第34話 十年という時間。

 翌日、体調が良くなった俊夫は情報をさりげなく収集した。

 そこで集まった情報は――


 まずは天神と魔神が降臨してから10年。

 当初は混乱していたものの、それだけの時間が経っているので、世界は落ち着きを取り戻した。

 今は天神のいるロマリア教国を中心に、人類社会は魔神との闘いに備えているという事。

 ただし、ソシア帝国などの魔物が多い国は、魔神と接触することで魔物の活動を抑えて貰おうと考えているようだ。

 知能が高い魔物達の集まる国である、ブリタニア諸族連合を使者送っているそうだ。

 人類社会も、完全に一丸となっているわけではない。




 ヒスパン帝国に関しての情報もあった。

 マヌエル・アサーニャが軍派閥の者と接触し、エミリオ・モラの娘を襲わせた。

 なぜマヌエルの仕業が発覚したかというと、軍派閥の若者に接触した部下の中にマヌケがいたようだ。

 若者を唆す際、馬鹿正直に名前を名乗る馬鹿がいたのだ。

 そのせいでマヌエル派の仕業だと気付かれた。

 軍派閥の対立は上手くいっていたが、軍派閥はそれがきっかけで和解。

 マヌエル派に対して共同で攻撃を仕掛けた。


 ここまでの内容なら、マヌエル派が速やかに一掃されたように思える。

 だが、マヌエルは仮にも宰相だ。

 軍派閥に属していても、皇帝に任命された宰相の命こそ正しいとして、マヌエル従う者も現れた。

 結局、軍を2分しての内戦状態へと陥ってしまったのだ。

 ここで皇帝が止めに入れば良かったのだが、問題を軽視し過ぎてしまった。


”家臣の争いには口を出さない”


 そのような事を公言してしまったため、戦火は拡大してしまった。


 結局、エミリオは矢傷がもとで死亡。

 マヌエルはエミリオの後を継いだ者によって、ヒスパンから追い出されてガリアに亡命。

 しかし、翌年にはガリアで失意の内に死亡した。

 今のヒスパンはフランシスコという将軍が実権を握っているそうだ。

 権力闘争の美味しいところを横からかっさらわれた形だ。




 そして入手した情報でもっとも興味深かったもの。

 それは人類側の国家間での戦争が時折行われている事だった。

 魔神との闘いに備えているとはいえ、平穏な時間を過ごせば人間同士で争い出す。

 ミラノ公国の北東にあるオストブルク帝国とその北、プローイン王国との間に近々戦争が起きるかもしれないと、噂されていた。


 人間同士の戦争が始まれば、そこに付け入る隙が生じるかもしれない。

 俊夫は、天神側陣営に一石を投じるため、オストブルク帝国の首都ウィーンへと向かっていた。



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(ここが花の都ウィーンか。霧だっけ? まぁ、なんかそんな感じの……、なんか凄いとこ)


 俊夫は芸術とは縁が無い。

 だから、芸術の都ウィーンという言葉が出てこなかった。

 絵画や彫刻はどの程度の額で換金できるか、というくらいにしか興味が無いのだから仕方がない。


(さて、どうしよう……)


 その場のノリでウィーンまで来てしまったが、皇帝に会うような伝手がない。

 何かのイベントが発生するのを待つしかないのだ。

 やってしまったか、と俊夫は後悔する。

 だが、行動しないと話が進まないとも感じていた。

 それが望み通りの結果になるかどうかは、本人の努力次第だ。


 俊夫はローブの上から、胸ポケットの辺りをそっと抑える。


(あれだけはしゃいでいたクセにケチだよなぁ。1億しかよこさないとはな。まぁ、今回は身分証明書の方が価値があるけど)


 クラーケンの素材を売り払ったりすれば、1億エーロどころではない。

 海の魔物は死んでも海に住む者達によって消費される。

 ある程度の部位が残った状態だった。

 それに一応はクラーケンを倒した英雄扱いのはずだ。

 色々な要素を考慮すれば、非常に金払いが渋い。


 しかし、俊夫はもっとよこせとは言わなかった。

 一番欲しかった身分証明書を手に入れたからだ。


”この者、怪しからず。その身分はミラノ公王フランツの名によって保証される”


 簡単に説明するならば、上記のような事が書かれていた。

 愚かな事をしたものだ。

 俊夫のような者の身分を保証するなんて。


 このように保証した相手の良心に頼るような文章の証明書を、軽々しく発行するべきではない。

 せめて、悪用を防ぐような一文を入れておくべきだった。

 それだけ、神教騎士団の指輪による身分証明が大きかったともいえるが、俊夫本人の人となりを知らないなら気を付けるべきだ。

 公王という立場のある人間なのだから。


 人を信じられるというのは、立派な行為だ。

 しかし、人を信じるという事は、無責任でもある。

 その相手を信頼し、思考を放棄しているという事なのだから。


 世の中には、人の信用を利用して食い物にする人間がいる。

 弁護士が後見人の財産を横領するような事件なんかがそうだ。

 そんな事件が多発する事を考えれば、相手のためにも警戒するのは最低限必要な事。

 罪を犯す前に悪い考えを散らしてやるのも、人としての付き合いで必要なのだ。


 フランツはそれを放棄した。

 神教騎士団の指輪を見ただけで、無条件で信用してしまった。

 そういった人間を警戒する事は、信用する相手に対する礼儀でもある。

 無条件で信用されれば、誰だって悪い考えが浮かんでくるのだ。


 とはいえ、さすがの俊夫もこれを軽々しく使うつもりはない。

 一国の王直筆の証明書だ。

 これは切り札として使えば、大金を引っ張る事ができる。

 小銭を稼ぐために使うなど、非常にもったいない事だ。

 重要な場面で、なおかつ複数回使える状況を作ってから使用する。

 その結果どうなることやら……。

 フランツは卒倒するかもしれない。


 ほくそ笑む俊夫に、一人の絵描きが声をかけた。


「そこのお兄さん、パンクなファッションですね。どうです、一枚描いていきませんか?」


 まるで観光客に写真どう? という感覚で絵を描いていかないかと声をかけてきた。

 俊夫の恰好が珍しかったのだろう。

 なんといっても、天神の存在によって安定した社会で魔神信奉者のような恰好をしているのだ。

 その反社会性が絵描きの琴線に触れたのだろうか。


「いらん」


 俊夫はその申し出を一言で切り捨てる。


 声をかけてきた男は、鼻の下にちょび髭を生やしていた。

 もう少し年を重ねれば、それっぽく見えるのだろうが、絵描きは若かった。

 芸術家に憧れた、芸術家モドキにしか見えなかったのだ。

 こんなしょぼい絵描きに、自画像を描いてくれと頼む者などいないだろう。

 そんな風に思われているとは思いもしない絵描きは、俊夫を引き留める。

 もしかすると、他の客は無視したまま素通りしていたのかもしれない。


「まぁまぁ、そう言わないで。時間がないなら、これ。これならすぐにこのままお持ち帰りして頂けますよ」


 そういって傍らに置いてある絵を指し示す。

 くだらない内容の話でも”なにか役に立つかもしれない”と聞いてしまうのが俊夫の悲しい性だ。

 こうして俊夫が話を聞いてくれるだけでも、絵描きは嬉しいのかもしれない。

 どんどんテンションを上げていき、話を始める。

 それに反比例して、俊夫のテンションはどんどん下がっていく。


「お願いします。なにか買っていってくださいよ。美術大学の授業料を飲んじゃって困ってるんです。安くしますから」

「いや、学費を使い込んで飲むとかありえねぇだろ」

「最初は試験に落ちたんです。けど、後で”お前の絵は魔神が降臨した世相に合うかもしれない”と言われて、合格になっちゃいまして……」


 俊夫は心の底からダメな奴を見る目で、絵描きを見下す。

 試験に落ちて憂さ晴らしをしたいのはわかる。

 しかし、どの程度使ったのかは知らないが、金に困るほど飲みすぎるのは馬鹿過ぎる。

 とはいえ”魔神が降臨した世相に合うとはどういう事だ”と、絵を見てみる。


(絵は上手いとは思うけど……、これなら写真でいいじゃん)


 写実的な絵を、俊夫はそう評した。

 芸術とは無縁の男なので、特に興味を引かれなかった。

 絵画を買うよりも、エロ本でも買っている方が俊夫には合っている。


「こういうのも悪いとは思うが、金が欲しいなら売れない絵なんて売ってないで、肉体労働でもしてこい」

「でも、芸術家ならば芸術で生計を立てるべきでしょ」


 グッと拳を握り、良い事言ったというような表情をする。

 このチョビ髭男のお花畑の脳みそをかき回してやりたい、と俊夫は思った。

 だが、さすがに街中でそれを実行する訳にはいかない。


「芸術で金を稼げる奴がどれだけいるっていうんだ」


 そこで俊夫は目の前の絵描きに現実を教えてやろうと思う。

 もちろん、親切心ではない。


「それでも、僕は夢を諦めません!」


 金を稼げるかどうかの話をしていた。

 夢を諦めるかどうかなんて話はしていない。

 だが、金銭面での話を避ける時点で、金にならないという事は自覚しているようだ。


 俊夫は、このような夢見がちで、話の通じない相手と長く話をするつもりはなかった。

 現実の世界ならば、こういった手合いは思考の誘導をすることで、比較的簡単に金を搾り取る事ができる。

 だが、ここはゲームの世界だと思っている。

 無駄な労力は払いたくなかった。

 最後に少し嫌がらせをして、どこかに行こうと考えた。


「この街で一番良いホテルはどこにある?」


 俊夫は1,000エーロの硬貨を取り出すと、絵描きの前によく見えるように差し出す。 

 ちょっと道を教えるだけで、1,000エーロは悪くない。

 だが、その相手が”芸術で生計を立てるべき”と言っていた事だけが問題だった。


「そうですねぇ、絵を買ってくだされば教えますよ。こちらの小さい絵なら特別に1,000エーロで良いですよ」


 彼としては、当然の提案だ。

 金は欲しい。

 けれど、画家の端くれとして、金を受け取るだけなのは嫌だ。

 ならば、絵を売ればいいと考えた。

 これが彼の信念を曲げずに済む方法だ。


 だが、俊夫はそれを断った。


「ホテルだけ教えてくれれば良い」


 今度は5,000エーロを取り出す。


「それじゃ、こっちの絵はどうです」


 先ほどよりも大きめの絵を薦めてくる。

 自信作なのか、先程より胸を張って薦めてきた。

 しかし、俊夫はそれに反応せず、黙って1万エーロ硬貨を取り出す。


「そんな絵はいらないんだ。ホテルの場所だけを教えてくれ」


 俊夫は、あくまでも絵は必要ないと突っぱねる。

 それでも絵描きは、ただ金を受け取るのを良しとしない。

 自身のプライドを守るために、絵を受け取ってもらおうとする。


「せめてこれを受け取ってくれれば――。あっ、待って」


 さらに大きな絵を薦めようとする絵描きが話し終わるのを待たずに、俊夫は硬貨をしまうとその場を素早く立ち去った。

 絵描きの制止する声に、振り向く気配もない。


 俊夫は本当にホテルの場所を聞くためだけに、金を見せたわけではなかった。

 絵を売らず、道案内だけで金を受け取るならばよし。

 それは”絵描きは芸術で生計を立てる”という信念を曲げる事になる。


 だが、そうなっては面白くない。

 金を受け取らないという選択が、俊夫にとっては一番だった。


 金に困っている苦学生というところがポイントだ。

 今まで順調に絵が売れていたのなら、俊夫のような輩に声をかけないだろう。


”金が欲しい”

”絵を売りたい”


 そう思っているから、俊夫にイタズラされたのだ。

 金が無い事がわかっているから、俊夫は絵描きの目の前で金をチラつかせた。

 表面には出さずとも、今頃は後悔しているだろう。


”つまらない意地を張らないで、道を教えておけば良かった”と。


 素直に教えておけば、1万エーロを手に入れる事ができたのだ。

 ここはプライドよりも、金を取るべきだった。


 ――プライドで授業料は払えない。


 そもそもプライドを持って商売できるほど、有名な画家ではないのだから。


 ほんの一言、ホテルはあっちだと言うだけで、1万エーロを手に入れられたはずだったのだ。

 彼がよっぽど気持ちの切り替えが上手い人間でもない限り、今回の事を数日は悔やむだろう。

 その苦悩する姿を想像するだけでも、俊夫は少しだけ愉快な気分になる。


(どんな顔しているのか見れないのが残念なところだ。しかし、たまには本当に良いホテルにでも泊まってみるか)


 今の自分には休息が必要だ。

 これはただのサボリ癖ではない。

 記憶にはないが、苦しみ続けたことによって、体が休む事を本能的に求めているのだ。

 海底での長い苦しみは、魔神の体といえども、その負担は大きかった。


 一泊1万エーロや2万エーロのホテルではなく、10万エーロ程度のホテルで休むのも悪くない。

 俊夫は街の中心部――高級ホテルのありそうな場所――へと、向かっていった。

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