第31話 災厄の日

 ロマリア半島の北部を領土とするミラノ公国。

 その南西にある港湾都市サボナ。

 この街に一人の男が走ってきた。

 そのただならぬ表情に、周囲の者は緊張を隠せない。


「おい、どうしたんだ」

「村に化け物がっ。あいつ、みんなを食っちまった」



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 住民が40人ほどの小さな漁村。

 唯一生き残った住民がサボナに助けを求めに来た。


”タコの化け物の中から、人を食う化け物が現れた!”と。


 小さな漁村には衛兵が駐留していない。

 すぐに100人ほどの部隊が編制され、村へと派遣された。

 それと同時に、近くの大都市であるジェノバへと早馬を送る用意をする。

 直ちに送らないのは、確認を先にするためだ。

 たかが村民の言う事を信じて、誤報でしたでは立つ瀬がない。


 兵士達はいい迷惑だとしか思わなかった。

 いつもの日常に水を差されたのだ。

 そう思うのも仕方がない。

 皆が”どうせ村人がサメにでも噛まれたんだろ”くらいにしか思っていなかった。


 ――村に着くまでは。




「なんだこれは」


 村に着くと、どうしても海岸にある物に目が行ってしまう。

 死んで体がグニャリとしているにも関わらず、その高さは10メートルを超える。

 胴体が抉れていて、その高さだ。

 まだ詳細に調べてはいないが、頭の先から足の先まで50メートルや60メートルに達するかもしれない。


「こんなにでかいクラーケンが陸に現れたなんて聞いた事がないぞ」

「隊長、俺達であんなの調べるんですか……」


 でかいタコ――クラーケン――が海岸に横たわっている。

 それを見て部下が怖気づいている。

 だが、それを咎めようとは思わなかった。

 自分の体も震えているのだから。


 それでも職務は遂行しなければならない。

 あんなものを放っておくわけにはいかないのだから。


「伝令だ。お前はサボナに戻って早馬を出させろ。ミラノにもだ。お前の隊はあの化け物が死んでいるかの確認だ。危なかったらすぐに逃げろ。残りは村とその周辺で生存者の捜索だ」


 伝令に街に戻れと言われた者は露骨に満面の笑みを浮かべた。

 その反面、残りの者達は絶望に顔を歪める。

 特にクラーケンを調べろと言われた者達の顔が酷い。

 兵士で無ければ逃げ出していただろう。

 命令拒否に敵前逃亡となれば、どうせ殺される。

 ならば、クラーケンが完全に死んでしまっている事に賭けた方が良い。

 確実な死よりは、分があるだろうと思ったのだ。


「それでは行くぞ!」

「はっ!」


 半ばヤケクソに、声を張り上げて村へと入っていく。

 そうでもしないと、足がすくんで動かなかった。

 それでも隊長は先頭を切って、前へと進んでいった。




「なんだこれは」


 隊長はまた同じ言葉を繰り返した。

 この村には家が少ない。

 海岸が見える場所まで行った時、凄惨な光景が広がっていた。


 そこには骨までしゃぶられたかのような、住民の死骸が散乱していた。

 ざっと見るだけでも、数十人分はあるだろう。

 胴体の骨は混ざり合っており、転がっている頭部で人数を数えるしかない。


 背後から兵士達が吐き戻す音が聞こえる。

 後ろを振り向くと、経験豊富な兵士までもが嘔吐していた。


(羨ましいな……)


 隊長は彼らを羨んだ。

 人の上に立つ者は弱みを見せられない。

 もちろんこのような光景ならば、彼も兵士達と同じように胃の中身をぶちまけても問題ないだろう。

 だが”任務をこなさなければいけない”という使命感が、彼の口を固く閉ざさせ、こみ上げてきた物を飲み込ませた。


「立てっ! まずは任務の遂行だ。少なくとも、要救助者の捜索に割り当てられた者は立ち上がれ。まだ生きている者がいるかもしれん。助けるぞ!」


 隊長自身、この状況に恐れている。

 それは震えている体が証明していた。

 しかし、それでも任務をこなさんとする姿は兵士達に勇気を与えた。

 一人、また一人と歯を食いしばり、立ち上がっていく。

 そして剣を抜き、部隊ごとに散開して、家や村の周囲へと捜索に向かっていった。


「俺達も行くぞ」


 クラーケンの調査に割り当てられた部隊の隊長が口を開く。

 彼としても行きたくないのだが、この状況になれば行かざるを得ない。


「まずは足の方から調べる。やばそうなら全力で逃げるぞ」


 仕方なしに彼らも調査へと赴く。

 上意下達が基本の軍人として、従うしかないのが辛いところだった。




 生存者の捜索はすぐに終わった。

 家の中に1人、生存者が見つかっただけで、他にはいなかったからだ。


 その寝ている怪しい人物を起こそうと体を揺するが、一向に目を覚ます気配がない。

 面通しさせるために、村の外で待っていた通報者を招き入れる。


「こ、こいつです! こいつが村のみんなを殺して食っちまったんだ!」

「なんだと」


 その一言で周囲がざわつく。

 この見た目の怪しい人物が、あの惨状を作り出したというのだ。

 無理もない。


 しかし、隊長は冷静だった。


「魔法による捜査を行う。魔道官を呼んで来てくれ」


 ――魔道官。


 彼は魔法によって犯罪者の追跡や、事件の証拠を捜査する魔法使いである。

 戦闘能力はなく、マイナーで専門的な魔法を中心に使いこなす。

 いわば職人のような存在で、彼もその事を自信を持っていた。


「この男からは殺害反応が確認できません。彼が犯人ではないようです」


 その彼が俊夫の犯行を否定した。

 これは彼が無能だからではない。


 俊夫の持つ洗浄のペンダントの効果だ。

 通常使われる洗浄の魔法に比べ、非常に効果が高いのだ。

 そのお陰で痕跡を残さず消し去ってくれていた。

 装備セットのおまけの割りには、剣よりも役立っている。


「そんな、確かにこいつがみんなを……」

「似たような恰好の奴がいるのかもしれん。周囲も捜索中だから、しばし待て。犯人は見つけてやるから、そう気を落とすな」


 肩を落とす村民に声をかけるが、実際は”あの化け物が食ったのではないか?”という思いが強かった。

 きっと村民が見間違えた。

 もしくは恐怖のあまりに現実逃避し、そう思い込んでしまったのかもしれない。

 ただ、この寝ている人物には、住居不法侵入の疑いで尋問はしないといけないだろうとは思っていた。


 この怪しい人物をどうするか考えていた時、外から悲鳴が聞こえた。

 その場にいた者のほとんどが、慌てて窓から海岸を確認する。

 現在の状況では、どうしてもクラーケンの存在が原因であると判断してしまうのだ。


 海岸から右腕の肘から先の肉を失った兵士を背負って、調査に向かった者達が戻ってくる。

 隊長は家の窓を開け、彼らに問いかけた。


「なにがあった!?」

「一人、腕をタコに食われました。吸盤の1つ1つに口があって、噛みつかれたんです」

「死んでいるからと調子に乗って触ったりするから……」


”馬鹿な事をしやがって”


 その場にいた者達は、皆が同じ思いを抱いた。


 死んでいても魔物だ。

 何が起こるかわからない。

 死体とはいえ、毒を持っている場合は触れるだけで死んでしまったりするかもしれないのだ。

 未知の魔物に軽々しい行動は取るべきではない。

 彼は軽率な行為の代償を、自らの腕で支払ってしまったのだ。


 腕を食われた兵士を見て、1つ気付いた事がある。

 隊長は家を飛び出て、骨だけになってしまった腕を見る。


「こいつの腕、キレイに肉だけを食い千切られているな」


 地面に落ちている骨と見比べてみる。

 多少骨に付いた歯型が違うようにも思えるが、肉だけをキレイに食べつくした跡は似たような感じだ。

 吸盤1つ1つに口が付いているなら、この歯形に合う口もあるのだろうと、考える事を止めてしまった。


「それじゃあ、あいつは何なんだ?」


 クラーケンの死体が揚がっている。

 村民が全滅した。

 そんな村にいる、今時見かけない魔神信奉者のような男。

 なんでこの村の民家で呑気に寝ているのか。

 

 彼にはわからない事だらけだ。

 今の彼にできることは限られている。


 まずはこの周辺を探索すること。

 これは生存者の捜索や、クラーケン以外に犯人がいる場合、探しださなければならない。


 次に民家の中で寝ている男の護送。

 おそらくサボナにいる魔道官では無理だろう。

 首都のミラノまで運ばなければならない。

 そこで、より能力の高い魔道官によって調べて貰った方が良い。

 なんらのか手段で血痕を誤魔化しているかもしれないからだ。


 最後にクラーケン。

 あれは一介の地方兵士にはどうしようもない。

 魔神降臨後に各国の首都に配備された神教騎士団や、近隣の冒険者ギルドに要請して助けを求めなければならないだろう。


「まったく、今日は厄日だ」


 思わず愚痴がこぼれる。


 彼にとって。

 この村の住民にとって。

 そしてこの世界、全ての生きとし生ける者にとっても厄日であった。


 俊夫が地上に戻ってきたのだから。

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