第32話 取り調べ 1

 ミラノ公国。

 トリノからベネチアまでを支配する国家だ。

 大国とは言えずとも、中規模の国家の中では経済力が高く、安定感のある国家運営を行っていた。

 その公国首脳部が今、揺れていた。


 理由はクラーケンの存在だ。

 もしや魔神の影響か、と思われたのだ。

 死体とはいえ、大型の魔物が姿を見せるのは、天神と魔神が現れて以来の大きな出来事だった。

 まずはミラノに駐留する神教騎士団に向かって貰っていた。


 クラーケンの死体が波に打ち上げられただけならいい。

 だが、その村の村民が全滅したという知らせもある。

 魔物に沿岸の村が襲われたのならば、他の都市にも襲撃がある可能性を考慮しなければならない。

 事情を知ってそうな者も、一人見つかっているのだ。

 彼から話を聞ければ、何か進展があるのかもしれない。


 だが、その男はこの一週間眠ったままだった。


「奴はまだ起きんのか」


 発言したのはミラノに駐留する神教騎士団の小隊長であるポールだ。

 正騎士1人に見習い3人で1個分隊。

 それが5つ集まり、計20人で1個小隊となる。

 彼はミラノに駐留する神教騎士団の責任者でもあった。


 彼らが調べた限りでは、クラーケンは何者かに退治された。

 そして、その可能性が高いのは民家で眠っていた怪しい男。

 彼に事情を聞きたいのだが、揺すろうが顔を叩こうが起きないのだ。

 騎士団員だけではなく、城に居る皆が焦れてきている。

 皆が城の一室で眠り続けている男が目覚めるのを待っていた。


「あんな格好をしている奴だ。構う事は無い、指の1本や2本切り落とせば、さすがに目が覚めるだろう」

「いえ、それは止めてください」


 狼の獣人である1人の若い騎士が、強硬論を止めた。


「最初からお前はあいつに甘いな。知り合いらしいが、お前も魔神信奉者ではあるまいな」


 咎めるようなポールの視線を真っ向から受け止める。


「ゾルドさんが目を覚ましたら、かならずや説明致します。今は堪えてください。そうしでないと、かならず後悔してしまいます」


 深い溜息と共にポールは視線を逸らす。

 このやり取りは何度目だろうか。


 彼が真面目で真っ直ぐな性格の騎士だとわかっている。

 こんな嘘は言わない性格だと、短い付き合いだが感じていた。

 だから、ポールは大人しく引き下がったのだ。


「お前が言うから今は信じてやる。だが、内容次第では覚悟をしておけよ」

「はっ」



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(あー、腹減ったぁ)


 1週間ぶりに目を覚ました俊夫は、空腹を覚えた。

 寝る前に比べて眠気が無くなった分、空腹の苦しみは割合が増している。

 まだ思考がぼやけているが、寝た事で少しはマシになっていた。


”何か食べる物を探しに行こう”


 そう思い、立ち上がると周囲の景色が変わっていた。


(もっと粗末な部屋だったような気がするけど……。あれ、なんでローブ脱いでるんだ?)


 腕時計やペンダントはそのままだが、ローブはハンガーにかけられ壁に吊り下げられている。

 元々着ていたYシャツと薄い茶色の綿パン、下着は机の上に、靴はベッド下に揃えて置かれていた。

 剣とナタは部屋には見当たらない。

 今の俊夫はガウン姿で下着も無しだ。

 寝る前はかなり辛かったので、服を脱いだりせずにベッドに潜り込んだような気がする。

 この不可思議な状況に俊夫は戸惑った。


 そして、すぐに気が付いた。


(あー、はいはい。なんかそういうイベントね)


 それは思考停止ともいう。


 今の自分の状況を考えれば、ここに連れてきた誰かは危害を加えようとはしていないようだ。

 しかし、武器が見当たらないので、暴れられたりする事を警戒していると思われる。


 そんな相手に、あのローブを着て会うのは避けた方がいいのではないか?

 そう思う程度にはローブ姿が怪しいという事は自覚していた。


 とりあえず、俊夫は寝起きの屁をこき、頭を掻く。


(まぁ、ガウン姿のままっていうのもダメだろう。洗濯されているみたいだし、いつもの恰好に着替えるか)


 ガウンを脱ぎ、椅子の背もたれにかける。

 それと同時に部屋のドアが開かれ、若いメイドが入ってきた。


「キャーーー」


 メイドは俊夫の股間をバッチリ見てから悲鳴を上げ、どこかへと走り去って行く。


(俺は悪くないよな、今の。ノックもせずに開ける方が悪いんだ)


 今まで俊夫は眠ったままだった。

 だから、メイドは横着してノックしなかったのだ。

 この件に関しては彼女が悪い。

 とはいえ、急にドアを開けられて驚いたとはいえ、股間を隠さず堂々と仁王立ちしていた俊夫もどうかと思われるところだ。


 俊夫は服を着替え終わると、部屋の外に出ようとドアを開ける。

 そこにはメイドと、そのメイドの悲鳴を聞いて駆けつけた年配のメイドの姿があった。


「お目覚めになられたのですか。お元気なのは結構な事でございますが、メイドに手を出すような事はお止めください」


 年配のメイドは責任者なのか、それともベテラン故に新人の面倒を見ているのか。

 若いメイドを庇い、やんわりとした態度で俊夫に注意する。

 注意をされるいわれのない俊夫は、不快な思いをしたお返しをする。


「ほう、それは随分な言いようだな。そもそも男が一人で泊まっている部屋に、女一人で行かせるような無責任な上司。ノックもせずに入室する教育不十分な端女。まともに教育ができていない責任を、着替え中に入ってこられた客に取らせるとは、ご立派な事だな」


 端女と侮辱されたメイドはもとより、そのメイドがノックもせずに入室したという事を知り、年配のメイドも顔を朱に染め深く恥じ入る。


 今まで俊夫は眠り続けていたのだ。

 急に起きるとは思っていなかったので、油断してノックし忘れていても、それを責める事はできない。

 ただ、メイドとしては横着せぬように教育をするべきではあった。


「この者が”股間を見せつけられた”と申しておりましたので」

「そういう事は、ちゃんと確認を取ってから言えよ」

「誠に申し訳ございませんでした」


 二人が頭を下げる。

 いつもなら、ここから畳みかけるように追い込んで金をせびるところだが、今は食事を優先したい。

 弱みを見せた者をいたぶるよりも、自分の都合の方が大事だ。


 眠る前に十分に食べたはずだが、それまでの空腹を満たしただけだ。

 1週間も眠りっぱなしだったのだ。

 その間に何も食べなかった分、腹が減っている。


「それよりも食事がしたいんだ。食堂へ案内してくれないか」

「この時間は、兵士用の食堂くらいしか開いておりません。そちらで宜しければすぐにご用意ができます」


 その言葉を受けて、俊夫は腕時計を見る。

 確かに時間は15時前と、食事をするには半端な時間だった。

 士官用の食堂などは、仕込みをしっかりとするので、ある程度決まった時間でないと開いていない。


「ん、兵士用? ここはホテルじゃないのか?」

「ここはミラノのスフォルツェスコ城でございます。お客様はヴァリゴッティの事件で、神教騎士団の方が詳しく事情を聞きたいからと連れて来られたのです」

「そうか、よくわからん。とりあえず腹が減った。食堂へ案内してくれ」


 わからないというのは事実だ。

 いまだに思考がハッキリとしていないし、ミラノはわかるが他の単語がさっぱりだ。

 そんな事を言われてもどうしようもない。

 詳しく聞かれたりしえも適当に誤魔化せばいいだろうと、俊夫は考えていた。




 年配のメイドはメイド長だったらしい。

 彼女の案内で、食堂へ着いた。

 俊夫は食堂に入る前から、漂う匂いに耐えられなかった。

 食堂に入るとすぐに、キッチンへと入っていった。


「ちょっと、あんた。こっちに入って来られると困るんだよ!」


 厨房のコックが俊夫を止めようとするが、俊夫は意に介さずスープの入った寸胴鍋に向かう。


「おい、待て」


 俊夫は戦闘モードに自然と入った。

 ジュッと音がするが、構う事なく鍋を掴むと、そのまま中身を口の中へと流し込んだ。


「おいおい、マジかよこいつ……」


 火にかけていた鍋で唇がヤケドしてもおかしくない。

 それでも気にする事なく、俊夫はドンドン飲み込んでいく。

 中身はおよそ50人分。

 飲み込んだスープの体積がどこへ行ったのか、俊夫の腹が膨れたりする事無く消えていった。


 スープの次はパンだ。

 近くにあった食パン1斤に齧りつく。

 そちらも凄まじい速さで、俊夫の体内へと取り込まれた。

 これだけ食べても体型が変わらないのが不思議なところだ。


 この光景をメイド長やコック達だけではなく、食事をしようとしていた兵士達まで様子を見守っていた。

 大食いで早食いという、珍しい見世物だ。

 もちろん、驚きで動けなかったというのもある。

 その止まった空間の中、1人の兵士の発言がきっかけで時が動き始める。


「あれ、俺らの分のスープ無くなったんじゃないか?」

「あっ、本当だ」


 自分達の食事を食い尽くされ、兵士達が不満を口々に出し始めた。

 もちろん俊夫はモブの言い分など気にしない。

 今も2つ目のパンを食べている最中だ。

 その態度が兵士達の感情に油を注いでしまった。


 しかし、その流れを止める者が現れた。


「なるほどな、さすがクラーケンを倒した男だ」


 ミラノの筆頭魔道官である50過ぎの男だ。

 彼が俊夫の検査を行い、ヴァリゴッティ村の住民を殺害していないと証明していた。

 彼はメイドの報告で、俊夫が兵士用の食堂へ向かったと知り、こちらへ出向いてきたのだ。

 クラーケンを倒したかもしれない男を見物に。


 俊夫は彼をチラリと見ると、すぐに食事に集中し始める。


「1週間も眠りっぱなしだったのだ。気にせず食事を続けると良い」


 言われるまでもなく、俊夫は食事を続けている。

 だが、彼は俊夫の食べる量を見て関心していた。

 その理由について考えれば、当然かもしれない。


「魔力枯渇状態になると腹が減る。筆頭魔道官である私でも、魔力を使い果たした時に5人前食べられるかどうかだ。それだけの量を食べるという事は、かなりの魔力を使いこなせるようだな。どの程度の魔力があるのか、時間があればじっくり聞きたいところだが……」


 そこで言葉を一度切り、俊夫の様子を見る。


「まだ意識がハッキリとしていないだろう? それも魔力枯渇状態が引き起こしたモノだ。まったく、どれほど強力な魔法でクラーケンを倒したというのか。想像するだけでも恐ろしい」


 彼の言葉を聞き、兵士達はどんな相手にブーイングを飛ばしていたのかを知る。

 まったく見当違いな考えだとは知らずに。


 俊夫は長い間、酸欠状態で苦しみ続けた。

 それで意識が朦朧としている。

 精神異常耐性は発狂しないといった効果はあるが、気怠さまではカバーしてくれなかった。


 腹が減っているのもそうだ。

 長い間、何も食べていなかっただけだ。

 魔神としての体力、それと自然治癒能力が餓死を防いでいただけで、食べていなかった期間の分を本能が欲していた。

 もちろん、自然治癒能力で魔力を多少は使っていたが、枯渇するほどの量ではない。

 むしろ、魔力を使った分は自然回復分で、十分にと回復されていた。


 そしてクラーケンを倒したという事。

 俊夫は要因の一つではあるが、俊夫が倒したわけではない。


 クラーケンの体内で、俊夫は胃酸に溶かされていた。

 自然治癒能力とローブの装備修復機能で体も装備も無事であったが、その痛みまでは消せなかった。

 海底で苦しんでいた時よりも激しい痛みに襲われ、俊夫は無意識の内に魔神としての力を発揮し、胃壁を殴り破ったのだ。

 胃壁が破られた事で、クラーケンの体内に胃酸が流れ出し、その強力な消化能力に重要な臓器を溶かされてしまった。

 いわば自爆のようなものだ。


 もちろん、そのきっかけを作ったのは俊夫なので、俊夫が殺したと強弁できなくもない。

 ただ、俊夫は死んだクラーケンの体を無意識の内に貪っていただけだ。

 剣や魔法を使って倒したわけではない。

 倒したというには少々無理がある。


 もっとも、その事を知らない者から見れば、漁村を襲っていたクラーケンを俊夫がなんらかの方法で倒したと誤解してもおかしくない。

 表向きには、俊夫は漁村を救おうとした側だと思われている。

 神教騎士団の正騎士が、俊夫を庇っている事も大きかった。


(何言ってんだ、こいつ?)


 もちろん、俊夫は表面的な事すら知らない。

 今となっては、クラーケンの死体や人肉を貪っていた事すら覚えていないのだ。

 ヒスパンを出て以降の記憶がない。

 覚えていないのか、それとも本能的に辛い事を忘れようとしているのかはわからない。

 今はただ”腹が減った”という事しか頭に無かった。


「君の名はゾルドで良いんだな?」


 筆頭魔道官の言葉に、俊夫は食事をやめ、そちらを振り向く。

 一瞬”俺は佐藤俊夫だ”と言いそうになったが、なんとか堪えた。

 ここがゲームの世界なら、本名を名乗ったところで意味がないからだ。


「なんで知っているんですか」

「それは後で説明しよう。……それにしても良かった。別人なら起きるのを待っている時間が無駄になるところだったよ」


 そう言って笑う男を、俊夫はいぶかしむように見つめていた。

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