第28話 助言の影響

 マヌエルとの会談の翌日、俊夫は街を出た。


 そう、俊夫は忘れていなかったのだ。

 米料理を食べるという事を!


 馬車に乗り、着いた先はヒスパン東部の街バレンシア。

 ここはパエリア発祥の地である。


 マドリードで世俗の垢は落とした。

 ならば、次は食欲だと、ここまで来たのだ。

 港町なので、船でローマまで行くことが出来るのも丁度良い。

 明日、出港予定の船に乗る予定だ。


 ローマに着いたら、神教庁に行ってとりあえず天神をぶん殴る。

 ここまで来たら、後はもう覚悟を決めるだけだ。


(現実に復帰したら、ソフト会社を相手に訴訟だな。いや、マシン本体のメーカーに大事にされたくなければ口止め料を払えっていう方がいいかな。目が覚めなくなる症状とか、余裕でリコールの対象だ)


 目が覚めた後の事を考えると、しばらく目が覚めなかったことくらいは我慢できる。

 訴訟で得られる金額はかなりのものになるだろうから。


 さすがに俊夫でも、天神を殺した後”現実に戻れないのではないか?”という事は考えたくなかった。

 ずっとこのままかもしれないという事は、考えるだけでも恐ろしかったのだ。

 歓楽街に行ったり、食事に興味を惹かれるのも、その事から自然と気を逸らすためにしているのかもしれない。


 そして今、俊夫は――


「おい、出来たぞ」

「おっ、待ってました」


 ――鍛冶屋で飯盒を作って貰っていた。


 特急料金を払う必要があったが、それでもこれが欲しかったのだ。

 パエリアは俊夫が日本で食べたものよりも油っぽかった。

 だから、さっぱりと食べられるように白米を炊こうと飯盒を依頼したのだ。

 そのためにアラン達の荷物にあったライターのような魔道具を、いつでも取り出せるように用意していた。


「そんなので何をするんだ?」

「米を炊くんだよ」

「えっ」


 鍛冶師は微妙な顔をする。


”こんなもので料理でもするのか?”という思いが顔に出ている。


 しかし、俊夫はそんな事を気にはしない。

 金を支払うと、その足で街から外へ出る。

 そして水辺で、たき火をしやすそうな枯れ枝が落ちてそうな場所を探し始める。


(良さそうな場所なら、すぐに見つかりそうなもんだけどな。……あった)


 俊夫が見つけたのは、川に近く、木の根が座りやすい高さに張り出している場所。

 そして、誰かがたき火を使った後があった。

 俊夫にはキャンプの経験などない。

 他人が使ったあとを見て、そこが良さそうだと判断したのだ。

 俊夫は急いで薪を集め終わった時、そこで気が付いた。


(飯盒を吊るす太い枝が見つからない……、どうしようか)


 薪を拾っている間に太い枝が見つからなかった。

 さすがに直接火の上に置くのはどうかと思う。


 必死に周囲を見合わす俊夫の背中で、ガチャガチャと存在を示す物が1つ。


(剣だ! これを使えばいける!)


 俊夫は鞘を外し、剣を抜くと木の前で中腰になり、幹に剣を刺す。

 何度か刺し、高さを調節すると、剣の柄に飯盒を引っかける。


「よしっ」


 ちょうど良い感じに吊り下げられた。

 俊夫は思わず拳をグッと握ってしまう。


 その後は飯盒の下で火をつけるだけだ。

 以前、馬車強盗にあった被害者達の持ち物であるタオルを1枚火種として使う。

 その後は火が消えないように随時、枝を火の中に放り込む。


 水の量や火加減にもよるのだろうが、今回は1時間ほどかかった。

 俊夫はローブの袖を鍋つかみのように使い、飯盒を地面に降ろす。

 10分ほどしてから、ひっくり返すのも忘れない。


(やべっ、箸が無い。……面倒だし、スプーンでいいか)


 おかずは無い。

 米に振りかける塩くらいだ。


 俊夫は蒸らし終わるのを待つ。


(そろそろいいかな)


 俊夫は飯盒の蓋を外すと、中を覗き込む。

 そこには、糊のようにベチャベチャになった米らしき物が入っていた。

 水の量を間違えたのだ。


「…………」


 俊夫は何も言わず、スプーンですくってみるが、やはりお粥ですら無い物になっていた。

 ボトボトとスプーンからこぼれ落ちていく。


 とはいえ、せっかく1時間以上かかって作ったのだ。

 もったいないと、俊夫はそれを口にする。


 病院食でももう少しマシだろうという、ベチャベチャの食感。

 日本の物よりも香りが強い米。

 それらが合わさり、マズイと吐き捨てようと思った。


 しかし、俊夫の目には一筋の涙が流れる。


(マズイ。けど……)


 パエリアも米料理ではあるが、やはり白米の味が俊夫の記憶を呼び起こす。


 小学生の頃、風邪で動けなかった母のためにお粥を作ろうとして失敗してしまった。

 その時もこのようなベチャベチャで、食べられるようなものではなかった。

 それでも、俊夫に気を使って食べてくれた。


 味は酷いが、米の味が俊夫の郷愁を誘う。


(帰る。俺は絶対に帰るんだ)


 俊夫は新たな決意を胸に秘める。

 そして飯盒の中の物をぶちまけ、洗浄をしたあと、剣を鞘に納めて街に帰っていった。


 まともな食事をするために。


 何といっても、明日からは船旅だ。

 木造船なので火が使えない。

 まともな料理は期待できないだろう。

 陸にいる内に食べておかないといけないのだ。



 ----------



 航海4日目。


 風や天気にも恵まれ、西地中海の半ばまで来ている。

 ここまでの航海は順調だった。


 そう、ここまでである。


「オエェェェ――」


 陸地から離れるにつれ、波が激しくなってきたのだ。

 比較的穏やかな波とはいえ、限度がある。

 セーロの丸薬を飲もうとも、しばらくすればまた気分が悪くなった。

 お陰で舷側から離れられなくなっていた。


 俊夫の他にも数人が同じような状態で苦しんでいる。


(今後は陸路を使おう)


 フェリーのように数千トン、数万トンという重さと大きさがないのだ。

 その分、安定性も悪く、波による揺れも酷い。

 だからこそ、このような惨状になっているのだ。 

 俊夫は船べりに背を預け、無駄にリアルな波を作った開発者を恨む。

 船内が何か騒がしいのも、きっと船酔いで苦しんでいる人が多いのだろう。

 俊夫は少しでも体を楽にしようと、目を閉じて深く呼吸をする。


 そんな俊夫のもとへ、船員が走り寄ってくる。


「お客さん、お客さん」

「なんだ?」


 気分が悪いところに話しかけられたのだ。

 俊夫の声は刺々しい。


 しかし、船員はそんな事を気にしていない。

 それどころではないのだ。


「お客さん、魔石とか持ってませんか? 冒険者でしょ」

「なんでだ?」


 魔石なんて物は持っていない。

 もしかするとアラン達の荷物にあったのかもしれないが、それがどんなものかわからない。

 とりあえず、俊夫はなぜ必要なのかを聞いてみた。

 すると、船員は周囲をはばかるような素振りを見せ、小声で俊夫に伝えた。


「魔物の忌避装置の魔力が切れたんです」

「はぁ!? 補給してないのか?」


 俊夫の疑問も当然だった。

 そんな大切そうな物ならば、出港前に補給をしておくべきだ。


「補給したはずなんですよ。でも、なぜか切れてしまって。魔石持ってませんか?」

「いや、そういった物は持っていない」

「そうですか」


 船員は俊夫が持っていないとわかると、他の乗客に走り寄っていく。


(魔物の忌避装置なんて、そんな大事そうな物の魔力を切らすなよ)


 俊夫はチラリと海を見る。


 深海は地球上でまだ詳しく解明されていない場所だと、TVか何かで見た覚えがある。

 海はまだまだ未知の領域なのだ。

 ならば、この世界での海はどうなのか。


 その事に考えが及ぶと、俊夫の背筋がゾクリとする。


(海の魔物ってヤバいんじゃないのか? いや、それ以前にこんな海の真ん中で船が転覆でもしたら……。クソッ、なんでこんな事になったんだ)


 海の魔物は恐ろしい。

 しかし、かなりの数の船が港に出入りしていた。

 ということは、忌避装置が動いていれば航海は問題ないという事だろう。

 しょっちゅう船が沈んでいるならば、船なんてものは廃れている。

 なら、なぜそんな重要な装置が魔力切れになんてなってしまったのか。

 出港直後でも、ローマへの入港直前でもない。

 ちょうど海のど真ん中でだ。


 そして俊夫は気付いてしまった。


(マヌエル! そうだ、あいつだ。船の事故に見せかけて俺を殺す気なんだ!)


 アルヴェスから、森の案内をして欲しいと手紙を貰った時は何もなかった。

 本当に案内をしただけだ。

 暗殺者なんて居なかった。


 そして、先日マドリードでマヌエル達と話した時。

 あの時は”なんでこんな簡単な事も思いつかないんだ”と思ってしまった。

 こいつらヌルいなと思ったのだ。


 それが間違いだったのだ。


 マヌエルも、アルヴェスと似たようなものだろうと侮ってしまった。


 マヌエルとアルヴェスは違う。

 仮にも宰相なんて地位に、才能や人格だけで就けるものではない。

 彼はためらう事なく、決断を下せる人間だったのだ。


”よけいな事を知っている者は、喋らない内に口封じされてしまう”


 そんな基本的な事が、俊夫の思考から抜け落ちていた。


 ――現実への帰還を急ぎ過ぎたこと。

 ――そしてこの世界の住人を侮り過ぎたこと。


 その両方が原因だろう。

 俊夫がマヌエルを舐めきっている間に、相手は俊夫を殺すための用意を終わらせていたのだ。


(嫌だ、俺は死にたくない! いや、まだ襲われると決まったわけじゃ――)


 俊夫に衝撃と浮遊感が襲う。

 船酔いによるめまいではない。

 なぜなら、俊夫の目には白いマッコウクジラに竜骨を折られ、船体の真ん中から真っ二つになった客船があったからだ。

 船体の下からかち上げられたのだろう。

 俊夫の他に何人かの人間も空を舞っている。

 先程の船員もその中にいた。


 そして、浮遊の後に訪れるもの。


 ――落下だ。


「待て待て待て待て」


 いくら待てと言っても、落下は止まらない。

 俊夫は腹から落下し、その衝撃で一瞬気を失う。


 そして目が覚めた時は、すでに水中だった。

 俊夫は状況がわからず、水面に出ようともがくがドンドン沈んでいく。


 そこで俊夫は気が付いた。

 剣が邪魔なのだと。

 慌てて肩紐を外そうとするが、水を吸ったせいか硬くて外せない。

 ここで戦闘モードにでもなっていれば、多少の重りなど気にせず泳ぐ事もできただろう。

 だが、俊夫はこの状況に対応できず、剣を外す事に固執してしまった。

 しかし、剣が外せない。


 まるで”一人では決して沈まない”という意思を持っているかのように。

 雑な扱いをしてきた俊夫への意趣返しなのかもしれない。


 その結果、俊夫は窒息により意識を喪失する。


 数秒後、精神異常耐性のお陰で目を覚ますと、すぐに窒息の苦しみと共に意識を失う。

 それを何度も繰り返しながら、俊夫は沈んでいく。

 そしてそのまま、海底にまで沈んでしまった。


 そこは光が届かず、凍り付くような冷たさ。

 そして、ときおり体に触れる得体の知れないモノ。

 正体不明の何かが俊夫の体をついばむ。


 体力を消耗し、自然治癒能力がそれを回復する。

 自然治癒能力には魔力が必要だが”魔力増加””使用魔力減少””魔力回復速度増加”といったスキルが、その問題点を解決する。

 そして精神異常耐性のお陰で狂うこともできない。


 もしも、俊夫が生まれついての魔神であったならばどうだったか。

 呼吸をせずとも問題なく、例え海底に沈んだとしても散歩気分で陸地まで歩いただろう。


 だが、俊夫は人間だった。

 その精神が肉体に追い付いていない。

 戦闘を意識しなければ筋力を発揮できないし、呼吸が不要などとは思いもしない。

 その結果、死ぬこともできずに苦しみ続ける事となる。


(殺して……、殺して……)


 意識を取り戻した時に死を願うが、それは叶えられない。


”嫌だ、俺は死にたくない!”


 海に投げ出される前に、願った事が叶えられた形になる。

 そのせいで、この暗く冷たい牢獄に長く囚われる事になってしまった。

 まるでこの世界で犯してきた罪を償わせるかのように……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る