第9話 荒んでいく心
気分良く街に戻った俊夫であったが、やはり街では気分良くとはいかなかった。
「はぁぁぁ? てめぇふざけんなよ!」
集めたセーロの葉を買取カウンターに持ち込んだはいいが、そこで俊夫は営業スマイルという仮面が剥がれ怒鳴り散らす。
「ふざけてませんよ。セーロの葉の買い取りは1kg辺り500エーロになります」
「昨日は1,000だったろうが!」
「昨日は昨日、今日は今日の相場になりますので」
「最低買取価格はどうなってんだよ」
「今朝、500エーロになりましたよ。困りますねぇ、ちゃんと確認して頂かないと」
買取担当者は毎日代わるのだが、今回は以前に俊夫を見下すように笑った担当者だった。
同じ人物と同じような会話。
だが、今回は妥協する訳にはいかない。
毎日10,000エーロ前後を稼いでいたのが、5,000エーロにまで下がってしまう。
これではホテル代を払うと、最低限の食事すらできなくなってしまう。
もちろん、採集量を増やせばカバーできる。
だが、それはギルドに今まで以上に不当に稼がせる事になる。
もしかすると安く買い取ったとして、買取担当者の査定がプラスになるかもしれない。
――それは気に食わない。
もちろん、それだけではない。
「大体、そんなに値段を下げたんじゃ他の奴等だって困るだろう」
当然の疑問だ。
それに”相場を下げて、自分たちに迷惑を掛けた奴”として今まで以上に冷たい視線に晒される。
憂さ晴らしにリンチでもされるかもしれないのだ。
だがその疑問は一言で解決される。
「いえいえ、他の方々からは適正な価格で買い取らせて頂きますので問題はございません」
買取担当者はニヤニヤと笑みを浮かべながら言い放った。
それもそうだ。
俊夫への嫌がらせなのだから、他の者からは適正な価格で買い取るに決まっている。
「もういい!」
立ち去ろうとする俊夫の背中に買取担当者が声をかける。
「以前も言ったように街中で捨てたりするのは違法ですよー」
「わかってんだよ」
「なら結構です」
買取担当者は近くの職員と顔を見合わせ笑う。
俊夫が知らずに無礼な振る舞いをしたピンク色の兎の獣人、アルヴェス。
彼はギルド長であり、それなりに職員に慕われていた。
だからこそ、俊夫に対する行為を止める者はいなかった。
いや、アルヴェス本人が推奨していたともいえる。
最低買取価格の改定などという行為は平の職員にはできないのだから。
俊夫にわからせてやったと満足気に笑うギルド職員の声。
(わかってねぇのはお前だ。嫌がらせをするなら生かさず殺さずが基本だろうが! 生活もできないほど追い詰めたら、どうなるかわかってねぇんだよ!)
この時、俊夫は決意した。
----------
「デザートに食べたカステラみたいなの美味しかったですね」
ホテルで部屋の鍵を受け取りつつ、フロントのおじさんに話しかける。
「かすてら? かすてらが何かわからないが、ウチで出してるデザートならパン・デ・ローだな」
「なるほど、こちらではパン・デ・ローって言うんですね」
「あぁ、ウチの女房のは美味いだろう。今度、食べる時は酒でも飲みながら味わってくれ」
「えぇそうしますよ」
俊夫は軽く一礼すると、フロント横の階段を上がり部屋へと向かう。
普段こんな会話をしないのだが、わざわざ話かけたのは理由がある。
このホテルの階段は1か所、フロント横だけ。
この時間に4階の部屋に向かったという印象を覚えさせるためだった。
俊夫は部屋に入ると一度深呼吸をし、腕時計を見る。
(19時か、日も落ちたし丁度いい)
俊夫はローブを脱ぎ、昼間の内に買っておいたフード付きのマントを羽織る。
これからの事を考えると、魔神のローブは目立ちすぎるからだ。
部屋の窓を開け、周囲を見回す。
俊夫の部屋は見渡しの良い部屋ではなく、窓の外は向かいの建物が見えるだけの路地裏だ。
路地裏に街灯があるわけがなく、月明かりに頼る部分が大きい。
この街の大通りには街灯はある。
もちろん日本のように明るくはない
だが俊夫には月明かりでも十分だった。
(魔神アーイ)
目を凝らせば暗視スコープのように夜目が利く。
夜中に目が覚め、寝付けない時に何気なく天井を見つめている時に気付いた能力だ。
魔神の基礎能力は高かった。
もちろん、魔神アイなどというスキルも魔法も存在しない。
(周囲に人影無し、窓から外を見ていそうな奴もしない。行くか)
決断すると俊夫は窓から飛び降りる。
4階の高さから飛び降りるのは怖い。
だが他のゲームで経験済みだったお陰で、躊躇する事なく飛ぶ事ができた。
高所から飛び降りる時の感覚。
今回は今までのゲーム以上に股間がゾワゾワとした。
「ぐあっ……」
地面へは映画俳優のような受け身は取れず、尻から着地という不格好な落ち方をしたため、尻をさすりながら立ち上がる事になった。
俊夫はフードを被らずにそのまま通りへと出る。
夜にフードを被ったまま歩いていれば目立つからだ。
自分が注目を浴びるのは漆黒のローブのせいだという事はわかっている。
だからあのローブを着ていないならば、堂々と歩けばいい。
目的地まで。
----------
俊夫の目的地。
そこは冒険者ギルドの裏の建物、その屋根だった。
ギルドの正面は大通りに面しているためにそこそこ明るい。
だが、その裏の建物の屋根にまで届くほどではない。
暗い場所から明るい場所はよく見えるが、その逆は非常に視認が困難だ。
だからこの屋根の上は、人を待ち伏せるには丁度良かった。
俊夫が待つ相手、それは今日の買取担当者だ。
もちろん”お疲れっ、一杯行かない?”などと誘うためではない。
人を舐めた報いを受けさせるためだ。
(世の中、何の役に立つのかわからないか。サンキュー、鈴木)
下らない。
自分には関係ない。
そう思ってしまう話を聞く事がある。
今、俊夫が思い出している大学時代の友人の話もそうだった。
あれは昼食後、何故か空き巣の話になった時――
『深夜に入る空き巣は素人。プロは昼間から夕方くらいに入る。どんなに遅くても多くの人が起きている時間だな』
『それじゃ気づかれるんじゃないか?』
『いや~、それが違うんだよ。深夜だとちょっとした音でも隣の家に聞こえるくらい静かになったりするだろ。車の音とかエアコンの室外機とか、昼間は気にならないのに深夜だと音が気になる感じで』
『そう言われれば、深夜は昼間だと聞こえないような音も聞こえる気がするな』
『そうなんだよ。深夜だとタンスの引き出しの開け閉めにすら気を遣うんだぜ。犯行は短時間でパッとやらないといけないのに慎重に、時間をかけないといけない。だから、忍び込む時は人の起きている時間がベスト。生活音で多少の物音は聞こえないし、気付いても隣の人が帰ってきたんだってくらいにしか思われないからな。共働きも多いし昼間が断然オススメ』
『へー、でも俺は空き巣はしないし関係ないや』
『世の中、何が役に立つかわからないんだ。覚えておいて損はないさ』
――”友達だから教えるんだぞ”と熱心に語られた。
この話を思い出したからこそ、今こうして待ち伏せている。
日は暮れたが、周囲は仕事帰りの人でざわついており、少々の音ならかき消されるだろう。
ブーツに消音加工されているからか、屋根の上を飛び移ってもほとんど音がしない。
本当に世の中、何が役に立つかわからないものだ。
(そういえばあいつが『俺は新世界の神になる!』とか言って、大阪に引っ越してから連絡を取ってないな。現実に戻れたら休みを取って、久々に会いに行くのも悪くない)
俊夫が友人の事を懐かしんでいると、裏口からギルド職員達が出てきた。
注意深く観察し、買取窓口で見覚えのある顔がいる事を確認する。
(こいつじゃない、こいつも……。居た!)
今日対応していた買取担当者だ。
他にも何人か買取の受付をしていた者はいるが、そちらは今回は見逃すつもりだ。
他の者達は最低買取価格で、淡々と買取作業をしていただけだった。
だが、今日の奴は違う。
前回もだが、こいつは俊夫を嗤ったのだ。
それも、たかが名無しのNPCが。
俊夫がこの世界のタブーに触れた事が原因ではあったが、俊夫にしてみればそんな事知った事ではない。
ゲームの中だと思っている以上、プレイヤーである自分が世界の中心であり正義なのだ。
プレイヤーである自分を不愉快にさせる存在は、排除されて当然だと考えている。
元々が利己的な性格であったのだが、ゲームだと思い込んでいる事がそれを増幅させていた。
(仕事帰りに一杯みたいな事はやめろよ。帰れ、真っ直ぐ帰れ)
無駄な時間を掛けたくはない。
いくら暗くて見つかりにくいとはいえ、月明かりもある。
長時間の尾行で、誰かに気付かれたりしてはたまらない。
屋根の上で立ち上がった時に、夜空に浮かび上がる輪郭で気付かれるかもしれない。
俊夫はできるだけ背を低く、屋根にへばりつくように尾行する。
街の中心部から住宅街へと代わり、しばらく歩いてから他の職員と別れ、標的は一人になった。
そこで俊夫は周囲をよく観察する。
(家の中から人の声は聞こえるけど……、周囲に人影無し。生活音が聞こえるから少々の音なら問題無さそうだ)
ここで俊夫はマントのフードを深く被る。
失敗したとしても、誰かに顔を見られないようにするためだ。
そしてジッとタイミングを見計らう。
(もうちょい、路地裏へ連れ込みやすい位置で…………。今だ!)
俊夫は屋根の上から標的の後ろに飛び降りる。
今回は上手く両足で着地できたが、消音効果があるブーツとはいえ砂と石畳が擦れる音までは消せない。
職員は突如背後からジャリッと音がした事に振り向こうとするが、その時には俊夫に抱き着かれ、口を塞がれていた。
(立派な理由なんか無ぇ。ただの憂さ晴らしで死ねっ! ……映画で見たように、こうかな?)
職員の口を塞いでいる右手で首をへし折る――はずだった。
首が横に折れるはずが、鈍い感触と共に首が180度回転、俊夫と目が合ってしまう。
”なんでお前が。なんでこんな事を。なんで――”
俊夫に目でそう語りかけているように感じた。
数秒の事だったが、数十秒でも経ったかのように感じられるほどのリアルな衝撃。
本当に人を殺してしまったのではないかという、感覚に襲われ身体が凍り付く。
正気に戻ったのは流れ出た血の感触でだ。
限界を超えて捻じ曲げられたせいで、首周辺の皮は裂け、肉が千切れている。
水とは違う、血液特有の肌にまとわりつくような不快感。
すぐにでも手を放し、水場にでも飛び込みたい衝動に駆られる。
だが、まだダメだ。
俊夫は路地裏に死体を引きずり込み、静かに地面に寝かせると胃の内容物を吐き出す。
(なんでだよ、たかがゲームキャラのはずだろ。なんでこんな気分に……。いくらリアルなゲームだからってこんなの初めてだ)
本能が気付いたのだろう。
人間を殺すという禁忌を犯した事に。
俊夫は身体の震えが止まらなかった。
ゲームではいくら殺しても、しょせんはお遊びにしか過ぎないのだ。
人としてクズであっても、さすがに本物の人間を殺した経験などない。
――骨を折る感触が生々しかったから。
――徐々に目から生気が失われていくのを間近で見たから。
理由はいくつか思いつく。
だが、そんな事を考えても体の震えは収まらなかった。
本来ならすぐに移動しなければいけないのだが、落ち着くために5分ほど時間を使った。
動揺したままの行動は、不測の事態を招く危険があると思ったからだ。
その間、通りを人が通らなかったのは幸運だろう。
(まずはやる事があるな)
RPGならば必須の行為。
――死体漁りだ。
まずは金を探す。
(げぇ、違うこれじゃない)
財布を探すためにズボンのポケットをまさぐろうとして、股間をまさぐってしまった。
金違いである。
その後、無事に財布を見つけた俊夫は、ゲロと自分の体に付着した血液を【クリーン】で消し去る。
残留物がないか確認してから、その場を後にした。
----------
「すいません、トイレに行きたいので灯りを貸してもらえますか」
「はい、どうぞ」
俊夫の泊まっているホテルはトイレが1階のみ。
しかも、灯りは通路だけでトイレの中にはない。
夜にトイレを使用する場合は、フロントでカンテラを借りなければならないのだ。
(今は20時。フロントのおっさんも代わってないし、顔は覚えてるだろう)
ホテルの酒場が店を閉めるのが大体21時前後。
それまでは、フロア備え付けの時計をチラチラ見るクセが店主にあるのを確認している。
時間と顔を覚えてもらうには都合が良かった。
特に怪しいローブ姿の男など印象に残るだろう。
そう思いながら、俊夫はトイレの個室へ向かう。
部屋で細かく千切った財布を、そこに捨てるつもりだ。
そこは汲み取り式便所、俗に言うボットン便所だった。
しかも洋式トイレで便座は薄汚れている。
水洗式しか使った事のない俊夫は始めて使う時は戸惑っていた。
トイレットペーパーなんて物は無く、大き目の葉っぱが備え付けられていたのだが、2枚重ねで使ったにも関わらず破れてしまった。
当然、指は菊門タッチ。
トイレ自体が汚い事もあり出来れば使いたくない。
そう思わせるには十分な経験であった。
それ以来、セーロの葉を取りに行った時に野糞で済ませて【クリーン】でキレイにするようにしている。
最初はゲーム内での排泄行為はどうかとも思っていた。
現実の自分はきっと、病院かなにかに入院してオムツくらい履かされているだろうと思っているので、遠慮なく用を足していた。
俊夫はポケットから財布だった物を取り出すと、葉に包みトイレの中へ落とす。
こんな場所を探す者はいないだろうし、定期的に業者らしきものが汚物を運び出している。
証拠は勝手にどこかへ運ばれるのだ。
自分でどこかに捨てに行くという行為を見られる訳にはいかない。
もちろん、財布をそのまま自分で使うなどあり得ない事だ。
その財布と持ち主を見知った者が居た場合に足が付く。
中身を頂くだけでも十分だった。
(50,000はあったな。あいつ結構持ってやがった。もしこれで手配されるような事が無ければ、人間狩りの方が効率がずっと良いって事になるな。クソ真面目に葉っぱ拾いとかやってらんねぇ)
ここがゲームの世界だと思っている事。
ここでの生活に疲れ始めた事。
環境の急激な変化が俊夫の心が荒ませていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます