。
「あれ? 6時?」
「はい。なんでも朝食にお呼びだとか。凄いですね、皇帝陛下とお食事だなんて」
「えぇ……」
(どんな肝っ玉してんだよ。軍をズタボロにした奴と飯を食いたいとか思うか、普通)
俊夫も、まさかこんな早朝に呼ばれるとは思わなかった。
これは俊夫とテーブルを一緒にしたくないだろうという考えだけではなかった。
”外国の使者をいきなり呼びつけるような、非礼な真似はしないだろう”
そういう思いがあったからだ。
普通でならば”何時くらいに迎えに行くので用意しておいてくれ”と前触れを出すはずだ。
いくらなんでも、これは予想外だ。
「すぐに着替えると伝えておいてくれ」
俊夫は起こしに来たスタッフにチップを渡すと、部屋から追い出した。
(この国の最高権力者だからって、自分の都合を押し付けるなよな。偉いとはいえ、NPC風情なんだから身分をわきまえろ)
備え付けのピッチャーから水を注ぎ、一杯飲む。
そして念のためにセーロの丸薬を飲んでおく。
少し酒が残っている気がしたからだ。
(それにしても、こんな時間に呼び出すってことはよっぽど焦ってるな。それとも急に呼びつけて、自分達が精神的に優位に立とうとしているのかな?)
まさか”朝食を一緒に取りたかった”なんて理由で呼びつけはしないだろう。
俊夫は以前ウィーンで購入した貴族服に着替える。
一応はプローインの方から来た使者という設定なのだから、普段のローブ姿は不味いと思ったのだ。
もちろん、今回は神教騎士団の指輪を忘れずに持っていく。
前回は切り札が無いという事で冷や汗ものだった。
使わなくとも、お守りとしても持っておきたいのだ。
着替え終えた俊夫がロビーへ向かうと、そこには見た事のある顔が待っていた。
「やぁ、おはよう。クルトだったか」
「おはようございます、ゾルドさん。陛下が是非朝食を共にと、強く希望されました。朝早く申し訳ありませんが、どうか城までお越し願います」
堅苦しい雰囲気のクルトに、俊夫は軽く手を振る。
「いいよ、いいよ。下々の都合なんて気にしないのはわかっている。ところで、なんで皇族の護衛が直々に迎えに来ているんだ?」
「ゾルドさんの顔を知っているからです」
「なるほどな」
「皇后陛下がもの凄く不機嫌でしたので、こちらはとばっちりですよ。どんな話をするのか知りませんが、穏便に済ませてくださいよ」
まだ寝ぼけまなこの俊夫に、クルトは穏便に済ませて欲しいと懇願する。
不機嫌な絶対権力者の近くに居なければならない者の事も考えて欲しい。
そう願うのはクルトだけではないだろう。
「善処しよう」
だが、これから俊夫がしようとしている事はその逆。
人によっては憤死しかねない行為だ。
多少気を付けても、後でかならず怒り狂う。
人がどれだけ怒れるのか、騙されたと気付いた時の顔を写真で撮っておいて欲しいくらいだ。
俊夫は馬車へ案内される。
以前とは違い、馬車の中では一人。
クルトは騎乗して馬車の横で並走している。
(まぁ、いきなり殺されはしないだろう。嫌味は言われるだろうけどな)
多少興奮はするが、だまし取る金額を考えれば落ち着いている方だ。
城への道のりは、眠気を覚ますには十分な距離だった。
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