第22話 荒れた街にて 2

「うぉっ、何にもねぇ!」


 食事を続けていた俊夫の耳に、男の叫び声が聞こえる。


(魔神イヤー発動)


 俊夫は耳に意識を集中し、遠くの音を聞こうとする。

 これは夜目が利く効果と同様に、夜中に目覚めてなんとなく集中した時に気付いた能力だ。

 今まで使おうとしなかったのは、怖かったから。

 人の話し声が頭の中に直接響くように感じるからだった。


”誰かが俺の頭の中で話している、ひそひそ声で俺の事を噂している!”


 そんな状態が続けば、誰がどう見ても危ない人でしかない。

 だから、今まで街中では使わなかったのだ。


 人気の無いこの街ならば、この家の中の様子が窺える程度の聴力の強化をする。

 もちろん、戦闘モードのような純粋な肉体能力の強化であって、魔神イヤーなどという技は存在しない。

 俊夫がそうすることで発動するように感じるから、心の中で言っているだけだ。


「なんだよ、見た目だけで中身ボロっちいぞ。他の家の方がいいんじゃないか」

「マシなくらい部屋あるんじゃね?」

「おう、見ろよ。この家の裏の方からちょっと行ったところに明かりが点いてるぞ。休むのはもう一仕事してからだ」

「もういいんじゃねぇか? どうせ今残ってる奴がロクなもん持ってるわけねぇよ」

「馬鹿野郎! 拾える小銭は拾うんだよ。荷物を置いてあそこにいくぞ」

「へいへ~い」


 ガチャリと俊夫の下の部屋の扉が開かれる。

 俊夫はそのまま、身動きせずにジッと様子を窺う。


「なんだ、この部屋もダメなのか」

「仕方ないな、残骸の下に荷物を隠そう。……そこの本棚をひっくり返せば、丁度隠れるんじゃないか」

「あいよ」


 下の部屋からガタガタと音がする。

 略奪品を隠しているのだろう。

 しばらく作業音がした後、男たちが裏庭から出て行った。


 それを俊夫は窓から確認する。

 日が沈み、月明かりが頼りとなったこの街で、俊夫の夜目は非常に有効だろう。

 街灯も中心部以外には明かりが灯らない。

 暗いという事は、俊夫にとって有利になる。


(それでも油断は出来ないな)


 俊夫は念のためにと、顔や手に煤を塗る。

 煤には困らなかった。

 その辺りに手を伸ばせば、いくらでもあるのだから。


(そうそう、こいつにも忘れずに)


 俊夫はナタの刀身にも煤を塗る。

 月明かりは弱いとはいえ、夜に刃の反射した光を誰かに見られたら気づかれてしまう。

 誰にも気付かれずに行動すること。

 それが夜の犯罪には重要なのだ。


 俊夫は剣とナタの鞘を外し、誰かに見つからないように物陰にしまっておく。

 音が鳴るだけ邪魔なのだ。


 今の俊夫は全身黒ずくめだ。

 服装はもとより、ローブから出ている肌の部分には煤を塗っている。

 顔も黒く塗りつぶしているので、白目が浮かび上がるように見えるのが不気味だった。


(よし、行くか)


 まずは階下の部屋に飛び降りる。

 わざわざ集めてくれた物を見過ごす理由はない。

 彼らが話しを思い出し、裏返った本棚らしき物を動かす。

 本棚の下からはスーツケースと革袋が出てきた。


 スーツケースの中にはモーニングなどの礼服一式が入っていた。


 そして革袋の方には――


(そりゃそうか、稼いだ奴はさっさと出ていくよなぁ……)


 ――鍋やフライパン、サイフには大量の小銭が入っていた。


 彼らは出遅れた。

 だから、まだ稼ぐことを夢見てこの街に残っているのだ。

 その僅かな稼ぎも、たった今失ってしまった。

 それも”とりあえず”と軽い気持ちで盗まれたのだ。


(実利は期待できないな。イベントだけ楽しむか)


 俊夫は明かりの元へと向かった。



 ----------



(なんだ、結構いるじゃないか。さて、どうなるのかな)


 目的の家は、先程までいた家ののように広い庭付きだ。

 その庭の周囲の物陰や、隣家に多くの人が隠れている。

 夜目の利く俊夫でなくても、それなりに気配は感じるのかもしれない。


 お互いが牽制し合っているのだ。

 最初に突入した者は貧乏くじを引くだろうことは予想に難くない。

 2番目に突入した者に殺される。

 そして、2番目に突入した者は3番目の者に。 


 誰が最後に総取りするか。

 当然、皆が”自分こそが生き残って金目の物を手に入れる”と思っている。

 だからこその睨み合いだ。

 誰も動こうとしない。


(なんだ、つまらん)


 俊夫は懐に余裕がある。

 真っ先に動いてでも稼ごうという考えはない。

 他の者達よりも、少し遠くの曲がり角で様子を窺っている。


 しかし、そんな俊夫に近づく影あった。

 俊夫がそちらに振り向くと、相手は両手を胸の前に出し、敵意が無い事を示す。

 どうやら、様子を見ている間に月の位置が変わり、月明かりに照らされていたようだ。


「よう、あんた。俺と組まないか」

「組むだと?」

「そうだ、これでも俺は食い逃――疾風のカルロスと呼ばれていてな。逃げ足には自信があるんだ。あんたが戦って、俺が金目の物を持って逃げる。分け前は7:3でいいぜ。あんた強そうだしな」


 あからさまに嘘くさい申し出だ。

 本当に逃げ足に自信があるというならば、俊夫との約束を破って全て持ち去るだろう。

 だが、俊夫はこれを受けた。

 なにか動きがないと、つまらないと思っていたところだ。

 ちょうど良い。


「まぁ、良いだろう。よろしくな食い逃げのカルロスさん」

「疾風と呼んでくれよ」


 カルロスと名乗った男は笑う。


「ところであんたの名前は――」


 カルロスの問いは最後まで聞けなかった。

 バン!と扉を勢いよく開け、目標の建物から軽装の兵士が飛び出してきたからだ。


「御用だ!御用だ!」

「なんだぁ!?」

「衛兵だ!」


 衛兵たちは言葉とは裏腹に、次々に暴徒達を殺していく。

 この街ではもう確保だ逮捕だの段階を過ぎ去っていた。


 暴動を抑えようと暴徒を叩きのめす衛兵。

 その衛兵を止めようと、集団で暴行を加える暴徒達。

 その暴徒達を止めようと衛兵が暴徒を殺し、さらにその衛兵を暴徒が殺す。


 暴動当初、そんな事があったのだ。

 彼らに同じ街の住人、守るべき民だという意識はすでに無かった。

 憎しみが憎しみを呼び、殺し殺される敵として認識されるのみである。


 周囲の廃墟からも衛兵達が現れると、暴徒達の混乱は極みに達する。


「待って、待ってっ」

「違う、俺は違うんだ」


 暴徒達は不意を突かれた。

 それは包囲されたというだけではない。


”自分達が奪う側”


 そう思い込んでいたところに、衛兵の奇襲があったのだ。

 心に隙ができてしまった。


”逃げないといけない”


 そう思わせた時点で、衛兵達の勝利だ。


 戦おうと向かってくる相手よりも、背を向けて逃げる相手の方が殺しやすいのだ。

 正面切って戦えば、自分達も怪我をするかもしれない。

 一方的に攻撃できるという精神的優位は大きかった。


 実際に、今は衛兵による虐殺劇が開演している。

 暴徒側は逃げ惑うばかりで、戦おうとする者はいない。

 暗闇の中で右往左往しているだけだ。

 むしろ、お互いにぶつかってコケてしまい、衛兵に隙を見せてしまうくらいだった。


(良い見世物だな)


 俊夫にはそれが最高だった。

 奪う側から一転、奪われる側に回る。

 その姿が無様で、滑稽で、愉快であった。

 思わず笑い声が零れてしまうくらいに。


「お、おい。なに笑ってんだ」


 カルロスが、笑い始めた俊夫を咎める。

 しかし、それは遅かった。

 喧噪の中、近くにいた衛兵が声に気付き、1人こちらに向かってくる。


「やべぇぞ、逃げねぇと」


 一足早く逃げようとしたカルロスの太ももに、鋭い痛みが走る。

 カルロスがそちらに目をやると、太ももにナタが食い込んでいた。

 そう、俊夫がナタで斬りつけたのだ。

 ナタを抜くと、血が噴出する。

 傷は深く、カルロスはその場に倒れ込んだ。


「てめぇ、なにしやがる!」

「俺たちは仲間だろう。だったら、仲間が逃げる時間稼ぎくらいしてくれよ」

「はぁ? ふざけるな! おい、待てよ」

「がんばれよ、疾風さん」


 俊夫はカルロスの言葉を聞き届けるまでもなく、すぐさま走り去っていった。


「暴徒め!」

「違う、俺じゃない。今逃げていっぎゃあああ」


 カルロスの悲鳴を背に、俊夫は走る。

 足を傷つけたのは、俊夫が逃げる時間を稼ぐためだ。

 生きてさえいれば、衛兵はトドメを刺す必要がある。

 そうなると、足を止めねばならない。

 その間に遠くへ行ってしまおう、という考えだった。


 戦おうと思えば、俊夫は衛兵の1人くらいは容易に倒せる。

 しかし、俊夫は先程の見世物で満足していたのだ。

 久々に腹の底から笑った気がする。

 その余韻を汚したくなかったから逃げたのだ。


 カルロスの足を斬った理由はそれだけだった。




 この日、ビラ・レアル市街での暴動は終幕を迎えた。

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