第29話 ホスエ
”両親を殺し、テレサを奪ったような盗賊が跳梁跋扈するようなことは間違っている。いつかこの手で世界を正す”
そう決意し、ホスエは剣術道場に通う事にした。
昔は軍で訓練教官をしていたという、教えるのが上手いという道場だ。
そこは父の兄である、伯父のオズワルドが知り合いのツテを辿って探してくれた。
本来なら居候となるホスエは、道場に通うような余裕のある立場ではない。
だが、オズワルドが代表を務めるオリベイラ商会は経営が上手くいっている。
子供一人を養い、手習いをさせるくらいはどうという事は無い。
それに、弟をポート・ガ・ルーに送り込んだの自分自身だ。
ヒスパン国内の支店を任せていれば、弟一家が死ぬような事は無かった。
家族を失ったホスエが気を紛らわせるなら、今はは好きにさせてやろうと考えたのだ。
しかし、最初はホスエの入門を渋られた。
「まずはこの木刀をやれるだけ素振りをしてみろ。どれだけ振り続けられるかで、入門を認めるか考えてやる」
オズワルド・オリベイラは家名持ちの裕福な家だ。
そこのお坊ちゃんが、どれだけやる気があるのか?
覚悟を見るため、剣道場の師範サントスはホスエに素振りを命じた。
基本的な素振りの型を教えると、他の弟子のもとへと向かう。
なぜ覚悟を見るようなことをするのか。
それは、この道場に通うホスエの兄弟子達にあった。
貧しい出自の者はまだいい。
剣で身を立てようと努力をする。
問題は裕福な家の者達だ。
剣はあくまでも教養の一種。
それで身を立てようとは思わず、修行はするが集中できていない。
これには教える側もやる気をなくしてしまう。
サントスは技術を教えるのは上手いのだが、生徒のやる気を出させるという点では指導者として失格だった。
その事を自覚しているサントスは、段々とやる気のある弟子しか取らないようになっていった。
だから、サントスはホスエを”どうせ本でも読んで、剣に夢を抱いたお坊ちゃま”程度にしか思わなかったのだ。
やる気が無いなら帰らせた方が双方のためになる。
そう思っていた。
――1時間ほど前までは。
素振りを命じて1時間。
道場の片隅で素振りを続けているホスエの様子を見た時に、サントスは己の考えを恥じた。
「おい、なんで素振りをしている!」
サントスの言葉に、ホスエは首を傾げる。
「先生が素振りを続けろと言ったじゃないですか」
素振りを続けながら、ホスエはそう答えた。
一振り毎に血を飛ばしながら。
慣れぬ素振りに、ホスエの手の皮はめくれていたのだ。
それでもホスエは素振りを止めなかった。
血で滑りそうになり始めても、決して手を離さぬようにと力を込めて。
”外道が笑い、正道に生きる者が泣くような世界を変えたい”
力の無い者を守るため、戦う力が欲しい。
それだけの覚悟が、ホスエにはあった。
それだけの事情が、ホスエにはあった。
「ちょっと待っていろ」
サントスは道場の端に向かうと、棚から薬壺を取り出した。
そしてホスエのもとに戻ると、その手に薬を塗る。
安物だが手の皮が剥けたくらいなら、これですぐに治るのだ。
「お前の覚悟は見せてもらった。明日からいつでも来い」
「今日はダメなんですか?」
ホスエのやる気に満ちた瞳。
サントスは、その目に負けてしまった。
だが、指導者として無理はさせたりはしない。
「今日は道場の端で、他の者がどのような鍛錬をするか見て覚えろ。実際にどのような体の動きをするのか、見て覚えるのも修行の内だ」
「はい!」
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それから1月が経った。
ホスエの存在は弟子達に大きな影響を与えた。
まず、ホスエの修行に励む姿は、剣で身を立てようとする者達の心を変えた。
人を守るためにと一心に素振りをする姿は、出世を目的とした自分達とは違う。
まるで幼い頃に親から聞かされた子守話にでてくるような、どこか気高い存在に見えたのだ。
彼らはホスエのようになりたいと思った。
身を立てるためだけではなく、自分の心も鍛えたいと。
当然、それを面白く思わない者達もいる。
剣を教養の一種と思っている者達だ。
彼らはホスエが自分達の側だと信じて疑わなかった。
しかし、ホスエが入門してすぐに、それは間違いだったと知る。
真面目に剣を学ぶホスエ、そしてホスエに熱心に指導するサントスの姿。
それを見せつけられる事で、嫉妬を覚えた。
サントスの自分達に対する指導が、なおざりになっている事は理解している。
やる気を見せなかった自分達の自業自得とはいえ、彼らはそれを面白く思わなかった。
「おい、ホスエ。たまには俺達が指導してやるよ」
サントスが他の弟子に教えに行って時を狙い、兄弟子達はホスエに話しかけた。
「はい、宜しくお願いします!」
ホスエは兄弟子達の言葉を疑いもしなかった。
師範だけではない。
年の近い兄弟子達からも、何か学べる事があるはず。
いや、年が近いからこそ、師範とは違う目線で何か得るものがあるはずだ。
ホスエはそう考えて、兄弟子達と稽古を行う。
稽古は兄弟子達の辛勝だった。
ホスエが真剣に学んでいたとしても、体力に秀でた獣人であったとしても、長い間学んできた兄弟子達には勝てなかった。
彼らにやる気が無かったとしても、サントスの指導自体は優れたもの。
知らず知らずのうちに、彼らの身に付いていたのだ。
「ありがとうございました。さすが先輩です、とても敵いません」
――彼らは知った。
――実力は本人の気付かぬ内に身に付くという事を。
――彼らは知った。
――曇りの無い瞳で、敬意を向けられる事の快感を。
この時より、彼らはお遊び気分ではなく、真剣に鍛錬に取り組むようになっていった。
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半年が過ぎる頃。
道場には弟子が大幅に増えていた。
元々サントスの指導力は高いレベルであった。
しかし、やる気を出させる事が下手なサントスの下で学ぼうとする者は少なかった。
やる気があるとないとでは、身に付く速度が大違いなのだ。
そこに、周囲の奮起を促すホスエが現れた事で状況は一変。
やる気のない富裕層の子息らまでが、突如やる気を出し始めたのだ。
メキメキと上達していく姿に、彼らの友人達も触発されて道場を変えて学び始めた。
ホスエは朝早くに訪れ、道場を清める。
そして誰よりも長く練習し、誰よりも遅く帰る。
そんなホスエのひたむきさを気に入り、我が息子も感化してくれればと、道場に子供を入門させる親もいるくらいだった。
今日もサントスは、道場に最後まで残ったホスエを見送る。
正直なところ、最初の頃は”早く帰ってくれないかな”と思っていたのだ。
だが、教えていくにつれ、指導に熱が入っていく事を実感していた。
”剣で身を立てたい”
”親がやれっていうから”
というような弟子ではなく、
”人を守りたい”
という固い意思を持つ弟子は始めてだった。
それがサントスにも良い影響を与えた。
少しずつではあるがサントスも技だけではなく、剣士として必要な熱意を教えられるようになった。
「ありがとうな、ホスエ」
サントスは、家路につくホスエの背中にそっと呟いた。
師匠としてではない。
一人の男として、成長させてくれたホスエに感謝しているのだ。
サントスの師匠としての成長は数字にも表れていた。
弟子が増えた事により、相応に指導料も増えていたのだ。
(たまには街に繰り出すか)
家で一人寂しい晩酌ではない。
キレイなおねーちゃんと一杯やりにいくのだ。
それができるくらい、経済的に余裕が出来た。
そういった意味でも、ホスエには感謝しきれない。
(本当にありがとうな、ホスエ)
サントスはウキウキで歓楽街へと向かっていった。
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ホスエは家に帰る途中だった。
(伯父さん達には申し訳ない。けど、いつか伯父さん達を守ったり、ゾルド兄ちゃんに恩返しするには強くならなきゃいけないんだ)
ホスエは自分の頭の出来が良いとは思わなかった。
人並みには文字を覚えたり、計算はできる。
だが、それ以上は無理だろう。
それならば、獣人として恵まれた体を生かして武術に励む方が、ずっと役に立てる。
そう思っていた。
事実、ホスエには剣の才能があった。
今はまだ兄弟子達には勝てないが、成長著しいホスエは1年もすれば勝てるようになるだろう。
腰に下げた木刀の握り部分が、手の形に磨り減っていることで、どれだけ努力しているかがよくわかる。
(今日は近道して帰ろうかな)
町外れにある道場から、街の中心部までは距離がある。
帰りが遅くなると、伯母さんが心配する。
オリベイラ家には娘が3人。
3人とも大人しく、親を心配させるような娘達ではない。
男の子がいないので、新しくできた息子のホスエが心配で仕方ないのだ。
特に道場で剣のような危ないものを学ぶのだから、なおさらだ。
近道は人通りが少なく、危ないので通らないようにと伯父夫婦に言われているが、ホスエだって男だ。
木刀ではあるが武器もあり、戦い方も学んでいる。
恐れる必要などないと、強気になってしまっていた。
「助け……っ……」
「おい、しっかり塞げ」
少し先にある路地から声が聞こえる。
声は小さく、獣人であるホスエでなければ聞き落としていたくらいだ。
(誰か助け……、居ない。誰も居ない)
元々人通りのない路地だ。
だから、犯行に及んだのだろう。
ホスエの手が震える。
それでも、木刀を手に様子を見に行ったのは、人を助けたいという思いからだ。
そっと路地を覗くと、学生の制服を来た少女が、同じ学校の制服を来た少年3人に組み伏せられている。
手を抑える者、足を抑える者、服を脱がそうとする者。
口には布を押し込まれているようだ。
「早くしろよ」
「いいじゃねぇか、ちょっとくらい」
「最初は俺だぞ、クジで決めたんだからな」
少女が嫌がっている事など気にせず、下卑た笑顔を貼り付けた少年達は思い思いに口走る。
少女が抜け出そうともがいているが、ピンク色の髪のツインテールを振り回すだけに終わる。
(テレサ……)
ホスエには、少女とテレサの姿が重なった。
父親が彼女の母親と再婚したため、妹となった少女。
幼馴染で、ほのかな恋心を抱いていた愛しい人。
盗賊に連れ去られたということは、もっと酷い目にあっているかもしれない。
助けたかったけれど、助けられなかった。
けど、今は違う。
「うぉぉぉぉぉぉぉ」
「なんだ!?」
木刀を振り上げ、少年達に振り下ろす。
感情的になったホスエは、道場で習った型など忘れ、ただ滅多打ちにしていた。
何度も、何度も、手の皮が破け、木刀が折れるまでずっと……。
木刀が折れ、少年達が動かなくなった時、体の力が抜けて地面にへたり込んだ。
その時になって、ホスエはようやく痛みに気付いた。
手の皮が破けた痛みではない。
人を叩きのめしたという、心の痛みにだ。
人を守るためには覚悟をしていたつもりだった。
だが、いざ人を傷つけたら、その心の痛みに耐えられなかったのだ。
ホスエは思わず声を上げて泣き始めた。
恥も外聞も無い。
歩き始めたばかりの時に、こけて膝を擦りむいてしまった幼児のように大声で泣き続けた。
襲われていた少女は、服を整えながら泣き始めたホスエを見つめる。
「なんで、あんたが泣くのよ……。泣きたいのはこっちなのに……」
そういって涙ぐむと、ホスエに寄り添い少女も泣き始めた。
二人の泣き声に気付いた人が衛兵を呼んで来るまで、二人が泣き止む事は無かった。
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